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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第4章 秋風と、体育祭の熱(9月)

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第34話 騎馬戦と保健室

 体育祭当日。

 空は、雲一つない、突き抜けるような青色だった。


 グラウンドには、各チームの色とりどりのテントが立ち並び、生徒たちの熱気と、応援の歓声が、渦を巻いている。

 俺、桜井さくらいかけるは、桃組のハチマキをきつく締めながら、その喧騒の中心に立っていた。


 午前中の競技は、順調に進んだ。


 俺が出場した百メートル走は、予選を一位で通過。

 決勝でも、自己ベストに近いタイムを叩き出し、桃組に貢献することができた。


 陽菜は、観客席の最前列で、舞たちと一緒に、大きな声で俺の名前を呼んでくれた。

 その声援が、俺の背中を、強く、強く押してくれた。


 だが、俺の心は、まだ晴れなかった。

 これから始まる、あの種目のことを考えると、胸の奥がずしりと重くなる。


 決勝を走り終えた俺が、息を切らしながらトラックの脇で膝に手をついていると、場内にアナウンスが響き渡った。


『続きまして、午前の部の最終種目、男女混合二人三脚です! 各チームの代表選手は、スタートラインに集合してください!』


 そのアナウンスを聞いた瞬間、俺の心臓は、ぎりりと、嫌な音を立てて締め付けられた。

 顔を上げると、蓮が、爽やかな笑顔で、陽菜の元へと駆け寄っていくのが見えた。


 そして、二人は、他の代表選手たちと共に、スタートラインへと向かっていく。


 俺は、その場から動けなかった。

 ただ、呆然と、二人の後ろ姿を見つめることしかできなかった。





 スタートラインに立つと、周りの喧騒が、嘘のように遠のいていく。

 私の心臓は、今にも、口から飛び出しそうなくらい、速く、大きく、脈打っていた。


 隣に立つ、蓮くんの体温が、じかに伝わってくる。

 練習の時よりも、ずっと、近い。


「陽菜、緊張してる?」


 蓮くんが、私の耳元で、優しく囁いた。


「う、うん。少し……」

「大丈夫。俺がついてるから。……あいつに、俺たちの一番速い走り、見せてやろうぜ」


 蓮くんは、そう言って、顎で、トラックの脇に立つカケルを指し示した。


 私は、ドキリとした。

 彼の顔を見ることができない。


 蓮くんの、大きな手が、私の肩をぐっと引き寄せる。

 練習の時よりも、ずっと力強く。

 その手は、私の胸のすぐ横にあった。

 彼の指先が、時々、私の胸の膨らみに、触れるか触れないかの絶妙な位置にある。


(……ち、近い……!)


 私の頭の中は、パニックだった。


 蓮くんに対するドキドキと。

 カケルに見られている、という、恥ずかしさと。

 そして、カケルじゃない別の男の子と、こんなに密着していることへの罪悪感。

 そのすべてが、ごちゃ混ぜになって、私の思考をぐちゃぐちゃにする。


 ――パンッ!


 号砲が鳴り響いた。

 私の身体は、蓮くんに、引っ張られるように走り出す。


「いくぞ、陽菜! いち、に、いち、に!」

「う、うん!」


 私たちは、息を合わせて地面を蹴る。


 速い。

 練習の時とは、比べ物にならないくらい速い。

 蓮くんの、リードがうますぎるのだ。


 彼の腰に回した、私の手。

 私の肩を抱く、彼の手。

 その二つの接点から、彼の、熱が、力が、ダイレクトに伝わってくる。


(……すごい)


 風が、顔を叩く。

 周りの景色が、後ろへと飛んでいく。


 怖い。

 でも、それ以上に。

 楽しい、と、思ってしまった。


 カケルじゃない、誰かと、心を一つにして走ることが。

 その事実に、私は、また罪悪感を覚えた。





 俺は、トラックの脇で立ち尽くしていた。

 目の前を、蓮と陽菜が、風のように駆け抜けていく。


 速い。

 他のペアを圧倒する速さだ。


 蓮の、スマートなリード。

 陽菜の、必死な、でも美しいフォーム。


 二人の身体は、まるで一つの生き物のように、ぴったりと密着している。


 蓮の腕が、陽菜の肩を抱いている。

 陽菜の手が、蓮の腰に回されている。

 その光景が、俺の目の前で、繰り広げられている。


(……やめろ)


