第104話 親友たちのアドバイス
ホワイトデーまで、あと数日。
街は、バレンタインの時とは打って変わって、水色や白を基調とした爽やかな装飾に彩られている。
だが、俺、桜井駆の心は、鉛色の分厚い雲に覆われたままだった。陽菜との関係は、あのバレンタインの日から少しも進展していない。
いや、むしろ後退しているとさえ言えるかもしれない。
俺は、あの日以来、陽菜に触れることができなくなってしまった。
手を繋ぐことすらためらってしまう。
陽菜を、また怖がらせてしまうんじゃないか。 その恐怖が俺の身体を縛り付ける。
陽菜は何も言わない。 ただ、時々、寂しそうな、でも俺を気遣うような、優しい目で俺を見るだけだ。その笑顔が何よりも辛かった。
「……はぁ」
部室の隅で、俺は何度目かわからない深いため息をついた。どうすればいい。俺はどうすればこの見えない壁を壊すことができるんだろう。
一人で悩んで悩んで。もうどうしようもなくなって。俺は、意を決して二人の親友の元へと向かった。
◇
「……で? 話ってなんだよ、駆。改まっちゃって」
部活の後、俺たちは、いつものファミレスにいた。
俺のただならぬ雰囲気を察してくれたのだろう。 健太と蓮は、いつもの軽口も叩かず、真剣な顔で俺の次の言葉を待っていた。
「……俺、……陽菜と、……どうすればいいか、わかんねぇんだ」
俺の情けない一言に、健太は眉をひそめ、蓮は、やれやれとでも言うように肩をすくめた。 俺は、バレンタインの日の出来事を、ぽつりぽつりと話し始めた。
キスをしたこと。その先に進もうとして、彼女をベッドに押し倒してしまったこと。 陽菜が怯えて泣き出してしまったこと。そして、それ以来、彼女に触れるのが怖くなってしまったこと。
「……俺は西園寺と同じだ。……あいつを守るって誓ったくせに、俺自身が、あいつを傷つける獣になっちまった……」
俺の拙い話を、二人は黙って最後まで聞いてくれた。
そして、すべてを話し終えた俺に、最初に口を開いたのは健太だった。
「……ふざけんなよ、駆」
その声は静かだったが、強い怒りがこもっていた。
「お前が、あんなクズと同じなわけねぇだろ。……お前は、日高さんを大事に想ってるから止まれたんだ。……あいつは自分の欲望しか考えてねぇ。……全然違う。……自分を卑下すんじゃねぇよ」
「……でも、俺は……」
「……そうか。……でも、そんなことがあったのか」
健太の声は、どこまでも優しかった。
「……駆。……お前は悪くねぇよ。……日高さんも悪くねぇ。……ただ……時間が必要なだけなんだよ、きっと」
「……時間……」
「おう。……日高さんの心の傷は、俺たちが想像するより、ずっと深いんだと思う。……だから焦んなよ。……お前が、今まで通り、日高さんの隣にいて笑っててくれるだけで、日高さんはきっと救われるはずだから」
健太のその温かい言葉に。 俺の目から涙がこぼれそうになる。
「……まあ、健太の言うことも、一理あるな」
今度は、蓮が口を開いた。その目は、いつもの悪戯っぽい光はなく真剣な色を宿していた。
「……でもな、駆。……ただ待ってるだけじゃ、何も変わんねぇぜ?」
「……え?」
「陽菜ちゃんの、その反応はトラウマだ。お前のことが嫌とか怖いとか、そういうんじゃない。身体が勝手に、あの時の恐怖を思い出してるだけだ。……一番辛いのは陽菜ちゃん自身のはずだぜ。『好きな男に応えたいのに応えられない』ってな」
蓮のその的確な分析に、俺は言葉を失った。
そうだ。 俺は自分のことばかりで。 陽菜の本当の気持ちを考えていなかったのかもしれない。
「……じゃあ俺はどうすりゃいいんだよ」
「……お前がすべきことは一つだけだ。……陽菜ちゃんに安心感を与えてやることだよ」
「……安心感?」
「おう。……陽菜ちゃんはな、体育倉庫で、男に力で支配されるっていう、コントロールを完全に失った状態を経験したんだ。……だから、お前は、そのコントロールを陽菜ちゃんに返してやらなきゃいけねぇ」
蓮はそう言って、俺の目を真っ直ぐに見た。
「……つまり『いつ、NOと言ってもいい』っていう絶対的な安心感だ。……お前がキスをしたい、その先に進みたいって思った時、それを無理やり進めるんじゃなくて『陽菜は、どうしたい?』って、ちゃんと聞いてやれ。……そして、もし『怖い』って言うなら、その時は、絶対にそれ以上進むな。……ただ優しく抱きしめてやれ。……その積み重ねが、陽菜ちゃんの心の傷を癒していくんだよ」
蓮のそのスマートで的確で大人びたアドバイスに、俺は、ただ呆然と頷くことしかできなかった。
「……ホワイトデーもうすぐあるだろ? ……そこでちゃんと伝えろよ。……駆の本当の気持ちをな。『陽菜ちゃんを傷つけるのが怖い』っていう情けない気持ちも、『でも、陽菜ちゃんが、世界で一番大事だ』っていう強い気持ちも全部ひっくるめて。……女はな、そういう不器用な真っ直ぐな言葉に一番弱いんだから」
「……サンキュ二人とも。……なんか……少し楽になった」
「いーってことよ。……まあ俺も、美優と初めての時は、お前みたいに死ぬほど悩んだけどな」
蓮はそう言って、少しだけ照れたように笑った。
その顔は、いつものチャラついた蓮とは全く違う一人の男の顔をしていた。
俺は、こいつらが親友で本当によかったと心の底から思った。
◇
「……で? お前はどうなんだよ、健太。葵ちゃんとは進展あったのか?」
蓮が、今度は健太の方を向いた。
その言葉に、健太の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「……し、進展ってなんだよ!」
「とぼけんなって。……初詣の時、キス、したんだろ?」
「……っ! な、なんでそれを……!」
健太は、完全に狼狽えている。
どうやら、何かあったらしい。
「……まあ、色々とな。……で、どうなんだよ」
「……別に、……いつもと変わんねぇよ」
健太はそう言って、そっぽを向いてしまった。
だが、その耳まで真っ赤に染まっているのが、すべてを物語っていた。
健太も、俺と同じように悩みながら、でも一歩ずつ前に進んでいるのだ。
その事実に、俺は少しだけ勇気をもらった気がした。
俺も負けてられない。 そう思った。




