どうやらこの家には妖精さんがいます。
どうやらこの家には妖精さんがいます。
正しく妖精なのかは分かりません。
でも、小さいころ読んだ絵本に出てくる妖精のようにとても小さくてとても可愛らしいのです。
男の子のように見えるのですが、そもそも妖精に性別はあるのでしょうか。
あ、私はエル。十二歳です。
町にある学校に通っています。
来年からはどこかの中等部に行くことになります。
試験を受けずにこの町の中等部にそのまま進むか、どこかの街の中等部に試験を受けて進むのかはまだ決めていません。
どこの中等部に行くことになっても、中等部からは寮生活が義務付けられています。
勉強があまり得意ではないですし、特に極めたいものもないので試験を受けずにこのままこの町の中等部に進むのでも良いかなと思います。長期休暇の時に家に帰りやすいですし。
妖精さんと初めて出会ったのは私の部屋です。
部屋の空気の入れ替えをしようと思って窓を開けたら、部屋の中で何かが飛んでいくのが見えたんです。慌てて腕をのばして手のひらで受け止めたのが妖精さんでした。
あの時私が手でつかんで受け止めようとしていたら、ぺっしゃんこにしてしまっていたかもしれません。
人間の赤ちゃんはとても小さくて繊細な体をしていると思うのですが、妖精さんは人間の赤ちゃんよりもさらに小さくて、私がうっかりくしゃみでもしたら部屋の奥まで飛んで行ってしまいそうなほどです。
私が手のひらで妖精さんを受け止めた時、妖精さんはとても驚いていました。
「え、俺の姿、見えてるの?」
妖精さんの小さな姿に驚き、声を出したら妖精さんを吹き飛ばしそうな気がして不安だった私は、口元をきっちりと結んでコクコクと頷くだけで精一杯でした。それでも、妖精さんの言葉が分かる事、普通に意思疎通ができそうなことに感激していました。
私の声で吹き飛ばす心配はもちろん、私の声が大きすぎると感じるのではないかという不安もありました。ですが、吹き飛ばされることはあるかもしれないけれど、声が大きく感じる、ということはないと妖精さんが教えてくれました。
確かに、小さな妖精さんの声も小さすぎて聞こえない、ということはありません。不思議とちゃんと聞こえます。
息で妖精さんのことを吹き飛ばしてしまわないように、話をしたいことがあるときは妖精さんには私の肩の上に乗ってもらうことにしました。
「これなら俺の方を向かなくても会話できるし、エルの息で俺が飛んでいく心配も少ないし、良いかもな。俺がここにいればエルの呟きも拾えるから周りに他の人間がいてもちょっとは話せるかも」
両親には妖精さんの姿は見えていないようです。声も届いていないようです。
絵本にもそんな描写がありました。すべての人間が妖精を見ることができるわけではない、というのは妖精さん曰く本当のことだそうです。
今まで私も妖精が見えたことはありません。あちこちに妖精がいるわけでもないそうですが、今まで見えたことが一度もないなら、エルは俺しか見えないのかもしれないな、と妖精さんは言っていました。
どうやら特定の妖精だけが見えるタイプの人間もいるのだそうです。
ところで、絵本に出てくる妖精には羽がありますが、この妖精さんにはありません。
ありません、というか、根本近くからもげてしまっているのです。元々はあったようです。
ギザギザになってしまっている根元がとても痛々しく、飛ぶこともできないそうなので私も悲しく思います。
妖精さん曰く、妖精の天敵である魔獣という存在から仲間を逃す時に羽を食いちぎられてしまったのだとか。
羽だけは食いちぎられたものの、なんとか逃げ延びることはできたそうですが、その時他の妖精とははぐれてしまったのだとか。
羽がボロボロの妖精さんはそのままどこかの人の家の隅で休んでいたそうですが、その家の住人には妖精さんの姿は見えていなかったようだと言っていました。それでも、特に不便もなく、ある程度体力が回復するまではそこでこっそり休ませてもらっていたそうです。
体力が回復してからは、こちらの方が安心できる気がする、という勘に従って私の部屋にたどり着いたんだそうです。
私の部屋が安心できる場所だと思ってもらえたということは本当に嬉しいと思います。
