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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第3章 意識してしまった夏(7月/8月)

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第28話 「俺の彼女」

 ウォータースライダーでの一件以来、俺たちの間にあった氷の壁は、完全に溶けてなくなっていた。


 いや、むしろ、以前よりも、もっと、近くなった気がする。


 俺、桜井さくらいかけるは、流れるプールでぷかぷかと浮きながら、隣で同じように浮き輪に乗っている陽菜の横顔を、盗み見た。

 水に濡れた彼女の肌が、夏の強い日差しを浴びて、キラキラと輝いている。

 その姿が眩しくて、俺は目を細めた。


「ふふっ。なんか、いいね、こういうの」


 陽菜が、心地よさそうに、そう呟いた。


「……だな」


 俺も、同じ気持ちだった。


 ただ、隣にいる。

 それだけで、こんなにも、満たされた気持ちになるなんて。

 大会の後の、あの地獄のような三日間が、嘘のようだ。


「あ、そうだ! 私、ちょっと飲み物買ってくる! カケルも何かいる?」


「ん、じゃあ、俺も行くよ」


「ううん、いいって! ここで待ってて。すぐに戻ってくるから」


 陽菜は、そう言うと、浮き輪から器用に降り、ぱたぱたとプールサイドを歩いて、売店の方へと向かっていった。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は、自分の心臓が、穏やかに、でも、確かに、温かいリズムを刻んでいるのを感じていた。





(……よかった)


 売店へと向かう途中、私、日高陽菜は、何度も心の中で、そう繰り返していた。


 カケルが、笑ってくれた。

 また、いつもみたいに、話してくれるようになった。


 それだけで、十分だった。

 ううん、十分すぎるくらい、幸せだった。


 ウォータースライダーで、彼の大きな背中にしがみついた時の、あの感触。

 着水したプールで、至近距離で見た、彼の、少しだけ照れたような笑顔。

 そのすべてが、私の、宝物だ。


 私は、自販機で、スポーツドリンクと、カケルの好きなコーラを買った。

 二本を手に持ち、彼が待っている流れるプールへと戻ろうとした、その時だった。


「ねぇ、そこのキミ。一人?」


 不意に、すぐ横から、馴れ馴れしい声が飛んできた。

 見ると、そこには、いかにもチャラそうな、大学生くらいの男二人が、ニヤニヤしながら立っていた。


「……いえ」


 私は、関わり合いたくなくて、短くそう答え、その場を通り過ぎようとする。

 だが、そのうちの一人が、私の行く手を阻むように、一歩前に出た。


「まあまあ、そう言わずにさ。俺ら、今、すっごいヒマしてんだよね。よかったら、この後、一緒に遊ばない?」

「すみません、一緒に来ている人がいるので」

「えー、マジで? でも、今、一人じゃん。彼氏?」



 男は、私の肩に、馴れ馴れしく手を置いてきた。

 その瞬間、私の全身に鳥肌が立った。


(……やだ)


 気持ち悪い。

 西園寺先輩に、馴れ馴れしくされた時と、同じ嫌悪感。 知らない男に身体を触られるのが、こんなにも不快だなんて。


 私は、反射的に、その手を振り払おうとした。


「……さわらないで、ください」


 私の声は、自分でも驚くほど、低く冷たい響きを持っていた。

 だが、男は、面白そうに口の端を歪めるだけだった。


「お、強気じゃん。そういう子、嫌いじゃないぜ? いいじゃん、ちょっとくらいさ」


 男の手が、再び、私の肩に伸びてくる。

 ......私が、思わず一歩後ずさった、その時だった。


――バシッ!


