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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第3章 意識してしまった夏(7月/8月)

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第27話 レジャープールと眩しい水着

 夏の県大会から、三日が経っていた。


 その三日間は、俺、桜井さくらいかけるにとって、人生で最も長い七十二時間だったかもしれない。


 陽菜ひなとの間には、分厚くて、冷たい氷の壁ができてしまっていた。


 朝、練習に向かう時間になっても、彼女はもう、俺を呼びに来てはくれない。俺が家のドアを開けると、隣の家の玄関は、固く閉ざされたままだ。


 帰り道も、別々だった。

 部活が終わると、陽菜は舞たちと、さっさと帰ってしまう。

 俺が、声をかける隙もない。


 まるで、俺という存在が、最初からいなかったかのように。 彼女の世界から、俺は、完全に消されてしまっていた。


 自己ベストを更新した、あの日の達成感なんて、もうどこにもない。あるのは、胸を締め付ける、鈍い痛みと、深い後悔だけだ。



 日曜日の昼下がり。

 俺は、自分の部屋のベッドの上で、天井の染みを、ただぼんやりと眺めていた。部活も休み。何もする気が起きない。ただ、時間が過ぎていくのを、待っているだけだった。


 コンコン、と。 部屋のドアが、遠慮がちにノックされた。


「……兄貴、入るぞ」


 返事をする前に、弟のわたるが、ひょっこりと顔を出す。その手には、なぜか、二人分の麦茶が乗ったお盆が。


「生きてるか、ゾンビ」


「……うるせぇ」


「まあ、そう言うなって。ほらよ」


 航は、俺のベッドの脇に、麦茶のグラスを一つ置いた。

 そして、自分は、勉強机の椅子に、どかりと腰を下ろす。


「……で? いつまで、そうしてるつもりだ?」


「……別に。いつも通りだ」


「嘘つけ。陽菜姉ちゃんと、絶賛冷戦中だろ。莉子が、毎日うちに来ては、『お姉ちゃんが光合成をやめて、しおれた花みたいになってる! このままじゃ枯れちゃう!』って、泣きついてきてんだぞ。迷惑なんだよ」


 航の、容赦ない言葉が、俺の胸に突き刺さる。

 陽菜が、泣いている? しおれた花? 俺の、せいで?

 その事実に、胸が、ぎりぎりと締め付けられる。


「……俺は、どうすればいいんだよ」


 俺の口から、弱々しい声が漏れた。


 自分でも、驚いた。

 俺は、この年下の弟に、助けを求めていた。


「……知るかよ。自分でやらかしたことだろ」


 航は、冷たくそう言い放った。だが、すぐに、深いため息をついて、言葉を続ける。


「……まあ、でも、兄貴があんまりにもヘタレだから、俺と莉子で、ちょっとだけ、お膳立てしてやるよ」


「……は?」


「来週の土曜日、新しくできたレジャープール、行くぞ。駅前からシャトルバス出てるらしいから、四人で」


 航の、あまりにも唐突な提案に、俺は、言葉を失った。


「……なんで、そうなるんだよ」

「いいから、行くんだよ。これは、決定事項だ。陽菜姉ちゃんの方には、莉子がもう話つけてる。『お姉ちゃん、最近元気ないから、気分転換に行こうよ! カケルお兄ちゃんたちも誘ってさ!』ってな。兄貴が断ったら、どうなるか、わかってるよな?」


