★第1話★
短期連載ですので、お気軽にお読みください。
「ヒナ、帰り何処か寄ってく?」
「ううん、あたし早退する」
「なんで?」
「アレ始まった」
「あぁ、じゃぁしんどいね」
お昼休みの廊下は喧騒で溢れている。
体育館に続く渡り廊下は途中で分かれて学食へ続き、午後の陽射しが眩しいくらいにコンクリートで弾けていた。
あたしと沙弥は渡り廊下の少し錆びた手すりにもたれかかって頬杖をつく。
中庭に植えられた紫陽花が日陰で鮮やかな彩を見せても、あたしの憂鬱な日々は始まったばかりだ。
沙弥はあたしの生理が重いことをよく知っている。他の友達はよく二日目がしんどいとか言うけれど、あたしの場合は初日が大変で、ピークの時にはもう身動き取れないほどの苦しみに襲われる。
それはきっと、あたしの中で燻っている想い出が疼くせいだ。
その証拠に、昔は効いていたはずの鎮痛剤を飲んでも今はあまり効かない。痛み止めでは奥底で燻る哀切な憂鬱を消し去れないからだ。
もしかしたら、精神安定剤なんかを飲んだ方が本当はよっぽど効くのかもしれない。
「あたし、このまま帰る」
「えっ、いきなり?」
沙弥はちょっとビックリしたけれど、あたしは前にも休み時間中に帰った事がある。
「一応、保健室行った方がよくない?」
あたしは次第に重くなるお腹に手のひらをあてる「行ってもしかたないしさ」
沙弥に小さく手を振って教室へ戻る。
机の横に掛けて在るカバンを掴み取ったら、クラスでお喋りしていた何人かが振り返った。
「ヒナ、どうしたの?」
「うん、ちょっと、帰る」
「あ、そう」
得盛りのマスカラを瞬きさせながら睦美が軽く声をかけてくるけれど、別に引き停めたりしない。
彼女達は他の誰かに興味がある振りをしているだけで、本当は自分と男以外にたいして興味はないから。
あたしは気を紛らわすようにカバンをブラブラ揺らしながら昇降口を出ると、バス停へ向った。
初夏の陽射しが照りつけるアスファルトをゆるゆると歩く。白いアスファルトに自分の影が揺れる。
海風が運んでくる草と土の匂いを追いかけるように虚空を見上げると、干潟の野鳥が飛び立ってゆくのが見えた。
学校の近くにある大きな自然公園の谷津干潟は野鳥の宝庫だそうで、あたしたちにはやたらと見慣れた鳥も、実は稀少な絶滅種だったりする。
バス停のベンチにペタリと腰掛けて携帯を取り出すと、沙弥にメールを打った。
先生には報告してもらおう。
親に連絡されると困る。とかじゃなくて、正当な理由で帰った事だけは伝えてもらいたい。
ずる休みした時にはどう思われてもいいけれど、正当な理由が在るときにはやっぱり誤解はされたくないものだ。
直ぐにバスが来たから、のろのろとバスに乗った。
ステップに脚を乗せると、下腹部に重い痛みが滲み出してきた。
昼の陽射しが窓全部から車内に注ぎ込んで、がら空きの青いシートが白く霞んで見える。
朝や下校時には絶対にありえないがら空きのバスは、早退者の特権だ。
入り口付近に腰掛けている杖を持ったお婆さんの横をすり抜けて、あたしは一番後ろの特等席に座ると、溜息をついて外を眺める。
特権による特権の特大ソファの上で、あたしはこれから始まる憂鬱な日々をしみじみと感じる。
毎月ほぼ決まった時期に来る憂鬱な日々。女なら当たり前の事だけれど、あたしの場合はちょっと違う。
毎月この下腹部の重苦しい痛みが訪れると、あたしは自分の中から消し去れないほろ苦い想い出と共に、憂鬱になるのだ。
それは他の女子が感じる痛みや鬱陶しさ、苛立ちや懊悩などとは異質なものだと思う。
お読みいただき有難う御座います。
次回も宜しくお願いいたします。