【短編】悪役令嬢?いいえ、中身は『おかめ』な姫様です。
平安時代の姫が乙女ゲームである『キミ☆コイ』の悪役令嬢に人知れず転生していた。
その平安時代のお姫様が前世の記憶を思い出したのは昨日のこと。
恨みをかいまくっていた彼女は階段から押され、転げ落ちた。その時に頭を打ってしまった衝撃で前世を思い出したのだが、彼女にとっての問題はそこではない。
一晩明けて鏡を見た彼女は、その姿に絶望の底に叩きつけられたような気持ちであった。
(われは、このような姿を美しゅうと信じておったのか……)
震える手で鏡を触り、今世での自分の記憶に頭を抱えたいような気持ちになった。
(何という、醜女なのじゃ。
われの切れ長の細い目もふっくらした頬もサラサラの長い黒髪もなくなってしもうた。何じゃ、この面妖な髪色は、しかもうねうねしていて気味が悪い。
絶世の美女と呼ばれたわれはもうおらぬのか……)
彼女の美女というのは、おかめ顔のこと。
この悪役令嬢に転生した平安のお姫様は前世の美の基準こそが正しいのだと疑いもしていない。
悪役令嬢として振る舞っていた彼女の人格は前世のおかめ姫によって完全に消失していた。
悪役令嬢である彼女の名は『イザベル』。公爵家のご令嬢であり、皇太子殿下の許嫁でもある。
国一番の美女と言われ、美しい白い肌、小さな顔に、ハッキリとした目鼻立ち。手足は細く長く、スタイルも申し分ない。
ブロンドの髪は美しく、彼女が微笑めば大概の男性は落ちるとさえ言われている。
今世においての絶世の美女である。だが、何度も言いようだが彼女の基準は平安。平安なのだ。
(恥ずかしゅうて、表にはもう出られぬ。ここは、気を患ったことにして、生涯をこの部屋で過ごすわけにはいかぬだろうか)
一瞬、そのような考えが頭の中でもたげたが、育ててくれた両親に面目が立たないと考えを改める。
(今世での両親も蝶よ花よとこんなに醜女なわれを育ててくれたのじゃ。少しでもお役に立たねばならぬ。じゃが、この顔で表に出るのものぅ……。
そうじゃ!!顔を隠せば良いのじゃ!!)
名案ではなく迷案を思い付いた彼女は筆と墨はなかったので万年筆を使って絵を描き始めた。
(しかし、何と便利な世になったものじゃな。墨がなくとも書けるとは、妖術か何かではあるまいな……)
昨日まで毎日のように使っていたものにまで感心をしながら、一枚の絵を書き上げた彼女は満足げに笑った。
(さて、絵もできたことじゃ。従者を遣いに出さねばならぬな)
しかし、従者を呼ぶということは顔をみられてしまう。彼女は少し躊躇ったが、顔の半分は扇で隠すのだから大丈夫だと自分を納得させて侍女を呼ぶ。
「みーあ、みーあは おるか?」
幸いにも今世の記憶はバッチリあるので、問題なく侍女を呼べばすぐに扉が開かれた。
「イザベル様、お呼びでしょうか」
美しい角度で頭を下げる彼女の所作にイザベルは内心で感嘆の声をあげた。
「これを作れる者を探してくれぬか?予備も含めて5つ程 頼みとう思っておるのだが」
「畏まりました。すぐにでも取りかからせます」
イザベルの話し方がおかしなことにミーアは当然気がついていたが、少しのことで怒鳴り散らし、機嫌が悪い時には扇で顔を叩くのが常なイザベルに突っ込むわけもない。
余計なことは言わない、話しかけない、求められた答えを瞬時に弾き出して答えることが求められるのだが、残念ながら今日はイザベルに言わなければならないことがあった。
「……イザベル様。皇太子殿下よりお見舞いのお花が届いております」
つまり、皇太子は見舞いには来ないということ。これから八つ当たりのように顔を隠している扇で叩かれることは容易に想像がついた。
しかし、当のイザベルはというと……。
「そうか。あとでその花をわれの部屋に運んでおいてくれぬか?」
「はぁ……」
まぬけな返事をしたことで叩かれるのを覚悟したミーアだったが、イザベルが叩く気配はない。
「あの、イザベル様」
「何じゃ?」
恐る恐る話しかけるも、その表情は全く変わらない。扇で顔半分を隠しているので分かりにくいのもあるのだろうが。
「舞踏会のドレスは如何様になさいますか?」
「うむ……」
扇で顔を隠したまま考え込むイザベルに何でご自慢の顔を隠しているのか疑問に思うもミーアは辛抱強く待った。
「肌があまり見えぬものを。春らしく桜色が良いのう……」
これを聞いた瞬間、ミーアは確信した。イザベルが頭を打ったことでおかしくなったのだと。
イザベルは胸を強調したデザインで、体のラインがよく分かるドレスを選ぶ。しかも、色はワインレッド一択だ。
そして、その色を他の女性が着ようものなら容赦しない。二度と社交界に出てこれないようにしてしまうのだ。
だから、イザベルの頭がおかしくなっていないのだとすれば、別人であるとしか考えられない。そうミーアは思った。
「それでは、至急デザイナーをお呼び致します。お時間は何時になさいますか?」
「みーあに任せる。でざいなーも多忙であろう。時間の良い時に来てもらってたも」
「畏まりました。それでは、失礼致します」
頭を下げて部屋を出ていったミーアは、完全に扉が閉まれば飛び上がって喜んだ。
そして、どうかこのまま元に戻らないで欲しいと心の底から願った。
一方その頃、イザベルからの苦情が来ないことに皇太子であるルイスは首を傾げていた。
「レントン、イザベル嬢から連絡はあったか?」
「いえ、ございません。珍しいこともあるのですね」
「珍しいどころじゃないぞ。天変地異の前触れではないだろうな」
いくらなんでも言い過ぎだと言えない辺りが悪役令嬢イザベルだ。なので、レントンは無言で肯定の意を示した。
「行ってみようかな……」
「それが手かもしれませんよ」
「あの短絡なイザベル嬢がねぇ……。まぁ、会ってみれば分かるだろう」
そう言いながらルイスはマッカート公爵家へ早馬で訪問の連絡を入れさせた。
(さて、私の困った許嫁殿は今度は何を考えているのだか……)
マッカート公爵家についたルイスは公爵と夫人への挨拶もそこそこにイザベルの元へと向かった。
早馬を飛ばした時点で公爵家についたらどうせいつものようにイザベルに捕まって、公爵に挨拶すらできないのだと踏んでいたルイスは少し動揺していた。
(まさか、怪我が酷いのか?いや、それなら公爵と夫人があのように落ち着いているわけもあるまい。
それに何だか知らないが、公爵家の雰囲気もいつもより明るいような……)
ルイスはイザベルのことではいつも頭を悩ませてきたが、こういう意味で頭を悩ませるのは始めてのことだった。
いくら許嫁といえど、いつもは応接間で会う二人ではあるが、今日は何とイザベルが応接間に行くのを拒否。ルイスに会いたくないとまで言い出す始末。
(地の果てまでも追いかけてきそうなイザベルが会いたくないだと?本当に天変地異の前触れか?)
