第38話 まつりのあと
桃組の総合優勝を告げるアナウンスが、グラウンド全体に響き渡った。
その瞬間、俺たちのテントからは、今日一番の、割れんばかりの歓声が上がった。
クラス委員長や、三組の武田先生が、嬉し涙を流しながら、抱き合っている。
俺、桜井駆は、健太と蓮にもみくちゃにされながら、その光景を、夢見心地で眺めていた。
勝った。
俺たちは、勝ったんだ。
閉会式で、代表として表彰台に上がったクラス委員長が、誇らしげに優勝旗を受け取る。
その姿を見て、俺の胸にも、熱いものが込み上げてきた。
体育祭なんて、面倒なだけだと思っていた。
でも、今は、心の底から、そう思う。 桃組で、よかった。
この、最高の仲間たちと、一緒に戦えて、よかった。
閉会式が終わり、後片付けが始まる。
熱狂的な興奮が少しずつ落ち着き、グラウンドには、祭りの後の、心地よい疲労感と、ほんの少しの寂しさが漂い始めていた。
「駆、お疲れ。リレー勝てたのは、マジでお前のおかげだ」
健太が、俺の肩を力強く叩いた。
その隣では、葵ちゃんが、にこにこと幸せそうに笑っている。
「ううん、健太も、すごかったよ! それに、障害物競走、一位だったもんね!」
「まあな! 葵との、愛の力ってやつだ!」
「もー、健太ったら」
葵ちゃんはそう言って、健太の腕に、そっと自分の腕を絡めた。
そのあまりにも、自然なイチャつきっぷりに、俺は思わず、げんなりとした顔になる。
「……お前ら、人前だぞ」
「いいじゃねぇか、別に。なぁ、葵?」
「うん!」
ちくしょう。 眩しい。眩しすぎる。
俺は、その幸せそうな二人から目を逸らした。
羨ましい、なんて。絶対に思ってないからな。
「あ、桜井くん」
不意に、声をかけられた。
振り返ると、そこには、小野寺楓と、中村沙織が立っていた。
「……100m走、すごかったね。リレーも、カッコよかった。……おめでとう」
小野寺は、少しだけはにかみながら、でも、真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。
「……おう。サンキュ。小野寺も、八百メートル、すごかったな。惜しかったけど」
「……うん。次は、負けないから」
小野寺はそう言って、綺麗に微笑んだ。
その横で、中村が、母親のような優しい目で彼女を見守っている。
俺は、この二人の関係も悪くないな、と、思った。
俺が、小野寺たちと話していると。
ふと、視界の端に、見慣れた後ろ姿が映った。
陽菜だった。
彼女は、舞たちと一緒に、後片付けをしているようだった。
俺は、小野寺たちに、「じゃあな」と短く告げると、陽菜の元へと歩き出した。
もう、ためらいはなかった。
◇
(……カケル)
後片付けをしながら、私は、何度も、カケルの姿を目で追っていた。
リレーの、最後の走り。
私の声援に応えるように、加速していった彼の姿。
ゴールした後、仲間たちにもみくちゃにされながら、見せてくれた、あの最高の笑顔。
そのすべてが、私の、瞼の裏に焼き付いて離れない。
嬉しくて、誇らしくて、そして、どうしようもなく愛おしい。
私の心は、温かいものでいっぱいだった。
「陽菜、顔、ニヤけすぎ。全部、漏れてるよ」
隣で、舞が、呆れたように言った。
「へっ!? そ、そんなことないし!」
「ふーん? まあ、いいけど。……でも、よかったね。ちゃんと仲直りできて」
「……うん。……舞にも、色々、心配かけちゃってごめんね」
「いーのいーの。親友でしょ? ……で? この後、打ち上げ、どうする? 桜井くん、誘うんでしょ?」
「えっ!? い、いや、それは……」
私が、口ごもっていると。 すぐ近くで、彼の声が聞こえた。
「……陽菜」
振り返ると、そこに、カケルが立っていた。
夕日に照らされた、その横顔は、いつもより、少しだけ大人びて見えた。
