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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第3章 意識してしまった夏(7月/8月)

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第24話 重なる視線、揺れる心

 合宿最終日の朝。


 私、小野寺楓は、まだ薄暗い中、一人で部屋を抜け出した。

 心臓がドキドキと早鐘を打っている。

 怖い。でも行かなくちゃ。


 昨日の夜、沙織は落ち込む私に、もう一度だけ活を入れてくれた。


『いい、楓? 昨日のことは忘れなさい! 大事なのは今日! 最終日よ!』


『でも、私、もう桜井くんの顔見れないよ……』


『見なさい! そして、笑顔で「おはよう」って言うの! いい? 桜井くんは、きっと罪悪感でいっぱいのはず。そこで楓が、いつも通りに、健気に振る舞うのよ! そうすれば、彼の心は絶対に揺れる! これは、母性本能くすぐり大作戦よ!』


 沙織の作戦は、いつも無茶苦茶だ。でも、不思議と私に勇気をくれる。


 私は、ぎゅっと拳を握りしめた。


 そうだ。ここで引いたら女が廃る。 私は、自分の気持ちから、もう逃げないと決めたんだ。


 ひんやりとした朝霧が立ち込める中、私は、グラウンドへと向かった。


 いた。


 トラックの脇で、一人、黙々とストレッチをしている彼の姿。


  桜井くんだ。 よかった。まだ一人だ。


 私は深呼吸を一つして、彼のもとへと、一歩、足を踏み出した。


 その、瞬間だった。


「カケル!」


 凛としたよく通る声。 日高さんの声だ。

 彼女は、私とは反対側の入り口からグラウンドに入ってきた。


 桜井くんが、驚いたように顔を上げる。そして、日高さんの姿を認めると、その顔が、一瞬で和らぐのがわかった。


 見たことのない、優しい顔。 私には、一度も見せてくれたことのない、特別な顔。


「……陽菜。どうしたんだ、こんな早くに」

「……カケルのことが、心配だったから」


 日高さんは、少しだけ恥ずかしそうに、でも、真っ直ぐに、彼を見つめてそう言った。

 桜井くんは、一瞬だけ、言葉に詰まったようだったけれど、やがて、照れくさそうに、嬉しそうに、はにかんだ。


 二人は、何か、言葉を交わしている。 楽しそうに、笑い合っている。 そして、自然に、並んで、ゆっくりとジョギングを始めた。


 その光景は、あまりにも自然で。あまりにも完璧で。 まるで、一枚の絵みたいだった。


 私の、入る隙間なんて、どこにもない……。



 ……あぁ、そっか。

 私は、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。

 胸が痛い。 でも、不思議と涙は出なかった。


 ただ、すとんと。 心の中に、何かが静かに落ちてきた。これが、答えなんだ。


 私が、どんなに頑張っても、彼の「日常」に、入り込むことはできない。 彼の、あの特別な笑顔を引き出せるのは、世界で日高さんだけなんだ。


 ……バカみたい、私。戦う場所を、間違えてた。


 沙織には、申し訳ないけど。もういいや。私は、くるりと踵を返した。

 そして、誰にも気づかれないように、静かに、グラウンドを後にした。


 部屋に戻る足取りは、不思議なくらい軽かった。心の中にあった、重い、重い、何かが消えてなくなっていたからだ。


 もう迷わない。 私の戦場は、こんな、朝のグラウンドじゃない。

 夏の大会の、あの、スタートラインだ。 私は、私の走りで、彼に、私という存在を刻みつけてやる。

 「幼馴染」じゃない、「チームメイト」として、対等なアスリートとして、彼に認めさせてみせる。今は、それでいい。 そう思った。





 俺は、陽菜と並んで、ゆっくりとグラウンドを走っていた。

 昨夜、西園寺先輩との一件があってから、俺の心は、決まっていた。


 陽菜を守る。 ただ、それだけだ。

 そのために、俺は、強くならなければならない。 自分の、醜い欲望にも、打ち克たなければならない。


 だから、今朝、グラウンドに陽菜が現れた時、俺は心の底からホッとした。

 よかった。陽菜は、まだ、俺の隣にいてくれる。俺は、まだ、陽菜の隣にいることを許されている。


「……ごめんな、陽菜。ここ数日、心配、かけた」


 走りながら、俺は、ぽつりと、そう呟いた。


「……ううん。カケルが、元気なら、それでいいよ」