顔を見ないと安心ができないからどうしても会いたいと侍女に伝えて貰えば、顔は見せられないが部屋で話はできると言われた。
それが罠なのか、はたまた違うのか……。ルイスには判断ができないが、自然と口角が上がるのを感じる。
今までルイスにとってイザベルは女という武器を全面に押し出す鬱陶しいだけの存在だった。
あの顔と公爵家の娘という地位がなければ絶対に婚約などする羽目にはならなかっただろう。
だが今日 初めてイザベルを面白いと感じている。
珍しくワクワクとした気持ちで扉を叩けば、中から返事がした。そして部屋へと入れば、布団の中に入っていて全く姿の見えないイザベルが出迎えてくれた。
「るいす皇太子殿下、ようこそお出でくださいました。このような姿での挨拶となってしまったことを大変申し訳のう思っておりまする。
美しい花々の贈り物も大変嬉しゅうございました。お心遣い、痛み入りまする」
そう言いながら布団がもぞもぞと動いたのをみて、頭を下げたのだろうことが分かった。
「喜んでもらえてよかった。
……イザベル嬢、貴女がまさかこんなに簡単に頭を下げるだなんて、本当にどこか調子が悪いんじゃないか?少しでいいから顔を見せてはくれないだろうか」
イザベルは生まれてこのかた、一度も頭を下げたことはなかった。彼女の言い分は何時だって『自分は悪くない』『自分を不快にさせる者が悪い』だ。
だから、布団の中にはイザベルと声の似た別人がいると考えられたとしても、何も不思議ではない。
ルイスだって まさか公爵家でそんなことが起こるとは思ってないが、布団の中の人物がイザベルだとは到底信じられなかった。
それから少しの間、布団から出るか否かでの押し問答が繰り広げられたが、イザベルは頑として拒否し続けた。
(あれができるまでは絶対に会えぬ!!)
前世から なかなかな頑固な性格をしていたおかめ姫はルイスが諦めてくれるまで戦うつもりだった。
「じゃあ、顔を見せてとは言わないから出てこない理由だけでも教えてくれないかな?心配だろ」
心配なんて真っ赤な嘘だが、そう言えばイザベルも気を良くするだろうとルイスはリップサービスをする。
だが、イザベルはなかなか答えない。けれど、布団がもぞもぞと動いているので、何かを悩んでいるのだろう。
「笑わないでくださりまするか?」
「もちろん」
もう、言動のどこに突っ込めば良いのかルイスには分からなかったが、それでも動揺は微塵も出さずに頷いた。
(皇太子殿下が見舞いに来て、心配じゃと言うておるのに顔を見せぬのは無礼よの。仕方あるまい)
諦めたイザベルはおずおずと布団から顔を出した。
相も変わらず美しい見た目であるのは変わりはないが、いつもと違って気の強さはなく どこか弱々しさすら感じられる。
(階段から突き落とされたと聞いたし、烈火のごとく怒っているのを想像していたが、ショックが大きかったのか……)
そう思いつつも今までのイザベルの行動を思い起こせば同情の余地すらない。
一番最近の記憶では、お茶会でイザベルの地雷を踏んだ令嬢は顔に熱い紅茶をかけられて火傷をおっていた。幸いにも傷は残らなかったが、令嬢の心の傷は深い。
しかし、イザベルにとって階段から落ちたことなんて どうでも良い。些末なことなのだ。
そのことを知らないルイスは慰めなければいけないのか……と面倒な気持ちになっていた。
「われは、その不細工じゃろ?」
「はぁ!?」
「だから、われは不細工じゃと申してるのじゃ!!慰めはいらぬ。事実じゃからの」
そう言いながら泣いているイザベルに、今度こそルイスは困惑を隠しきれなかった。
(イザベル嬢は一体何を言ってるんだ?性格は苛烈極まりないが、それでもこの美貌のおかげで信者がいるほどだぞ。
いつもスタイルを全面に押し出したドレスで誘惑しようとしてくるヤツの言うことか!?)
だが、涙をポロポロと溢す彼女が嘘を言っているようにはとても見えない。
「貴女は本当にイザベル嬢か?」
「残念ながらの」
馬鹿馬鹿しい質問にそう答えるイザベルは、ルイスの知っているイザベルではなかった。話し方や態度、雰囲気までもがまるで別人なのである。
(まさか別人だなんてそんなことがあるのか?頭を打った反動?)
