表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第3章 意識してしまった夏(7月/8月)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/124

第26話 水色と白色

 八月も半ば。夏合宿から二週間が経っていた。


 俺たちの間に漂っていた、あの重苦しくて気まずい空気は、いつの間にか消えていた。

 いや、正確には、俺と陽菜が、お互いに必死に消し去ろうと努力した、と言うべきだろう。


 夏休みとはいえ、部活の練習はほぼ毎日ある。


 朝、練習に向かう前には、家が隣同士の俺たちは自然と顔を合わせるし、練習が終われば、なんとなく一緒に帰る。


 俺たちは、まるで、合宿での出来事なんて何もなかったかのように、必死に「いつも通り」の幼馴染を演じていた。


 でも、心の奥底では、お互いにわかっていた。

 もう、二度と、元には戻れないのだと。


 俺たちの間には、見えない壁が、一枚、できてしまっていた。



 そして今日、俺たち陸上競技部は、夏の県大会を迎えていた。


 じりじりと照りつける太陽。陽炎で揺らめくタータントラック。観客席からの、割れんばかりの歓声。 合宿所の、あの穏やかな雰囲気とは全く違う、本番の空気が、肌をピリピリと刺激する。


(……よし)


 俺、桜井さくらいかけるは、スパイクの紐を、強く、強く結び直した。


 今日、俺は、自己ベストを出す。

 絶対にだ。 それは、誰のためでもない。俺自身のためだ。


 合宿で、自分の醜さと弱さを、嫌というほど思い知らされた。


 陽菜を守ると決意したくせに、俺は、まだ、何も変われていない。小野寺への罪悪感からも目を背けたままだ。


 だから、今日、ここで、結果を出す。

 走ることでしか、俺は、自分を証明できない。

 走ることでしか、俺は、このぐちゃぐちゃになった感情を、振り払うことができな い。

 走ることでしか、俺は、あいつの隣に立つ資格を得られない。



 俺が出場する、二百メートルの予選が始まる。


 俺は、スタートラインに設置された、スターティングブロックに、足をかけた。

 心臓の鼓動がうるさい。でも、これは、心地よい緊張感だった。


 合宿の時のような、嫌な迷いはない。 俺の頭の中にあるのは、ただ一つ。 ゴールラインだけだ。


 ――パンッ!


 乾いた号砲と共に、俺は地面を蹴った。


 完璧なスタート。 身体が、軽い。風に乗っているようだ。


 コーナーを、滑らかに駆け抜ける。

 そして、最後の直線。


(……陽菜)


 心の中で、あいつの名前を呼ぶ。


 観客席の、どこかで、きっと、見ていてくれるはずだ。


 あいつに、無様な姿は見せられない。 俺は、歯を食いしばり、最後の力を振り絞った。


 腕を振れ。


 脚を、前に出せ。


 ゴールラインが、目の前に迫ってくる。


 俺は、そこに、身体を投げ出すように、飛び込んだ。





「きゃー! カケル、すごい! 一位だよ!」


 観客席で、私は、思わず立ち上がって、叫んでいた。

 隣にいた舞が、「陽菜、声大きいって」と、楽しそうに笑っている。


 でも、構わなかった。

 嬉しくて、嬉しくて、たまらなかったのだ。


 カケルの走り。

 今まで見た中で、一番、速くて、力強くて、そして、綺麗だった。


 電光掲示板に、タイムが表示される。 予選トップのタイム。そして、彼の、自己ベストを、大幅に更新していた。


「……やった」


 私は、ぎゅっと拳を握りしめた。


 よかった。 本当によかった。

 合宿から帰ってきてから、ずっと、彼の様子がおかしかったから。

 一人で、何か、思い詰めているようだったから。


 時々、遠い目をして、私ではない誰かのことを考えているような、そんな気がして、不安で、たまらなかったから。


 でも、今日の走りで、わかった。彼は、大丈夫だ。

 彼は、強い。 私の、大好きな、カケルのままだ。


「陽菜、行かなくていいの? いつもの、届けないと」


 舞が、ニヤニヤしながら、私の足元に置いてある、クーラーボックスを指さした。

 中には、私が、今朝、早起きして作った、特製のスポーツドリンクが入っている。レモンと、ハチミツと、それから、ほんの少しだけ、私の「おまじない」を込めた、特別なドリンク。