ですが、せめて妖精さんが他の妖精とまた会えますように。そして可能ならば羽が治ってまた空を飛びまわれますように、そう願わずにはいられませんでした。
そして何か私にできることはないだろうかと考えたんです。
両親にはまだ相談できていません。見えないものを信じるのは難しいだろうと思いますし、変に心配されてしまうのではないかと思うと相談はできませんでした。
私にできることは、まずは妖精について知る事なんじゃないかと思った私は学校の図書館に行くことにしました。
図書館に行ってみて、まず見つけたのは妖精を題材にしている絵本です。
ですが、創作したものはどこまで本当のことなのか分かりません。
図鑑みたいなものがあれば良いのだけれど……そう思いながら棚を探します。
図書館の中の本の配置もよく分からないので、休み時間をいっぱいに使って片っ端から探します。
勉強が得意ではなく、図書館に足を運ぶことも滅多になかった私がずっと本を探していることを驚いた目で見ている人がいることは気づいていましたが、特に茶化されたりすることはなかったので、私も頑張って探すことができました。
探すこと三日目。
登校後の朝の時間もお昼休憩も図書館に来ているのに本を借りる様子のない私を心配してくださったのか、図書館担当の先生が声をかけてくださいました。
「最近エルさんは何かを熱心に探しているようだけれど、もし良かったらどんなものを探しているのか教えてくれないかしら? 本のタイトルが分からなくても、どういうものを探しているのかが分かれば案内できるかもしれないわ」
どうかしら? と首を傾げる先生を見て私は少し迷いました。
妖精の本、と言って笑われたりはしないだろうか。
そんな不安もありましたが、ずっとこのまま一人で探していても見つかるのか分かりません。
もしかしたらこの図書館にはないのかもしれないし、そうなったら違う方法を探した方が早いかもしれません。
そこまで考えてからそうっと口を開きます。
「あの……妖精の本を探しているんです。絵本とか、小説じゃなくて、図鑑とか……そういうものがあれば良いなと思って」
小声で告げる私に先生は真剣な表情で、なるほど、と言います。
「そうね……図鑑ではないのだけれど、最近入った本で絵本でも小説でもない妖精の本があるわ」
そう言うと、私をその本が置かれているという棚のある場所まで案内してくださいます。
そこは図書館の中でも薄暗い場所で、古い文献も並んでいる棚でした。
「本来なら新刊は目立つところに置くのだけれど、読む人が限られそうなものだし、妖精に関する古い本もここにあるから同じジャンルで並べてしまっていたのよ。見つけにくいところに置いてごめんなさいね」
先生の仰る通り、周りにある古い本にも『妖精』の文字が書かれています。
その古い本の中に新しい本がポツンとありました。
『妖精との暮らしー妖精の薬店ー』
一見すると小説のようなタイトルです。
そう思った私は、露骨に不安気な顔をしていたのかもしれません。
図書館担当の先生は本を手に取り、私に差し出します。
「これね、小説みたいなタイトルだけれど、実際に妖精と暮らしながら薬店を営んでいる方が書いた、妖精と暮らしていて気づいたこととか、妖精についての研究をしたこととかが書いてある本よ。たまに妖精のスケッチもあるの。古い方の本も、もちろん妖精について詳しく書いてあるけれど、言葉遣いが昔のものだから分かりにくいし、この本の方が断然読みやすいと思うわ」
図書館の担当の先生ともなれば、館内すべての本に目を通しているものなのでしょうか。
私が目を丸くして驚いていると先生はふふっと笑います。
「先生も実は昔妖精について興味があって本を探して読んでいたことがあったの。古い文献はとっても読みにくくて挫折しちゃったんだけど、今回この本が入った時に読んでみたら本当に良かったの。とても読みやすくて面白いからおすすめよ」
にっこり笑う先生の笑顔に後押しされてその本を借りていくことにしました。
もっと早く図書館の先生に相談してみるべきだったのでは、と思いましたが仕方ありません。
家に帰ってから本を開きます。
