第109話 カケルの誕生日
俺は十八歳になった。高校三年生になって最初の特別な日。そして、陽菜と恋人になってから初めて迎える俺の誕生日。
土曜日の朝、俺は、アラームが鳴るよりも早く目が覚めてしまった。カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝日が壁を白く照らしている。
清々しい朝の光を浴びながら、俺はものすごく緊張していた。今日、陽菜が俺のために一日をくれる。その甘い一日を想像して俺の身体中の血液が沸騰してしまいそうだった。
俺はベッドから飛び起きると、部屋のクローゼットを開けた。
昨日、航に、半ば無理やり付き合わせて選んだ、少しだけ大人っぽいグレーのパーカー。 そして鏡の前に立ち、航からもらったヘアワックスを、おそるおそる手に取った。
「……こうか? いや、違うな……」
クリスマスには上手にできたと思った整髪も、やっぱりなかなか難しい。
「……朝から、何してんだよ、兄貴。絶望的にダサいぞ」
鏡の前で悪戦苦闘していると、そうした呆れた声と共に、航がひょっこりと顔を出した。
「……っ! う、うるせぇ!」
「はぁ……。貸してみろよ、ヘタクソ」
航は、やれやれとでも言うように、俺の手からワックスを取り上げた。
そして、慣れた手つきで、俺の髪にワックスを馴染ませていく。
「いいか、兄貴。根本からこう、空気を入れるように立ち上げるんだよ」
「お、おう……」
数分後。鏡の中の俺は、自分でも驚くほど見違えていた。
無作法だけど、ちゃんとお洒落に見える完璧な髪型。
「……すげぇな、お前」
「まあな。……陽菜姉ちゃんをがっかりさせるわけにはいかねぇだろ。俺が選んだパーカー着てんだから、髪くらいちゃんとしねぇとな」
航はそう言って、ニヤリと笑った。
ちくしょう。生意気だけど、こいつには本当に頭が上がらない。俺は、照れ隠しに「……サンキュ」と、小さく呟いた。
リビングに降りると、母親が、にやにやしながら俺の顔を見てきた。
「おはようカケル。なんだか今日は一段と男前じゃない」
「……うるせぇ」
「あら、照れちゃって。……陽菜ちゃん、もうすぐ来るんじゃない? ちゃんとお礼言うのよ」
「……わかってる」
俺は、照れ隠しに牛乳を一気に呷った。
――ピンポーン
玄関のインターホンが鳴った。
来た。
俺は、慌てて口の周りを拭うと、玄関へと駆け出した。
ドアを開ける。
そこに立っていたのは、俺が今まで見た、どんな陽菜よりも、ずっとずっと綺麗な陽菜だった。
◇
「……お待たせ。……お誕生日おめでとう、カケル」
私は、私が出せる最高の笑顔を顔に貼り付けてそう言った。
でも、私の心臓は、今にも、口から飛び出しそうなくらい、速く大きく脈打っていた。
目の前のカケル。
いつもよりちょっとだけ大人びて見えるグレーのパーカー。
それにクリスマスのときのような、少しだけセットされた髪型。
その、とんでもなくカッコいい姿に、私の頭は何も考えられなくなっていた。
「……お、おう。……サンキュ」
どうやらカケルも同じだったみたい。
顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに、気まずそうに目を逸らしている。
その初々しい反応が、可愛くて仕方がない。
ちゃんと、カケルを誘わなきゃ。
私は、勇気を振り絞って、背中に隠していたファンシーな紙の封筒を、彼の前に、差し出した。
「……あのね、これ。……プレゼント」
「……え?」
カケルは驚いたように目を見開いている。
「なに、これ……?」
「いいの! ……開けてみて?」
カケルは、おそるおそるその封筒を受け取った。
そして、中から二枚のカラフルなチケットを取り出す。
「……これって……」
「うん。……遊園地のフリーパス。……カケル、絶叫マシン好きでしょ? ……だから、今日一日、私と一緒に遊びに行こ。で、できたら私を格好よくエスコートしてほしいな」
私がそう言って、悪戯っぽく笑いかけると。
カケルの驚きに満ちていた顔が、今まで見た中で、一番嬉しそうな最高の笑顔に変わった。
