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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第4章 秋風と、体育祭の熱(9月)

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第36話 獣の視線、再び

 保健室での、あの出来事から、一時間が経っていた。

 俺、桜井さくらいかけるは、桃組のテントの下で、次の出場種目であるチーム対抗リレーに向けて、入念にストレッチをしていた。


 心は、驚くほど穏やかだった。


 陽菜と、ちゃんと話ができた。

 俺の情けない本音を、彼女は、涙を流しながら受け止めてくれた。

 そして、彼女も、俺と同じ気持ちでいてくれた。


『カケルの隣が、いい』


 その言葉が、今も俺の胸の中で、温かい光を放っている。


 もう、迷わない。

 俺は、俺の走りで、あいつに応える。


 神崎に勝ち、桃組を優勝に導く。

 そして、今日こそ、陽菜の心からの笑顔を、もう一度、見るんだ。



「駆、次のリレーのアンカー、頼んだぞ」


 健太が、俺の隣に座り、スポーツドリンクを差し出してくれた。

 その顔は、いつになく真剣だった。


「……おう。任せとけ」

「神崎の奴、白組のアンカーらしい。……あいつにだけは、絶対に負けんじゃねぇぞ」

「……わかってる」


 俺と健太が、闘志を燃やしていると。

 ふと、俺は、ある視線に気づいた。


 テントの少し離れた場所。

 三年生の観覧スペース。

 その、人混みの中に、見慣れた、そして、見たくもない顔があった。


(……なんで、あいつが)


 西園寺さいおんじたくみ

 男子テニス部の、あの、クズな先輩だった。


 三年生も体育祭には参加しているが、受験を控えた彼らの多くは、午前中のいくつかの競技に出るだけで、午後は自由参加のようなものだ。

 案の定、西園寺先輩は、体操服を着てはいるものの、ハチマキもせず、腕を組んで、つまらなそうにグラウンドを眺めている。


 なぜ、帰らずに残っているんだ?


 疑問に思った、その瞬間。

 俺は、気づいてしまった。

 彼の視線が、どこに向けられているのかに。


 その視線の先には、女子の応援席で、舞たちと楽しそうに笑い合っている、陽菜の姿があった。

 その目は、獲物を見つけた、飢えた獣の目だった。


 粘着質で、いやらしくて、相手をモノとしてしか見ていない、欲望にまみれた獣の視線。


 合宿の夜の、あの悍ましい記憶が、鮮明に蘇る。


『お前の、大事な、大事な、幼馴染ちゃん。俺が、初めてを、めちゃくちゃにして、啼かせてやるってな』


 その言葉が、俺の頭の中で反響した。

 途端に、俺の、穏やかだった心は、再び、黒い怒りの炎に包まれた。


(……てめぇ)


 なんで、ここにいる。

 陽菜に、近づくんじゃねぇよ。

 俺は、立ち上がりそうになるのを、必死で堪えた。


 ここで俺が騒いだところで、何の意味もない。

 今は、リレーに集中しなければ。


 俺が、自分にそう言い聞かせていると、西園寺先輩が動いた。


 彼は、人混みを抜け、陽菜たちがいる応援席の方へと、ゆっくりと歩いていく。

 俺の心臓が、ドクン、と、大きく嫌な音を立てた。





(……よかった。カケルの顔、さっきより、ずっといい)


 応援席で、私は、カケルの姿を目で追っていた。


 保健室での、あの出来事。  

 彼の不器用な、でも、真っ直ぐな言葉。

 握りしめてくれた、大きな手の温もり。


 そのすべてが、私の、不安でいっぱいだった心を、温かいもので満たしてくれていた。


 もう、大丈夫。

 私たちは、大丈夫だ。

 

「陽菜、さっきから、ずっと桜井くんのこと見てるね。顔、ニヤけてるよ」


 隣にいた舞が、私の脇腹を肘で突いてくる。


「へっ!? そ、そんなことないし!」

「ふーん? まあ、いいけど。……でも、よかったね。仲直り、できたみたいで」

「……うん。ありがとう、舞」


 私が、照れながら、そう答えた、その時だった。


「よぉ、日高。応援、熱心だな」


 すぐ近くから、馴れ馴れしい声が聞こえた。

 その声に、私の心臓が、きゅっと、冷たく縮こまる。

 振り返ると、そこに、西園寺先輩がニヤニヤしながら立っていた。


「……西園寺先輩。こんにちは」


 私は、愛想笑いを顔に貼り付けた。  

 関わり合いたくない。

 でも、無視するわけにもいかない。


「いやー、それにしても、日高は可愛いな。体操服姿もそそるぜ」

「……どうも」


 先輩は、私の隣に、断りもなくどかりと腰を下ろした。


 近い。 距離が近すぎる。


 汗と、甘ったるい香水の匂いが混じった、不快な匂いが鼻をつく。

 私は無意識に、舞の方へと身体を寄せた。


「なあ、日高。この後、暇か? 体育祭終わったら、二人でどっか抜け出さねぇ?」

「すみません。今日は、この後、打ち上げがあるので」

「えー、つれねぇな。俺と、二人きりの特別レッスンの方が楽しいと思うけどな?」


 先輩はそう言って、私の肩に手を伸ばしてきた。

 合宿の時と同じだ。

 私は、びくりとして身を固くした。





(……ちっ、ガードが固ぇな)