どうやら図書館の先生が言っていたことは本当のようです。
普段本を読み始めると三行も読めば眠くなってくる私ですが、どんどん読み進められます。睡魔が襲ってきません。
難しい言葉が使われていないというのはもちろん、添えられている妖精のスケッチはきれいだし、妖精との暮らしのエピソードも共感できることばかりですいすい読むことができます。
どうやら著者のリートさんはたくさんの妖精を見ることができるようです。
これはかなり珍しいことのようです。私のように一人の妖精しか見えない人もそこまで多くはないのだと書かれています。
妖精について知ることはとても楽しく、知らないことをもっと知りたい、そう思える自分が不思議でした。
リートさんはどうやら私の住むソルドの町から少し離れたピオニーという街で薬店を営んでいるようです。
ソルドからピオニーは、朝一番の馬車で行けば日中たどり着いて少しの用事を済ませて夕方にはまた馬車で帰ってくることができる、というくらいの距離です。
本が書かれたのもつい最近のようですし、きっとまだピオニーにいらっしゃるでしょう。これはチャンスかもしれません。
ちらりと妖精さんの家の方を見ます。
私の部屋にいる間くらいは安心して過ごすことができるように、私が小さいころ遊んでいた人形の家を彼に提供しています。
その家の周りには太い紐をぐるっと巡らせ、紐の中は妖精さんの敷地、という設定にしました。
ですので、紐の外側からそっと声をかけてみます。
「妖精さん、ちょっとだけお時間ありますか?」
少しの間の後、玄関から妖精さんが顔を出しました。
私は妖精さんに手のひらを差し出し、妖精さんを乗せてから肩の上に誘導します。
「よいしょ。ありがとう、エル。どうした?」
「実は学校から妖精に関する本を借りてきたんですけど」
本を妖精さんにも見えるように持ち上げます。
「あー。ごめん。俺、あんまり文字読むの得意じゃないんだ」
「私と同じですね」
お互いふふっと笑います。
「妖精がたくさん見える人が他の街にいるそうなんです。ここからは馬車で行き来できるくらいのところなので、今度一緒に行ってみませんか?」
羽を治してもらえるかは分かりませんが、他の妖精がいるなら何か情報は得られるかもしれません。
そう話すと、妖精さんは一瞬考えを巡らせる様子でしたが了承してくれました。
「うん。……そうだな、俺も行ってみたい」
できることなら明日にでも行きたいですが、学校をお休みするわけにもいきません。
私の学校がお休みの日を狙います。
休みの日に一人で買い物に行くこともあります。
馬車に一人で乗ることもできますし、お小遣いもまだ余っているので問題はありません。
もちろん事前に両親にも行き先を伝えます。
万が一何かあって両親に心配をかけてしまうことは避けたいので、ピオニーの街に行くことは伝えます。言っていないのは本当の目的だけです。
私たちの真の目的である薬店はピオニーの街の外れの方にありますが、ピオニー自体は大きめの街で買い物ができる他の店もあるので、ピオニーに買い物に行くというのは不自然なことでもありません。
そして休日。
家を出てピオニーの街の近くまで行く馬車に乗ります。
もっと遅い時間の馬車だと街の中まで行くものもありますが、使える時間はなるべく多く残しておきたいので、多少歩くとしてもこちらの馬車にしました。中心部に行きたいわけでもありませんし、街の外まででも問題はありません。
休日ですが比較的早い時間の馬車ということもあって馬車も道も混んではいません。とてもスムーズに目的の場所に着きました。
ここからはピオニーの街まで少し歩きます。
ここで降りたのは私たちだけです。
妖精さんには念のためポケットに入ってもらっています。
肩に乗せたままだと落ちてしまいそうですし、風に飛ばされてしまうのも困るので、妖精さんは少し渋っていましたが仕方ありません。
看板を見ながら歩いていると妖精さんが騒ぎ始めました。
ポケットの布があるせいでしょうか? 声がちゃんと聞こえません。それでも何か言っているようだったのでポケットの中をのぞきます。
「どうしました?」
「やばい……アイツだ……」