考えたところで全く答えのでないことに面倒になり、本人を試すのが一番だろうと半ばなげやりにルイスは結論付けた。
「何が残念なんだ?イザベル嬢はいつも自分こそが世界の中心にあるべき人物で、美しいとは自身のためにある言葉だと言っていたではないか」
「やめてたもぉぉぉー。われは何という醜聞を撒き散らしておったのじゃ。あぁ、いとをかし。
皆がわれをみて笑っていたに違いあるまい」
ところどころ聞き慣れない言葉が入り理解できない部分はあったが、ルイスはイザベルが別人のようになったのだと確信した。
プライドばかりが高い彼女がこんな意味不明な言葉を喚くなんて通常ではあり得ない。何よりも自分を卑下するなんてことはあり得ないからだ。
ルイスが確信を持っている間もイザベルは泣き続けていた。
「そもそも、われはこんなにも我慢がきかぬ性分ではないのじゃ。それなのに、この面妖な体ときたら全くわれの言うことをきかぬではないか」
ルイスはそんな彼女を眺めていれば、今までは面倒で少しでも早く婚約を破棄したくて堪らなかったのが嘘のように可愛らしく見えてきた。
「ほら、そんなに泣かないで。大丈夫だから。イザベルは可愛いよ」
抱きしめて、小さな子供に言い聞かせるように努めて優しく言う。呼び捨てをしたことも可愛いなんて言ったことも一度もなかったが、今のイザベルには自然と言うことができた。
(こういうのを庇護欲って言うんだろうか。こんなイザベル嬢なら思わず何でも言うことを聞いてしまいそうだ)
初めての感覚に戸惑っているルイスだが、それ以上にイザベルは動揺していた。
(わっ……われは今、殿方に抱き締められておるのか。なっ何と破廉恥なのじゃ。
肌と肌が触れ合うてるではないか。そんなことをしては、身籠ってしまうかもしれないのだぞ)
平安のお姫様優位の記憶になっているイザベルは、そんなことで妊娠する訳がないこと、今まで散々ダンスを踊ることで体が触れあっていたことなど、記憶の彼方に放り投げていた。
「みっ……みみみみみみみ」
「ん?耳がどうした?」
「身籠ったらどうしてくれるのじゃーーー!!」
急にそう叫んだイザベルを流石のルイスも理解ができなかった。
だが、これは好機会だと直感で感じとる。
ルイスは短時間で今のイザベルを完璧に気に入っていたのだ。今までは自信過剰で性格がキツく苛烈極まりなかったが、今のイザベルはその逆。
自分に自信がなく、自身に対してコンプレックスを持っている。何より、非常に面白い。
「そうしたら、きちんと責任をとって結婚しようか。ねぇ、許嫁殿」
「へっ?結婚とな?」
ぶわあっと顔を赤く染めるイザベルにルイスは柄にもなく胸の高鳴りを感じた。
「可愛いイザベル。そんな可愛い姿を私の他に見せてはいけないよ」
ルイスは涙で濡れた頬に唇を落とし、満足げにもう一度抱きしめる。だが、イザベルが全くといってよい程に反応がない。
(おっかしいなぁ。さっきまでの反応からしたら絶対に何か言うはずなんだけどな)
「あぁ、気絶したのか」
平安乙女のイザベルには刺激が強すぎたのだ。
ルイスはイザベルをベッドに横たえた後、暫くその様子を観察する。
(何でこうなったのかは分からないけど、こっちの方が好都合だな。前のイザベル嬢では王妃は無理だ。それに、私も一緒にいると疲れてしまう。
だけど、今のイザベルであれば……)
ルイスは人の悪い笑みを浮かべた。この笑みをもしイザベルが見れば「悪人がおるぞ」と騒いでいたことだろう。
「今のイザベルなら公務なんて全て引き受けるから、ただ私の隣にいて欲しくなる」
愛を囁いているはずのルイスの顔は依然として悪人顔のまま。彼はどうやってイザベルを完璧に自分のものにし、周りの意見を抑え込んでさっさと婚姻するのか算段を立て始めた。
イザベルを嫁に貰うことを誓ったルイスではあったが、一つだけ厄介なことがあった。
(イザベルがあんなだったから、変わりに王妃にしようとしてた子をどうしようか……。もう用済みだから宰相か騎士団長の息子あたりに渡したいのだが、面倒なことになりそうだ)
そう、イザベルと婚約破棄する布石としてルイスは子爵令嬢との恋物語を演じていたのだ。もちろん、相手の令嬢はそんなことなど全くもって気が付いてはいない。
(どうせ、「イザベル様から私を守るために無理しないで!!」とか「愛のない結婚なんて寂しすぎるわ!!」とかくだらないことを言うんだろうな。
見た目も悪くないし、イザベルよりまともそうだからリリアンヌを選んだだけで正直彼女じゃなくても良かったわけだし)
自分の目的のためなら手段を選ばないルイスの本質を見抜いているのは幼い頃は教育係として、今は補佐として遣えてくれているレントンくらいだろう。
(とりあえず、さっさとリリアンヌを処分するか)
以前のイザベルならともかく、今のイザベルが聞いたら泣いて怯えそうなことを考えながらルイスは城へと戻った。
「おかえりなさいませ、ルイス殿下。……その顔は何か良いことでもありましたか?」
流石と言うべきか、レントンは他の人には分からないルイスの表情を完璧に読み取った。
周囲からすれば、いつもとどこが違うの?という感じだろう。
「聞いてくれて、レントン。私はイザベルとこのまま婚姻を結ぶことに決めた。1日でも早くイザベルを私のものにしたい」
「はいっ?この短時間で何があったのですか?」
その問いにルイスは嬉しそうにイザベルとの出来事を話した。
「なるほど。ルイス殿下のお気持ちは分かりました。ですが、仮にイザベル様が以前のようにお戻りになられたらいかがされるのですか?」
「王妃にしてしまったら仕方がないから、薬漬けにして監禁でもするよ。最悪、跡継ぎさえ生んでくれればどうにでもなる」
「程ほどになさってくださいね」
そう答えたものの、主人の発言に心の中で「どうにでもなるわけないだろ!?薬漬けとか絶対にやるなよ!!」と盛大に叫んだレントンであった。
さて、皇太子でありヒーローポジションにあるルイスだが、見た目もだが性格も王子だと周囲からは思われている。
実際、ルイスは乙女ゲーム『キミ☆コイ』のメイン攻略キャラクターであり、キラキラ王道王子様キャラとして登場している。
だがそれはヒロイン視点からみたルイスの姿が描かれているだけに過ぎない。
ルイスからしてみればヒロインであるリリアンヌに接近した理由は単にイザベルと婚約破棄をするためには他の令嬢が必要だったから。
その条件にリリアンヌは身分が低いこと以外は丁度良く、身分くらいならば世論を味方につければ問題ないとルイスは判断した。
だから、運命的な出会いを演出し、イザベルに虐められることなんて分かりきっていたから自分の手の者にイザベルとリリアンヌの周辺を探らせておいてタイミングを見て助けもした。
そんな偶然ばかりが起きて、運命的な出会いをし、ピンチには必ず駆けつけ、二人で困難を乗り越えていくなんて現実にはそうは起こらない。
ならば作り出せばいい。そうすれば、誰もが憧れる身分差の恋物語が完成である。
そうやって用意周到に作り上げた関係は、今やルイスにとってはゴミ同然。後腐れなく捨て去らなくてはならない。
何なら、リリアンヌを嵌めてイザベルへの世間の風当たりを弱めたいところなのだ。
一方その頃、目を覚ましたイザベルは恥ずかしさのあまり のたうち回っていた。
(なんということじゃ、殿方に抱き締められてしもうた。しかも、われと婚姻を結ぶと申してくださった……。
じゃが、こんな見目のわれでは るいす皇太子殿下が笑われてしまう。いち早く、みーあにあれを持ってきて貰わねば!!)
