狂気
縛られていたナハトを解放したイツキたちは、荷馬車に乗り込み、ディランを目指していた。
ナハトは今回の事件の発端となった魔薬を売っていたのが、彼らにばれたことで、少し気まずさを表情に出していたが、あのまま組織に監禁されて、いずれは殺されていたかもしれない事を考えると、イツキたちには恩を感じていた。
「イツキさん、すみませんでした。」
「なんのことだ?」
「僕の売っていた薬の事です、この薬のせいで、街が大変な事になっているという事は分かっています。」
確かにギルドを巻き込んで、多くの冒険者や、ディランの街の人間たちが危険に晒されている。
その原因となった魔薬を売っていたナハトは、決して許されることではないだろう。
もちろん街に着いた後、ナハトには責任をとって、ギルドに出頭にはなるだろう。
しかし、イツキはその時ギルドに少しだけ、口添えをしておこうとは考えていた。
確かにナハトの売っていた薬草は悪用されて、魔物達を狂暴化させられたりはしたが、悪意をもってしたのは組織の男であって、新種の薬草が売れるから、売っていただけに過ぎない。
結果だけ見れば諸悪の原因はナハトにあるが、この薬は使い方を間違えなければ、新薬になる可能性さえあった。結局は使い方の問題だったのだ。
商品として売れると分かれば、売るのが商人である。
その事に他者がどういう考えに行きつくかで結論は変わるだろうが、生活の為に商人の性格上、薬を売っていたナハトを、そこまで攻めるつもりは無い。
結果的にギルドがどういう判断をするかまでは、責任を持つつもりはないが、ナハトが商人として再起できるようには、リキスには言うつもりではある。
「これに懲りたら、次はもう少し考えて商売することだな。気持ちもよくわかる。」
イツキがそう言うと、ナハトは優しい言葉に、目を潤ませ始めた。
「すみませんでした。」
「甘い売買には、大いなる責任が伴う。そして前へ進め。お前の薬が原因で、中には怪我人が出ているのも確かだ。それを忘れないことだ。」
ギルドの依頼を受ける冒険者は、死を覚悟して依頼を受けてはいる。
だが、街の人々は直接被害を受けてはいないといっても、怖がらせていることは事実である。その責任をとることは仕方のない事である。
「分かっています。一度は失った命だと思えば、何度でもやり直す覚悟は、出来ています。」
その言葉を聞いてイツキは頷いた。そして荷馬車は、ディランの街道に到着する。
このまま真っすぐ道沿いに進めばディランの街につくだろう。だがそこで和装に身に纏った男が、荷馬車が来るのを待っていたかの如く立っていた。
「なんだ?
その存在に気づいたイツキが、訝し気に声を出す。
「どうしましたかイツキさん?」
そんなイツキの視線の先を追って、ナハトも男の方を見る。
「こんな街道に和装の男性が一人で、立っているのは珍しいですね。」
その男は、自分を仮死状態にさせた哀華の仲間だと知らないナハトは、呑気にそんな事を言っていた。
「これはイロハの血の匂い…。」
イツキは男からイロハの血の匂いを微かにかぎ取った。
「哀華に聞いた通りじゃな。しかしまさか生きてるとはな。」
和装を着た女は、イツキを見てニコッと笑顔を浮かべた。
「この妖気は…あの女と」
「儂はお主の事を知っている。お主は儂の事を知らない。」
イツキは異な事を言う男の、その言葉に眉を寄せる。
「うふふふ、そんな態度を儂にとっていいのじゃな?大切な者がこの世を去る。」
ナハトに先へ行くように、促そうとしていたイツキの口が閉じられる。
「どういうことだ!イロハをどうした!」
「少し話に付き合ってもらえるかのぅ。」
「ちぃ…お前を無視する訳にはいかなくなった。」
イツキの言葉を聞いてまた気味の悪い笑いを見せる男だった。
「この道の向こうからそこの男を連れてきたということは、あやつに会ったということじゃな?」
シェルパの事を言っているのだろう、イツキはその言葉に首を縦に振った。
「あやつの屋敷に乗り込んで無事に連れ出してくるとは、 あの連中でも無ければ、おいそれとは出来ない事じゃ。」
「あの連中?まさかお前もハザマの仲間か?」
「そうじゃよ。儂は楽叡と申す。してこれからどうするつもりか?」
「ディランに戻りギルドに報告し、その後は、街を襲わせている男に会う予定だ。」
「ファースに?あってどうする?」
「無論、勝手な薬で魔物を襲わせているのをやめさせる。」
「残念じゃがそれは無理な話だ。」
楽叡が心の底から楽しそうに笑う。
「彼は例え組織の意向に背いてでも続けるからな。」
イツキは楽叡の言っている意味が分からなかった。
組織に命令されてやっている男が、辞めるように言われて続ける理由がない。
「やつには続ける理由がある、そうしなければ、生きてとる意味が無いと思っている。」
「随分と喋るな。そしてイロハをどうした?」
ゴスロリ服の女はくすくすと笑った。
「当然でしょう? 儂たちが彼に襲わせているのだから。」
次の瞬間、楽叡の目が紅く光る。
《操符》【壊れた操り人形】
「ッ!?」
イツキとリカは咄嗟にに呪符を発動するが、楽叡からの影響を受けない。しかし耐性のないナハトとどうだろうか。
ナハトが狂ったように荷馬車が動かしたと思うと、笑いながら、川沿いの方へと馬車を動かしていく。
「ナハト何をしている! 止まれ!」
「あひゃぁぁあひぁやぁ!」
まるでイツキの声が聞こえていないかの如く、ナハトを乗せた荷馬車は、崖に向かっていく。
解除しようと試みたが強力な呪法で相殺出来なかった。
「そのまま谷底へと落ちて死ねぇ」
イツキたちを谷底へ落とそうとしているのだった。
「ナハトの精神を操ったか。」
すでに崖は目の前まで迫っており、すぐにイツキたち間に合わないだろう。
「仕方ねぇか……。」
《草符》【草生える道標】
リカは苛立ち混じりに舌打ちをしつつ、崖を草魔法で地面を作り、馬車を急停車させる。
「うふふ。すごいのぉ。ならこれはどうじゃあ?」
そして、空から楽叡が、ナハトを殺そうと腕を突き出してきた。
イツキはそれを見て、瞬時にナハトを蹴り飛ばし、楽叡から庇う。
ナハトの命は救われたが、代わりにイツキが、楽叡の攻撃をまともに受ける。
「ぐふぅ………。」
咄嗟に妖力で防御はしたが軽々とその義手を吹き飛ばされてしまう。
「かわしたか。」
狂気といった形相を浮かべたが、イツキを殺そうと今度は心臓目掛けて、鉄扇を持つ右手を突きいれようとする。
「負けるか!」
楽叡の手首をガシッと掴み、イツキは力任せに蹴り飛ばす。
「少しばかり力が足りないのぅ。」
だが、楽叡はそんな妖力を纏ったイツキの蹴りをまともに受けても、少し体勢を崩す程度で、すぐに持ち直す。
なんとかイツキはナハトを殺させずにすんだが、このままの状態で、ナハトを守りながら戦うのは難しいと判断した。
楽叡は対象を殺すためには、楽しむために弱い所から狙って、確実に仕留めようとする妖嘛のそれだったからである。