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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第3章 意識してしまった夏(7月/8月)

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第23話 獣の視線

 合宿三日目の夜。

 俺、桜井さくらいかけるは、自分の部屋の布団の中で、何度目かわからない寝返りを打っていた。


 消灯時間はとっくに過ぎ、同室の健太はとっくに夢の中だ。静かな部屋に、彼の穏やかな寝息だけが響いている。


 眠れない。 一昨日の夜から、ずっとそうだ。 目を閉じれば、様々な光景が、意思とは無関係に、瞼の裏で再生される。


 自分の経験談に興じる、蓮や神崎の顔。

 朝練での、小野寺との、あのハプニング。

 俺の右手に残る、柔らかな感触と、小野寺の潤んだ瞳。

 そして、俺を心配そうに見つめる、陽菜の、悲しそうな顔。


 そのすべてが、ごちゃ混ぜになって、俺の頭の中をかき乱す。

 罪悪感と、好奇心と、自己嫌悪。そのどれもが、鉛のように重く、俺の胸にのしかかっていた。



(……ダメだ。息が詰まる)


 このまま布団の中にいたら、おかしくなってしまいそうだ。


 俺は、音を立てないように、そっとベッドを抜け出した。ジャージのズボンだけを履き、Tシャツ一枚のまま、部屋のドアを静かに開ける。


 少し、外の空気を吸いたかった。

 自販機で、冷たいジュースでも買って、頭を冷やそう。 そう思って、俺は、スリッパの音を忍ばせながら、静まり返った廊下を歩き始めた。



 宿泊棟は、不気味なくらい静かだった。 昼間の喧騒が嘘のように、すべての音が、分厚い闇に吸い込まれていく。時折、床の軋む音が、やけに大きく響いた。


 俺は、一階の自販機コーナーへと向かう。 階段を降り、角を曲がろうとした、その時だった。


 すぐ近くの、普段は使われていないはずの、用具室のドアが、ぎぃ、と小さな音を立てて、わずかに開いた。


(……ん?)


 こんな時間に、誰だろうか。 俺は、壁の陰に、とっさに身を隠した。


 やがて、ドアの隙間から、一人の男が、辺りを窺うように、顔を出す。


 その顔を見て、俺は息を呑んだ。


(……西園寺、先輩)


 男子テニス部の、あのチャラい三年生、西園寺さいおんじたくみだった。


 あいつが、こんなところで、何をしているんだ?

 先輩は、誰もいないことを確認すると、部屋の中から、するりと出てきた。


 その服装は、なぜか、少しだけ乱れている。


 そして、先輩に続いて、もう一人。 部屋の中から、小柄な女子生徒が、顔を俯かせながら、出てきた。


 俺は、その女子に見覚えがあった。確か、他校の、テニス部の生徒だ。合宿初日の夜、談話室で、西園寺先輩が、馴れ馴れしく話しかけていた女子だった。


 彼女もまた、浴衣の帯が少し緩み、髪も乱れている。その頬は、恥ずかしさか、それとも高揚感か、ほんのりと赤く染まっていた。


 二人が、何をしていたのか。 一昨日の夜、蓮たちの生々しい話を聞いてしまった俺には、嫌でも、わかってしまった。


 西園寺先輩は、女子生徒の肩を、ポンと軽く叩いた。


「じゃ、またな。今日、良かったぜ」


 その声には、何の感情もこもっていなかった。まるで、使い終わった道具を、片付ける時のような、事務的な響き。


 女子生徒は、「……うん」と小さく頷くと、俯いたまま、足早に、女子の宿泊棟がある方へと去っていった。

 西園寺先輩は、その小さな後ろ姿を、つまらなそうに見送ると、ふっと、鼻で笑った。そして、俺がいる方向へと、ゆっくりと歩き始めた。


(……やばい)


 見つかる。

 俺は、壁に、さらに深く身を潜めた。


 だが、運悪く、俺の足が、床に置いてあった空き缶に、コツン、と当たってしまった。

 小さな音。 だが、静寂の中では、それは、致命的に大きく響いた。


「……誰だ?」


 西園寺先輩の、鋭い声。

 足音が、こちらに近づいてくる。


 もう、逃げられない。 俺は、観念して、壁の陰から、姿を現した。


「……桜井か。なんだ、お前。こんなところで、コソコソと、覗き見か? 趣味悪いな」


 西園寺先輩は、俺の顔を見るなり、嘲るように、口の端を歪めた。その、全てを見下したような目に、俺の腹の底から、怒りが込み上げてくる。


「……別に。ただ、ジュースを買いに来ただけです」

「へぇ? ジュースねぇ。……まあ、いいや。今の、見てたんだろ?」


 先輩は、悪びれる様子もなく、そう言った。


「……見てません」

「嘘つくなよ。まあ、見たなら、ちょうどいい。お前みたいな、ウブな後輩に、現実ってやつを、教えてやるよ」


 先輩は、俺の肩に、馴れ馴れしく腕を回してきた。汗と、甘ったるい香水の匂いが混じった、不快な匂いがする。


「いいか、桜井。女なんてのはな、チョロいもんなんだよ。ちょっと優しくしてやって、カッコいいことでも言ってやれば、すぐに、股を開く。簡単なんだよ」

「……」

「さっきの女も、そうだ。『君のテニス、すごく綺麗だね』とか、適当に褒めてやったら、すぐに、その気になりやがった。まあ、顔は、そこそこ可愛かったから、遊んでやったけどな」