それから一週間後、イザベルのダメ出しにより何度も作り直させたそれは遂に完成した。
「みーあ、どうじゃ?」
「変です」
嬉しそうに それを着けているイザベルをミーアはバッサリと切り捨てた。
「何でじゃ?どこがおかしいと申すのじゃ……」
「どこがって全てですよ。何ですか、その変な顔は。これの何処が世界一美しい顔なんですか!!」
「みーあ、そちは目が悪いのか?この切れ長の目も、ふっくらとした頬も黒髪も素晴らしいではないか。これこそ、至上の美しさじゃ」
「絶対に変です!!皇太子殿下にもお聞きになったらどうですか?絶対に私と同じ事を言いますよ」
この一週間で、前世の記憶を思い出したことにより苛烈で傲慢な悪役令嬢から平安おかめ姫へと中身が変わった主にすっかり慣れたミーアは全力で反対していた。
「うむ……。みーあがそこまで申すのであれば、るいすの意見も聞いてみるかの」
「噂をすれば馬車が到着なさったみたいですね」
まだ一週間ではあるが、毎日通いつめたおかげでルイスは敬称なしで呼んでもらえるほどにイザベルと距離をつめていた。
そして今日もいそいそと会いに来たのだ。
「るいす、よく来てくれたの!!」
最初は少し強ばっていたイザベルの顔も今では笑顔でルイスを出迎える。そして、今日も輝かしいばかりの笑顔を想像していたルイスはイザベルを見て固まった。
「……あー……えっと、何だ…………。イザベル、そのお面はどうした?」
「職人に頼んで作ってもらったのじゃ!!美しかろう?」
自信満々のイザベルにルイスは困惑した。
(最近、自身のことを不細工だとやたら言うと思ったら、このお面が美しいだって!?価値観の違いだろうが、これはない。
だが、否定してがっかりした姿も見たくはないし……)
「ほら、皇太子殿下も黙ってらっしゃるじゃないですか。変だってことですよ」
「あまりの美しさに声を失っているだけかもしれぬではないか!!」
「いーえ、あれはお困りの顔ですよ」
「そうとは限らぬ!!」
「どっちですか?」
「どちらじゃ?」
(うわっ!!止めてくれ。私に聞かないでくれ!!)
二人同時に聞かれたルイスは生きてきたなかでこんなに困ったことはない……と思うほど迷っていた。
しかし、その迷いはこの後のミーアの一言で完璧に払拭される。
「イザベル様、その変なお面をつけてこれから生活されるおつもりですよ」
「イザベル、残念ながらそのお面は一般的に受け入れられない。諦めよう」
「そんな……」
(何故じゃ何が悪いのじゃ。こんなに美しゅうできておるのに。やはりあれか?ちと目が大きすぎたかの……)
「やはり目はもつ少し細くした方が良かったじゃろうか」
「違う!!」
「違います!!」
小さく呟いたイザベルに対し、ルイスとミーアは全力で即座に否定したことで声が重なった。
「そこまで否定しなくとも……」
「いいか、イザベル。この世で一番美しい女性は貴女だ。この変なお面は一般的な美から程遠い。
頼むから可愛い顔を私に見せてくれないか。ころころと変わるイザベルの表情が好きなんだ」
「そうですよ!!イザベル様のお顔は最強です。武器ですよ。それを隠すなんてもったいない!!」
(へっ変……とな?このお面こそが美じゃと信じておった われは一体……)
ルイスが好きだと言っていることも『変』の一言でイザベルの耳に全くと言って良いほど入ってこない。
「われはこれからどうすれば……」
「「つけなければ良い(んですよ)」」
「うぅ……無念」
胸に『おかめ』な、お面を抱き締めてイザベルは肩を落としたのだった。
それからまた少し時が経ち、今日は舞踏会の日だ。
今のイザベルの好みとミーアのアドバイスで作られた桜色のドレスを着たイザベルは、今すぐにでも布団に潜り込んで隠れてしまいたい衝動に耐えていた。
「これは肌が見えすぎではないかの。われは破廉恥だと思うのじゃが」
「何言ってるんですか?以前はもっと露出されていたじゃないですか」
「うぐぅぅ……」
「お綺麗ですよ。世界中の誰よりも」
「みーあ……」
「だから、その変なお面をつけようとするの止めてくださいー!!」
「みーあ、返すのじゃ!!ほら、いい子じゃから」
イザベルは奪われたおかめのお面を取り返そうと懸命に手を伸ばす。だが、次のミーアの言葉でピタリと動きを止めた。
「お面をしたら、髪も崩れちゃいますよ」
「それはならぬ」
意外にもあっさりと手を引っ込めて諦めたことにミーアは目を瞬かせた。
「……いいんですか?」
「みーあが結い上げてくれた髪が崩れるのじゃろ?ならば、諦めるしかあるまい」
(でも、あんなにお面に執着してたのに?)
そんなミーアの疑問に気が付いたのだろう。イザベルは言葉を付け足していく。
「われがうねうねした髪を嘆いたから、われのためにと、みーあがしてくれたものじゃ。お面も大事じゃが、それよりも大切なものもある」
「イザベル様……」
「じゃが、肌の露出はちと抑えられぬかの?」
折角の感動の場面をぶち壊しながら、イザベルは胸元を見た。
イザベルのドレスは今までのイザベルのように胸を強調するものではない。
だが、鎖骨が見えているデザインは中身が平安姫のイザベルにとって恥ずかしさしかない。
「イザベル様のご希望通り、着物でしたっけ?袖をほらこんな変わった形にしましたし、足も見えませんよ。ちょっとくらい肌を見せるのはサービスです」
「さーびす?」
「はい。男の人はうなじや細い首、鎖骨なんかでもドキッとするらしいですよ」
ドレスの形は、桜色の着物をはだけさせたようにし、スカート部分はマーメイドラインになっている。腰はシャンパンゴールドの帯のようなもので思考を凝らして豪華に結びあげている。
今のイザベルは胸を強調するわけでもスカート部分にスリットを入れて足を露出するわけでも、背中が大きく開いたドレスを着ているわけでもない。
少しだけ溢れんばかりのイザベルの胸の谷間は見えているが、他の露出はない。他の令嬢と比べても露出は少ないくらいだ。
(隠すことによって溢れる色気ってあるのね……)
などと感心していれば、ミーアはイザベルの戸惑うような視線を感じた。
「……るいすも、どきっとしてくれるかの?」
「もっ、もちろんですとも!!今のイザベル様を見てドキッとしない男性なんて、不能か、少女趣味か、男色家しかいません!!
