★第3話★
あたしの太腿を伝って流れた出血は、もちろん怪我でも病気でもない。たんなる初潮ってやつだ。
一度女子だけが集められて話は聞いていたけれど、もっと先の話しかと思っていた。
だって小学四年生なんてまだまだただの子供じゃん。
もっと胸が張り出して、腰が括れて鎖骨がクッキリと浮き出て……それからやって来るような気がしていた。
妙に胸がおっきくて既にブラをつけているらしいという噂のユミなんかは、いかにも早く来そうだけれど、まさかあたしにもそれがやって来るなんて……前日だってなんの兆候もなかったし。まるで寝耳に水ってやつだ。
その晩はお赤飯が食卓に並んだ。
弟の大知はなんだか判んないまま、おいしそうに赤飯を頬張る。
あたしは妙に複雑な気分で、お父さんには何となく知られたくないような気がしたし、それよりもなによりも、慶太に初潮の真っ只中を目撃されたショックを消せなかった。
一番仲のいい男子に、子供から女になる瞬間みたいなものを見られた気がして、艶の在る小豆を見つめながら、明日は学校は休んだ方いいだろうな。なんて思ったりした。
去年の夏休みに、庭の片隅でサナギからムクムクと起き上がって出てくるアゲハ蝶を見た事が在るけれど、それは何にも抗えない無防備な姿でとてつもなく切なかった。
指で弾かれるだけで吹き飛んでしまうような、なんの防御もできない脆弱な姿……あたしはきっとあの時、そんな姿だった。
脆弱で無防備な姿を見られるのは恥ずかしいし、辛い、悔しい。
夕食を終えて、明日はどうしようかと考えながら、ただテレビの画面だけを眺めていた。バラエティー番組に笑う弟の声だけがやたらと耳に響く。
夜の八時過ぎ頃、突然玄関のチャイムが鳴った。
母親が茶の間を出て行くのを目で追いながら、やっぱり明日の事ばかり考えた。
腹痛は酷くなかった。この頃は二日目と三日目が酷かったような気がするけれど、それで学校を休んだ事はないと思う。
母親が玄関に出て、直ぐに茶の間に戻って来る。
「ヒナ、お友達、慶太くんよ」
「えっ……」会いたくない……。
なんで慶太が来たんだろう。
なんの用だろうか……女に変化し終えたあたしの姿に、何か代わり映えがあったか逸早く見に来たのだろうか?
アゲハ蝶と違って、あたしの見た目は何の変化もありはしないのに。
当然のように、慶太の両親とあたしの両親も親睦があった。だから、慶太が家に来る事はそう珍しくも無いけれど、やっぱり今日は来ないで欲しかった。
あたしはゆっくりした動作で玄関に向って歩いた。アゲハ蝶というよりも、芋虫だ。
出来れば玄関に辿り着く前に、慶太に帰ってもらいたい。
でも、どんなにゆっくり歩いても、茶の間から廊下に出れば玄関まで数メートルしかない。
あたしが廊下に出ると慶太は玄関の中に立っていて、白熱球の淡い山吹色の明かりに照らされながら、なんだか少し気まずそうな笑顔をくれた。
何時もの何も考えて無いガキの笑顔ではなかったから、彼が興味本位だけであたしを観察しに来た訳ではないのだとわかった。
なんだか胸の奥で心臓がキュンとしぼむような、奇妙な感覚に襲われる。
「だ、大丈夫だったか?」
玄関の慶太と廊下のあたしは丁度目線が同じくらいだった。
「うん……平気」
さすがに帰ってからジーンズに履き替えていたあたしの細い脚を、慶太は少しだけ見つめる。
「なんか用?」
できるだけ何でもない素振りで、それでもだいぶ粗雑な言い方をした。
「あ、あのさ……姉貴に聞いてさ……」
慶太には五歳年上のお姉さんがいる。五歳上と言えば15歳の中学三年生。当時のあたしから見たら、プリーツの入った紺色の制服を着る彼女は胸もあって立派な大人の女だ。
慶太はモジモジして彼らしくない仕草で小さな紙包みを取り出す。
「な、なに?」誕生日はまだ先だよ。
無造作に包みを受け取って中を覗き込む。
違った……一瞬ギョッとして目が点になった。
慶太があたしに差し出した紙包みに入っていたのは、なんと生理用品の小さなパッケージ。コンビ二で売っているような、割高の一番小さな包み。
「な、なによ。いやらしい」
「そんな事ねぇだろ。大人になった証拠だ。姉貴が必要だって言うから……」
慶太はそれを自分で買ってきたのだろうか? それともお姉さんの未開封のストックをパクって来たのだろうか? それは訊けなかった。
それに、誰にも言うなって言ったのに、彼はお姉さんに話したのだと、この時は考える余裕もなかった。
でも、もしかしたら慶太も、あの日あたしと一緒にちょっぴり大人になったのかもしれない。
あたしは彼から受け取った紙袋の口をくしゃっと上から掴む。
耳が熱くなった。
「ありがとう」
思わず言ってしまったけれど、なんかへん……。
彼とは翌日からも、何事もなかったように仲良く過ごした。
相変わらず教室ではオバQって呼ばれたけれど。
慶太はあたしの事を学校では誰にも言わなかったから、あたしに月のモノが訪れた事を知っているのは一部の仲の良い女子以外、男子では彼だけだった。
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