満月の夜に、夢のようなホットケーキを……。
「ああ、やっぱりこの世界はつまらないわ」
伯爵令嬢フィオーレ・エスペランサは窓辺に肘をつき、ため息と共にそんな言葉を吐き出した。
セリフ自体は物騒だけれど、黄金色の満月を眺めながら、茶色い髪をくるくると指に巻き付ける姿は可愛らしい。
「せっかく転生するなら、こんな地味な顔じゃなくて、もっと綺麗で煌びやかならまだ良かったのに!」
そう、フィオーレは前世の記憶をちょっとだけ持っている、至って普通の振りをしている女の子。
17才にもなれば、「前世の記憶がある!」と騒ぎ立てても特別扱いしてくれるどころか頭がおかしくなったと思われるのが関の山なことくらい、十分分かってる。
「本当に、つっまんないのよね〜」
令和の日本はYouTubeだTikTokだと娯楽には事欠かなかったし、欲しい物もネットショッピングでポチッと頼めば次の日には届いていた。
それに比べてこの世界は。
「何にも無いにもほどがあるじゃない?」
ふぅ、と長めのため息のひとつやふたつ、つきたくもなるほど。地味なことこの上ない。
「んー、やっぱり、自分で作るしかないかしら!」
たまには夜更かしもしてみるものだ、と自分のアイデアを褒めておく。
深夜テンション? そんなことないってきっと!
「ふっふふ〜ん」
適当な鼻歌をうたいながらキッチンへ行き、ちょちょいと材料を拝借しよう。
『普通』の伯爵令嬢はキッチンへ入ったりしないけれど、フィオーレは別。
「前世は結構お菓子作りが好きだったのよね。
特に私が好きなのはホットケーキ! ってことで、れっつらくっきんぐ!」
ハイテンションで戸棚を開けてまわり、材料集めをしているうちに、みるみるテンションが下がってきてしまう。
「砂糖、こんなにちょっとしかないの!?
蜂蜜も、こんな小瓶にちょろっとじゃあ全然足りないって!」
そう、この世界の物流の悪さを舐めていた。
砂糖も蜂蜜も、甘い物はかなりお高いのだ。
伯爵家としてそれなりの伝と財力を持っていても、お客様が来るスペシャルな時にほんの少し使えるだけ。
「まあ、ないものはしょうがないわね。とりあえずあるものだけで作ってみましょうか」
でも、あるものといえば小麦粉と卵、牛乳くらいかな。ベーキングパウダーが欲しいんだけど、あれって何なんだろう?
この戸棚の中の白い粉のどれかだったとしても、どれなのか分からなかったら意味が無い。
「まあ、混ぜて焼けば美味しいんじゃないかな?」
希望的観測の元、適当に混ぜて焼いてみる。
「ふっふふ〜ん」
材料が揃ってなくても、自分で探して焼いて見るだけでちょっと楽しい。
それが誰もいない深夜なら尚更。
「んー、どうだろ。あんまり、美味しそうじゃないかも……?」
焼ける途中でいい匂いがしてくるかと思ったけれど、そこまででもない。
香ばしい匂いはするけれど、どちらかと言えばおやつよりおかず系な気が……。
焼きあがったのは、期待よりも白っぽい、ぺたっとした物体。
「んー、全然ホットケーキじゃないなあ」
一口食べてみても、ぺったりもさもさした感じはお世辞にも美味しいとは言えない。
「これは、多分ナンみたいな発酵しない系のパンね」
冷静に考えてみれば、作り方的にはそうなって至極当たり前である。
気づかない私って馬鹿、とか思っても、目の前のぺたっとしたものは美味しくならない。
「んー、どうしたらいいかしら。
蜂蜜だけでもあれば、もうちょっと美味しくなると思うんだけどなあ」
ぺったりもさもさでも、甘〜い蜂蜜を吸わせればきっと美味しくなる。
「どうしよっかな〜」
なけなしの蜂蜜に手をつけるか? でも明日怒られるかな?
なんてあたりを見回すと。
「あれ? 何かしら」
窓辺に置かれたカトラリースタンドの中に立つ銀のスプーンのうち、ひとつだけがきらりと輝いた気がしたのだ。
シンクの向こうの出窓に置かれたスタンドは微妙に遠くて、フィオーレはつま先立ちでぐうっと手を伸ばす。
じっと見つめればやっぱり違う。
他は銀色なのに、そのスプーンだけは黄金色に輝いているのだ。まるで今夜の満月みたいに。
「えいっ」
床を蹴って全力で手を伸ばしたら、やっとスプーンに指先が届いた。その瞬間。
キッチンの床タイルを蹴った勢いそのままにスプーンを握り、夜空へ飛び出してしまった!!
