第116話 フレンチレストランと巨大な看板
六月の末。インターハイ予選の熱狂も少しずつ落ち着き、俺たちの日常は、夏の匂いを色濃くし始めていた。梅雨なんてどこにいったのか。じりじりと照りつける太陽。グラウンドから立ち上る陽炎。
そして、日に日に近づいてくる、一つの、とてつもなく重要な日。 そう、陽菜の誕生日である。
俺、桜井駆は、自分の部屋のベッドの上で、カレンダーの赤く丸をつけられた日付を睨みつけながら、何度目かわからない深いため息をついた。
(……やばい。……どうしよう)
俺は、陽菜の「彼氏」なのだ。彼女の十八歳という特別な誕生日を、世界で一番幸せな一日にしてやらなければならない。その使命感が、俺の肩にずしりと重くのしかかっていた。
でも何をすれば、陽菜が本当に喜んでくれるのか、全くわからなかった。ネットで色々調べてはみた。
『彼女が涙する! 感動サプライズ10選』
『予約必須! 誕生日に行きたい、お洒落レストラン』
だが、そのどれもが、今の俺には、あまりにもハードルが高すぎた。
俺は、蓮じゃない。あんなにスマートなエスコートをできるはずがない。
俺は、健太じゃない。あんな、ストレートな愛情表現は、恥ずかしくてできやしない。
俺は、ただの桜井駆だ。不器用で、ヘタレで、自分の気持ちすら、まともに伝えられない、ただの男。考えれば考えるほど自信がなくなっていく。
「……駆、お前、またその顔してんのかよ」
部活の帰り道。 俺の死んだ魚のような目を見かねてか、健太が呆れたように言った。
「……日高さんの誕生日のことだろ。わかりやすすぎんだよ、お前は」
「……うるせぇ」
「まあまあ。……で? なんか、プランはあんのかよ」
健太の、その悪気のない一言が、俺の心を抉る。
俺が口ごもっていると、隣を歩いていた蓮がニヤリと笑った。
「簡単だって、駆。……女なんてのはな、キラキラしたもんと美味いもんに弱いんだよ。……とりあえず、夜景の見えるフレンチでも予約しとけ。で、デザートの時に、さりげなくプレゼント渡すんだよ。……完璧だろ?」
「……フレンチ……」
俺が、そんな店に入った瞬間、緊張でフォークとナイフをカチカチ鳴らす未来しか見えない。
「違うね、蓮! 愛は、金じゃ買えねぇんだよ!」
今度は、健太が熱く語り始めた。
「いいか、駆! 女子が一番嬉しいのは、男の汗と情熱だ! お前が、日高さんのために、でっけぇサプライズを仕掛けるんだよ! 例えば、日高さんの家の庭に、お前の手作りで『陽菜 HAPPY BIRTHDAY』って書いた、バカでけぇ看板を立てるとか!」
「……看板……?」
俺が、ノコギリとトンカチを手に、汗だくで木材と格闘する姿。 絶対に近所迷惑で、叔母さんに怒られる未来しか見えない。
「……だめだ。……どっちも、無理だ」
俺は、力なく、その場にしゃがみ込んだ。蓮と健太は顔を見合わせて、深いため息をついている。 親友たちの優しさが、今は少しだけ痛かった。
その日。俺は、最後の、そして、最強の助言者に助けを求めた。
陽菜の家のインターホンを押す。 出てきたのは、案の定、陽菜の妹の莉子ちゃんだった。
「あれ? カケルお兄ちゃん。……ふーん? その、追い詰められた顔……。さては、お姉ちゃんの誕生日のことで悩んでるわね?」
さすがに、すべてを理解している。俺は観念して頷いた。
「……助けてくれ、莉子ちゃん」
「はぁ……。しょーがないわねぇ、ヘタレなお兄ちゃんは」
莉子は、やれやれとでも言うように肩をすくめてみせた。
俺たちは近くの公園のベンチに腰を下ろす。俺は、莉子ちゃんに、蓮と健太に言われたことを、正直に話した。フレンチレストランと巨大な手作り看板。その、二つの選択肢に、莉子は、ふんと鼻で笑った。
「……どっちも、不正解ね」
「え!?」
「いい? カケルお兄ちゃん。クリスマスのときも言ったよね。お姉ちゃんが本当に欲しいのはね、物や、場所じゃないの」
莉子ちゃんは、そう言って、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
「……カケルお兄ちゃんが、お姉ちゃんのために、一生懸命悩んで頑張ってくれたこと、その背後にある想いよ。……だから、背伸びしたお洒落さも、暑苦しいサプライズもいらないの。……ただ……不器用でも、カケルお兄ちゃんらしい優しさが、一番嬉しいはずよ」
俺らしい優しさ……。
「……サンキュ、莉子ちゃん。……なんか、……わかった気がする」
「ふふん。どういたしまして。……まあ、せいぜい頑張りなさいよね! 私の可愛いお姉ちゃんを泣かせたら、承知しないんだから!」
莉子ちゃんはそう言って、悪戯っぽく笑った。
自分の部屋に戻り、俺は、もう一度、計画を練り直した。
俺らしいやり方。
一生懸命悩んで頑張る……。
そうだ。フレンチレストランじゃなくて、俺の家で。
俺が、陽菜の好きなハンバーグと、そして、ケーキを手作りする。
料理なんてしたことがない。でも、必死になって俺が作ったお粥を、陽菜は美味しいと言ってくれた。今度は、もっとちゃんとしたものを作ってあげたい。
そしてプレゼントは「物」だけじゃない。 巨大な看板ではなく、俺にしか、あげられないものを……。
そしてもう一つ、これまで、ずっと思い悩み、考えてきたこと。そのために。俺は最後の切り札に頼ることにした。
俺は、弟の航の部屋のドアをノックした。中から、ゲームの電子音が、聞こえてくる。
「……航。……頼みが、ある」
俺がそう言うと、ゲームの音はぴたりと止んだ。ドアが、ゆっくりと開く。
航は、俺の真剣な顔を見て、俺の話を聞いて、ニヤリと笑った。
「……へぇ? 兄貴が、俺に頭を下げるとはな。……いいぜ。……面白そうじゃねぇか。……その、代わり」
航はそう言って、意地の悪い笑みを浮かべた。
「……一週間、ポテチのコンソメ味な。切らしたら許さねぇからな」
「……っ! わかったよ……!」
俺は、苦笑いしながら、そう答えるのが精一杯だった。
でも、こうして、俺が陽菜の誕生日を最高の一日にするための、不器用で、でも、どうしようもなく、真剣な戦いが始まったのだった。




