第20話 恋愛ごっこと、本物の熱
俺、橘蓮は、人間観察が趣味だ。
特に、恋愛が絡んだ時の人間の、あの滑稽で、愛おしいほどの必死さを見るのが、三度の飯より好きだった。
普段はクールを気取ってる奴が、好きな女の前ではしどろもどろになったり。優等生タイプの女子が、嫉妬に狂ってとんでもない行動に出たり。
高校なんていう狭い箱庭は、まさに人間観察の宝庫だ。
見栄と本音、嫉妬と憧れ。
いろんな感情が渦巻いていて、飽きることがない。
だから、今回の合宿は、俺にとって最高のエンターテイメントだった。
特に、俺の友人である桜井駆と、その幼馴染の日高陽菜。
あの二人の、あまりにもじれったい距離感は、極上の連続ドラマを見ているようだった。
ゼロ距離にいるくせに、心は海王星より遠い。
見ているこっちが、ヤキモキする。
だが、それがいい。
そして、もう一人。
俺の観察対象リストに、要注意人物としてマークされている男がいた。
神崎彰。
陸上部のエリート様。
走らせれば速いのかもしれないが、その言動の端々から、底の浅さが透けて見える、実にわかりやすい男だ。
自信とプライドで固めた鎧を着ているが、その下はきっと、驚くほど脆い。ああいうタイプは、一度崩れると面白いほどあっけないものだ。
合宿初日の夜。
談話室で、俺はその「わかりやすい男」が、女子マネージャー数人に囲まれて得意げに話しているのを目撃した。
「まあ、俺くらいのレベルになると、練習も自分なりの調整が必要でさ。監督も、その辺は理解してくれてる」
「すごーい、神崎くん!」
「インターハイも、もちろん狙ってるよ。全国の連中を、俺の走りで見返してやるのが楽しみでな」
その言葉とは裏腹に、あいつの視線は、女子マネージャーたちではなく、少し離れた場所で談笑している陽菜たちのグループに、何度も、何度も、注がれていた。
バレバレなんだよ。
お前の本当の目的は、陽菜ちゃんなんだろ?
そのために、まずは周りの女子を固めて、自分の価値をアピールしてるつもりなんだろうが、そのやり方が、あまりにも薄っぺらい。
女は、男が思うよりずっと、そういう下心に敏感だぜ?
(……ご苦労なこった)
俺は心の中で嘲笑し、その場を離れた。
本物の恋ってやつは、もっと、不格好で、みっともなくて、そして、どうしようもなく熱いもんだ。 例えば、俺の友人、桜井駆みたいに。
◇
午後十時。俺の部屋。
コンビニで買い込んだスナックとジュースを囲んで、男だけの聖なる儀式が始まった。
俺が仕掛けた、この夜の宴。
狙いはもちろん、駆の背中を押してやることだ。
あいつは、あまりにも不器用すぎる。
火薬庫の隣で、マッチを擦るのをためらっているようなもんだ。誰かが、そっと火をつけてやる必要がある。
案の定、陽菜ちゃんの話になった途端、駆の纏う空気が変わった。
他の男子たちが、彼女の身体的な魅力を、遠慮のない言葉で語り合う。そのたびに、駆の眉間の皺が深くなり、握りしめた拳が、小刻みに震えている。
(……いいぞ、いいぞ。もっと、イラつけ)
俺は、内心でほくそ笑んだ。
その、胸を焼くようなイライラこそが、恋の原動力なんだからな。
自分の大切なものが、他の誰かに汚されるような感覚。その不快感に名前をつけた時、男は一歩、前に進める。
そして、神崎だ。
あいつは、待ってましたとばかりに、駆に喧嘩を売った。
「……桜井は、いいよな。毎日、あんなお宝を隣に侍らせて」
「……別に」
「へぇ? 興味ねぇんだ。じゃあ、俺がもらっても、文句はねぇよな? ああいう、素朴で、すぐ言うこと聞きそうな女、俺は結構、好みなんだぜ」
完全に、駆を挑発している。
駆の堪忍袋の緒が、ぷつりと切れる音が聞こえた気がした。
あいつが、野生の獣みたいな目をして立ち上がった時、俺は少しだけ焦った。ここで殴り合いにでもなったら、せっかくの宴が台無しだ。まあ、そこは、さすが親友の健太が、うまく止めてくれたけどな。
(……さて、と。そろそろ、本題に入るか)
俺は、場の空気を変えるように、パンと手を叩いた。
「お前ら、……ぶっちゃけ、どこまでやったことあんだよ?」
その一言で、部屋の空気が変わる。
ここからが本番だ。
俺は、まず自分から、彼女との初体験の話をした。少しだけカッコつけながら。
でも嘘は言わない。
好きな女と一つになるっていうのが、どれだけ特別で、最高なことか。
もちろん、初めてなんてのは、カッコ悪いことだらけだ。
焦って空回って、終わった後に、これで良かったのかって不安になる。
でも、そういうダサい部分も含めて、全部が宝物なんだ。
俺の話を聞いて、健太や、他の童貞どもが、目をキラキラさせている。
可愛い奴らだ。
そして、駆は、顔を真っ赤にしながら、自分の身体に起こった正直な反応を、必死に隠そうとしている。
(……こいつは、本物だな)
駆の、その不器用な反応は、神崎の、あの計算され尽くしたポーズとは、全く違う。
こいつは、陽菜ちゃんのことを考えながら、俺の話を聞いている。
その脳裏には、きっと、彼女の柔らかな肌や、甘い吐息が、鮮明に浮かんでいるんだろう。 それは、苦しくて甘い、本物の熱だ。