 俺は、内心で舌打ちをした。


 日高陽菜。

 女子ソフトテニス部で見かけて以来、ずっと、狙っていた獲物だ。


 小柄なくせに、あの、アンバランスなほどデカい胸。

 怯えた小動物みたいな、あの目。

 男の、庇護欲と加虐心を同時にくすぐる、極上の素材だ。

 ああいう女を、力でねじ伏せて、啼かせるのが、俺はたまらなく好きなのだ。


 だが、こいつは、思ったより手強い。

 いつも、あの桜井とかいう目障りなガキが隣にいる。


 今日もそうだ。

 俺が、少し、触れようとしただけで、あのガキが、鬼のような形相で睨んできた。

 すごい勢いでこちらに向かってきている。


(……まあ、いいか)


 今日のところは、引いてやる。

 こいつは時間をかけて、じっくりと、外堀を埋めていくのが正解だろう。


 それに、俺には、もう次の獲物の目星もついている。

 さっき、応援席で見つけた、一年生のあの女。

 まだ、男を知らなそうなウブな顔。

 それでいて、瑞々しい柔らかな身体。

 ああいう、まだ熟れていない果実を、最初に味わうのも、また一興だ。


 俺は、桜井とかいうガキに視線を戻した。

 俺の遊びの邪魔をしやがった、このガキ。 少しだけ、お仕置きをしてやるか。





「……先輩」


 低くて、冷たい声。

 見ると、いつの間にか、カケルが私たちの前に立っていた。  

 その顔は、今まで見たこともないくらい、怒りに満ちていた。





「……先輩。陽菜に、何か用ですか」


 俺の声は、自分でも、信じられないくらい低く、ドスの利いた声だった。


 西園寺先輩は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに面白くてたまらない、というように、口の端を歪めた。


「お、桜井じゃん。なんだよ、彼氏気取りか? プールでも、そんなこと、言ってたらしいじゃねえか。『俺の彼女だ』、とかなんとか」


 先輩のその言葉に、陽菜の肩が、びくりと震えたのがわかった。

 俺は、陽菜を自分の背中に庇うように一歩前に出た。


「……陽菜に、触らないでください」

「はっ! ウケる。お前、本気でこいつのこと守れるとでも思ってんのか?」


 西園寺先輩は立ち上がり、俺の目の前に立った。

 俺より少しだけ背が高い。 その見下すような視線。


「いいか桜井。お前みたいなガキには、まだわかんねぇだろうけどな。女ってのはな、結局、強い男に、惹かれるもんなんだよ。お前みたいな、走るのが速いだけのヘタレじゃなくてな」

「……」

「まあリレー、頑張れよ。お前が、必死に走ってる間に、俺は、お前の大事な陽菜ちゃんと、もっと仲良くなっといてやるからさ」


 その、あまりにも下劣な挑発。

 俺は、拳を、強く強く握りしめた。

 殴りたい。 今すぐ、この歪んだ顔を殴りつけてやりたい。


 でもダメだ。 ここで、俺が手を出したら、すべてが終わりだ。

 俺は、必死に怒りを堪えた。


「……行こう、陽菜」


 俺は、陽菜の手をぐっと掴んだ。

 そして、西園寺先輩に背を向けて、その場を離れようとした。


「……まあ、待てよ」


 先輩が、俺の肩を掴んだ。


「……リレー、楽しみにしてるぜ。お前が神崎に負けて、無様に泣きっ面晒すのをな。……そしたら、日高も、がっかりして気付くだろ。俺とお前、どっちが本当にいい男か、ってな」


 そう言って、先輩は、俺の耳元で囁いた。


「……せいぜい、頑張れよ。……俺に、そのおもちゃ、取られちまわねぇようにな」


 その言葉を最後に。

 俺の中で、何かが完全に決まった。


 俺は、先輩の手を振り払った。

 そして、陽菜の手を強く握りしめ、無言でその場を立ち去った。


 俺たちの、桃組のテントに戻るまでの短い道のり。

 陽菜は、何も言わなかった。


 ただ、俺の手を、同じくらいの力で握り返してくれていた。

 その、小さな手の温もりだけが。 今、俺の唯一の支えだった。


 テントに戻ると、健太が、心配そうな顔で駆け寄ってきた。


「駆、大丈夫か!? 西園寺先輩に、何かされたのか!?」

「……なんでもねぇよ」


 俺は、短く、そう答えた。

 そして、陽菜の手をそっと離す。


「……ごめんな、陽菜。また嫌な思いさせた」

「……ううん。……ありがとう、カケル。……守ってくれて」


 陽菜はそう言って、少しだけ潤んだ瞳で微笑んだ。


 その笑顔を見て、俺の決意は、さらに固まった。


 もう、迷わない。

 俺は、勝つ。


 神崎にも、そして、西園寺先輩みたいなクズにも。


 俺は、俺の走りで証明する。

 俺こそが、陽菜の隣に立つに、ふさわしい男なんだと。


 俺は、静かに闘志を燃やしながら、リレーのスタートの時を待っていた。






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