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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第3章 意識してしまった夏(7月/8月)

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第21話 未知の感触

 合宿二日目の朝。

 まだ太陽が昇り始めたばかりの、午前五時半。


 ひんやりとした朝霧が立ち込める中、俺、桜井駆は、一人でグラウンドに出ていた。


 昨夜の出来事が、頭にこびりついて離れない。


 ほとんど眠れなかった。

 目を閉じれば、蓮の生々しい話や、神崎の胸糞悪くなるような武勇伝が、勝手に脳内で再生される。

 そして、そのすべてが、陽菜の姿と結びついてしまう。その罪悪感で、どうにかなりそうだった。


 布団の中で、陽菜を思い浮かべながら、自分を慰めてしまった、あの悍ましい記憶。

 自分の欲望の醜さに、吐き気すら覚える。

 陽菜の顔を、もう、まともに見られる自信がない。


 走りたかった。とにかく、無心で走りたかった。

 この、頭の中に渦巻く、汚い感情を、汗と一緒にすべて、一滴残らず流し去ってしまいたかった。



 俺は、入念にストレッチを始める。アキレス腱を伸ばし、股関節を広げる。


 いつものルーティンだ。筋肉が伸びる、心地よい痛み。それに意識を集中させれば、少しは落ち着けるかもしれない。


 静かなグラウンドに響くのは、遠くで聞こえる鳥のさえずりと、俺の荒い呼吸の音だけ......。





「……あの、桜井くん」


 その、静寂を破るように。か細い声が、背後から聞こえた。


 俺は、驚いて振り返る。


 そこに立っていたのは、上が白いTシャツ、下が紺色のジャージというラフな格好の、小野寺おのでらかえでだった。


「……小野寺? どうしたんだ、こんな朝早くに」


「あ、えっと……。私も、朝練しようと思って……。邪魔、だったかな?」


 小野寺は、おどおどと、不安そうな目で俺を見つめている。

 その姿を見た瞬間、俺の頭の中に、昨夜の会話が、鮮明にフラッシュバックした。


『小柄なのに、出るべきとこはしっかり出てるしな!』

『ブラウスの上から胸を揉んでやって……』

『女なんて、結局は、身体が目当てなんだよ』


 俺は、自分の視線が、まるで値踏みするかのように、無意識に、小野寺の身体のラインをなぞっていることに気づいた。


 薄手のTシャツが、胸の柔らかなラインを拾っている。引き締まった腰つき。すらりと伸びる脚。


 今まで、同じ目標を目指すチームメイトとしてしか見ていなかったはずの彼女が、急に、生々しい「女」の身体として、俺の目に映った。

 心臓が、ドクン、と嫌な音を立てる。


(……俺は、最低だ)


 陽菜に対して抱いた罪悪感とは、また別の種類の、どす黒い自己嫌悪が胸を焼く。

 俺は、どんな女子に対しても、こんな汚い視線を向けてしまうのか。



 俺は、小野寺から視線を逸らし、ぶっきらぼうに答えた。


「……別に。邪魔じゃねぇよ。好きにすればいいだろ」

「う、うん。ありがとう……」


 小野寺は、少しだけ嬉しそうに微笑むと、俺から数メートル離れた場所で、ストレッチを始めた。


 気まずい沈黙が、流れる。


 俺は、彼女を意識しないように、自分のストレッチに集中しようとした。だが、無駄だった。 横目で、彼女の姿を追ってしまうのだ。


 脚を広げ、前屈するたびに、ジャージのズボンが、彼女の尻の丸みをくっきりと浮かび上がらせる。

 腕を伸ばすたびに、Tシャツの裾がめくれ上がり、白い腹がちらりと覗く。

 その一つひとつが、昨夜植付けられた、俺の汚い好奇心を、容赦なく刺激した。





(……来ちゃった)


 カケルくんの隣でストレッチをしながら、私、小野寺楓は、心臓が張り裂けそうなくらい、緊張していた。

 昨日の夜、女子部屋での恋バナが終わった後、沙織が私の背中を、強く、強く押してくれたのだ。


『楓、ウジウジしてても何も始まらないよ! 明日の朝、桜井くん、絶対一人で朝練するから、そこを狙うの!』


『で、でも、何を話せばいいか……。それに、私が行っても、迷惑じゃないかな……』


『迷惑なわけないでしょ! いい? 楓。男の子って、意外と単純なんだから。自分のために、女の子が早起きしてくれたって思ったら、絶対に意識するって!』


『そ、そうかな……』


『そうだよ! 話なんて、しなくていいの! とにかく、隣にいることが大事なの! 自分の存在を、意識させるのよ! これは、宣戦布告なんだから!』



 沙織の、その力強い言葉に、私は勇気をもらった。


 私は、桜井くんのことが好きだ。いつからかなんて、わからない。でも、気づいたら、いつも彼の姿を目で追っていた。


 練習に、誰よりも真面目に取り組む姿。 ぶっきらぼうだけど、本当は、すごく優しいところ。そして、いつも幼馴染の日高さんのことを、大切そうに見つめている、その横顔。


 彼が、日高さんのことを好きなのはわかっている。見ていれば痛いほど伝わってくる。


 でも、諦めきれなかった。

 ほんの少しでも、彼に、私という存在を見てほしかった。

 彼の視界の隅にでもいい。私を映してほしかった。


(……でも、やっぱり、緊張する)