そして、俺は、最後の役者に、スポットライトを当てることにした。
「……神崎は、どうなんだよ。お前も、経験済みなんだろ?」
俺は、あえて、挑戦的な視線を向けて、そう言った。
さあ、見せてみろよ。お前の薄っぺらい「恋愛ごっこ」ってやつを。
◇
神崎は、俺の挑発的な視線を、余裕綽々の笑みで受け止めた。待ってました、とばかりに、得意げに胸を張る。
「まあな。俺くらいになると、女の方から、寄ってくるからな」
その、あまりにもベタな前置きに、俺は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「で、どうなんだよ。蓮の話もすごかったけど、神崎は、もっとヤバい経験とかしてそうだよな!」
周りの男子が、期待に満ちた目で神崎を見つめる。神崎は、その視線を一身に浴びて、満足げに頷いた。
「俺の場合は、もっと、激しかったけどな」
「へぇ?」
「相手は、他校のマネージャーだったかな。俺の走りに惚れたとかで、やたらとしつこくてさ。まあ、顔はそこそこ可愛かったから、付き合ってやったんだけど」
(嘘つけ。お前、彼女いないだろ)
俺は、内心でツッコミを入れる。こいつが、特定の女子と親密にしている姿なんて、見たことがない。
「で、付き合って、一週間くらいだったかな。練習の後、『話がある』とか言って、呼び出されてさ。誰もいない部室で、いきなり、泣きながら抱きついてきたんだよ。『もう、我慢できない』ってな」
(……その展開、先週読んだエロ漫画と一緒だな)
「女なんて、最初は抵抗するフリするけど、結局は、身体が目当てなんだよ。だから、こっちも、それに応えてやるのが、男の優しさってもんだろ?」
神崎は、さも名言のように、そう言った。
部屋の隅で、健太が「なるほど……」と、真剣な顔で頷いている。
やめてくれ、健太。お前まで、こいつの戯言を信じるな。
「で、まあ、最初は、『ダメ、怖い』とか言ってたけどな。俺が、優しくキスして、身体を触ってやったら、すぐに、声、変わったぜ」
「声、変わるのか!?」
「おうよ。『ん……あっ……』みたいな、甘い声になってな。そうなったら、もうこっちのもんだ。俺のテクニックで、すぐに、メロメロよ。最初は、ブラウスの上から胸を揉んでやって、だんだん焦らして、指を滑り込ませて、ホックを外すんだ。そうすると、女はもう、それだけでイっちまいそうになる」
(出たよ、「テクニック」)
俺は、もう、笑いを堪えるのに必死だった。こいつの言う「テクニック」とやらは、どうせ、AVで仕入れた偏った知識に決まっている。現実の女の身体は、そんな単純なマニュアル通りにはいかねぇんだよ。
「女なんて、結局は、力でねじ伏せてやれば、すぐに気持ちよくなって声上げるんだよ。『もっと、もっと、彰くんの、固いので、めちゃくちゃにして』ってな。……男が、リードしてやんねぇと、ダメなんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は、隣に座る駆の空気が、一気に冷たくなったのを感じた。
その目は、神崎に対して、明確な軽蔑と怒りを宿していた。
(……だよな)
駆は、陽菜ちゃんのことを心から大切に思っている。
だからこそ、神崎の、この、女性をモノのように扱う、暴力的な思想が許せないのだ。
その怒りは、本物の熱を持っている男だからこそ、感じられるものだ。
「……それで、最後まで、したのかよ?」
誰かが、ゴクリと唾を呑んで尋ねた。
「当たり前だろ。まあ、あいつ、すごい濡れようでさ。終わった後なんて、『彰くんが、初めての人で、よかった』とか言って、泣いてたぜ。……まあ、俺は、もう飽きたから、その次の日に、捨ててやったけどな」
神崎はそう言って、心底つまらなそうに、肩をすくめてみせた。
その、あまりにも空虚な武勇伝に、部屋は一瞬だけ、しんと静まり返った。
他の男子たちは、神崎の「経験値」に圧倒されているのか、それとも、その非情さに、少しだけ引いているのか。
俺には、わかっていた。
こいつの話は、全部、真っ赤な嘘だ。
本当に女を抱いた男は、もっと、相手の女のことを愛おしそうに語るものだ。
その時の、彼女の表情や、仕草や、可愛かったところを、少しだけ照れながら、でも嬉しそうに話すもんだ。
こいつの話には、相手の女の顔が全く見えてこない。あるのは、自分がいかに「すごい男」であるかという、虚しい自己顕示欲だけだ。
(……つまんねぇの)
俺は、内心で大きくため息をついた。
こいつのは、恋愛じゃない。ただの恋愛ごっこだ。
それに比べて、隣で、怒りと嫉妬と、そして、どうしようもない劣情に、一人で苦しんでいる、この不器用な友人。
どっちが、本当に「男」かなんて、比べるまでもない。
「……まあ、そんなわけで、だ。お前らも、早く、大人の階段、登れよ」
神崎はそう言って、話を締めくくった。
その夜、駆が、眠れない夜を過ごすことになるのを、俺は確信していた。
それでいい。
存分に悩んで、苦しんで、そして、自分の本当の気持ちに気づけばいい。
俺は、そんな不器用な友人のことを、少しだけ、羨ましいと思った。




