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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第11章 暗闇に輝く光(4月/5月/6月)

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第107話 桜と手のひら

 四月。 新しい学年の始まりを告げる、少しだけ肌寒い風が、通学路の桜の花びらを舞い上げていた。


「……なんか、緊張するね」


 隣を歩く陽菜が、ぽつりとそう呟いた。

 俺、桜井駆は、その横を歩きながら相槌を打つ。


「……だな」


 高校三年生。

 進路選択、受験、そして、卒業。考えるだけで、胸が、ずしりと重くなる。


 でも、今、俺たちの心を占めているのは、もっと目の前の切実な問題だった。クラス替えだ。昇降口の前は、案の定、クラス分けの掲示板に群がる生徒たちで、山のような人だかりができていた。


「うわぁ、すごい人……。見えるかな」


 陽菜が、不安そうに背伸びをする。

 しかし、陽菜の身長では、背伸びをしても俺の背にも届かない。

 一生懸命に背伸びをしている、その姿が、微笑ましく思えてならない。


「……行くぞ」


 俺は、陽菜の手を自然に取った。

 そして、人混みをかき分けるように、掲示板の前へと進んでいく。

 繋いだ手のひらが、少しだけ汗ばんでいる。それは、きっと俺だけじゃない。


「あ、あった! カケルの名前あったよ、三年五組!」


 陽菜が、小さな声を上げた。


 その声に導かれるように、俺も三年五組の名簿に視線を走らせる。

 自分の名前があるかどうかを確認するよりも先に、目で追っていたのは、たった一つの名前。心臓が、ドキリと鳴る。


 頼む。頼むから、いてくれ。

 祈るような気持ちで、名簿の上を目で追っていく。

 桜井駆の名前を通り過ぎる。俺が探しているのはその名前じゃない......。


「……あった!」


 俺が、その名前――「日高陽菜」――を見つけたのは、陽菜が自分の名前を見つけて嬉そうな声を上げたのと、ほぼ同時だった。

 その、四文字を見つけた瞬間。俺たちは顔を見合わせた。そして、二人とも同時に、ふっと、笑みがこぼれた。よかった。 今年も、陽菜と同じ教室にいられる。


「よかったな」

「うん!」


 繋いだ手に、きゅっと力を込めてくる陽菜。

 その温もりが、嬉しくて、照れくさくて。

 俺たちは、まだ興奮冷めやらぬ掲示板の前を後にして、三年五組の教室へと向かった。


 教室のドアを開けると、そこは、新しいクラスへの期待と、ほんの少しの不安が入り混じった、独特の熱気に包まれていた。

 進級したばかりの席は出席番号順だ。「さ」行の俺は、中央あたりの席。一方、「は」行の陽菜は、教室の廊下に近い席だった。

 

 俺が自分の席に荷物を置くと、陽菜が舞と一緒にこちらへやってきた。


「席、離れちゃったね」


 陽菜が少しだけ残念そうに、でも、嬉しそうに笑う。


「……だな。でも、まあ、同じクラスだし。一年間、よろしくな」


 照れくさくて、それしか言えなかった。でも、心の中は温かいものでいっぱいだった。

 陽菜の隣には、舞もいる。どうやら、三人、同じクラスらしい。

 だが、健太と蓮の姿はなかった。どうやら別のクラスになってしまったらしい。


  やがて担任の先生が教室に入ってきた。

 その姿を見た瞬間。 俺は、陽菜が、心の底からホッとしたような息を吐くのを見逃がなかった。 そこに立っていたのは、藤井先生だったからだ。





 藤井先生が、私たちの、三年五組の担任の先生。

 その事実を知った瞬間、私の心の中の、最後の小さな不安の棘が、綺麗に抜き去られた気がした。

 体育倉庫でのあの事件。 先生は、すべてを知ってくれている。 そして誰よりも、私の心の傷に寄り添ってくれた恩人。先生がそばにいてくれるなら。 きっと、この一年、私は大丈夫。


 始業式は、あっけなく終わった。今日は、午後の授業もない特別な一日。部活も今日はない。


「ねぇ、カケル。……帰り、少しだけ、寄り道しない?」


 私がそう言うと、カケルは、少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに優しく頷いてくれた。


 帰り道。 私たちは、手を繋いで歩いていた。

 バレンタインデーの一件で、一度は離れてしまった二人の距離。

 また、こうして手を繋いで歩けることが、私は、この上なく嬉しかった。


「……カケルは、進路、どうするの? もう、決めてる?」


 私がそう尋ねると、彼は、少しだけ遠い目をした。


「……インターハイの結果次第だな。……でも、もし良い結果が出せたら、……大学でも、陸上続けたいって思ってる」


 その静かな、でも、力強い言葉に。 私の胸は熱くなった。

 彼は、いつだってそうだ。 真っ直ぐに、自分の夢を追いかけている。

 その姿が、眩しくて誇らしくて、そして、どうしようもなく愛おしい。


「……そっか。……カケルなら、絶対、大丈夫だよ。私、応援してるから」

「……おう。……陽菜は?」

「……私はね」


 私は、一度、言葉を切った。

 そして、ずっと胸の中にしまい込んでいた新しい夢を、彼に打ち明けた。


「……学校の、先生に、なりたいなって思ってるの」

「先生?」

「うん。……特に、保健室の先生。……藤井先生みたいに、生徒の、心に、ちゃんと、寄り添ってあげられるような。……温かい、先生に」


 それは、あの辛い経験があったからこそ、見つけられた、私の光。

 カケルは、何も言わずに、黙って、私の話を聞いてくれていた。

 そして、繋いでいた手に、きゅっと力を込めて言った。


「……いいじゃねぇか。……陽菜なら、絶対なれるよ。……陽菜は、世界で一番、優しい奴だから」


 その彼の、とてもとても温かい言葉に。

 私の目から、涙がこぼれそうになる。

 私は、必死で、それを堪えた。


「……二人の夢が叶う大学、あるといいね。……一緒に、探せたらいいな」


 私がそう言うと、彼は照れくさそうに、でも、最高に嬉しそうな顔で頷いてくれた。




 陽菜の夢。保健室の先生。

 その、あまりにも、彼女らしい、優しい夢に。 俺の胸はいっぱいになった。


 陽菜は、本当に強い。

 自分の心の傷を、誰かを癒すための優しさに変えようとしている。


 俺は、そんな彼女を、心の底から尊敬した。

 そして、改めて誓う。このかけがえのない宝物を、自分が、一生守り抜くのだと。


「……あ」


 陽菜が、小さな声を上げた。

 彼女が指さした先。 そこには、川べりに、満開の桜並木が広がっていた。


 去年、俺たちが、一緒に見ることができなかった景色。


「……行こうぜ」

「うん!」


 俺たちは、どちらからともなく駆け出していた。

 川べりの、柔らかな草の上に座る。


 風が吹くたびに、桜の花びらが、ひらひらと雪のように舞い落ちてくる。

 その、美しい光景に、俺たちは、しばらく言葉を失っていた。


 繋いだ手のひらから、陽菜の温もりが伝わってくる。

 やっぱり照れくさい。でも、それ以上に幸せだった。


 ただ手を繋いで隣にいる。

 ただ、それだけのことで愛おしい。

 俺は、この瞬間を、この日々を、一生、忘れないだろう。



 俺たちの高校三年生の物語は、満開の桜と、温かい手のひらの感触と共に、最高の形で幕を開けた。


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