 陽菜は、そう言って、ふわりと笑った。


 太陽みたいな、笑顔。 俺が、世界で一番、好きな笑顔。


 そうだ。俺は、この笑顔が見たかったんだ。

 この、何気ない会話が、したかったんだ。


 そのことに気づいた瞬間、俺の心の中に、三日間ずっと居座っていた、重くて、黒い靄が、すうっと、晴れていくのがわかった。

 身体が軽い。 どこまでも走れそうな気がした。



「……でも、無理はしないでね。まだ、顔色、あんまり良くないよ?」

「平気だって。お前と話してたら、元気出てきた」

「……そっか。ふふっ」


 陽菜が、嬉しそうに笑う。

 その笑顔を見ているだけで、俺の心は、温かいもので満たされていく。



 だが、その時だった。


 俺の、邪な視線が、勝手に言うことを聞かなくなった。


 走るたびに、リズミカルに揺れる彼女のツインテール。

 汗で、首筋に張り付く、数本の、後れ毛。

  薄いTシャツの生地に浮かび上がる、スポーツブラのライン。

 そして、その下にある、柔らかな膨らみ。


 あの朝、知ってしまった小野寺のあの感触……。

 今、俺の頭の中では、その感触が、陽菜のそれと、勝手に結びついてしまっていた。


(……やめろ、俺!)


 心の中で自分を叱咤する。 俺は、陽菜を守ると決めたばかりじゃないか。 なのに、こんな汚い目で、彼女のことを見るなんて。


 俺は、必死に前だけを向いて走ることに集中しようとした。

 だが、無駄だった。隣から香ってくる、陽菜の甘い汗の匂いが、俺のなけなしの理性を容赦なく麻痺させていく。心は決まったはずなのに。 頭が、身体が、言うことを聞かない。

 俺は、自分のどうしようもない未熟さに、歯を食いしばることしかできなかった。





(……よかった)


 カケルの隣を走りながら、私、日高陽菜は、心の底から、安堵していた。


 彼が、笑ってくれた。

 私と話して、「元気が出てきた」って、言ってくれた。


 ここ数日、ずっと私の心を支配していた冷たい不安が、嘘みたいに消えていく。やっぱり、私は、彼の隣がいい。

 彼の笑顔を見ているだけで、私は幸せな気持ちになれるんだ。


「……でも、無理はしないでね。まだ、顔色、あんまり良くないよ?」

「平気だって。お前と話してたら、元気出てきた」

「……そっか。ふふっ」


 彼の言葉が、嬉しくて、愛おしくて。 私は、照れ隠しに、少しだけ走るペースを上げた。 カケルの、少しだけ前を走る。

 彼の力強い足音と、規則正しい呼吸が、すぐ後ろから聞こえてくる。その音が、なんだか、すごく安心した。


(……あ)


 その時、私の頭の中に、ふと、一昨日の夜の、女子部屋での会話が蘇ってきた。


 水野先輩が言っていた、キスの話。


『すごく、柔らかくて、温かい、かな。……好きな人の味が、する感じ』


 私は、ちらりと振り返り、カケルの顔を盗み見た。真剣な眼差しで、前を見つめている。


 その、少しだけ厚い唇。

 もし、あの唇が、私の唇に触れたら。 どんな、味が、するんだろう。


(……きゃー! 私、何を考えてるの!)


 私は、ぶんぶんと頭を振った。


 でも、一度、意識してしまったら、もうダメだった。私の視線は、彼の唇に吸い寄せられてしまう。そして、唇から、視線が、少しずつ下に降りていく。


 がっしりとした首筋。 広い肩幅。Tシャツの上からでもわかる厚い胸板。そして半袖からのぞく逞しい腕……。


(……あの腕に、抱きしめられたら)


 五月の、あの日のように。ううん、あの時よりも、もっと強く。ぎゅっと抱きしめられたら……。 私は、どうなってしまうんだろう。

 想像しただけで、身体中の血液が、沸騰してしまいそうだった。


 顔が、熱い。

 息が、苦しい。


 もうダメだ。 これ以上、彼の隣にいたら、私の心臓は、本当に爆発してしまうかもしれない。


「……わ、私、ちょっと、ペース上げるね!」


 私はそう言って、逃げるようにスピードを上げた。

 後ろから、カケルの「お、おい、陽菜!?」という戸惑った声が聞こえてくる。


 ごめんカケル。

 今の、私の顔、絶対にあなたには見せられない。だって、きっと、今まで見たこともないくらい、だらしなくて、いやらしい顔を、しているに違いないから。

 そんな自分に、一人で、恥ずかしくなって。


 私は、ただ、ひたすらに、前だけを見て走り続けた。 夏の青い空に向かって。




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