表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第11章 暗闇に輝く光(4月/5月/6月)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

110/124

第110話 暗闇の記憶

「カケルと一緒なら、大丈夫かなって」


 陽菜の悪戯っぽい笑顔と反則的な一言。

 俺に断るという選択肢は残されていなかった。


 俺たちは手を繋いだまま、二人並んで『戦慄迷宮 〜呪われた廃病院〜』と書かれた不気味な建物の前に立った。


 古びたレンガ造りの外壁にはツタが絡まり、窓ガラスは割れて黒い口を開けており、その入り口からは、ひんやりとした、埃と消毒液が混じったような空気が流れ出てきていた。時折、中から聞こえてくる、甲高い絶叫が嫌でも耳に入ってきた。


 正直、俺も、こういうのは得意じゃない。

 でも、握っている陽菜の手から感じるこの温もり。

 彼女の期待に満ちたキラキラとした瞳。

 そのすべてが、俺に不思議な勇気をくれた。


 大丈夫だ。 俺がそばにいる。

 俺が陽菜を守る。

 きっと、何も怖くない。


「……じゃあ、行くか」

「うん!」


 俺たちは、受付で小さな懐中電灯を一本だけ渡されると、悲鳴が飛び交う廃病院の中へと、その足を踏み入れた。


 薄暗い廃病院の中、入り口から離れるにつれ、その暗さが、どんどん増してくる。

 そこにあるのは懐中電灯が照らし出す頼りない円形の光と、隣にいる陽菜の小さな気配だけ。

 建物全体にひんやりとした湿った空気が漂っている。

 床を踏みしめるたびに、ギシ、ギシ、と古い床板が悲鳴を上げ、どこからか聞こえる、うめき声のような、おどろおどろしいBGMが、じわじわと不安を煽ってきた。


「……ひっ」


 隣で、陽菜が小さな悲鳴を上げて、俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。

 その柔らかな感触。陽菜の身体の柔らかさと温もりが、パーカー越しにでもはっきりと伝わってくる。

 俺は、恐怖とは全く違う理由で、心臓をバクバクと鳴らしていた。


「だ、大丈夫か?」

「う、うん……!」


 陽菜は強がっているが、その声は完全に震えている。

 俺は、陽菜の肩を優しく抱き寄せた。


「……大丈夫だって。隣には俺がいるから」

「……うん」


 その、小さなやり取りが嬉しくて、俺は、少しだけこの状況を楽しんでいる自分に気づいていた。


 俺たちは、壁を伝いながら、ゆっくりと前に進んでいく。


 長い長い廊下。壁紙はところどころ剥がれ、不気味な染みが広がっている。

 ひっくり返ったストレッチャーや、床に散らばったカルテらしき紙切れが、懐中電灯の光に浮かび上がった。

 突然、すぐ横の、錆びついたロッカーが、キーキーと耳障りな音を立てて傾き、ガタン!と、大きな音を立てて倒れた。


「きゃあああああっ!」


 陽菜の絶叫が、狭い廊下に響き渡る。

 俺は、その小さな身体を、力強く抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫。作り物だって」

「わ、わかってるけど……!」


 その怯えた声は可愛いすぎた。

 そうだ。 これで、いいんだ。

 二人で怖がって、笑い合って。

 それだけで、最高の思い出になる。

 そう思っていた。





 俺の、その甘い考えが、打ち砕かれるまでは。





 通路の突き当たり。


 道が二つに分かれていた。

 右も、左も、同じように暗い。


 懐中電灯の光が、右手の先にある手術室らしき部屋の、血糊のついた器具を一瞬だけ照らし出した。


 