 見るな。 見たくない。

 でも、目が離せない。


 陽菜の苦しそうな、でもどこか恍惚としたような表情。

 蓮の真剣な、でも、楽しそうな横顔。


 その二つが、俺の胸を、どす黒い醜い炎で焼き尽くしていく。


 健太が、言っていた。


『蓮の奴、完全に、お前のこと、意識してるぜ』


 その言葉の意味が、今、痛いほどわかった。


 あいつは、俺に見せつけているのだ。

 お前にはできないことを、俺はできるのだと。

 お前の大切な幼馴染を、俺は、こんなにも輝かせることができるのだと。


 俺は握りしめた拳が、小刻みに震えているのに気づいた。

 嫉妬。 ただひたすらに醜い嫉妬の感情が、俺の全身を支配していた。


 やがて二人は、一位でゴールラインを駆け抜けた。

 「「やったー!」」という、歓声が上がる。


 蓮と陽菜はハイタッチを交わし、そして抱き合って喜びを分かち合っていた。


 その光景を、俺は、もう見ていられなかった。

 俺は、くるりと背中を向けると、誰にも気づかれないように、その場を後にした。





 そして午後の部。

 体育祭の、華形競技の一つである、男子騎馬戦が始まろうとしていた。


「いいか、お前ら! 俺たち桃組の誇りにかけて、絶対に勝つぞ!」


 騎馬の大将を務める、クラスのムードメーカーが雄叫びを上げる。


 俺は、騎馬の乗り手として、三人の男子生徒の肩の上に跨っていた。


 視線が、高くなる。

 グラウンド全体が、見渡せた。

 俺たちの、最初の相手は、神崎率いる白組だった。


「よぉ、桜井」


 向かいの騎馬の上から、神崎が、俺を、見下すような目で見ていた。


「せいぜい、楽しませてくれよ。お前の、情けない顔を、日高に、見せてやるのが、楽しみでな」

「……てめぇ」


 そのあまりにも直接的な挑発に、俺の頭にカッと血が上る。


 ――ピーッ!


 開始を告げる、ホイッスルが鳴り響いた。


「「「うおおおおおっ!」」」


 雄叫びと共に、双方十数基の騎馬が、一斉にぶつかり合う。

 砂埃が舞い上がり、怒号と歓声が入り混じる。

 俺たちは、周りの騎馬には目もくれず、一直線に、神崎の騎馬へと突っ込んでいった。


「させるかよ!」


 神崎の騎馬も、正面から俺たちを迎え撃つ。

 ガッシリとした騎馬同士が、ぶつかり合う鈍い衝撃。


 俺は手を伸ばし、神崎のハチマキを奪い取ろうとする。

 だが、神崎はそれをひらりとかわし、逆に、俺のハチマキに手を伸ばしてきた。


「おっと、危ねぇな。……お前の、その必死な顔。日高も見てるぜ?」


 神崎は、俺の耳元でそう囁いた。

 その言葉に、俺の理性の糸が、ぷつりと切れた。


(……うるせぇ!)


 俺は、我を忘れ、身を乗り出し、神崎のハチマキに食らいついた。

 その瞬間だった。

 俺の騎馬のバランスが、大きく崩れた。


「うわっ!」


 騎馬を務めてくれていた、下の三人の悲鳴。

 俺の身体が、宙に舞う。


 そして、地面に叩きつけられる、強い衝撃。


 一瞬、息が、できなかった。


 砂埃と、土の匂い。

 遠くで聞こえる、誰かの悲鳴。



 俺は、薄れゆく意識の中で、ただ、陽菜の、心配そうな顔だけを見ていた。





(……カケル!)


 騎馬戦を見ていた私は、カケルが落馬した瞬間、心臓が止まるかと思った。

 彼が、地面に叩きつけられ、動かなくなる。

 その光景が、スローモーションのように、見えた。


 私は、観客席から飛び出していた。

 周りの、制止の声も耳に入らない。

 ただ無我夢中で、彼のもとへと駆け寄った。


「カケル! しっかりして!」


 グラウンドに駆けつけると、そこには、私と同じように、真っ青な顔をした、小野寺さんの姿があった。

 彼女も、カケルのことが心配で、駆けつけてきたのだ。

 その事実に、胸が、チクリと痛んだ。

 でも、今は、そんなことを考えている場合じゃない。


「……いてて……」


 カケルが呻きながら、ゆっくりと身体を起こした。

 よかった。 意識はある。

 でも、彼の、右腕と膝からは、血が滲んでいた。


「桜井くん、大丈夫!?」

「カケル、立てる?」


 私と、小野寺さんが、同時に彼に声をかける。

 カケルは戸惑ったように、私たちを交互に見た。


 その時だった。


「はいはい、君たち、ちょっと落ち着いて」


 穏やかな、でも、凛とした声。

 担任の藤井先生だった。


 先生は、しゃがみ込み、カケルの怪我の状態を手早く確認する。


「うん。たいしたことはなさそうね。ただの、擦り傷。でも、念のため保健室で、消毒してもらいましょう」


 先生のその言葉に、私たちは、ホッと胸を撫で下ろした。


「じゃあ、……日高さん。悪いけど、桜井くんのこと、保健室まで連れて行ってあげてくれるかしら?」

「え……?」


 先生のその言葉に、私は驚いて顔を上げた。


 私とカケルを、二人きりに?


