第105話 ホワイトデーの誓い
三月十四日、ホワイトデー。
バレンタインの時とは別の意味で、男子たちが、そわそわとした空気を醸し出している。
俺、桜井駆も、その一人だった。いや、俺こそが、この学校で、一番、そわそわしていた男かもしれない。
俺の、スクールバッグの中には、陽菜へのお返しのプレゼントと、そして、蓮と健太にもらった、たくさんのアドバイスが詰まっている。
今日、俺は、陽菜に、ちゃんと、伝えなければならない。 俺の、本当の、気持ちを。
放課後。 俺は陽菜を、いつもの帰り道とは少しだけ違う場所へと誘った。
街を見下ろす小高い丘の上にある小さな公園。 子供の頃、よく二人で遊んだ秘密の場所だ。
「……わぁ、懐かしいね、ここ」
陽菜が、嬉しそうに言った。
放課後の夕日が、公園の古いブランコをオレンジ色に染めている。
「……おう。……なんか、話するなら、ここかなって、思ったんだ」
俺たちは、並んでベンチに腰を下ろした。
俺は、こっそりと軽く深呼吸をしてから、口を開いた。
「……あのさ、陽菜」
「ん?」
「……これ、……バレンタインデーのときの、お返し」
俺はそう言って、小さな紙袋を彼女に手渡した。
中に入っているのは、彼女が好きだと言っていた洋菓子屋のマカロン。
「……わあ! ありがとう! 美味しそう!」
陽菜は、子供みたいに目を輝かせている。
その笑顔を見て、俺の緊張していた心が少しだけほぐれた。
でも、本題はここからだ。
「……それと、……もう一つ、……話があるんだ」
俺の、その真剣味を帯びたような声に、陽菜の笑顔が少しだけ陰った。
彼女もわかっているのだ。 俺が、何について話そうとしているのか。
「……バレンタインのとき……悪かったな」
「……ううん」
「……俺……最低だった。……陽菜の……気持ち、考えないで……欲望のままに……陽菜を求めようとした。……あの西園寺と同じだ」
俺が、そう言うと、陽菜は、ぶんぶんと、首を横に振った。
「違うよ、カケル! ……全然、違う!」
「……でも、俺は、陽菜を傷つけた。……怖がらせた。……その事実は、何も変わんないんだよ」
俺は、自分の膝の上で、強く強く、拳を握りしめた。
「……俺、怖いんだ。……陽菜に……触れるのが。……また、陽菜を傷つけちまうんじゃないかって。……陽菜の……あの怯えたような顔は、もう二度と、見たくないんだ」
それは、俺の情けない、でも、偽らざる本心だった。
陽菜は、何も言わずに、黙って俺の言葉を聞いてくれている。
「……でもな、陽菜。……俺……陽菜のことが、世界で一番大事だ。陽菜の笑顔を守りたい。……だから。……だから、俺……」
言葉が詰まる。
その時だった。
陽菜の小さな手が、俺の握りしめていた拳の上に、そっと重ねられた。
◇
彼の震える拳。
その、痛々しいほどの強さから、彼の後悔と苦しみが、全部伝わってくるようだった。
違う。違うんだよ、カケル。
あなたが、悪いんじゃない。
あなたが、怖いんじゃない。
ダメなのは、私の方なのに。
「……知ってるよ」
私はそう言って、今までで、一番、優しい顔で微笑んだ。
「……カケルが、私のこと、すごくすごく大切に想ってくれてるの、ちゃんと伝わってるよ。……だから、ありがとう」
「……陽菜……」
「……私もね、カケルと同じだよ。……怖い。……体育倉庫の、あの出来事は、やっぱり……まだ怖い。……でもね。それ以上に……私……カケルと、もっと、繋がりたいとも、思うの」
その、あまりにも、真っ直ぐな告白に。 俺は、息を呑んだ。
「……だから。……カケルが、言ってくれたみたいに、……私たちのペースで、ゆっくり行こう? ……私が大丈夫だって思えるようになるまで……隣で、待っててくれる?」
◇
陽菜の温かい言葉に。 俺の心の中の分厚い壁が音を立てて崩れ落ちていくのが、わかった。
なんだよそれ。
俺が、悩んでたこと、全部わかってたのかよ。涙が溢れて止まらなくなった。
「……ごめん。……ありがとう、陽菜」
「……ううん」
俺は、ゆっくりと、彼女から身体を離した。
そして、ポケットの中から、もう一つのプレゼントを取り出す。
小さな箱が二つ。
「……陽菜。……これは、俺の誓いだ」
「……え?」
俺は、箱を開けて中身を見せた。
それは、色違いのお揃いのスマホケースだった。 俺のが、夜空を思わせる深い藍色に銀色の三日月。陽菜のが、朝焼けのような淡いピンク色に金色の太陽。
「……陽菜を、一人にしないっていう誓い。……いつでも繋がってるっていう証。……受け取ってくれるか?」
俺の、不器用な言葉に、陽菜は、何も言わずに、ただ涙をぽろぽろとこぼしながら、何度も頷いてくれた。
俺は、陽菜のスマホに、太陽のケースをそっとつけてやる。そして、自分のスマホにも月のケースを。
俺が二つのスマホを、そっと隣に並べると、太陽と月が寄り添い、一つの柔らかなハートの形が現れた。
夕日に照らされて、二つのマークがキラリと輝いた。
◇
もう、何も怖くない。そう思えた。
でも、まだ、足りなかった。
私の、わがままな心が、もう一つだけ、彼に求めていた。
「……ねぇ、カケル」
「ん?」
「……お願い……あるんだけど」
「……なんだよ」
「……だ、抱きしめて……ほしい……かな」
私の、か細い、震える声を聞いて、カケルの肩が、びくりと震えたのがわかった。
彼の顔に、戸惑いの色が浮かぶ。
わかってる。
彼は優しいから。
私に不用意に触れて。
私を傷つけてしまうのが怖いんだ。。
わかってる。
だから、今度は私からお願いをする。
「……カケルが、いいの」
私は、彼の潤んだ瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「……カケルに……抱きしめてもらえたら……私……きっと大丈夫だから。……お願い」
私の、その必死な想いが伝わったのだろうか。
カケルは、一度、ぎゅっと目を瞑った。
そして、ゆっくりと、その大きな腕を広げてくれた。
私は、その温かい胸の中に飛び込んだ。
彼の腕が、私の背中を、おそるおそる、でも、優しく包み込む。
彼の匂い。 彼の体温。 彼の心臓の音。 そのすべてが、私の身体中に染み渡っていく。 「怖い」なんて少しも思わない。ただ温かくて、安心できて、どうしようもなく幸せだった。
「……嬉しい……」
私の目から、また、涙が溢れ出した。
幸せで、愛おしくて、たまらない、温かい涙だった。
「……嬉しいよ、……カケル……」
◇
陽菜の、その涙声を聞いて、俺の腕に少しだけ力がこもったのがわかった。
よかった。 俺は、ちゃんと陽菜を抱きしめてやれた。 怖がらせずに、傷つけずに、ただ温もりだけを伝えることができた。
ホワイトデーの夕暮れの光を感じながら、俺は、一生、この腕の中の可愛い恋人を守り続けるのだと誓った。