このミーア、命を懸けて保証いたします!!」
「いや、命は大切にした方が良いぞ」
突っ込みどころがずれてはいるものの、ミーアが興奮し出したことにより冷静さを取り戻したイザベルはそろそろ諦めることにした。
ルイスにドキッとして欲しいというのが大半だが、今更ドレスを変えるなんてことはできないのだと分かっていたからだ。
「皇太子殿下、喜んでくれるといいですね」
「うむ……」
頬を赤らめて俯くイザベルは冗談抜きに世界一可愛いとミーアは思った。
着物風のドレスを纏い、髪を結い上げ、今までとは違う薄めの化粧をし、低めのヒールの靴を履き、装飾品は髪以外はあえて外した。
しっかりと準備が終えた頃、ルイス皇太子殿下が迎えに来た。舞踏会に参加するのに迎えに来たのは実は初めてのこと。
イザベルを面倒に思っていたルイスは現地集合、現地解散を基本としていた。
今までのイザベルとは違う。そう分かっていたルイスだが、イザベルの姿を見て度肝を抜かれた。
「あの、いかがでしょうか?」
恥じらいながら俯くイザベルのうなじが艶かしくて、視線が外せない。
「……あぁ、いいんじゃないか?」
何とも気の利かない答えに、しゅんと落ち込むイザベルも可愛くて、このまま閉じ込めて朝まで二人で過ごしたいという欲求が沸き上がる。
だが、これから行く舞踏会でイザベルとの仲を見せつけ、周りを牽制し、さっさと婚姻まで漕ぎ着けることが先決だと気持ちを切り替える。何より、イザベルを落ち込ませたままでいるわけにはいかない。
「すまない。あまりの美しさに緊張してしまい、冷たい態度をとってしまった。
イザベル、きれいだよ。可愛すぎて誰にも見せたくないくらいだ」
その言葉に、パアッとイザベルは無邪気な笑顔を見せた。始めて見るイザベルの表情にルイスは胸の高鳴りを感じた。
けれど、それに気が付かないふりをして、イザベルが馬車に乗るのをエスコートしてから隣に座る。
「見たこともないドレスだ。とても似合っている。誰のデザイン?」
「われと、みーあで考えて職人に作って頂いたのじゃ」
「イザベルと侍女のミーアで?」
「われはもっと露出の少ないのが良かったのじゃが、みーあがこの方が良いとアドバイスをくれての。るいすは、その……肌が見えているのは好きか?」
打算のない上目遣いの破壊力は凄まじい。このことをルイスは初めて知ることになった。
「それは、その人の好みによるんじゃないかな」
「われは、るいすの意見を知りたいのじゃ!!」
逃げの一手をとったルイスだが直球のイザベルは真っ直ぐに再度問いかける。
「どうして、イザベルは私の好みが知りたがるんだ?」
「……るいすが喜んでくれなければ意味などない。われは、少しでも るいすに好いてもらいたいのじゃ。……迷惑かの?」
(これは、もう逃げられない。捕まってしまったな)
散々イザベルを自分のものにしようと今日まで計画を立て、ヒロインを捨て、外堀を埋めてきたにも関わらず、ルイスは自身の判断が鈍るのではないかと気が付かないふりをし続けてきた。
(まさか、私が恋をするとはな)
自嘲気味に笑いながらも満更ではないことが自身でも分かっていた。
「イザベル、とても私の好みだ。もう、離してやれないから覚悟しておけ」
そう告げるとルイスはイザベルに口付けた。
唇と唇が一瞬だけ触れ合うような可愛らしいそれに、イザベルは顔を真っ赤に染めた。そして、すぐに青ざめるという芸当を繰り返す。
(接吻をしてしもうた。これがときめきというものか……。あぁ、じゃが夫婦の儀も挙げてないというのに、破廉恥じゃ。身籠ってしもうたらどうすればいいんじゃ……)
今世でのイザベルの記憶では性交をしなければ身籠るはずもないことをきちんと理解しているのに、イザベルはパニックになると平安姫の乙女思考一択になってしまいそのことに気が付けなくなる。
「私の可愛いイザベルは何を考えているのかな?」
「わっわわわ私のじゃと!?」
「そうだ。私の可愛い許嫁のイザベル。直ぐにでも結婚しような?」
花が綻ぶようにイザベルは笑う。
そこからはキスとプロポーズのおかげで平安乙女のイザベルは夢見心地だった。
どのくらい夢見心地だったかというと、舞踏会に到着して様々な視線にさらされても、自己評価が非常に低いイザベルがほとんど気にならなかった程には浮かれていた。
大勢の人がルイスが誰を連れているのか……と探り、ルイスが仕込んでいた通りにイザベルだと判明させ、噂が噂を呼び、その噂すらも舞踏会に紛れ込ませている配下によって管理させる。
そして、イザベルを階段から突き落としたのが、『キミ☆コイ』ヒロインのリリアンヌ、つい最近までルイスがイザベルの変わりに婚約者として据えようとしていた人物であるという噂が流れ出す。
その噂は瞬く間に真実のように囁かれていく。
最終的には、『心を入れ替えたイザベル公爵令嬢に優しく接するようになったルイス皇太子殿下。そのことに対して不満を持ったリリアンヌが、嫉妬の末にイザベルを階段から突き落とした』という内容で噂は落ち着いた。
面白い噂が大好きな貴族達は、この短時間で完成した噂をあたかも真実のように話し、リリアンヌへの視線は冷たくなっていく。
イザベルの見た目と雰囲気、話しかけた際にルイス皇太子殿下の一歩後ろから遠慮がちに話す姿に嘘だなんて疑いもせずにイザベルが変わったのだと信じる者。逆らうと後が怖いと口を閉じる者。面白ければ何でも良い者。
今までは世間がリリアンヌの味方をしていたが、自分達より低い身分のリリアンヌがルイス皇太子殿下を射止めたなんて面白くないと思っていた高位貴族はこぞってリリアンヌを悪く言い始める。
リリアンヌに優しいのは、リリアンヌの取り巻きのみだった。
そんな状況に立たされた被害者であるリリアンヌは、今もまだルイスのことを信じていた。
自分との別れを切り出したのも、私をイザベル様から守るため……と信じて疑ってもいないのだ。
だから、リリアンヌはルイスの元へと向かった。それが、これから自身に起きる悲劇の始まりだとも知らずに。
その頃、ルイスとイザベルはというと仲むつまじく腕を組み、貴族達からの挨拶を順番に受けていた。
イザベルは自身を醜いと思い込んでおり、話し言葉が他の人とずれてしまっていることを自覚しているので最小限の会話に留めていた。
それでも出会う人 全てに美しいと褒めてもらうことで、容姿への劣等感は少しずつ薄まっていく。
そんな最中、小柄で可愛らしい容姿の令嬢がこちらへとやってくる。
けれど、その令嬢の容姿もイザベル基準では決して可愛いものではないため、イザベル自身は特に何とも思わなかったのだが。
「ルイス様!!」
ルイスを呼ぶその姿に会場中の視線が彼女へと向けられた。
「これは、フォーカス子爵令嬢。そのように私の名を気安く呼ぶのは止めてもらおうか」
既にリリアンヌへの想いは何もないと周囲に分かるようにルイスは言った。
「そんな、他人みたいに呼ばないで!!私とルイス様の仲でしょう?」
「私と貴女は他人だが?何を勘違いしているのか知らないが、最初から貴女は特別な間柄ではなかった」
「そんな……」
大きな瞳に涙をいっぱい溜めたリリアンヌは庇護欲をそそるのだろう。取り巻きの宰相の子息や騎士団長の子息等、5人の高貴な子息が慰めている。
「ありがとう。私、負けないわ」
(いったい、何と戦っておるのじゃろう。それにしても男をあんなに引き連れて、ふしだらな女じゃのう)
他人事のようにルイスにくっついたまま様子を見ていたイザベルをリリアンヌは睨み付けた。
「イザベル様!!今までの嫌がらせは全て許してあげます。だから、ルイス様を解放してください!!」
(……戦う相手はわれであったか!!)