「……マジかよ……!」
彼は、子供みたいに目をキラキラさせて、チケットと私の顔を交互に見ている。
「……すげぇ嬉しい。……ありがとう、陽菜。……一緒に楽しもうぜ」
彼が、本当に喜んでくれているのが伝わってきて。
今度は、私が、顔を真っ赤にする番だった。
私が、初めて、彼女として彼になにかしてあげられること。
彼の誕生日の幕を、最高の形で開けることができたように思えて、私は、とてもとても嬉しかった。
◇
電車に揺られて一時間。 俺たちは、目的の遊園地に到着した。
ゲートをくぐった瞬間、俺たちは、まるで魔法の世界に足を踏み入れたようだった。
広い広い空間に、どこかファンタジーな街並み。楽しそうな音楽が流れ、周りには親に連れてきてもらったのだろう、無邪気にはしゃいでいる子どもたち。そこにいるみんなが笑顔だった。
そして、俺の隣にいる陽菜も、心を弾ませるように楽しそうに周囲を眺めている。
俺の誕生日。陽菜がつくってくれた幸せな時間がはじまる。俺も、思わず顔が緩んでしまっていた。
「……陽菜、今日はいっぱい楽しもうぜ」
「……うん」
俺たちは、当たり前のように手をとり合い、手を絡め合った。
恋人つなぎ。
少し前までは、陽菜のことが心配で、手を触れることもできなくなっていた。
でも、そうした俺の態度が逆に陽菜を不安がらせていたのかもしれない。
陽菜も俺の手を、ぎゅっと、握り返してくれている。
この温もり。それこそが、この時間を、幸せなものにしてくれている。
俺たちは、まず一番人気のジェットコースターへと向かった。
二十分ほどの待ち時間。でも不思議と、その時間は苦痛じゃなかった。
陽菜が隣にいてくれるなら、どんな退屈な時間も、特別な時間に変わってしまう。
やがて俺たちの番が来た。
隣り合って、安全バーを下ろす。
ゆっくりとゆっくりとコースターが、空へと昇っていく。
「……思ってたより……高い……!」
陽菜が、俺の腕にぎゅっとしがみついてくる。
俺は、その柔らかな感触に、心臓が爆発しそうになった。
そして頂上からの急降下。
「うわあああああああっ!」
「きゃあああああああっ!」
俺と陽菜の絶叫が、綺麗にハモった。
風が顔を叩く。 内臓が浮かび上がるような浮遊感。
そのすべてが最高に楽しかった。
コースターを降りた後も、俺たちは、次から次へと絶叫マシンを制覇していった。
フリーフォール、回転ブランコ、バイキング。そのたびに、二人で大声で叫んで笑い合った。
気まずさなんて、もうどこにもない。ただひたすらに楽しくて、幸せな時間だった。
昼食は、テラス席のあるお洒落なカフェで食べた。
陽菜が、俺の口元についたケチャップをハンカチで拭ってくれて、俺は、また、顔を真っ赤にしてしまった。夢みたいな瞬間だった。
ひとしきり絶叫マシンを満喫した後、俺たちは、少しだけ穏やかなアトラクションを見て回ることにした。 メリーゴーランド、コーヒーカップ。
その平和な光景が、逆に、俺たちの高揚した心を落ち着かせてくれた。
そして、二人でコーヒーカップに乗っていると気恥ずかしさが 襲ってきた。
「……なんか、すごいね。……私たち、本当に、恋人同士、なんだね」
陽菜が、ぽつりと、そう呟いた。
「……だな」
俺も、同じ気持ちだった。
ただ隣にいる。 ただ手を繋いでいる。
それだけのことで、こんなにも幸せを感じることができるなんて。
そんな夢見心地な気分の中、陽菜が、少しだけ悪戯っぽい顔で、ある建物を指さした。
「ねぇ、カケル。……次は、あそこに行かない?」
その看板に書かれていた文字は『戦慄迷宮 〜呪われた廃病院〜』。
この遊園地で、一番怖いとの噂のお化け屋敷だった。
「……お前、こういうの平気なのかよ」
俺が、少しだけ呆れたように尋ねると、陽菜は、ぶんぶんと首を横に振った。
「ううん苦手! でも、カケルと一緒なら大丈夫かなって」
そう言って笑う陽菜。
その反則的な可愛さに、俺に断るという選択肢はなかった。
「……しょーがねぇな。行くか」
俺は軽い気持ちで、そう頷いた。
その先に、何が待ち受けているのかも知らずに。