 俺たちが、どちらへ行こうか迷っていると。

 通路の奥の暗闇から、ひた、ひたと、誰かが近づいてくる、足音がした。



 暗闇から迫る足音。

 演出だ。 わかってる。



 だが、その足音を聞いた瞬間。

 隣にいる陽菜の身体が、氷のように硬直した。


 俺が、ハッとして、隣の陽菜を見ると、彼女の顔から血の気が引いていた。

 その瞳は、恐怖に見開かれている。陽菜の呼吸が、浅く速くなっていく。


「……ひ、……ぁ……」


 声にならない悲鳴。

 身体が、小刻みに震え始めている。


 これは、ただの怖がり方じゃない。



 体育倉庫のあの夜。

 あの悍ましい記憶。


 陽菜が、今、あの絶望の淵に引き戻されようとしている。

 フラッシュバックだ。 俺は、すぐに悟った。





 何も見えない暗闇。


 ひた、ひたと、近づいてくる、足音。



 やだ。


 やだ、やだ。


 やだ、やだ、やだ。



 頭の中で、あの日の記憶が勝手に再生される。


 鉄の扉が閉まる音。


 暗闇の中に聞こえる足音。


 獣のような息遣い。


 私のワンピースを引き裂いた、あの絶望的な音。



 身体が動かない。

 声が出ない。


 怖い、怖い、怖い、怖い。


 息ができない。


 胸が苦しい。


 世界が歪んでいく。



 もうダメ......。


 私が、そう思った、その瞬間だった。





 「陽菜!」


 俺は叫んだ。


 そして、彼女の小さな身体を、力いっぱい抱きしめた。


「大丈夫だ! 俺が、ここにいる! 大丈夫だから!」


 俺は、何度も何度もそう叫びながら、陽菜の耳を両手で塞いだ。


 不気味な足音もお化けのうめき声も、何も聞こえないように。


 俺の腕の中で、陽菜の身体がびくびくと大きく震えている。


 陽菜の心臓の鼓動が、俺の胸にダイレクトに伝わってくる。

 速い。 速すぎる。 まるで、壊れてしまいそうなほど、激しく脈打っている。


 俺は、陽菜の震える身体を、さらに強く抱きしめた。

 俺の温もりを、すべて分け与えるように。

 俺の存在を、その身体に刻みつけるように。


「……大丈夫だ、陽菜。……俺が、絶対に守るから」


 俺が、そう囁いた、その時だった。

 俺の胸に伝わってくる、陽菜の心臓の鼓動が。

 ほんの少しだけ、ほんの少しだけ、緩やかになったのを感じた。



(……よし)


 安堵する暇なんて、一秒もなかった。

 とにかく、ここから一刻も早く脱出しなければ。

 陽菜を、この悪夢から連れ出さなければ。


 俺は、陽菜の震える身体を抱え上げた。


「……っ!」


 陽菜が、小さく息を呑む。

 でも抵抗はしなかった。


 ただ、俺の首に、その細い腕をぎゅっと回してくるだけ。

 俺は、その小さな温もりを胸に抱いたまま、出口の光を目指して全力で走り出した。


 途中で、白衣を着たゾンビが飛び出してきても。

 壁から、血だらけの手が伸びてきても。

 そんなものは、もう、何も怖くなかった。


 陽菜の心が潰されてしまうことの方が怖かった。

 陽菜を失うことの方が怖かった。


 俺が、守るべきものは、たった一つ。

 この腕の中にあった。


 俺は、ただ、ひたすらに、光を目指して走り続けた。

 この暗闇の記憶を、俺の温もりで上書きするために。

 ただただ、その一心で。



 光の中へ飛び出すと、出口にいた係員のお兄さんが「お客様!?」と驚きの声を上げた。

 だが、俺はそれに構わず、人の喧騒から逃れるように、一番近くにあった植え込みの陰へと駆け込んだ。


 そこに置かれた古びたベンチ。

 俺は、その上に、陽菜の身体を、やさしくやさしく、ゆっくりと下ろした。


「……陽菜大丈夫か? もう大丈夫だから」


 俺は、陽菜の肩を抱き、何度も何度も、声をかけ続けた。

 陽菜は、まだ真っ青な顔で小さく震えている。


 でもその瞳には、少しずつ光が戻ってきていた。

 俺の顔を、ちゃんと認識している。


「……ごめん」


 陽菜の震える唇から、か細い声が漏れた。


「……私の、せいで……」

「違う」


 俺は、その言葉を強く遮った。


「違うんだ陽菜。……俺のせいだ。……気づいてやれなくて、ごめん」


 俺は何も言わずに、ただ彼女の背中を、優しくさすり続けた。

 陽菜は、俺の胸に顔をうずめ、子供のように声を殺して泣き始めた。



 遠くで遊園地の楽しそうなBGMが聞こえる。

 その、あまりにも平和な音が、今の俺たちには、ひどく場違いに感じられた。


 俺は、陽菜の小さな身体を、もう一度強く抱きしめた。

 せめて、この腕の中だけは、彼女にとって安心できる、安全な場所なのだと信じてもらいたくて。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