と驚きながらもイザベルは曖昧に笑う。そして、リリアンヌとのイザベルの記憶を思い出す。
(そもそも下級貴族であるのに礼儀のなってない、りりあんぬにも原因はありそうじゃな。まぁ、以前のわれも悪いのだが。
仕方があるまいの。るいすと恋仲にあったのは事実のようじゃし、認めてやるか)
「よし、分かった。りりあんぬ、そなたを妾として、われは認めよう。これで良いか?」
その言葉に会場内はこおりついた。
「イザベル、何を言ってるんだ?」
「あれは、るいすのお手付きなのじゃろう?」
「ついてない!!」
「そうか?ならば、われとあの女の勘違いか?」
真っ直ぐに見詰めてくるイザベルに流石のルイスも言葉が詰まった。だが、ここでルイスも引くわけにはいかない。
そこにリリアンヌが今だ!!とばかりに叫びだす。
「ルイス様は、私を愛しているのよ!!ルイス様を想うのであれば、イザベル様は身を引いてください!!」
こてりと首を傾げてルイスをイザベルは見る。その姿は「そうして欲しいのか?」と聞いているようでルイスは内心慌てていた。
「私はフォーカス子爵令嬢を愛したことなど一度もない。勘違いをされては困るのだが」
「でも、私といると楽しいって……。それに、イザベル様といるよりも私といる方が心が安らぐと言ってたじゃない」
「それは、変わる前のイザベルの話だ。私はイザベルを愛している。イザベル以外を娶るつもりもない」
「嘘よ!!そんな高慢な女のどこがいいのよ。私の方がいいじゃない。欲しい言葉をあげたでしょう?私といると満たされるでしょう?これからもルイスの欲しい言葉を行動をあげるわ!!私には貴方の全てが分かっているんだもの!!」
肩で息をしているリリアンヌの呼吸の音までも聞こえそうな程に会場内は静まり返った。
「りりあんぬ、そなたは阿保じゃの」
「そんな変な話し方してるあんたになんか言われたくないわよ!!何で急にゲームから外れるの?信じらんない!!今までの苦労が全部水の泡じゃないの」
「話し方はすまんの。あと、何を言いたいのか、われには分からぬ。
じゃが、りりあんぬが阿保で、数多の男を侍らせて喜ぶふしだらであることだけは分かった。
周りを見回してみい、そなたのしたことの大きさが分かる」
その言葉にハッとしてリリアンヌが周りを見れば、取り巻き達もが距離をとっている。唯一、リリアンヌの傍に残ったのは騎士団長の子息のみだ。
リリアンヌは可愛らしいとよく言われる顔を歪めて小さく舌打ちをした。
(よりにもよって、残ったのは騎士団長の子息か。……終わってるわ。
こうなったら、さっさと死んで次の人生にいくしかない)
「悪役令嬢のくせに幸せになろうとするあんたも道連れにしてやる!!」
そう言うや否や、ゼンの帯刀していたレイピアを抜いてイザベルに向かって走り出す。
リリアンヌは可愛い見た目に反して、前世ではやり投げの選手だった。そんな彼女の狙いはイザベルのみ。
護衛が近付いたのが分かったので、レイピアをイザベルに向かって投げた。
綺麗な放物線を描き、レイピアはイザベルへと飛んでいく。だが、そのレイピアも何処かから飛んできた暗器によって床へと落ちた。
カラン カラン カランッ……
あまりの事態にイザベルはあんぐりと口を開け固まったまま、ルイスに庇うように抱き締められている。
「フォーカス子爵令嬢を捕らえろ」
ルイスの一言で、あっという間にリリアンヌは捕らえられ、床に這いつくばった状態になった。
「悪役令嬢は幸せになんてならないわよ!!もがき、苦しみ、死ねばよかったと思う人生が待ってるんだから。次こそは斬首刑にしてやる!!」
床に頭を押し付けられても、リリアンヌはイザベルへと叫び続ける。
そんなリリアンヌにイザベルはルイスの腕から抜け出して目の前にしゃがみこんだ。
「りりあんぬは、あやかしにでも取り憑かれておるのか?変じゃぞ」
命を狙われたにも関わらず『変』の一言で片付けたイザベルに、ルイスは目を見張った。
「われは巫女ではないからの。あやかしを祓うことはできぬのじゃ。すまんの」
「……あんた、いつの時代の人?」
「いつ……とな?」
「あーもー!!源氏物語って知ってる?」
「紫の上の作品じゃの。あれも趣があって良かったのぅ。われとしては今昔物語の方が好みじゃけどな。必死に書き写したものじゃ。懐かしいのぅ。おや、そちもわれと同じかの」
イザベルとリリアンヌの二人で誰もが知らない話をしているのは異様な光景だったであろう。
だが、その声が聞こえているのは幸いにもルイスとゼン、そして取り押さえている騎士のみである。
「あんたは平安だけど、私はもっと未来。あーぁ、まさか平安女に負けるなんてね。
なんか、急にどうでもよくなっちゃったー。ゼンも今までありがとね。もういいよ。あっちに行きなよ」
取り押さえられて指一本動かせないリリアンヌは視線で他の取り巻き達を見た。
だが、ゼンは首を横に振りそれを受け入れない。
「俺はリリアンヌの傍にいたい」
「だから、そういうのはもういいよ。これから先、傍にいてくれたからって欲しい言葉もあげるつもりないし」
「別にいらない。リリアンヌが笑ってくれることが俺の望みだ」
その言葉にリリアンヌは顔を歪め、困った子供を見るような視線をゼンへと向けた。
「残念だけどもうすぐ私は死ぬから、それも叶わないよ。そうでしょ?ルイス皇太子殿下様?」
「そうだな」
「駄目じゃ!!」
イザベルとルイスの声が重なり、顔を見合わせた。
「フォーカス子爵令嬢は時期王妃の命を狙った。死をもって償わせる」
「駄目じゃ。われは無事でかすり傷一つない。それに、われは、りりあんぬと今しがた友になった。友を殺させる訳にはいかぬ」
「「はぁ!?」」
ルイスとリリアンヌの気持ちは一つとなった瞬間だった。
「命を狙ったやつと友になどなれるわけないだろ!!」
「そうよ。あんた、どっかおかしいんじゃないの?私が生きてたら危ないって思いなさいよ!!