 航は、ニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべた。


 断れるはずが、なかった。

 俺が断れば、陽菜は、きっと、もっと傷つくだろう。「やっぱり、私といるのは嫌なんだ」と。 それは、絶対に、嫌だった。


「……わかったよ」


 俺は、力なく、そう答えることしか、できなかった。


 こうして、俺の意思とは無関係に、地獄か天国かわからない、週末の予定が、決定してしまったのだった。





 そして、運命の土曜日。


 駅前から出る、プール行きのシャトルバスの中は、夏休みを満喫しようとする若者たちの、熱気でむせ返っていた。


 俺たちの間には、相変わらず、気まずい空気が流れている。

 航と莉子は、俺と陽菜を挟むように座り、必死に場を盛り上げようとしてくれていた。


「うわー! 見て、お姉ちゃん! あのスライダー、すごい!」

「兄貴、腹減ったな。着いたら、まず、アメリカンドッグ食おうぜ」


 二人の健気な努力が、痛いほど伝わってくる。 俺も、陽菜も、それに必死に応えようとした。


「……すごいな。あんなの、滑ったら、心臓止まるだろ」

「……ふふっ。航くんは、相変わらず、食いしん坊だね」


 ぎこちない、笑顔。 ぎこちない、会話。

 周りの喧騒が嘘のように。俺たちの周りだけ、時間がゆっくりと重く流れている。


 やがて、バスがプールに到着した。更衣室で着替えを済ませ、俺と航は、先にプールサイドで、陽菜たちを待つことにした。


 照りつける太陽。

 塩素の匂い。

 子供たちのはしゃぎ声。


 そのすべてが、今の俺の心には、どこか遠い世界のことのように感じられた。


「……なあ、兄貴」


「……なんだよ」


「ちゃんと、謝れよ」


 航が、ぽつりとそう言った。


「……わかってる」


「わかってねぇから、言ってんだよ。言葉にしねぇと、伝わんねぇんだよ、女には。……まあ、頑張れや」


 航は、そう言って俺の背中をぽんと叩いた。その不器用な優しさが、少しだけ俺の心を軽くしてくれた。


 その時だった。


「お待たせー!」


 莉子ちゃんの、明るい声が聞こえた。

 俺は、そちらに顔を向ける。 そして固まった。


 莉子ちゃんの隣に立つ、陽菜の姿を見て。

 俺の思考は、完全に停止した。


 陽菜は、白い、フリルのついた、ビキニを着ていた。

 いつも、制服やジャージの下に隠されていた彼女の身体。それが今、惜しげもなく、俺の目の前に晒されている。


 日に焼けていない、透き通るような白い肌。

 きゅっと引き締まった、ウエストのくびれ。

 スカートタイプのビキニの裾から伸びる、しなやかな脚。

 

 そして。 俺の視線は、そこに釘付けになった。


 小さなビキニの布では、到底隠しきれない、豊かな胸の膨らみ。

 深く刻まれた、柔らかそうな胸でつくられた谷間。


 合宿の夜、俺が想像し、焦がれたそのものが。今、現実として、俺の目の前にあった。


(……やばい)


 心臓が爆発しそうだった。


 鼻の奥が、ツン、とする。やばい。このままだと鼻血が出る。 俺は、慌てて顔を逸らした。





(……どうしよう。カケルが、全然、こっちを見てくれない)


 更衣室で、この水着に着替える時、すごく、すごく、勇気がいった。

 去年、お母さんと一緒にバーゲンで買った、少しだけ大人っぽい水着。


 一度も、着たことがなかった。 カケルに見せる勇気がなかったから。


 でも、今日は違った。

 舞に、「絶対に、これで行きなさい! いい? 陽菜。男なんて、単純なんだから! 視覚情報に、一番弱いの! ここでガツンと見せつけて、桜井くんの心を、鷲掴みにしてきなさい!」と、強く、強く、背中を押されたのだ。


 カケルに、可愛いって、思ってもらいたい。

 女の子として、意識してもらいたい。


 大会の日の、あの悲しい出来事を、上書きしたかった。


 その一心で、私は、この水着を選んだ。



 でも。 彼は、私を一瞥しただけで、すぐに、ぷいと、顔を逸らしてしまった。


 やっぱり、ダメだったんだ。私みたいな、子供っぽい身体じゃ、彼の心は、動かないんだ。そう思うと、泣きそうになった。


「お姉ちゃん、大丈夫? 顔、赤いよ?」


 莉子が、心配そうに、私の顔を覗き込む。


「う、ううん。なんでもない。ちょっと、日差しが、強いだけ」


 私は、そう言って、無理やり笑顔を作った。




「よーし! じゃあ、まずは、アレに乗るぞ!」


 航くんが、指さしたのは、このプールで一番大きくて、一番高い場所にある、巨大なウォータースライダーだった。


「ええ!? アレ、すっごい並んでるよ!?」


「いいんだよ! 最初が肝心なんだ! ……というわけで、俺と莉子は、緊急作戦会議を開く必要があるから、腹ごしらえに、アメリカンドッグ買ってくる! 兄貴と陽菜姉ちゃんは、二人で、アレ、並んどいて!」