 彼の逞しい背中。 ストレッチをするたびに隆起する腕や脚の筋肉。 そのすべてが、私の心を締め付ける。


 何か話さきゃ。


 沙織は、「話さなくていい」って言ってたけど、このまま黙っていたら、ただの不審者だ。


「……桜井くんは、いつも、こんなに早くから練習してるの?」


 絞り出した声は、自分でも驚くほど、震えていた。


 桜井くんは、一瞬だけ、驚いたようにこちらを見たが、すぐに、いつも通りのぶっきらぼうな顔に戻った。


「うん、時々な。朝の方が集中できるし。実は朝は弱いんだけど、合宿中は毎日するつもり」


「そっか……。すごいね」


「別に。……お前こそ、いつもやってんのか?」


「う、ううん。私は今日が初めて……。桜井くんが頑張ってるから、私も頑張らなくちゃなって思って」


 私がそう言うと、彼は、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。 その反応が嬉しくて私の胸はきゅんと高鳴った。


「あの……よかったら、ストレッチ、お互いに手伝わない? 一人じゃ、伸ばしきれないところとか、あるでしょ?」


 私から、そんな言葉が自然と口をついて出ていた。


 自分でも、驚くほど大胆な提案だった。 沙織が聞いたら、「よくやった!」って、褒めてくれるかもしれない。





「……ストレッチ、お互いに手伝わない?」


 小野寺のその言葉に、俺は、一瞬思考が停止した。


 手伝う? お互いに? つまり、俺も、こいつの身体に触れるし、こいつも俺の身体に触れるってことか?


 昨夜、あれだけの妄想を繰り広げた、この頭で?

 陽菜を思い浮かべながら、自分を慰めたこの手で?


(……無理だ)


 断ろう。 そう、思った。

 だが、小野寺の、期待に満ちた、キラキラとした瞳を見てしまったら。 俺の口からは、拒絶の言葉は、出てこなかった。


「……あぁ。別に、いいけど」

「ほんと!? じゃあ、私からでいいかな? 桜井くん、うつ伏せになってもらってもいい?」

「……おう」


 俺が言われるがままにうつ伏せになると、小野寺は俺の背中の上に、おそるおそる跨ってきた。


「……っ!」


 背中に、柔らかな重みと、温もりが乗っかる。 俺は、息を止めた。


「ご、ごめん、重くない?」

「……いや、平気だ」


 平気なわけ、あるか。 心臓が、今にも爆発しそうだ。


「じゃあ、肩甲骨伸ばすね」


 小野寺の小さな手のひらが、俺の背中にそっと触れた。 Tシャツ一枚を隔てて、彼女の体温が、じかに伝わってくる。 その手は、驚くほど小さくて柔らかかった。

 俺は、顔を地面に押し付け、自分の顔が真っ赤になっているのを必死に隠した。





(……うわぁ……)


 カケルくんの背中は、私が想像していたよりも、ずっと広くて硬かった。


 Tシャツ越しに鍛え上げられた筋肉の形が、はっきりとわかる。

 私の小さな手のひらでは、その背中を覆うのに何枚必要なんだろう。


 これが、男の子の身体……。


(……すごい)