ここは私が全ての罪を被って死んで大団円ってとこでしょ!?」
リリアンヌの発言にイザベルは首を傾げ、ルイスにしか聞こえないように呟いた。
「りりあんぬを使って、随分と自分の良いようにしようとしてるようじゃの。じゃが、あれを殺せば、われは生涯るいすに心許すことはない」
「何のことだ?」
「分からぬなら、それはそれで良い。われと話す気がないということじゃな」
ルイスがイザベルに白旗を上げた瞬間だった。
「分かった。イザベルはどうしたいんだ。流石に無罪という訳にはいかない」
「王宮の一室で幽閉かの。できれば、われの部屋となる予定の部屋から近い部屋で頼む」
「理由は?」
「話し相手がおらぬとつまらぬじゃろ?」
イザベルの言葉にルイスは大きく溜め息を吐いた。
「分かった。幽閉は譲ろう。だが、場所は牢獄だ。イザベルの願いならば、その中でも過ごしやすい牢に入れよう」
「……そこは、われも遊びに行けるかの?」
リリアンヌに会いに行こうとするのを止めないイザベルにルイスは頭が痛くなってきた。
だが、可愛いイザベルを殺そうとしたヤツの傍には行かせたくないので、何としてでも説得をしなければならない。
「遊び相手が欲しいなら他の令嬢にしてくれ」
「嫌じゃ。われには誰もが遠慮して本当のことを言わぬ。本心を言ってくれたのは、るいすとみーあ、それから……そこにおる、りりあんぬだけじゃ」
イザベルは記憶が戻る前から、案外周りを見ていた。
冷静にさえなれれば彼女は王妃の素質はあったのだ。だが、カッとなりやすく、自己中心的過ぎる性格なため、素質はあれど務まる器ではなかったのだが。
「それに、りりあんぬは本当に殺そうとは思っておらん」
「どういうことだ?」
「飛んできた軌道が少し左にずれておった。あれでは、腕しか怪我をさせられぬ」
(何でレイピアの軌道が分かる?だが、嘘をついているようには見えない)
ルイスは、イザベルがリリアンヌを助けるために嘘をついているのではないか……という疑いを持ったが、あまりにも自信満々に言うので疑惑を打ち消すことにする。
「あれだけ綺麗に投げられるのじゃ。迷いがなければ、或いは最初から命を狙っていないとしなければ心の臓など簡単に捕らえよう。
のう、りりあんぬ。そちはどうしたい。やはり、死にたいか」
真っ直ぐにイザベルはリリアンヌを見る。その視線に耐えられなくて、リリアンヌは視線を逸らした。
「別にどっちでもいい」
不貞腐れたような言い方にイザベルは笑った。
(自ら命を絶つのが怖いと、他者にさせようとした子が、随分と前向きになったようじゃの)
「ならば、生きよ。生きて償うのじゃ」
イザベルがそう告げた瞬間、割れんばかりの拍手が起こった。
「イザベル皇太子妃 バンザーイ!!」
誰か一人がそう言えば、次々と皆が口にする。
そうして、気がつけば会場内はイザベルを次期王妃として認める雰囲気となっていた。
「なっ、何なんじゃ!?」
おろつくイザベルにルイスはにんまりと笑う。
(予想外ではあったが、これはこれで良い結果となったな。これでイザベルを直ぐにでも私のものにできる)
ルイスはイザベルの細い肩を抱き、小さな声で話しかける。
「月に1度であれば会わせよう」
そう言うとルイスはイザベルのこめかみに口付け、会場内は更に盛り上がったのだった。
それから、王族としては異例の早さで婚姻の準備がされ、イザベルとルイスの結婚式の日がやってきた。
真っ白なウェディングドレスを纏ったイザベルの手には、おかめのお面が握られている。
「イザベル様、いけません!!」
「じゃが、りりあんぬが良いと言った!!」
「絶対にリリアンヌ様は面白がっているだけです。本気にしてはいけません!!」
イザベルとミーアがお面の奪い合いをしていれば、ルイスがやってきた。
ミーアはその隙を狙ってお面を奪い取るとそそくさと部屋を辞した。
「イザベル、似合っている。誰にも見せたくないくらいだ」
「ならば、おかめのお面をつけようぞ!!」
どこからともなくスペアのおかめを取り出してイザベルは嬉々として言う。
「……というのは嘘で、私の妻だと自慢して歩きたいほどだ。だから、そのお面は閉まっておこうな」
またしても、おかめを没収されてしまいイザベルは口を尖らせた。
(りりあんぬは、おかめのお面を最高だと褒めてくれたのに、何故、他の者には伝わらぬのじゃ。やはり、生前の記憶の有無じゃろうか)
そんなことを考えていればイザベルの前に影が差し、イザベルの唇にルイスのそれが合わさった。
未だにドキドキするが、いくらか慣れ始めた口付けにイザベルはそっとルイスの背中に手を回す。
少しの時間、口付けを交わしていた二人だが、名残惜しそうにルイスから離れた。
「ふふっ。紅がついておるぞ」
そう言ってルイスの唇にソッと触れるイザベルは魅惑的で、ルイスは理性を総動員してグッと我慢する。
(終われば初夜。終われば初夜。終われば初夜……)
最早、煩悩の塊でしかないがそんなことを知らないイザベルはルイスに微笑む。
「皆が祝福してくれるなんて、楽しみじゃの」
「そうだな」
遂に国民への顔見せの時間がきた。二人でバルコニーへと続く扉の前に立てば、イザベルは緊張で頭がくらくらとするのを感じた。
そんなイザベルを励ますかのように、ルイスの手が繋がれる。
「イザベル。私は冷たく未熟な人間だ。
人として間違えることもあるだろう。イザベル以外をどうでも良いと蔑ろにすることもあるだろう。
それでも、私の傍にいて欲しい。共に歩んで欲しい。
イザベル、貴女を愛してるんだ」
繋がれたルイスの手が少し震えていることに気が付いたイザベルは、優しく包むように握り返す。
「われよりも皇太子妃に相応しい者もおるじゃろう。
われよりも るいすの心境をおもんぱかることができる者もおるじゃろう。
われとて同じじゃ。
それでも、るいすと共に生きていきたい。われとて、るいすのことを愛しておる。
共に悩み、迷いながら進もうぞ」
視線が交ざり、微笑み合う。
そして、二人同時にバルコニーへと足を踏み出したのだった。
ー本編ENDー
【番外編:平安姫、牢屋へ行く】
ルイス皇太子殿下と悪役令嬢に転生した平安時代のお姫様のイザベルが結婚する少し前の頃、月に1度だけ行くことが許されているリリアンヌのいる牢獄へとイザベルがやってきた。
「りりあんぬ、会いに来たぞ!!」
「……何その大荷物」
リリアンヌは、牢獄へと来るには不釣り合いなたくさんの荷物を指差した。
「一週間ほど泊まろうかと思っての」
「はぁ!?」
(イザベルがこっちの常識が通じないのは知ってたけど、まさかそんなことをする?