 乾いた音と共に、男の手が、力強く、横から弾かれた。


「……え?」


 見ると、そこには、今まで見たこともないくらい、冷たい目ををした、カケルが立っていた。





 陽菜が、なかなか戻ってこない。


 少し心配になって、俺は、彼女を追って売店の方へと向かった。

 そして見てしまった。 チャラついた男二人が、陽菜に、しつこく絡んでいるのを。

 そのうちの一人が、陽菜の肩に、汚い手を置いているのを。


 その瞬間、俺の頭の中で、何かが、ぷつりと切れた。

 気づけば、俺は男の手を全力で振り払っていた。


「……なんだよ、テメェ」


 男が、忌々しげに俺を睨みつける。

 俺は、何も言わずに、陽菜の肩をぐいっと引き寄せ、自分の腕の中に庇うように抱きしめた。

 陽菜の身体が、小さく震えているのがわかった。


「……こいつに、何か用か?」


 俺の声は、自分でも信れられないくらい、低くドスの利いた声だった。


 西園寺先輩と対峙した時、出せなかった声。

 あの時、俺の足をすくませた、恐怖や打算は、もうどこにもなかった。

 ただ目の前の、この大切なものを守りたい。 その一心だけだった。


「あ? なんだ、連れって男かよ」

「……ああ。こいつは、俺の彼女なんで。あんたらに用はないだろ」


 俺は、男を、真っ直ぐに睨みつけた。

 すると、男は一瞬だけ怯んだように目を逸らしたが、すぐに、虚勢を張るように、肩をすくめてみせた。


「……ちぇっ。まあ、いいや。行こうぜ」


 男は、そう言って、仲間と共に、あっさりと、その場を立ち去っていった。

 後に残されたのは、俺と、そして、俺の腕の中で、まだ小さく震えている陽菜だけだった。


「……もう、大丈夫だ」


 俺がそう言うと、陽菜はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は恐怖で潤んでいた。


「……ありがとう、カケル」

「……おう」





 カケルの腕の中。

 さっきまで、知らない男の人に触れられていた肩が、今は、カケルの大きな手のひらに、力強く、でも優しく、包まれている。


 同じ、「肩を触られる」っていう行為なのに。 全然、違う。


 さっきのは、肌の上を何かが這い回るような、冷たい不快感だったのに。 カケルの手のひらからは、温かくて、安心できる熱だけが、伝わってくる。


 怖い、なんて少しも思わない。

 むしろ、ずっと、こうしていたい。


 守られてる。

 大切にされてる。


 その事実が、私の心を、幸せな気持ちでいっぱいにしてくれた。


 ドキドキする。

 でも、それは、恐怖のドキドキじゃない。 嬉しくて、愛おしくて、たまらない、特別なドキドキだった。





 その時になって、俺は、自分が、とんでもないことをしているのと、とんでもないことを言ってしまったのに、同時に気づいた。


 陽菜の、ほとんど裸同然の柔らかな身体を、俺は、今、力いっぱい抱きしめている。

 腕の中に、彼女の豊かな胸の感触が、ダイレクトに、伝わってきている。

 そして、俺は、今、こいつのことを「俺の彼女だ」と、断言してしまった。


 さっきまでの怒りは、どこかへ消え去り、代わりに、別の種類の猛烈な熱が、俺の身体と顔面を支配し始めていた。


「あ、あの、カケル……。もう、腕……」

「……あ、あぁ! わ、悪い!」


 俺は、火傷でもしたかのように、慌てて陽菜から身体を離す。

 気まずい。 気まずすぎる。

 さっきまでの、俺の、あの、ヒーローみたいな態度は、どこへ行ったんだ。


「……い、いや、その、さっきのは……」


 俺が、何か言い訳をしようと、口を開く。

 だが、陽菜は、俺の言葉を遮るように、ぶんぶんと首を横に振った。


「う、ううん! わ、わかってるから! 大丈夫だから!」


 彼女は、顔を、耳まで真っ赤にして俯いている。

 その反応を見て、俺は、もう何も言えなくなった。


 わかってる、って、何をだ?

 大丈夫、って、何がだ?


 もうわからない。

 俺の頭の中は、完全にキャパオーバーだった。


「……と、とりあえず、戻るか」

「……う、うん」


 俺たちは、ぎこちない動きで、流れるプールへと戻り始めた。

 会話はない。

 ただ、お互いの真っ赤な顔を見ないように。

 必死に前だけを向いて歩く。


 夏の太陽が、俺たちの火照った身体を、容赦なく照りつけていた。


「俺の彼女」。


 その言葉の余韻だけが、甘く、そしてひどく恥ずかしく、俺たちの間に漂っていた。









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