 航くんはそう言って、莉子の手を引くと、「行くぞ、軍師!」「了解、隊長!」などと意味不明なことを言いながら、有無を言わさず、売店の方へと走り去ってしまった。


「え、ちょ、航くん!?」


 残されたのは、私と、そして、気まずそうに、明後日の方向を見ている、カケルだけだった。


 最悪、 いや、本当は最高、なのかもしれない。


 二人の弟と妹が作ってくれた、絶好のチャンス。 でも、今のこの空気で、二人きりなんて......。


 地獄以外の、何物でもなかった。





 俺と陽菜は、無言で、ウォータースライダーの長い列に並んでいた。 周りはカップルや、友達同士のグループばかり。 皆、楽しそうに笑い合っている。

 その幸せそうな空気が、今の俺たちには、ひどく場違いに感じられた。


 何か、話さなければ。 航たちが作ってくれた、このチャンスを無駄にしちゃいけない。


 俺は、意を決して口を開いた。


「……あのさ、陽菜」

「……なに?」

「大会の時、その……悪かった」


 俺がそう言うと、陽菜の肩がびくりと震えたのがわかった。


「……小野寺から、タオル、受け取っちまって……。お前が、来てくれてたの、気づいてたのに。……本当に、ごめん」


 俺が、そう言って頭を下げると、陽菜はしばらく何も言わなかった。もう、許してもらえないのかもしれない。

 そう思った時だった。


「……ううん。私が、勝手に嫉妬してただけだから。……カケルは、悪くないよ」


 陽菜は、そう言って、小さく、首を横に振った。


「それに、自己ベスト、すごかった。……ちゃんと言えなかったけど、おめでとう」

「……あぁ。……ありがと」


 よかった。 許して、くれた。

 俺たちの間にあった、氷の壁が、少しだけ、溶けた気がした。



 やがて順番が来て、俺たちは、二人乗りの大きな浮き輪に乗り込んだ。


 係員のお兄さんが、「じゃあ、お兄さんが前に、お姉さんが後ろにお願いしまーす」と、慣れた口調で言った。


「……おう」

「……は、はい」


 俺が先に浮き輪に乗り込むと、陽菜が、おそるおそる、俺の後ろに座った。

 そして、浮き輪の横についているハンドルを握る。


 その瞬間、俺の背中に、信じられないくらい柔らかな感触が押し付けられた。


「……っ!」


 陽菜の胸だ。

 水着の、薄い生地一枚を隔てて。


 あの、豊かな膨らみが、俺の背中にぴったりと密着している。

 柔らかい。 温かい。


 そして、陽菜のドキドキという、心臓の鼓動まで伝わってくるようだった。





(……うそ、うそ、うそ……! 近い、近すぎるって……!)


 カケルの、大きな背中が目の前にある。

 私がハンドルを握ると、自然と、私の胸が、彼の背中に押し付けられてしまう。


 硬い。


 筋肉質で、がっしりとした、男の子の背中。

 彼の体温が、水着越しに、じかに伝わってくる。


 シャンプーと、少しだけ塩素の匂いが混じった、カケルの匂い。

 私の、頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。


「いきますよー!」


 係員の声と共に、私たちの乗った浮き輪が、暗いトンネルの中へと、滑り落ちていく。


「きゃあああああっ!」


 私は、思わず叫んでいた。そして、無意識に、目の前の大きな背中にぎゅっと、しがみついてしまった。


 ものすごいスピード。

 左右に、激しく身体が振られる。


 そのたびに、私の、柔らかな身体が、彼の、硬い背中に、強く、強く、押し付けられた。


(……えええええっ、やば、やば、やば!)


 これは試練だ。

 最高に、幸せな試練。

 私の理性は、もう限界だった。


 やがて、目の前に、光が見えてくる。

 私たちの身体は、勢いよく、トンネルの外へと放り出された。


 そして、ザッバーン!という大きな水音と共に、着水プールの水の中へと叩きつけられる。


 浮き輪がひっくり返り、私たちは水の中に沈んだ。


 一瞬の、静寂。

 そして、私は、水面に、顔を出す。


「……ぷはっ!」


 目の前で、同じように、カケルが顔を出した。


 二人とも、びしょ濡れだ。


 顔と顔の距離は、ほんの、数センチ。きっと、彼の大きな瞳に、私の間の抜けた顔が映っている。水滴が、彼の長いまつ毛を、キラキラと濡らしていた。


 時間が止まった。

 私は、彼から目を離すことができなかった。


 やがて、カケルの唇が、ゆっくりと、綻んだ。


「……ふふっ」


 そして、彼は声を上げて笑い出した。


「あははは! なに、その顔! すごい顔してるぞ、陽菜!」


 それは、私が、ずっと見たかった、心からの笑顔だった。

 その笑顔を見て、私の心の中にあった、最後の氷も、完全に溶けてなくなった。


 私も、つられて笑っていた。


「カケルこそ、すごい顔だったよ!」

「もう一回、乗ろ!」

「……うん!」


 私たちは、顔を見合わせて、笑い合った。


 周りの喧騒も、照りつける太陽も、もう、気にならなかった。


 ただ、目の前で笑う、びしょ濡れの、彼の笑顔だけしか、見えなかった。








航と莉子にほんと感謝。

ラブコメで夏休みといえばの、水着回です。

しばらく続きますので、お楽しみいただければと思います。


明日から、1日1話の更新になります。


もしよろしければ、ブックマーク、リアクション、感想、☆など、よろしくお願いします。

更新がんばろって気持ちになります。


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