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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第3章 意識してしまった夏(7月/8月)
18/84

第18話 夏の合宿、静かなさざ波

 七月の終わり。うだるような暑さの通学路とも、蒸し風呂のような教室とも、しばらくおさらばだ。


 俺たち陸上部は、今日から三泊四日の夏合宿のために、県境近くの涼しい高原へとやってきていた。


 この高原施設は、県内の多くの高校が利用する合同合宿所のような場所で、いくつかのグラウンドやテニスコート、体育館が併設されている。


 そして、今年の俺たちの合宿日程は、偶然にも、俺の幼馴染である日高ひだか陽菜ひなや、その親友の結城ゆうきまいが所属する女子ソフトテニス部の合宿日程と、見事に重なっていた。


 他にも、同時にいくつもの部活が、各々の貸し切りバスで合宿所を訪れている。昨年の合宿は、地獄のような練習の思い出しか残っていないが、今年は...。

 なぜか、陽菜の顔が頭の中に浮かぶ。




「うおー! 空気うめぇ! やっぱ下界とは違うな!」


 貸し切りバスから降り立つなり、蓮が大きく伸びをしながら叫んだ。

 その気持ちは、俺もよくわかる。木々の匂いが混じった、ひんやりと澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込むと、身体の芯から活力がみなぎってくるようだった。


 俺、桜井さくらいかけるは、バスの荷物入れから自分のスポーツバッグを引っ張り出しながら、ちらりと陽菜の姿を探した。


 彼女は、女子ソフトテニス部の貸し切りバスから、親友の舞たちと一緒に降りてきたところで、眩しそうに空を見上げていた。


 今日の彼女は、いつものポニーテールではなく、髪を二つに結んだ、いわゆるツインテールというやつだ。普段より、少しだけ幼く見える。


 その姿が、どうしようもなく可愛くて、俺は心臓がドクンと跳ねるのを感じた。


「駆、何ニヤついてんだよ。気持ち悪いぞ」


「……ニヤついてねぇよ」


 隣にいた健太に肩を小突かれ、俺は慌てて顔を引き締めた。


 危ない。最近、どうも顔の筋肉が緩みっぱなしだ。



「しかし、いいとこだな。練習はキツそうだけど、夜は楽しそうだぜ。いろんな部の女子もいるわけだし」


「お前はそればっかだな。」


 相変わらずな蓮とそんな軽口を叩き合っていると、ふと、視線を感じた。


 そちらに目を向けると、少し離れた場所で、同じく陸上部のバスから降りてきた小野寺おのでらかえでと目が合った。


 彼女は、俺と目が合うと、びくりと肩を震わせ、慌てて顔を逸らしてしまった。


(……なんだ?)


 最近、時々、小野寺と目が合うことがある。彼女は、いつも何か言いたげな顔で俺を見つめては、俺が気づくと、すぐに目を逸らしてしまうのだ。


 俺が何かしただろうか。考えてみても、特に思い当たる節はなかった。


「はい、みんな注目! 荷物を各自の部屋に置いたら、十分後にグラウンド集合! すぐに練習始めるから、ダラダラしないように!」


 部長である大和やまとまこと先輩の張りのある声が響き渡り、俺たちはそれぞれの宿泊棟へと向かった。


 学校から遠く離れた、この合宿所。


 親も、先生の厳しい目も、ここにはない。 つまり、ここは、俺たち高校生にとって、自由の楽園でもあった。


 これから始まる四日間が、ただの過酷なトレーニングだけで終わらないことを、俺たちは皆、予感していた。





「はぁ、はぁっ、はぁっ……!」


 標高が高いせいか、平地で走るよりも、ずっと息が上がるのが早い。

 心臓が張り裂けそうで、肺が焼けつくように痛い。


 でも、不思議と、嫌な感じはしなかった。むしろ、心地よいくらいだ。


 俺は、タータントラックを黙々と走り続ける。隣のレーンでは、健太が苦しそうな顔で腕を振っている。少し前を、神崎が涼しい顔で走っていた。悔しいが、あいつだけは、別次元だ。


