第117話 二人だけのパーティー
私の誕生日、当日。
夕暮れ時、私は隣の家のインターホンの前に立っていた。
心臓が、いつもに増してドキドキしている。
カケルが、私の誕生日のために、彼のお家でパーティーを開いてくれる。
その甘い事実に、私は、朝からずっとふわふわとした夢見心地だった。
どんな、服を着ていこう。
どんな、髪型にしよう。
女の子なら誰でも悩むであろう、その幸せな問題に、私は半日以上も時間を費やしてしまった。
そして選んだのが、この白い少しだけ大人っぽいワンピース。
彼に可愛いって思ってもらいたい。その一心だった。
深呼吸を一つしてインターホンを押す。
すぐに、「はーい」という、少しだけ緊張したような彼の声が聞こえた。
――ガチャリ、とドアが開く。
そこに立っていたのは、私の想像をはるかに超えるカケルだった。
「……いらっしゃい、陽菜」
カケルは、顔を真っ赤にして、照れくさそうにそう言った。
その首には、なぜか、少しだけ曲がった蝶ネクタイ。
そして、その身体には、お母さんのものだろうか、可愛らしい花柄のエプロンが結ばれていた。
その、あまりにも愛おしい姿に、私は、思わず、吹き出してしまった。
「ふふっ……! なに、その格好! カケル、すごく似合ってるよ!」
「……う、うるせぇな! ……航の奴が、これが正装だって、言うから……!」
カケルは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
その初々しい反応が、可愛くて愛おしくてたまらない。
私は幸せな気持ちでいっぱいになりながら、彼の温かい家の中へと、足を踏み入れた。
◇
陽菜をリビングへと案内する。
テーブルの上には、俺が、航に、半ば無理やり手伝わせて飾り付けた、ささやかなデコレーション。
『陽菜、お誕生日おめでとう』
その拙い文字が、少しだけ恥ずかしい。
陽菜は、その飾り付けを見て、子供みたいに目をキラキラさせていた。
「すごい……! カケルが、これ、全部……?」
「……おう。まあ、航に、だいぶ手伝ってもらったけど」
「ううん、嬉しい! ありがとう!」
その、心からの嬉しそうな笑顔を見て、俺は少しだけほっとした。
俺は、陽菜をソファに座らせると、キッチンへと向かう。
今日のメインディッシュは、陽菜が一番好きだと言っていたハンバーグ。
莉子ちゃんから、こっそり、情報を仕入れていたのだ。
俺は、人生で初めて、玉ねぎをみじん切りにした。
涙と鼻水で、ぐちゃぐちゃになりながら。
航に「ヘタクソすぎだろ」と、散々笑われながら。
でも、陽菜の喜ぶ顔を思い浮かべたら、不思議と頑張れた。
――ジュウ、と。
フライパンの上で、ハンバーグが美味しそうな音を立てて焼けていく。
「……いい匂い」
リビングから、陽菜の楽しそうな声が聞こえる。
俺は、その声に、背中を押されるように、最後の仕上げに取り掛かった。
「カケル、手伝うよ!」
「い、いいって! 陽菜は主役なんだから、座ってろよ」
「やだ。……カケルと、一緒に作りたい」
そう言って、陽菜は、俺の隣に立った。
そして、サラダの盛り付けを手伝ってくれる。
狭いキッチン。
肩と肩が、触れ合うか触れないかの、距離。
その幸せな時間。
二人だけの、ささやかな誕生日パーティー。
俺が作った、少しだけ形のいびつなハンバーグ。
陽菜は「美味しい、美味しい」と、何度も言いながら、あっという間に平らげてくれた。
その幸せそうな顔を見ているだけで、俺の心も、温かいものでいっぱいになった。
そして。食事が終わった後。俺は冷蔵庫へと向かった。
今日の、本当のメインイベント。
「……陽菜。……まだ、あるんだ」
俺はそう言って、一つの大きな箱をテーブルの上に置いた。
それは俺が、三日間、地獄の特訓をしながら、必死で作り上げた、手作りのバースデーケーキだった。
◇
目の前に置かれた大きな箱。
カケルが照れくさそうに、でも、誇らしげな顔で、その蓋を開けた。
中にあったのは、少しだけスポンジがボコボコで。
クリームの塗り方も綺麗とは言えない。
でも、そこに、世界で一番優しい想いが詰まっているのが一目でわかる。
そんな、手作りの、バースデーケーキだった。
イチゴが少しだけ不揃いに並べられている。
その真ん中にはチョコレートのプレート。
拙い文字で、文字が書かれていた。
『陽菜、誕生日おめでとう』
その文字を見た瞬間。
私の目から、堪えていた涙が、ぽろりとこぼれ落ちた。
嬉しい。嬉しいのに涙が止まらない。
お菓子作りなんてしたことなかったはずなのに。
私のために、カケルが、こんな素敵なものを作ってくれた。
そのことだけで、私の心には、嬉しいの気持ちが溢れていた。
「……ごめん。……あんま、上手くできなかった」
カケルが申し訳なさそうに頭を掻いている。
この、鈍感朴念仁は、相変わらず。
違うんだよ、カケル。
私は、ぶんぶんと首を横に振った。
そして、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、彼に伝えた。
「ほんとに嬉しいよ。……ありがとう、カケル」
その言葉に。
カケルは、心の底から、ホッとしたように、優しい顔で微笑んでくれた。
私たちは、二人で、その不器用で、でも、世界で一番美味しいケーキを食べた。
甘くて優しい味がした。 それはきっと、彼の愛情の味だった。
◇
陽菜の、その涙と笑顔を見て。俺のすべての努力は報われた。
ケーキを食べ終え、俺たちは、ソファに並んで座っていた。
甘くて温かい空気が、俺たちを包み込んでいた。
「……陽菜」
「ん?」
「……まだ、プレゼント、あるんだ」
俺はそう言って、背中に隠していた一冊の分厚いアルバムを、彼女に手渡した。
「……これ……?」
陽菜が不思議そうな顔で、その表紙を開く。
そこには、俺たち二人が、まだ小さかった頃からの写真が貼られていた。
幼稚園のお遊戯会。
小学校の運動会。
中学の卒業式。
それら一つひとつの写真に、俺の拙い文字でコメントが添えられている。
陽菜は、一枚、一枚、そのページを食い入るように見つめていた。
そして最後のページ。そこには修学旅行の時に、蓮が、こっそり撮っていた俺の肩で陽菜が眠っている、あの写真が貼られていた。そして、その下には、たった一言。
『これからも、よろしくな』
陽菜の瞳から、また大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……ずるいよ、カケル……。こんなの……」
「……俺、陽菜との思い出、全部、宝物なんだ。……だから……これからのページも、二人で埋めていきたいなって、思ったんだ」
俺の、その不器用な精一杯の言葉に。陽菜は、何も言わずに、ただ、涙を、ぽろぽろとこぼしながら、何度も何度も頷いた。
俺は、そんな彼女の、小さな身体を優しく引き寄せた。
そして壊れ物を扱うように、そっと抱きしめる。
陽菜も、俺の背中に、小さな腕を回してくれた。言葉はない。でも、それで十分だった。
繋いだ心と、抱きしめ合った身体の温もりだけで、俺たちの気持ちは、確かに一つになっていた。
この温かい気持ちを胸に。
俺は、ちょっと勇気を出して、最後のサプライズを、彼女に見せることにした。