「えっ、ちょ、どーいうことよーー!!」
窓ガラスがあるのは当たり前なのに、それをするりと通り抜けて夜更けの星空へと昇ってゆく。
「ヤバいって、これ! どういうこと!!!」
手のひらに握ったスプーンが黄金色の月へ向かって一直線に飛んでいるから、これを離せば帰れそうだけど、この高さから落ちたら死ぬよね???
「いやいやいやいや、おかしいって!
この世界魔法とかファンタジー成分ないんじゃなかったの!!」
叫んでみても誰も答えてはくれない。
高さと速さが怖すぎてぎゅうっと目をつぶっていたら、不意に速さが緩やかになって、身体がふわっと軽く浮く。
そおっと目を開けると、地平線の彼方まで黄金色の光かがやく波で満たされていた。
「……ここ、どこ?」
不安になるほど真っ暗な空に、どこまでも続く金色の海。
ファンタジーここに極まれりな状況で、綺麗な景色に見惚れてうっとりする間もなく不安になる。
だって知らないとこにひとりぼっちは怖いじゃん!
「やあ、お嬢さん。どうしたの」
「!?」
不意に話しかけられ、びっくりして振り向くと、穏やかな笑みを浮かべた好青年がひとり。
空と同じ漆黒の髪と、海と同じ黄金色の瞳。
吸い寄せられるような不思議な魅力のある笑みに取り憑かれて、目が離せない。
「そんなに怖がらなくても大丈夫。ここは空の彼方。君たち青の星の生き物は、月、と呼ぶらしいけれど」
「……はぁ」
生返事しか出来ないんだけど。
月って石とクレーターなんじゃなかったの。
それは前世の月でここは違うの?
「ここへ来たってことは、強く願う望みがあるのだろう?
言ってみて。願いは言ノ葉にしたとき、はじめてその形を宿すのだから」
「えっ、願い? 何の?」
「そのキーアイテムを見つけた時、君は強く何かを求めただろう?」
金色の瞳に吸い込まれそうになりながらも考えることしばし。
「あっ、蜂蜜のこと? 確かに蜂蜜欲しいってめっちゃ思ってた」
「ふむ、蜂蜜ねぇ」
あとは……。
「ベーキングパウダーも欲しいな。ホットケーキがふっくらふわふわにならなかったの」
「べえきんぐぱうだあ? 何だそれは」
「えっとねぇ……」
軽くベーキングパウダーの説明をしたら。
「ふむふむ、なるほど。要するに膨らんだらいいんだな。
その望み、叶えてしんぜよう!」
お兄さんが急にイキイキしはじめて、金色の瞳がきらきらと瞬く。
フィオーレの右手ごとスプーンを手のひらで包まれて、人間とは思えない冷たさに驚く間もなく瞳に吸い寄せられる。目が、離せない。
ぎゅう、と強く握られて、そのあとで手を離されてしまったのが何だかすごく嫌で。ずっとずっと、握っていて欲しかったような、そんな気分。
「この瓶をあげるから、そのスプーンでそぉっと掬ってみて。君の願い通りの蜜になっているから」
確かに黄金色の海は見ようによっては光輝く蜂蜜にも見えるから、言われた通りにそっと海へと匙を沈める。
とろりとして美味しそうな蜜が、スプーンからたらたらと流れるほどに掬えた。
「わあ、すごい! とっても綺麗で美味しそうな蜜ね!」
「瓶いっぱいにとっていいよ」
「ほんとに!? ありがとう!」
言われるがままにすくい続け、すぐに瓶は黄金色でいっぱいになる。
「こんなに沢山あればまた美味しいお菓子が作れそう! 本当にありがとう!」
「どういたしまして」
神様かと思うほど人間離れした雰囲気を纏って穏やかに微笑む彼の頬は、なんだか少しだけ寂しそうに見えて。
「あなたはこんなに沢山の蜜が何時でも食べられていいわね。羨ましいわ」
そんな軽口を叩いてしまった。
すると彼の憂いはもっと深くなる。
「この金海は、望む者のためにあるものだから。僕は、何かを得ることはないよ」
静かにそう語る横顔はとっても綺麗で、胸がきゅうっとなるほどに切ない。
「そうなの。それは残念ね。
私の家に来たら、とっておきのホットケーキを食べさせてあげられるのに。
今あるのはあんまりいい出来栄えじゃないけれど、それでもこの蜜をかければとっても美味しいと思うわ!」
「そうだったね、君は欲張りな女の子だった。もうひとつの願いは、僕が叶えてあげようか」
「もうひとつ?」
フィオーレがきょとんとすると、彼は苦笑して、懐から小瓶を取り出した。