 練習の合間の、短い給水タイム。 俺は、ジャグからスポーツドリンクをカップに注ぎ、一気に呷った。

 その時、近くの女子ソフトテニス部の方から、陽菜の声が聞こえてきた。


「舞、大丈夫? 無理しないでね」

「へ、平気だって……陽菜こそ、顔赤いよ?」


 どうやら、舞が少しバテ気味らしい。

 陽菜が、心配そうに彼女の背中をさすっている。


 その優しい横顔から、目が離せなくなった。


 あいつは、いつもそうだ。自分のことよりも、先に、周りの人間のことを心配する。お節介で、世話焼きで、そして、どうしようもなく、優しい。


 俺が、そんなことを考えていると。


「……桜井くん」


 不意に、すぐ近くで声をかけられた。 振り返ると、そこに立っていたのは、小野寺だった。

 手には、まだ中身が入っている、新品同様のスポーツドリンクのボトルを持っている。


「……小野寺? どうかしたか?」


「あ、あの……これ、よかったら……。さっき、自販機で買いすぎちゃって……」


 小野寺は、顔を真っ赤にしながら、俺にボトルを差し出してきた。その目は、不安そうに揺れている。


「え? あ、いや、でも俺、もう飲んだし……」


「で、でも、まだ練習続くし! 水分補給は、大事だって、副部長の水野先輩も言ってたし!」


 必死な形相で捲し立てる小野寺に、俺は若干気圧された。 断るのも、なんだか悪い気がする。


「……あぁ。じゃあ、もらっとく。サンキュ」


 俺がボトルを受け取ると、小野寺は、パッと顔を輝かせた。


「う、うん! じゃあ、私、練習に戻るね!」


 そう言って、彼女はぱたぱたと走り去っていった。


 俺は、手の中に残されたボトルを、不思議な気持ちで見つめた。


(……なんなんだ、一体)


 俺の隣で、その一部始終を見ていた蓮が、ニヤニヤしながら俺の肩を叩いた。


「やるじゃん、駆。いつの間に、小野寺さんとそんな仲に?」


「……別に、何もねぇよ。ただ、もらっただけだ」


「ふーん? 『ただもらっただけ』ねぇ。まあ、せいぜい、本命さんをヤキモキさせないようにな」


 蓮は、意味深な視線を、陽菜たちがいる方へと向けた。


 俺が、慌ててそちらを見ると、陽菜が、じっと、俺の手の中のボトルを見つめているのがわかった。


 目が合うと、彼女は、ふいと顔を背けてしまった。 その横顔は、どこか、少しだけ、不機嫌そうに見えた。


(……なんで、あいつ、怒ってんだ?)


 俺は、訳がわからないまま、首を傾げることしかできなかった。





(……なんなのよ、もう)


 給水所の隅で、私、日高ひだか陽菜ひなは、内心で悪態をついていた。

 カケルが、小野寺さんから、飲み物をもらっていた。 ただ、それだけのこと。


 わかってる。

 わかってるけど、面白くない。


 小野寺さんが、カケルに飲み物を渡す時の、あの真っ赤な顔。 そして、カケルが、それを受け取る時の、少しだけ戸惑った、でも優しい顔。

 そのすべてが、私の胸を、チクチクと針で刺すように痛めつけた。


「……陽菜、どうしたの? 怖い顔して」


 隣にいた舞が、心配そうに私の顔を覗き込む。


「……なんでもない」


「ふーん? ほんとかなー? さっきから、ずーっと桜井くんのこと、見てるけど?」


「見てない!」


 私がムキになって否定すると、舞は「はいはい」と楽しそうに笑った。


「まあ、気持ちはわかるけどね。小野寺さん、最近、すっごい桜井くんのこと意識してるもんね。陸上部の女子の間じゃ、結構有名な話みたいだよ?」


「……え?」


 私は、舞の言葉に、耳を疑った。


「そうなの……?」


「そうだよ。桜井くん、ああ見えて、結構ファン多いんだから。硬派な感じがいいんだって。陸上部の女子の中でも人気らしいよ。陽菜も、のんびりしてると、取られちゃうかもよ?」


 舞の言葉が、冗談めかしているのはわかっていた。でも、私の心は、穏やかではいられなかった。

 カケルが、他の女の子に取られちゃう? そんなの、絶対に嫌だ。彼は、私の、隣にいるのが、当たり前なんだから。


(……でも、当たり前なんかじゃ、ないんだよね)


 私たちは、付き合っているわけじゃない。


 ただの、幼馴染。


 彼が、誰を好きになろうと、私にそれを止める権利なんて、どこにもないのだ。その事実に、胸が、きゅっと締め付けられる。


「……私、ちょっと、走ってくる」


「え、陽菜!? まだ休憩時間だよ!」


 舞の制止を振り切って、私はトラックへと駆け出した。身体を動かしていないと、余計なことを考えて、泣いてしまいそうだったから。


 汗と一緒に、このモヤモヤした気持ちも、全部、流れてしまえばいいのに。

 そう、本気で思った。





 その日の夜。

 夕食と入浴を終えた俺たちは、宿泊棟の広い談話室に集まっていた。 練習の疲れもあってか、皆、リラックスした表情で、思い思いに過ごしている。


 トランプに興じる陸上部のグループ。

 テレビを見る女子ソフトテニス部のグループ。

 そして、自然と、男女の垣根を越えて、恋バナに花を咲かせる者たち。


 俺は、健太や蓮、それに数人の男子部員と、部屋の隅のソファに座っていた。


「いやー、それにしても、女子の浴衣姿はヤバかったな!」


 蓮が、思い出したように言う。

 この合宿所は、温泉ではないが、大浴場があり、備え付けの浴衣を着ることができるのだ。


「わかる! 特に、うちの副部長の水野先輩な! マジで美人すぎだろ!」


「だよな! あの水野先輩が彼女だなんて、大和部長が羨ましいぜ、ちくしょう!」


 男子たちの会話は、すぐに、そういう方向へと流れていく。俺は、その会話に混ざることもできず、ただ黙って、自販機で買ったジュースを飲んでいた。


(……陽菜の、浴衣姿)