そこには蒼白になって震えている妖精さんがいました。
ポケットの底の方で小さくなっています。
見たことのない妖精さんの様子に驚きながら慌てて周りを見回します。
何も見えません。
それでも、ここまで妖精さんが怯えている様子なのですからきっと何かあるはず。
そう思って、再度目を凝らしながら注意深く辺りを見回します。
ーーと、さっきまで何もなかったはずの前方から黒いモヤモヤした塊がこちらに迫ってくるのが見えました。大きさは犬くらいでしょうか。
咄嗟に妖精さんが入っているポケットを押さえます。
走って逃げるべきだったかもしれないけれど、恐怖で足がすくんでしまってその場から動けません。
それでも、妖精さんを守りたいと思ってその場でしゃがみこんで体を丸めます。
もちろん妖精さんが入っているポケットをしっかり両手で押さえたままです。
「ダメだ! エル! アイツは妖精を食べるけど、人間にダメージを与えられるんだ。俺のことは差し出してしまって良いからエルだけでも逃げて!」
しゃがんでいるからでしょうか。ポケットの布越しでも妖精さんの声がはっきり聞こえます。
妖精さんが懸命に声を張っているからかもしれません。
それでも私は逃げたりしません。逃げられません。
何かがドスンと当たったような感覚があり、ふと頭が痛くなってきました。ズキズキします。
体がだるくて重たいです。目がチカチカしてきて吐き気もあります。
「エル! 俺を出して囮にして良いから!」
妖精さんが叫んでいます。でも、私は手をポケットから避けたりはしません。絶対に。
しゃがんで丸まっているのがしんどくなってきました。思わず膝をつきます。
もう少しあとの時間だったら他にも人がいたかもしれない。
そうしたら誰か助けてくれる人がいたかもしれない。
この馬車にしようって決めたのは私だから私のせいだ。
私はどうなっても良いけど、妖精さんだけはなんとか逃がしたいのに。
段々息が苦しくなってきました。
体中の血の気が引いていくようです。
妖精さんはずっと何かを叫んでいるようですが、私はさっきから耳鳴りがしているので彼が何を言っているのか分かりません。
そのまま意識が遠のいていくような感覚がしてきました。
その時。
急に体がふっと軽くなりました。
どういうことでしょうか。
もしかしたら私、死んでしまったのかしら?
そう思いましたが、まだ手足の感覚はあります。
「大丈夫ぅ?」
急に頭上から声が降ってきました。ずいぶんと間延びした声です。
耳鳴りがおさまっています。頭痛もなくなっています。
え? え? と思っているとポケットから唖然とした声がします。
「アイツの気配が消えてる……」
妖精さんがそういうなら大丈夫なのでしょうか。
念のためポケットを押さえながらもそうっと顔を上げます。
すると思ったよりもずっと間近に男性の顔があります。
こんなきれいな顔の人は見たことがない、というくらいにきれいな男性ですが、私は驚きのあまり声が出せません。
視線だけ左右を巡らせますが、黒いモヤモヤはいなそうです。
「あぁ良かったぁ。無事だったねぇ」
きれいな男性から聞こえてくる間延びした声に脳みそがごちゃごちゃになりそうです。
その男性は、汗が滲んでいる私の額をハンカチで拭ってくれています。
衝撃のあまり声が出せない私はまた視線を彷徨わせ、ふとハンカチを持つ男性の反対の手に空の小瓶が握られていることに気づきました。
私の目線に気づいたのか、男性は笑いました。
「あぁ、これぇ? 君、魔獣に襲われていたからこの薬でやっつけたんだよぉ。気分も良くなったでしょう?」
コクコクと首肯する私の頭を男性は、よく頑張ったねぇ、と撫でます。
大丈夫なんだ、という安堵と美形の男性に頭を撫でられているという羞恥で私は脳みそがごちゃごちゃのまま立ち上がりました。
ポケットから手を離してお尻や脚の汚れを払います。
そうしてからやっと声を出すことができました。
「あの……ありがとうございました」
深々と、でもポケットから妖精さんを落とさないように気を付けながらお辞儀をします。
男性はふふっと笑います。
この人はずっと笑顔なのかもしれません。