 ちらりと、小野寺さんの方を見る。

 彼女は、俯いて、唇をぎゅっと噛み締めていた。

 その顔には、悔しさと悲しみが滲んでいる。


「……小野寺さんは、次の競技の準備があるでしょう? 桜井くんのことは、日高さんに任せて大丈夫よ」


 藤井先生はそう言って、優しく、でも、有無を言わせない口調で言った。





 保健室は、グラウンドの喧騒が、嘘のように静かだった。


 白いカーテン。

 消毒液の、ツンとした匂い。

 俺は、ベッドの縁に腰掛け、陽菜が、俺の傷を手当てしてくれるのを黙って見ていた。


「……染みるかもだけど、我慢してね」

「……おう」


 陽菜は、コットンに消毒液を染み込ませ、俺の膝の擦り傷に、そっと当てた。


 ぴりりとした鋭い痛み。

 俺は、思わず顔を顰める。

 でも、その痛みよりも、もっと別の感覚が、俺の全身を支配していた。


 近い。

 陽菜の顔が、すぐ、目の前にある。


 真剣な眼差しで、俺の傷を見つめる長いまつ毛。

 傷口を消毒する、小さな白い指先。

 陽菜の無防備な姿に、俺の、心臓は、また言うことを聞かなくなる。


「……ごめんな」


 俺の口から、ぽつりと、言葉が漏れた。


「え?」

「……心配、かけただろ」


 陽菜は、手を止め、ゆっくりと顔を上げた。

 その大きな瞳が、真っ直ぐに、俺を見つめている。


「……当たり前だよ。……心臓、止まるかと思った」


 その声は、少しだけ震えていた。


「……なんで、あんな、無茶したの? 神崎くんの、挑発に乗っちゃって……。カケルらしくないよ」

「……」


 俺は、何も言い返せない。

 陽菜の言う通りだった。

 俺は、嫉妬と、焦りで、我を忘れていたのだ。


「……ごめん」

「……ううん。……でも、無事で、よかった。本当に……」


 陽菜の瞳から、堪えていた涙が、一筋、ぽろりとこぼれ落ちた。


 その涙を見て。

 俺は、もうダメだった。

 気づけば、俺は、彼女の小さな手を、ぎゅっと握りしめていた。


「……陽菜」


 俺は、彼女の名前を呼ぶ。

 そして、この数週間、ずっと言えなかった言葉を口にした。


「……二人三脚、……お前と、出たかった」


 陽菜が、息を呑むのがわかった。


「俺が、バカだった。何も考えずに、百メートル走に出るなんて言って……。本当は、お前と、ペア組みたかったのに。……蓮と、楽しそうにしてるの見て、……すげぇムカついた」


 情けない。

 カッコ悪い。

 でも、これが、俺の本心だった。


 陽菜は、何も言わない。

 ただ静かに、俺の言葉を聞いている。


 その瞳から、また、涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。

 でも、それは、悲しみの涙じゃない。

 温かくて、優しい涙。


「……私も、だよ」


 やがて、陽菜が、震える声でそう言った。


「私も、カケルと出たかった。……蓮くんは優しいけど、……でも、やっぱり、私は、カケルの隣がいい」


 その言葉に。

 俺の心の中のすべての靄が、すうっと晴れていくのがわかった。


 よかった。

 陽菜の気持ちは、まだ、俺の隣にいてくれたんだ。


 俺たちは、しばらく、そうして手を握り合ったまま、見つめ合っていた。


 言葉は、もういらなかった。

 ただ、お互いの温もりを確かめるだけで十分だった。


 保健室の窓から、秋の涼しい風が吹き込んでくる。

 その風が、俺たちの涙の跡を、優しく乾かしてくれた。



 まだ、最後のリレーが残っている。

 俺は、陽菜の手を、もう一度強く握りしめた。


 もう迷わない。

 俺は、俺の走りで、陽菜に応えるんだ。




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