 彼の筋肉は、ただ硬いだけじゃない。

 しなやかで、まるでバネみたいだった。


 私が体重をかけると、その力に反発するように、ぐっと盛り上がる。

 彼の呼吸に合わせて、大きな背中がゆっくりと上下する。

 そのリズムが、私の身体にも伝わってきて、なんだかすごく恥ずかしい。


「……どう? 伸びてる?」

「……あぁ。いい感じだ」


 彼の、声が、地面から聞こえる。

 その声を聞いただけで、私の心臓は、また、ドキドキと速くなった。


 彼の背中に触れている、手のひらが、汗でじっとりと湿っていくのがわかる。


 もっと、触れていたい。でも、これ以上は、ダメだ。 私の心臓が、もたない。


「……こ、交代、しよっか」


 私がそう言うと、彼は「おう」と短く答えて、ゆっくりと身体を起こした。その顔は、少しだけ、赤くなっているように見えた。





「じゃあ、お願いしてもいいかな? 仰向けになるから、脚のストレッチ、手伝ってもらってもいいかな?」

「……おう」


 小野寺は、そう言って、芝生の上にこてんと仰向けになった。


 俺は、ゴクリと唾を呑み、彼女の横に、おそるおそる膝をついた。さっきまで、俺の背中にあった、あの柔らかな感触が、まだ、生々しく残っている。


 今度は、俺が彼女に触れる番だ。


「じゃあ、脚、上げるぞ」

「う、うん」


 俺は、小野寺の右足首をそっと掴んだ。ジャージ越しでもわかる、驚くほど細い足首。ゆっくりとその脚を持ち上げていく。


「……っ」


 小野寺が小さく息を呑んだ。

 脚を上げるにつれて、彼女のジャージの裾がずり上がり、白い足首が露わになる。


 俺は、それ以上見てはいけないと、必死に視線を逸らした。


「……これくらいか?」

「も、もうちょっとだけ……お願い」


 俺は、彼女の脚を、さらにゆっくりと、彼女の胸の方へと近づけていく。 自然と、俺の顔は、彼女の顔の真上に近づく形になった。


 上から見下ろす、小野寺の顔。

 熱のせいか、ほんのりと上気した頬。

 不安そうに揺れる、長いまつ毛。

 少しだけ開かれた、潤んだ唇。


 その無防備な表情に、俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


 やばい。 身体が熱い。腹の底から、得体の知れない熱い何かが込み上げてくる。



 その時だった。

 朝露に濡れた芝生で、俺がついていた左手が、つるりと滑った。


「うわっ!」


 俺は、体勢を崩し、前のめりに倒れ込む。

 支えを失った小野寺の脚が、ぱたりと地面に落ちる。


 そして。

 俺は、倒れ込むまいと、とっさに右手をついた。


 その右手は、最悪の場所に、着地してしまった。


 ぐにゅり、という、今まで感じたことのない柔らかな感触。



 それは、小野寺の左胸だった。





(……え?)


 時間が、止まった。


 脚を伸ばされる心地よい痛み。 真上から聞こえる、彼の少しだけ荒い呼吸。それが、急に消えた。


 代わりに、私の左胸に、信じられないくらいの、熱と、重み。 何が起こったのか、理解できなかった。


 おそるおそる目を開ける。


 そこには、私のすぐ目の前で、信じられないくらい驚いた顔をしているカケルくんの顔があった。


 そして視線を下に落とす。

 私の胸を鷲掴みにしている、カケルくんの大きな手があった。


 Tシャツと、薄いスポーツブラ。 何枚もの布を隔てているはずなのに。彼の、指の形が、熱が、まるで、素肌に直接触れられているみたいに、はっきりとわかった。


「……あ」


 声が出ない。

 頭の中が、真っ白になる。


 恥ずかしいとか、怖いとか、そういうんじゃない。

 ただ驚きと、混乱と、そして、ほんの少しのいけない喜びで。


 身体が動かなかった。心臓が、痛いくらいに、速く、強く、打っている。





 俺の右手は、小野寺の胸を、鷲掴みにしていた。


 柔らかい。 信じられないくらい柔らかくて温かい。

 手のひら全体で、その豊かな膨らみを感じてしまっている。

 指先が、硬くなった突起のようなものに触れている。



(……これが)


 蓮が言っていた。

 神崎が、下卑た笑いで語っていた。

 俺が、昨夜、陽菜を思い浮かべながら、想像していた。 女の子の、胸。


 でも、これは、陽菜じゃない。小野寺の、胸だ。

 その事実に、罪悪感が、背筋を駆け上る。


「……あ、……わ、る……」


 俺は、絞り出すようにそう言った。そして、まるで火傷でもしたかのように、慌てて手を引っ込める。


 小野寺は固まっていた。顔を、見たこともないくらい真っ赤にして。 大きな瞳を潤ませて。


 ただ、呆然と、俺の顔を見つめている。


「……ご、めん。わざとじゃ、なくて……。手が、滑って……」


 言い訳にもならない言い訳。 俺は、その場から逃げ出したかった。


 穴があったら、入りたい。いや、地球の裏側まで、逃げたい。



 と、その時だった。


「おーい、駆ー! 朝から精が出るなー!」


 グラウンドの入り口から、健太の、能天気な声が聞こえてきた。見ると、健太と蓮が、こちらに向かって歩いてくる。


 俺と小野寺は、びくりとして、慌てて距離を取った。


 健太と蓮は、俺たちの間の、異常な空気に、すぐに気づいたようだった。


「……あれ? なんか、あったのか?」


 健太が、不思議そうな顔で、俺たちを交互に見る。


 蓮は、何も言わない。ただ、面白くてたまらない、という顔で、ニヤニヤと口元を歪めている。

 こいつ、絶対に、何か察してやがる。


「……別に、何も」


 俺が、そう答えるのが、精一杯だった。

 小野寺は、俯いたまま、何も言わない。


「……わ、私、ちょっと飲み物買ってくるね……!」


 小野寺はそう言うと、脱兎のごとく、その場から走り去っていった。


 残されたのは、俺と、ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む、蓮と健太だけだった。


「……へぇ? 何も、ねぇ?」


 蓮が、面白くてたまらないという顔で言った。

 俺は、もう、何も言い返せなかった。


 右手には、まだ、あの、柔らかな感触が、生々しく、残っていた。


 それは、俺の、遅すぎた思春期の、始まりの、感触だった。





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