「いえいえ。どうしたしましてぇ。ところで君、妖精を連れてるよねぇ?」
え、と固まる私に男性は続けます。
「魔獣が君のこと襲ってたからそうなのかなぁ?って。魔獣は妖精を襲うしぃ、それに君以外の声が聞こえた気がしたんだけどぉ」
ちらっとポケットを見ると、妖精さんが顔を出しました。
「あぁ、やっぱりぃ」
妖精さんを見て男性はますますニコニコしています。
ピオニーの街の近く。妖精さんの姿が見えて、声が聞こえる、ということは。
「あの……もしかしてリートさん、ですか?」
「うん。そうだよぉ。僕のこと、知ってくれてるのぉ?」
「はい。あの……本を読みました。ソルドの町から妖精のことで聞きたいことがあって、今日はきたんです。あ、私はエルと言います」
そう言うとリートさんは目を輝かせました。
「わぁ嬉しいなぁ。僕のお客さんなんだねぇ。じゃぁお店で話を聞かせてくれるぅ?」
はい、お願いします、と私が言ったか言わないかくらいのタイミングでリートさんは私の手を取るとその手を引いてそのままピオニーの街の方へ歩き始めました。
お店は街の入り口近くにありました。まだ開店前ということで、裏口からお邪魔します。
中には赤い髪の男性と女性が一人ずつ。確か本にも書いてありましたが、双子の店員さんでしょうか。
「あ、先生、おかえりなさい。薬草、ありました?」
そう言いながら女性がこちらを振り向きます。
「あら? お客様を連れてきたんですか?」
「うん。ただいまぁ。ちょっと奥でお話し聞いてくるからよろしくねぇ」
いつの間にか先生の前に来ていた男性が先生から手早く袋を受け取ります。男性はそのままカウンターの裏側に進むと奥の方へ続くと思われるドアを開けてくださいました。
「はいどうぞ。ごゆっくり」
ありがとぉ、と言いながら私の手を引いて奥へ進む先生。
私も通りながらぺこりと頭を下げます。
そのまま奥にある部屋に入ります。
「あの……すみません。お仕事の時間なのに」
先生の背中に向かってそう謝ります。
先生はくるりと振り向きました。
「いいのいいのぉ。気にしないでぇ。僕はのんびりだからあんまり接客向きじゃないんだよぉ。薬店はほとんどあの二人に任せて僕は裏で薬を作ってることが多いんだぁ」
さぁどうぞぉ、と部屋のソファに座らせてくれます。
そうして、喋っている様子とは真逆の手際の良さで私と妖精さんにお茶とお菓子を出してくださいました。
それでぇ? と先生は向かいのソファに座ってこちらに身を乗り出します。
私はポケットから妖精さんを手のひらに乗せてテーブルにそっとおろしました。
妖精さんの背中を見て先生は大きく目を開きます。
「その背中……ん? 待ってね。……え、ハナを助けてくれたのがこの子なのぉ?」
「あ、あの時の……」
妖精さんも口を開きました。
見ると、先生と妖精さんが同じ方向を見ています。何もいないように見えますが、もしかして。
「エルは、この妖精さんしか見えないのかなぁ?」
そう問われて首肯します。
すると先生は自分の手のひらをこちらに差し出しました。
「ここに一人の妖精がいるんだぁ。名前はハナ。この子はある日僕のところに駆け込んできたんだぁ。魔獣に襲われた、他の妖精が助けてくれたんだけど、まだその子が襲われてるから助けてって言ってねぇ」
私は息をのみます。
「どうやらそれが、エルが連れてきた妖精みたいなんだよぉ」
先生はそこまで言うと、手のひらを妖精さんの近くにおろします。
「良かった。君が無事で」
そう言う妖精さんの声がします。
「僕もハナの話を聞いてから一緒に襲われた場所に行ってみたんだけど、もう誰もいなかったんだよぉ」
しばらく辺りを捜索したものの妖精も魔獣も見つけられず、それからもずっと気にかけてはいたんだけれど、と先生は言います。
先生の目が妖精さんの側に向きます。
もしかしたらハナと呼ばれた妖精に何か言われているのかもしれません。
「エル、君の妖精は名前を忘れていたみたいだけどぉ?」
「はい、そう聞いていました」
妖精さんを見つけたあの日、お互い自己紹介をしたときに妖精さんは自分の名前は忘れてしまったと言っていました。