 頭の中に映像が生まれ、一人で、顔が熱くなる。


 先日の、二人での、静かな線香花火、隣に屈む陽菜の姿。白いうなじや、華奢きゃしゃな鎖骨が、思い出される。


 他の奴らに、見せたくない。 そんな、身勝手な感情が、胸の奥で、鎌首をもたげた。





「そういや、神崎は、日高のこと、本気で狙ってるらしいぜ」


 不意に、周囲で、誰かが言ったのが聞こえた。その言葉に、俺はびくりと肩を震わせる。


「マジかよ。あいつ、プライド高そうだし、日高みたいなタイプ、好きそうだよな」


「でも、日高って、桜井と付き合ってんじゃねーの?」


「いや、ただの幼馴染で、そんな関係じゃないって、桜井が言ってたらしいぜ」


 俺の知らないところで、そんな噂が広まっていることに、俺は愕然とした。




 そして、その話題の中心人物である神崎は、少し離れた場所で、女子マネージャーたちに囲まれながら、得意げに自分の武勇伝を語っていた。

 ちらりと、その視線が、陽菜たちがいる方へと向けられる。


 陽菜は、舞たちと楽しそうに話していて、神崎のことなど、気にも留めていない様子だった。

 それに、俺は少しだけ、安堵した。




 と、その時だった。


 俺の眉間に、ぐっと皺が寄る。

 見たくないものが、視界に入ってしまったからだ。


 男子テニス部の、西園寺さいおんじたくみ先輩。あいつが、陽菜たちのテーブルに、馴れ馴れしく近づいていく。


「よぉ、日高。練習、お疲れさん」


「あ、西園寺先輩。お疲れ様です」


 陽菜は、愛想よく笑顔を返している。だが、その笑顔が、少しだけ引きつっていることに、俺は気づいた。


 西園寺先輩は、陽菜の隣に、断りもなくどかりと腰を下ろした。


「明日、少し時間あるか? 俺が、お前のために特別レッスンしてやるよ」


「いえ、私たちは明日の練習メニューも決まっているので……」


「そう言うなって。俺に教えてもらえれば、絶対うまくなるぜ?」


 その距離が、近い。

 近すぎる。


 俺は、握りしめたジュースの缶が、ミシミシと音を立てているのに気づいた。




「……駆は、どうなんだよ。日高のこと、本当は、好きなんだろ?」


 健太が、俺の耳元で、こっそりと囁いた。


「……別に」


「またそれかよ。まあ、いいけどさ。ああやって、他の男に取られてもいいのかよ」


 健太は、そう言って、顎で西園寺先輩の方を指し示した。


 いいわけがない。でも、俺に、何ができる?  「ただの幼馴染」の俺に、あいつを止める権利なんて、どこにもない。俺は、自分の無力さに、唇を噛みしめることしかできなかった。


 幸い、そこに女子ソフトテニス部の部長である城之内先輩がやってきて、「巧、うちの後輩にちょっかい出すのやめなさい」と、西園寺先輩を追い払ってくれた。

 俺は、心の底から城之内先輩に感謝した。




 その時だった。

 女子のグループの方で、何やら、ひときわ大きな笑い声が上がった。


 見ると、小野寺楓が、友人である中村なかむら沙織さおりに背中を押され、何かからかうようなことを言われている。

 小野寺は、顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振っていた。


 そして、助けを求めるように、ちらりと、俺の方を見た。


 また、目が合ってしまった。


(……一体、なんなんだ)


 陽菜の、不機嫌そうな顔。

 小野寺の、意味ありげな視線。

 女子たちの気持ちなんて、俺には、一ミリも理解できない。


 俺は、ただ、混乱するばかりだった。




 やがて、消灯時間となり、俺たちはそれぞれの部屋へと戻ることになった。


「よーし、お前ら! 十時から、俺の部屋で作戦会議だからな! 遅れんじゃねーぞ!」


 部屋に戻る途中、蓮が、俺と健太に、そう言ってウインクした。


「作戦会議って、明日の練習のか?」


「ちげーよ、健太。……この、俺たちの青春を、どう攻略するかの、作戦会議だよ」


 蓮は、ニヤリと笑って、自分の部屋へと消えていった。




 俺は、その言葉の意味を、まだ、半分も理解できていなかった。


 ただ、これから始まる長い夜が、ただ眠るだけでは終わらないことだけは、確かだった。






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全力疾走?? 全力鈍感、全力朴念仁、全力クソガキ、全力逃げ腰、全力捻くれ、全力ウジウジが今の主人公にはピッタリだねw
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