第124話 これからも君の隣に
ピピピピッ、ピピピピッ――。
けたたましく鳴り響く電子音が、夢の世界で大空にふわふわと浮かんでいた俺を、無理やり現実へと引き戻そうとする。いつものようにスマホのアラームが枕元で存在を主張し続けている。
俺、桜井駆は、今日も、その音の発生源を布団の中から手探りで探し当て、どうにかこうにか画面をタップして沈黙させた。
「ん……あと、五分……」
夏の暑さも和らぎ、少しだけ肌寒い九月の朝。二度寝という名の甘美な世界へ旅立とうとした、まさにその瞬間だった。
――バタンッ!
「ねぇ、カケル。いつまで寝てるの? 今日から二学期なんだから、早く起きないと遅刻しちゃうよ?」
鼓膜にやさしく届く快活な声。その声色は、怒りよりも呆れと、そしてどうしようもない愛情が滲んでいる。その声と行動の主が誰なのか、考えるまでもない。
「……もうちょっとだけお願い、陽菜」
「もう、『お願い』じゃないでしょ。ほら、起きて起きて」
声の主、日高陽菜は、俺の幼馴染で、そして、俺の、世界で一番愛おしい彼女だ。
彼女は、すたすたと部屋に入ってくると、ベッドの縁にゆっくりと腰を下ろした。
ふわりと、陽菜がいつも使っているフローラル系のシャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
一年前の、春。あの頃の俺は、同じように俺を起こしに来た陽菜の、ブラウス越しの胸の膨らみに、どうしようもなくドキドキして、でも、その気持ちに蓋をすることしかできなかった。
今の俺は、もう違う。 俺は薄目を開けて、ベッドに腰掛ける陽菜の姿を、ちらりと見た。夏服の白いブラウス。少し身をかがめただけで胸元のボタンの隙間から、ちらりと白いキャミソールが覗いている。
そのあまりにも無防備な姿に、俺の心臓は、あの頃とは違う、温かくて、どうしようもなく愛おしいドキドキで満されていく。
陽菜は、そんな俺の視線に気づいたのだろう。俺の上に軽々と跨ると、悪戯っぽく微笑んだ。 その顔は、天使というよりは小悪魔という方がしっくりきた。
「……なに、見てるのよ」
「……いや、別に……」
「ふーん?」
彼女は、俺の耳元で囁いた。
その声は、熱っぽくて、甘くて、俺の理性を溶かしていく。
「……触ってみる……?」
その破壊力の高い一言に。
余裕ぶっていた俺の思考回路は、一瞬で焼き切れた。
「ば、ばばばばか! 朝から何言ってんだよ、お前は!」
俺の眠気は吹っ飛び、喉から勝手に大声が飛び出した。
すると陽菜は、俺の慌てぶりに、楽しそうにくすくすと笑った。
その太陽みたいな笑顔を見ていると、俺のパニックなんて一瞬でどこかへ吹き飛んでしまう。
陽菜は、もう、こんな冗談を俺に言えるようになったんだ。
あの、暗闇に怯えていた姿は、もうどこにもない。
そう思うと、どうしようもない愛おしさがこみ上げてきて、俺はそんな陽菜の悪戯っぽい笑顔を見つめながら、少しだけ仕返しをするように、わざと大きなあくびをしてみせた。
「ふぁ〜あ……。眠たいなー」
「もう、まだ寝ぼけてるの?」
「……まあな。……昨日の夜、寝るのがすっごく遅くなっちゃったしな。なかなか帰らせてくれなかった、誰かさんの、せいで」
その不意打ちの一言に、今度は、陽菜が顔を耳まで真っ赤に染める番だった。
「――――っ!」
声にならない可愛い悲鳴を上げて、俺の胸に、その顔をうずめてくる。
俺は、どうしようもなく愛おしいその小さな身体を、力いっぱい抱きしめた。
◇
(もうっ、カケルのいじわるっ…!)
胸に顔をうずめたまま、私は心の中で小さく呟いた。カケルの胸板が規則正しい鼓動を伝えてくる。その音が、私の耳にも心にも心地よく響く。
カケルの意地悪な言葉で、身体中の熱が顔に集まってくる。
こんな風にカケルを揶揄って、カケルから揶揄われて、心の底から「楽しい」って思える日が来るなんて。こんな冗談を言い合える関係になれたことが、嬉しくて、幸せで、くすぐったくて。
一年前の春のことを思い出す。
同じようにカケルを起こしに来た朝は、私も、カケルも、ぎこちなかった。
カケルに、私を異性として意識してほしくて。
幼馴染という関係から、一歩進んだ関係になりたくて。
着ていた白いブラウスのちょっと危険な角度にチャレンジしてみたりした。
この鈍感朴念仁を前にして、一人で勝手にドキドキして、拒絶されたらどうしようって怖がってもいた。『ただの幼馴染』という言葉に恐怖を覚えていた。
でも今は……、カケルの胸に抱かれながら、私は、どうしようもない愛おしさと、安心感に包まれている。
この胸で、この腕で、カケルが私を守ってくれたから。
それは、あの夏祭りの夜に。クリスマスイヴに。文化祭のあとの体育倉庫で。
ううん。たぶん、私たちが出会ったときから、ずっと。
ずっとずっと、私はカケルに守られてきた。
だから今朝も、私が、カケルを起こしに来たかった。昔みたいに。
昔よりも、もっとずっと幸せな気持ちで。
◇
「じゃ、行くか」
「うん!」
玄関のドアを開けて、俺たちは並んで外に出る。
九月の柔らかな日差しが、二人の影をアスファルトの上に映し出していた。
俺は、陽菜の小さな手をそっと取る。指と指を絡ませる。
そして、二人で声をハモらせた。
「「いってきまーす」」
物心ついた頃から繰り返されてきた、俺たちの日常の一コマ。
この、どうしようもないくらい愛おしい日常は、これからも、ずっとずっと続いていく。俺は、隣で嬉しそうに笑う陽菜の横顔を見つめながら、ゼロ距離で触れ合えるこの瞬間を、その幸せを感じていた。
これからも陽菜の隣で。
こんな穏やかで、ただ笑い合って過ごせる幸せな日々を積み重ねていきたい。
こんな二人の時間こそが、今の、俺たちの一番の宝物なのだ。
目の前をクラスメイトが歩いてくるのが見えた。
俺は、陽菜とつないだ右手を、ぎゅっと握った。
これまで、応援ありがとうございました。
無事に、物語を完結することができて、とてもとても嬉しいです。
なかなか、ストーリー構成なども悩み、ちょっと冗長な部分もあるなと思いますが、最後まで読んでいただいた読者の皆様には感謝しかありません。
反応、感想、ブックマーク、★なども、ありがとうございました。
しばらく充電して、また何か書いてみたいなって思ったらチャレンジしたいと思います。約3ヶ月間、本当にありがとうございました。