「……お疲れ」
「……うん。カケルも、お疲れ様。……すごかったね、リレー」
「……お前の、声が、聞こえたからな」
彼が、ぽつりとそう言った。
その、あまりにも不意打ちの言葉に。
私の心臓は、大きく跳ねた。
「え……?」
「……いや。……なんでもねぇよ」
カケルは、顔を真っ赤にして、ぷいと、そっぽを向いてしまった。
その、照れたような仕草が、可愛くて愛おしくて。
私は、思わず吹き出してしまった。
「ふふっ」
「……なんだよ」
「ううん、なんでもない。……ねぇ、カケル。この後、打ち上げ、行こっか。みんなで」
「……おう」
カケルは、短くそう答えた。
でも、その声は、今まで聞いた中で、一番優しかった。
◇
俺は、陽菜と並んで校門へと向かっていた。
健太や、蓮、舞たちも一緒だ。
これから、駅前のファミレスで、桃組の、ささやかな打ち上げが、行われることになっていた。
俺の心は、驚くほど軽かった。
陽菜の、隣を歩く。
ただ、それだけのことが、こんなにも幸せだなんて。
ふと、俺は、グラウンドの隅に、一人で佇んでいる男の姿に気づいた。
神崎だった。
彼は、誰とも話せず、一人で、夕日に染まるトラックを、じっと見つめている。
その背中は、ひどく、小さく、そして孤独に見えた。
あいつは、あいつなりに、プライドを懸けて戦っていたのだろう。
俺は、その背中に、何も声をかけることはできなかった。
校門へと向かう道すがら。 俺たちは、体育館の横を通り過ぎようとしていた、その時だった。
体育館の裏手にある、多目的トイレのドアが、ぎぃ、と音を立てて開いた。
「……ん?」
蓮が、最初に、それに気づいた。
俺たちも、つられて、そちらに視線を向ける。
ドアから、まず、西園寺先輩が堂々と出てきた。
体操服のシャツの裾が、だらしなくズボンからはみ出している。
そして、先輩に続いて。
中から、一年生の見慣れない女子生徒が、顔を俯かせながら出てきた。
そして、目は、泣き腫らしたかのように真っ赤だった。
その、あまりにも異様な光景に。
俺たちは、全員、足を止めて固まっていた。
(……またかよ)
二人が、何をしていたのか。
嫌でも、わかってしまった。
西園寺先輩は、 「じゃ、またな」 と言い、女子生徒の肩をポンと軽く叩いた。
その声には、何の感情もこもっていなかった。
女子生徒は何も言わずに、俯いたまま足早に、俺たちとは逆の方向へと去っていった。
西園寺先輩は、その小さな後ろ姿を、つまらなそうに見送ると、ふっと鼻で笑った。
そして、俺たちの存在に、ようやく気づいた。
彼は、俺たちを一瞥すると、何も言わずに、ただ、嘲るように口の端を歪めてみせた。
そして、まるで何事もなかったかのように、俺たちの横を、悠然と通り過ぎていった。
誰も、何も、言えなかった。
ただ、彼の背中が、夕日の影の中に消えていくのを見送るだけだった。
陽菜が、俺の服の裾を、小さく震える手で、ぎゅっと握りしめているのがわかった。
蓮の顔からは、いつもの軽薄な笑みが消え、冷たい軽蔑の色が浮かんでいる。
健太も、舞も言葉を失い、ただ唇を噛み締めていた。
俺たちの、楽しかった一日の終わりに、冷たくて、重い沈黙が落ちてきた。
(……許さねぇ)
俺は、心の中でそう呟いた。
いつか、必ず、あいつの化けの皮を剥がしてやる。
そして、陽菜を、あいつみたいな獣からは、絶対に俺が守り抜く。
俺は、隣を歩く陽菜の小さな手を見た。
その手を、握りたい。
そう、思った。
でも、まだその勇気は、俺にはなかった。
「……カケル?」
俺が黙り込んでいると、陽菜が不思議そうに、俺の顔を覗き込んできた。
「……なんでもねぇよ」
俺は、照れ隠しに、そう言って笑った。
陽菜もつられて、ふわりと笑う。
その笑顔を見て。
俺は、それで十分だと思った。 今は、まだ。




