あなたのこと鑑賞します
その男は突然現われた。私の目の前に。文字通り目の前に。そして無精髭を生やした顎に手を当て、私のことをしげしげと眺めはじめたのだ。
確かに私は身動きしていなかった。できるだけ身体は動かさずに視線だけを動かしお客様の邪魔にならないよう美術品の警護に当たるのが私の美学だったからだ。
主役はあくまでも飾られている絵画や美術品。私の存在は黒子のようでなければならない。
それが裏目に出たのかもしれない。もしかするとこの男には私が展示品のマネキンにでも見えたのかもしれない。確かに私は普段からよくお人形さんみたいと言われる。
私は自分が人間であり展示品ではないことを示す為に、少し動いた。右に半歩分くらい。
すると男もそれに合わせて動き、私の目の前に立った。そしてしげしげと私を見つめることを再開したのだ。
これではっきりした。男は確信犯であり愉快犯だった。
私は、男のことをきっと睨み付けた。
けれど、男はそんな私の反応をも楽しむかのように、私のことをしげしげと眺めつづけた。
私はとても不愉快になった。とてもとても不愉快になった。
「やめてください」
私はついに言葉を発した。他の客には聞こえないよう小さな声で。
「私は展示品ではありません」
その途端、男は吸い込まれるように姿を消した。姿を消した先には絵があった。その絵の中に、男はいた。男は、実物の人間かと思われるほど精巧に描かれたその男は、無精髭を生やした顎に手を当て、やはり私のことをしげしげと眺めていた。
私は、その絵を監視する美術館の監視員だった。
ふいに視線を感じて首を傾けると、その絵の中の男とは似ても似つかない、色白の華奢な男が、驚いたような目で私を見ていた。
私はすぐに元の位置に戻り、それからは身動きをせず、黒子のように監視にあたった。
色白の華奢な男は、絵画を守る白いテープの外側で、無精髭の男をしげしげと見つめ返していた。