第115話 暇を持て余した神々の遊び
六月のある晴れた土曜日の昼下がり。
私、日高莉子は、自分の部屋のベッドの上で、スマホを片手にごろごろと転がりながら深いため息をついた。
私の愛すべきお姉ちゃん、日高陽菜は、最近、分かりやすいくらいに恋する乙女モード全開だった。
カケルお兄ちゃんの話をする時の、あのとろけそうな顔。
スマホを眺めてはにやにやしている、あの締まりのない顔。
見てるこっちが恥ずかしすぎて、砂糖を吐きそうになるくらいだ。
でもその光景は、私の心を、この上ない誇らしい気持ちで満たしてくれていた。
そう。すべては、この私、日高莉子と、私の唯一にして最強の相棒、桜井航くんの完璧な後方支援のおかげなのだから。
「……ふふん」
私は、満足げに鼻を鳴らした。でも。
「……なんか、……暇ね」
ぽつりと、そんな言葉が漏れた。
兄と姉の恋が順調に進展すればするほど、私たちの出番はなくなっていく。
世界征服を成し遂げてしまった悪の秘密結社の総統は、きっとこんな気持ちだったに違いない。達成感と、そして、ほんの少しの寂しさ。
(……そうだ)
私はベッドから飛び起きるとスマホを手に取った。
そして、あの生意気な隊長さんの名前を探す。コールボタンを押す。こういう時は、作戦会議という名のおしゃべりに限るのだ。
◇
『……暇を持て余した、神々の遊び、ってとこかしらね』
電話の向こうから聞こえてくる、莉子の大げさなセリフに。俺、桜井航は、やれやれと肩をすくめた。
こいつは、いつだってそうだ。自分のことを物語の主人公か何かだと本気で思っている。
「……神様じゃなくて、暇人だろ」
『なんですって!』
「で? 何の用だよ。俺は、今、新しく出たゲームの攻略で忙しいんだけど」
『決まってるじゃない! 私たちの、輝かしい功績を称え合うための祝勝会よ! 今すぐ、いつものファミレスに来なさい! これは命令よ、隊長!』
一方的に、そう告げると、電話はぷつりと切れた。
俺は、深いため息をつくと、セーブをして重い腰を上げた。
まあ、いいか。俺も少しだけ、退屈していたところだったから。
兄貴の、あの幸せそうな間の抜けた顔を、毎日見せつけられるのも悪くない。でも、やっぱり何か物足りない。あのスリリングな秘密の作戦を練っていた日々が、少しだけ恋しいような、そんな気分だった。
◇
「……で? どうだったのよ、航くん。お兄ちゃんたちの、あの、イチャつきっぷりは」
ファミレスのいつもの席。莉子は、メロンソーダのストローをかき混ぜながら、ニヤニヤと意地の悪い顔で聞いてきた。
「どうだったも何も最悪だよ。朝から陽菜姉ちゃんの話しかしねぇんだから。『陽菜のあの時の顔が可愛かった』だの、『陽菜の作ったドリンクは世界一美味い』だの。……聞いてるこっちの身にもなれってんだ」
俺が、うんざりした顔で言うと、莉子は満足そうに「ふふん」と鼻を鳴らした。
「まあ、お姉ちゃんも同じようなものだけどね。『カケルの走り、カッコよかった』って百万回くらい聞かされたわ」
「……はぁ。……まあ、でも、よかったじゃねぇか。俺たちのお膳立ては無駄じゃなかったってわけだ」
「ええ。私たちの、深慮遠謀のおかげで、あのヘタレな二人も、ようやく、スタートラインに立てたのよ」
俺たちは、顔を見合わせてニヤリと笑った。
そして同時に深いため息をつく。
「「はぁ……」」
「……私たちの仕事も、これで終わりね」
莉子が、少しだけ寂しそうにそう呟いた。
そのいつもより少しだけ大人びて見える横顔に、俺の心臓が、少しだけチクリと痛んだのは気のせいだろうか。
「……ああ。なんか、手持ち無沙汰だな」
俺は、照れ隠しのようにそう言って、そっぽを向いた。
その言葉に、莉子の顔が、ぱっと、花が咲いたように明るくなる。
「……そうね! じゃあ、景気づけに、あそこに行きましょう!」
莉子が、何かを決意したように立ち上がった。
「……あそこって……」
「決まってるじゃない! ゲームセンターよ! 今日こそ、あんたを、レースゲームで、ぎゃふんと言わせてやるんだから!」
莉子はそう言って、自信満々に胸を張った。
その、あまりにも子供っぽい挑戦状に、俺は思わず吹き出してしまった。
「……ふっ。……返り討ちにしてやるよ」
◇
ゲームセンターの中は、電子音と若者たちの熱気でむせ返っていた。
俺たちは、まず、レースゲームの筐体に並んで座る。
結果は言うまでもなく、俺の圧勝だった。
「むぅ……! もう一回よ!」
悔しそうに唇を尖らせる莉子。
俺は、そんな彼女を見て腹を抱えて笑った。
次に向かったのはクレーンゲームのコーナーだ。
景品の中には、初詣の時、俺が取ってやった、あのクマのぬいぐるみの色違いがあった。
「……あれ、欲しいの?」
「べ、別に! 欲しくなんかないんだからね!」
莉子は、顔を真っ赤にして、ぷいと、そっぽを向いた。
なんだ、そのツンデレキャラみたいな反応は。俺は、また笑ってしまった。
「……しょーがねぇな」
俺は、百円玉を投入すると、慣れた手つきでクレーンを操作する。
そして、一手目で位置を調整し、二手目でそのぬいぐるみをゲットした。
「……ほらよ」
俺が、ぶっきらぼうに、それを差し出すと、莉子は信じられないという顔で固まっていた。
「……航くん、……すごい……」
「まあな。……伊達に、ゲーマー、やってねぇからな」
俺が得意げに言うと、莉子は嬉しそうに、そのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
その心からの、嬉しそうな笑顔を見て、俺の心臓が、また少しだけドキリと音を立てた。やばい。こいつの、この顔には弱い。
◇
(……うそ)
なんなのよ、これ。
いつもの生意気で、ゲームばっかりやってる、ただの幼馴染のはずなのに。なんで、こんなにドキドキしてるのよ……。
沈黙を破ったのは、航くんだった。
「……あ、あのさ、喉、渇かねぇか? なんか、飲むか」
「……う、うん」
私たちは、ゆっくりと、ゲームセンターの出口へと向かった。
(こういうのも、悪くないかな……)
私は、隣を歩く航くんの、少しだけ赤くなった耳を見て、心の中で誰に言うでもなく呟いた。