 その、あまりにも軽い口調。

 一人の女の子の、気持ちと、身体を、まるで、おもちゃのように扱っている。


 俺は、吐き気すら覚えた。


 神崎の話も、胸糞悪かった。だが、こいつの話は、現実として目の前で起きたことだ。その生々しさが、俺に、より強い嫌悪感を抱かせた。

 どちらも、自分の欲望のために、平気で女の子を利用する。俺には、神崎も、目の前のこの先輩も、同じ種類の、醜い獣にしか見えなかった。



「……先輩は、あの子のこと、好きじゃないんですか」


 俺は、絞り出すように、そう尋ねた。

 すると、先輩は、心底おかしい、というように、腹を抱えて笑い出した。


「はっ! 好き? なにそれ、ウケる。なんで俺が、あんな女を、好きにならなきゃいけねぇんだよ」

「……じゃあ、なんで、あんなことを」

「決まってんだろ。性欲処理だよ、処理。男はな、溜まったモンは、出さねぇと、やってらんねぇんだよ。お前みたいな、ガキには、まだわかんねぇかな?」


 その、あまりにも直接的で、汚い言葉に、俺は、言葉を失った。



 これが、こいつの、本性。

 これが、こいつの、恋愛観。

 俺は、目の前にいるのが、同じ人間だとは、思えなかった。


 自分の欲望を満たすためなら、平気で、他人を傷つける、醜い獣。



「……なんだよ、その目は。気に食わねぇな。……まあ、いいや。お前も、早く、童貞、卒業しろよ。……そうだ」


 西園寺先輩は、何かを思いついたように、ニヤリと、いやらしい笑みを浮かべた。


「お前、日高と、仲良いよな」


 陽菜の名前が出た瞬間、俺の全身の血が、逆流するのを感じた。


「……それが、どうかしましたか」

「あの子、可愛いよな。小柄で、胸もあって、そそるぜ。……なあ、桜井。お前が、手ぇ出せねぇんなら、俺が、もらってやろうか?」


「……は?」


「だから、言ってんだよ。お前の、大事な、大事な、幼馴染ちゃん。俺が、初めてをめちゃくちゃにして啼かせてやるってな。陽菜ちゃんの、初めても俺がもらってあげるから安心しろよ」


 その言葉を、俺の耳が完全に理解した瞬間。 俺の理性の糸は、音を立てて切れた。


「……てめぇ」


 気づけば、俺は、西園寺先輩の胸ぐらを、力いっぱい掴んでいた。自分でも、信じられないくらいの、力だった。


「……なんだよ、やる気か? ああ?」


 先輩は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに俺を嘲るような目で見下した。


 体格は、俺の方が上だ。

 でも、こいつは先輩で。 俺は後輩で。


 ここで、俺がこいつを殴ったらどうなる?

 部活は活動停止処分。大会にも出られないかもしれない。 健太にも、蓮にも、先輩たちにも迷惑がかかる。


 そのわずかな理性が、俺の拳を、寸でのところで押しとどめた。


「……なんだよ。殴れねぇのか? ヘタレが」


 西園寺先輩は、俺の手を、乱暴に振り払った。


「まあいいや。せいぜい指くわえて見てるんだな。お前の大事な陽菜ちゃんが、俺にめちゃくちゃにされるのをよ」


 そう言って、先輩は、俺の肩をわざと強くぶつけて去っていった。俺は、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。

 全身が、怒りでわなわなと震えている。拳を握りしめすぎて、爪が、手のひらに食い込んでいた。


(……あいつが)


 あいつが陽菜に触る? あいつの汚い手が、陽菜の綺麗な身体に? 想像しただけで、頭の血管が、切れそうだった。


(……ダメだ。絶対に、ダメだ)


 守らなければ。 俺が、陽菜を、守らなければ。あんな、獣みたいな奴から。 絶対に。


 その時だった。 俺の頭の中に、ふと、自分の姿が、浮かび上がった。


 小野寺の、胸に触れてしまった、自分。

 陽菜を思い浮かべながら、自慰に耽った、自分。


 俺も、あいつらと、同じじゃないのか? 自分の、汚い欲望を、女の子に向けている。その点では、俺も、西園寺先輩や神崎と、何も変わらないじゃないか。


(……違う)


 いや、違う。俺は、陽菜のことが、大切だ。


 あいつの、笑顔が見たい。あいつを、悲しませたくない。

 ただ身体が欲しいだけじゃない。 心も欲しい。あいつの、すべてが欲しいんだ。


 このどうしようもない気持ちは、ただの性欲なんかじゃない。

 これは、きっと……。


 俺は、まだ、その感情に名前をつけることができなかった。


 でも、一つだけ、はっきりと、わかったことがある。

 俺は、陽菜を、守らなければならない。 そのためなら、俺は、なんだってできる。 たとえ、この身が、どうなろうとも。


 俺は、震える足で自分の部屋へと戻った。心の中に一つの固い決意を宿して。もう迷わない。 俺がやるべきことはたった一つだ。

 あの獣の視線が、俺に、そのことを教えてくれた。





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