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★第5話★

最終話です。

ごゆっくりお読み下さい(^^


 二日目の午前中、あたしは美智といっしょに河原で膝まで水に使って遊んでいた。陽射しで光る水の中には、小魚や沢蟹がうろついていた。

 昨夜始まったあたしの二日目も、初日さえ乗り切れば痛みはほとんど無くなる。

 野外炊飯の準備が整った束の間の自由時間だった。周囲には他の生徒もいたし、引率の教師も岩の上で陽をあびながらタバコを吹かしたりしていた。

 そんな時、とつぜん上空を暗雲が埋め尽くす。水面に映った自分の姿が雲の陰で消えた。

 雫が落ちて来て、それはあっと言う間に視界を遮るほどの雨に変わった。

 顔を上げると周囲に喧騒が沸き起こり、河原にいたみんなは木陰へ移動していた。

 川に浸かっていた生徒は少し焦っていて、転ぶ娘もいた。

 教師が何かを叫んでいた。きっと、水から上がるように促していたんだと思う。

 その声さえも、駄々降りの雨音にかき消される。

 世界の終わりみたいな豪雨の中で、あたしは何故か慶太の姿を探していた。

 美智はあたしの腕を掴んで一緒に川から上がろうとしていたけれど、僅か数分で川の水は腰の辺りまで増水した。

 遠くに見えた慶太の姿は、遮られた視界に飲み込まれるように消える。

 美智が転んだ。

 あたしは何がなんだか判らなくて、美智を引きずるように助け起こす。でも、今度はあたしが転んだ。

 川底から足が浮いた瞬間、あたしは美智と離れ離れになってしまった。

 目の前に映るのは、川面に叩きつけられる水の波紋の群れだけで、あたしは息をするだけが精一杯だった。

 溺れる…………。

 それは初めて感じる水に対しての恐怖だった。

 水の中の身体は異常に重くて、ただ流れに飲み込まれるだけ。

 もう誰の姿も目には映らなかった。



 遠くで人の声がしたけれど、気のせいのようにも感じた。死の恐怖はあたしの身体を蝕んで、骨が冷たくなってゆくのを感じる。

 でも数分後、豪雨で視界が霞む中、氾濫した川に溺れたあたしを見つけ出して救ってくれたのは、麻野慶太だったのだ。

 何も見えるはずの無い世界の終わりで、彼だけがあたしを見つけ出してくれた。

 水を飲んで朦朧として大きな石にしがみ付いていたあたしを、彼は背負うようにして川岸まで運んでくれた。

 意識が朦朧としていたから、無我夢中で慶太にしがみついていた。

「大丈夫だ。楽勝だ」って、アイツは何度も言った。

 濡れた体操着は重くて冷たかったけれど、しがみついた彼の身体から熱い体温が伝って、何故か不思議な安堵を感じた。

 でも、病院のベッドで目が覚めた時、優しく見つめる先生の瞳に涙の痕がある事に気付いたあたしは、自分でも知らないうちに泣いていた。

 慶太が犠牲になった事は後から聞いたのだけれど、この時あたしは何故か認識してしまったのだ。

 それはきっと、何時も何処かにある彼の気配が、何処にも感じられなかったからだと思う。

 局地的豪雨の極端な事故として、新聞やニュースに取り上げられていたのを覚えている。



 これらが、毎月あたしを憂鬱にさせる記憶のすべてだ。

 消したくても消す事が出来ない……ほろ苦いというのにはあまりに残酷で切ない哀切。

 それは、高校へ入って髪を明るい茶色に染め、両耳にピアスをあけて爪にネイルを着ける今でも、やっぱり変わらない。



 あたしは揺れるバスの一番後ろの席で背もたれに寄りかかったまま窓を少し開けた。

 湾岸線の向こうから吹き込んでくる初夏の汐風が少しだけ心地いい。風に乗って聴こえる鳥の声に思わず虚空を見上げる。

 ぼんやりと眺める遠くの空に、海鳥たちの群れが小さな点になって見えた。

 停車したバスのドアが、プシューっと音をたてて開くと、早退組みか休講か、他の学校の制服が三人バスに乗り込んでくる。

 いつの間にか入り口付近に座っていたお婆さんの姿は消えていた。

 走り出したバスの騒音にあわせた様に、乗り込んできた連中のお喋りは大きな喧騒になって車内を埋め尽くす。

 あたしは溜息をついて、再び窓の外を眺めた。

 次第に深まる下腹部の憂鬱とは裏腹に、広がる蒼は眩しいほどに清々しい。

 カバンから薬を取り出すと、今では効かなくなったセデスの白い顆粒を眺めてみる。効かないと判っていても、いまだにそれを持ち歩いている。

 陽射しを受けた真っ白な粒子が、カラコンを着けた虹彩に弾けて、無意識に眼を細めた。

 真紅に染まる事を知らない小さな帳は、目的を失い今でも時を止めている。あたしが子供から女になったあの日、彼から貰った小さな包みは未だに未開封のまま部屋のクローゼットの中に在る。

 たぶん一生開けることはないだろう。

 あたしと慶太が一緒に大人になった証が、消えてしまわないように……。


 きっとあたしは、サナギの抜け殻から這い出せず枝にしがみついたまま、未だに大空へ羽ばたくことをしない、アゲハチョウ。





   END





通常、女性視点の一人称はあまり書かないのですが、これは企画作品と言う事もありあえて使わせていただきました。

最後までお読み頂き、有難う御座います。


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