 大会の時には、いつも、これを彼に渡すのが、私たちの、決まり事だった。


 彼が、これを飲んで、「うまい」って、少しだけ照れたように笑ってくれる顔を見るのが、私にとって、最高のご褒美だった。


「う、うん! 行ってくる!」


 私は、水色のタオルと、冷たい水筒を手に、慌てて席を立つ。 早く、彼の元へ行きたかった。


 「おめでとう」って、一番に、伝えたかった。

 彼の、あの、少しだけ照れたような、でも、嬉しそうな顔が、見たかった。



 私は、逸る気持ちを抑えながら、選手たちが集まるトラックの脇へと急いだ。





「はぁ、はぁっ、はぁっ……!」


 地面に手をつき、荒い息を繰り返す。


 肺が、痛い。 でも、最高に、気持ちが良かった。


 自己ベスト。

 合宿での成果が、確かに、形になった。


 俺は、ゆっくりと顔を上げる。

 陽菜は、どこだ? あいつの顔が見たい。

 あいつに、「どうだ」って、胸を張りたい。



 俺が、観客席の方に、視線を向けたその時だった。


「……お疲れ様、桜井くん」


 目の前に、すっと、影が差した。

 顔を上げると、そこには、俺と同じ陸上部のユニフォームを着た、小野寺が立っていた。

 その手には、冷たく冷えたスポーツドリンクのボトルと、真っ白なタオルが握りしめられている。


「……す、すごかった。……自己ベスト、おめでとう」


 小野寺は、少しだけ頬を赤らめながら、でも真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。

 その瞳には、もう合宿の時のような戸惑いの色はない。 あるのは、ただ純粋な尊敬と、そして、隠しきれない好意の光。


 俺は、その、あまりにもまっすぐな視線に、どう反応していいか、わからなかった。


「……あ、あぁ。……サンキュ」


 俺は、差し出されたタオルと、ボトルを、反射的に受け取ってしまった。


 頭が、まだ、レースの興奮でぼうっとしている。

 思考が、うまく働かない。


 合宿での、あの出来事の罪悪感が、胸の奥でチクリと痛んだ。

 でも、目の前の小野寺の、あまりにも真剣な顔を無下にはできなかった。


「……すごく、カッコよかったよ。……私も、頑張らなくちゃって、思った」


 小野寺はそう言って、綺麗に微笑んだ。

 その笑顔は、今まで見た中で、一番大人びて見えた。


 俺が、その笑顔に、何か言葉を返そうとした、その瞬間。俺は見てしまった。

 数メートル離れた場所で、俺たちのことを、呆然と立ち尽くして見ている陽菜の姿を。その手には、俺に渡すつもりだったのだろうか。見慣れた水色のタオルと、手作りのドリンクが入った、水筒が、握りしめられている。


 彼女が、俺の方へ駆け寄ってこようとしていた、その途中で、足を止めたのがわかった。


 俺と目が合った瞬間。 陽菜の顔が、悲しそうに歪んだ。ぱっと咲いた花が、一瞬で萎れてしまうように。 その瞳が、みるみるうちに、潤んでいくのがわかった。


 そして、彼女は、くるりと、背中を向けると、力なく歩き去っていった。その小さな後ろ姿が、やけに頼りなく震えているように見えた。



「……あ」


 声が、出なかった。


 違う。 違うんだ、陽菜。


 これは、違う。


 俺が、待っていたのは、お前で。


 俺が、声をかけてほしかったのは、お前で。


 お前が作ってくれた、あの、特別なドリンクが、飲みたかったんだ。


 でも、その言葉は、喉の奥で、つかえて、音にならなかった。


 右手には、小野寺からもらった冷たいボトル。左手には、同じく、小野寺からもらった真っ白なタオル。

 その二つが、まるで俺の罪を証明する証拠品のように、ひどく重かった。


 そして、俺の心の中には、自己ベストを更新した達成感なんて、一瞬で吹き飛んでしまうほどの、深い、深い、後悔だけが残っていた。


 

 俺は、ただ、陽菜が消えていった方向を、呆然と、見つめることしかできなかった。



 夏の空は、残酷なくらいに、青く澄み渡っていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