中にはきらきらと輝く銀色の、とても細かい粉が入っているみたい。
「これは星の欠片。ほんの少し振りかけるだけで、君の望む形を作ってくれる」
「それなら、ホットケーキをふわふわにしてくれるの?」
「君がそう望みさえすれば、その通りにしてくれる。星の欠片だから」
「それはすっごく嬉しいけれど、そんなに貰っていいの?」
フィオーレとしては、蜜をもらっただけでも充分すぎるほどなのに、それ以上もらうのは少し気が引ける。
「ああ。蜜はこの空の彼方から、粉は僕からだよ」
「ほんとにいいの? 貰っちゃうわよ?」
「いいよ。ただ、その星の欠片が僕からの物だと、それだけを忘れないでいて欲しい」
「もちろんよ! 忘れるわけないわ!」
フィオーレが自信満々に言い切ると、彼はとっても綺麗に笑った。
今までも神々しいほどの微笑みを湛えていたけれど、それとは違う、本心からのような、そんな笑顔。
「ありがとう。じゃあ、そろそろ帰るかい」
「ええ、そうね」
名残惜しいけれど、帰らない訳には行かないし、何よりホットケーキを美味しくするための物を2つも貰ったんだから。
「じゃあ、さようなら」
寂しげな笑みに見送られて、ゆっくりゆっくりと青い星へ帰る。
「さようなら! また、いつか!!」
とっても綺麗で人間離れしていて、というかきっと人間じゃない彼と、またいつか会いたいな、なんて思いながら。
大切な瓶をふたつ、左手で胸に抱え、来た時と同じように右手に持ったスプーンに連れられて家へと帰る。
不思議な力で窓をすり抜け、さっきと何も変わらないキッチンへと帰ってきてしまった。
「ああ、あのお兄さんイケメンだったなぁ……」
思い返してみたらアイドルより遥かに美形だったけれど、その時はあの目に吸い込まれそうで顔をじっくり鑑賞するどころじゃなかったのが惜しまれる。
「……ま、いいか。それよりもホットケーキよ!」
色気より食い気なフィオーレは、ぺったりもさもさな塊に、星の欠片をほーんの少し振りかける。
ホットケーキミックスのパッケージ写真のような、ふんわりふわふわでとっても美味しそうなホットケーキをイメージしながら。
そうしたら、みるみる膨らんでふわっふわなホットケーキに変わってくれた。しかも焦げ目もいい感じだ。
「わあ、本当にすごい! あの人の言う通り、イメージそのままじゃないの!」
そこに、金色のスプーンで蜜をたらりとかけると。
「じゅるる。やば、よだれが……」
淑女として有るまじきよだれが出るほど美味しそう。
「うん、いただきます!」
金色のまま、銀色に戻らなくなったスプーンは綺麗に洗って一旦出窓に置いてみた。
あとで自分の部屋に持っていこうかな、なんて思いつつ、一口めをぱくり。
「あーー! これよ、この美味しさ!」
真夜中の冒険の中、自分で採ってきた蜜で食べるホットケーキは絶品の一言。
「こんなに美味しいホットケーキが食べられるなら、この世界かも悪くないかもねぇ」
「……この世界、って?」
「え?」
フィオーレしかいないはずで、何の物音もしなかったのに、問いかけられてびっくりする。
さっきスプーンを置いた出窓に、別れて来たはずの彼が優雅に座っている。
「え、え、え!? どういうこと!?」
「僕からの贈り物を受け取ってくれたでしょう?
それに、僕にお返しをしたいとも願ってくれた。
交換成立、ってことで、僕はここまで来れたんだよ」
窓から降り注ぐ月明かりも相まって、まだ黄金色の海の中に居るような気すらしてしまう。
「ほら、僕にホットケーキを食べさせてあげたいと願ったんだから。
実行してよ。ね?」
「あ、はい!」
美形すぎる顔で迫ってこられてめちゃくちゃ焦った結果、自分が食べるのに切り分けていたホットケーキを、彼の口元へ差し出してしまう。
それくらいに抗えない強制力みたいなものがある気がするんだ。
ぱくり。
綺麗な仕草で一口食べて。
「おいし」
その時に見せた蕩けるような笑顔は、ずっと浮かべている神々しい微笑みと違って、なんだか私と同じな気がした。
ただの甘いもの好きな人間みたいな、そんな笑顔。
それが一番好きだな、って思うんだ。
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