絶対、皇太子が慌てるやつじゃん。おもしろっっ!!)
リリアンヌは大荷物を持ち、牢の鍵を開けたイザベルを牢の中へと迎え入れた。
牢の中とは言っても、ドアと窓が鉄格子になっているだけで普通の部屋である。というか、イザベルがそうした。
初めてリリアンヌの牢へと来た時、イザベルは「ルイスめ、これの何処が過ごしやすいのじゃ。馬鹿げたことをぬかしおって!!」と烈火のごとく激怒し、自らのベッドや絨毯、テーブルなどを持ち込み、私財を費やしてドアと窓以外の鉄格子の箇所を壁にし、隣の牢との壁を壊して部屋の拡張をさせたのだ。
勿論、その時にトイレを綺麗なものに変えて、お風呂も設置した。
当然ながら、全てにおいて誰の許可も取らずにイザベルの独断で決行したのだが、何処からもお咎めなしのまま現在まできている。
因みにルイスも決して嘘は言っておらず、牢の中では暖かく、過ごしやすいようにと独房にしてくれていたのだが、その気遣いは全くイザベルには響かなかっただけなのだ。
「イザベルのお陰で快適になったわけだし、好きなだけいていいよ。ゼンが来るかもだけど、そこは気にしないで」
「おや、ゼン殿は毎日来られるのか?」
「来なくていいって言ってるのに、あいつだけは来るのよ。他の奴等は1度も来てないけどね」
ふんっと鼻を鳴らしながらリリアンヌは言うが、その耳が赤いことをイザベルは見逃さなかった。
(ふむ。無事に進展しておるの。ここは口出しせずに見守るのが良いか……)
「まぁ、本性を表して一人でも残ったのじゃ。御の字であろう」
「あんた、結構言うわよね」
その後、イザベルの持ってきたお土産のケーキを二人で食べる。お茶は何故か客で公爵令嬢であるイザベルがいつも淹れるのだが、そのことを疑問に思うものはいない。
「それで、何で急に泊まりに来たわけ?いつも日帰りだったじゃん」
「われ、気付いての。月に一度だけとは言われておったが、宿泊不可なんて言われてないとな。婚儀が終われば、それこそ泊まりに来るのは難しゅうなるかもしれん。
われも 青春というものをしてみたくての」
「青春が牢屋ってどうなのよ」
「われの友は、りりあんぬだけじゃ。哀れに思うなら、一緒に外に出てくれぬか?われは何時でもリリアンヌが出られるように、わざと厠の時に鍵を出しておったんじゃが」
「……厠って何?」
「といれじゃ」
リリアンヌは「へぇ……」と返事をしながらも、ケーキからイザベルに視線を合わせた。
「何?イザベルは私に脱獄して欲しいわけ?」
リリアンヌの言葉が静かな部屋の中に響く。
「あれからもう三月。そろそろ良いじゃろ。ここから離れた地で暮らせば誰にもバレぬ」
「そしたら、あんたが逃がしたことがバレるけど、どうすんの?」
「どうもせぬ。そもそも、りりあんぬからの被害者はわれじゃ。それを勝手にるいすが罰したのじゃ。
じゃから、われも好きにしても良かろう」
何とも自由な発言にリリアンヌは溜め息をついた。そして、少しだがルイスに同情した。
「そしたら、私と会えなくなるけどいいの?」
「それは……、まぁ仕方なかろう。友の幸せもまた、われの幸せじゃ」
「ってか、そもそもここ快適だし。今のとこ、逃げる気ないよ」
少しの沈黙が落ちる。そして、イザベルは自分の過ちに気が付いた。
(われか、われが原因か!?りりあんぬが安穏と暮らせるようにしたのが悪かったのであろうか。
じゃが、ずっと牢にいたいなどと思うとは予期できぬぞ)
「……ならば、りりあんぬは生涯をここで終える気なのか?」
「さぁ?出る理由がないだけで、そのうち理由ができた時にイザベルが出してくれれば出るかもね」
気儘に言うリリアンヌにイザベルは時を待つしかないのかもしれないと、この場では諦めた。
そしてその日の夜、イザベルとリリアンヌは同じベッドで横になっていた。
「本気で泊まる気だったんだね」
「われは嘘はつかぬ。りりあんぬこそ、本当は出たいのではないか?」
「今出たら、牢にいるより辛い目に会いそうだから嫌。確かにここはつまんないけど、イザベルもゼンも来てくれるしね」
「ならば、ここで何かを極めてみてはどうじゃ?何かやりたいことはないのかの」
その問いかけにリリアンヌはぼそりと呟いた。
まさかその一言が今後を大きく変えるとはリリアンヌは思いもしなかった。
翌日、牢の中には白地の高級そうな布や糸、レースなどが溢れんばかりに届けられた。そして、それと一緒にミシンや宝石も。
「まさか……」
「うむ、どれす作りをしたいと言ってたじゃろ!!われの結婚式のどれすは、りりあんぬに任せたからの!!」
リリアンヌの腕も知らず、当たり前のように依頼してくるイザベルにリリアンヌは一瞬目眩を感じた。
(でも、これってチャンスだよね。衣装作りでミニスカウェディングドレスも作ったことあるし……)
リリアンヌは前世ではコスプレが大好きで自ら布を裁断し、ミシンで縫い、コスプレ衣装を作り上げてきていた。そんな彼女からすればコスプレではなくても、久々にミシンを使うことは非常に魅力的であった。
「失敗するかもしんないから、予備のドレスはあんたが用意しときなさいよ!!」
その言葉からイザベルのウェディングドレス作りは始まった。
そして、そのウェディングドレスは大流行することになる。
いつの間にか牢にドレス依頼に来る令嬢が増え、令嬢達からの嘆願とイザベルのお願いによりリリアンヌが釈放されるまではそう遠い未来ではなかったのだった。
番外編END
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完結済の『溺愛?執着?転生悪役令嬢は逃げ出したい!!』の元となった短編です。もし、よろしければそちらの長編も楽しんで頂けると嬉しかったです!
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