呼びにくいだろうから勝手に名前をつけてくれても良いよ、そう妖精さんは言ってくれましたが、元の名前を思い出した時に困るんじゃないかと思って私はずっと「妖精さん」と呼んでいたのです。
「ハルがさっき君の妖精に元の名前を教えたんだけど、それを聞いて彼、思い出したみたいだよ」
妖精さんを見ると、感極まったような表情で自分の隣を見ていましたがーー恐らくはハルと呼ばれる妖精の方を見ていましたがーーそれからゆっくりこちらを見ました。
「エル......。俺の名前はスイだ。スイっていう名前なんだ、俺」
震える声で私を見て泣き笑いしている妖精さんーースイ。
私もつられて泣きそうになりますが、笑顔で応えます。
「うん……うんっ。スイ、名前を思い出せて良かった……」
「エルがここに連れてきてくれたから……ありがとう」
私は声を出したら泣きそうな気がして首を横に振ります。私に知識があればもっと早くここに連れてきてあげられたかもしれません。
それでも感謝を伝えてくれるスイの言葉はもちろん、連れてきただけですがちょっとでも役に立てたことは本当に嬉しいです。
あとは羽が治るかどうかです。
「スイの羽は……治りますか?」
そう聞くと、リートさんは渋い顔をします。
「羽は、難しいかもしれないんだぁ。僕にもまだ経験のないことだから分からないけれど……」
難しいと聞いてショックを受ける私たちに先生は言います。
「例えば……人間の手が何かの拍子でもげてしまった場合、それを復活させることは難しいよねぇ? たぶん妖精の羽も同じだろうと思うんだぁ」
「そんな……」
「でもぉ、もしかしたら、人間の義手みたいに、羽の代わりになるものを作ることはできるのかもしれないよぉ」
その言葉に私とスイは顔を見合わせます。
「色んな妖精の力を借りて素材を集めて作ってみることはできると思うけど……君たちはソルドの町から来たんでしょう? 仮に試作品ができても、帰る時間を考えると取り付けて色々試している時間はあんまり取れないよねぇ」
確かにそうです。
リートさんの本にも書いてありましたが、特定の妖精しか見えない人間の場合、お互いが離れて暮らすのはあまり望ましくないのだとか。
人間側にはあまり問題はないのだそうですが、妖精の方に問題がおこることがあるのだそうです。
それを考えると、試作品をつけてもらっている間、経過観察の為にスイをここに置いて私だけが帰る、というのは難しいでしょう。
見える人にしか見えない存在の妖精に取り付けられる素材を検討することも難しいでしょう。リートさんの周りにいる妖精に協力してもらったとしても、最終的にはスイ本人に直接つけてみないと分からないことも多いはずです。
全員でしばらく考え込みます。
沈黙の後、スイがこちらを見上げました。
「エル、来年から中等部に行くんだろ? ここの街とかこの街の近くに中等部ってないのか?」
あ、そうです。その手がありました。確かピオニーにも中等部があるはずです。
寮が近ければちょっとだけ寄ることも、休日に薬店に来ることも簡単です。
「あぁ。エルは来年から中等部なんだねぇ」
リートさんが言います。
「ピオニーにも中等部、あるよぉ。この薬店と中等部の寮は徒歩圏内だから丁度良いかもぉ」
それは好都合です。
「私、まだ進路を決めてなかったので、ピオニーの中等部、調べてみます」
私がそう答えると先生はちょっとだけ意地悪そうな顔をします。
「ふふふ。先に言っておくけど、ここの中等部、ちょっと他の所よりもレベルが高いんだよねぇ」
「う……」
それは勉強が得意ではない私にはなかなかにハードルが高いかもしれません。
「でも、ここの中等部、僕が受け持ってる講義もあるんだよぉ。妖精論と薬論なんだけど、興味がある子にぜひ受けて欲しいなぁ」
「エルって勉強苦手なんだろ? 大丈夫かよ?」
なんだかとっても良い笑顔でこちらを見ているリートさんと、めちゃくちゃ心配そうにこちらを見上げるスイの視線に挟まれてしまってとても居心地が悪いです。
「が……ガンバリマス」
目線をどちらからも逸らし、そう呟くので精一杯です。
勉強は得意ではありませんが目標ができた今は頑張れそうな気がしています。
ーースイが大空を飛び回る姿が見られますように。