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追憶のコンフェッショナル  作者: ティプトリー
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挿話 夢の話 —暴竜の巣にて—


人が決して踏み入れる事のない山腹に、巨大で深い洞窟がある。その奥底には精神に異常をきたした最凶の竜がとぐろを巻いて眠っている。

決してその竜に近づいてはいけない。目覚めさせてはならない。

もし禁忌を恐れず踏み出す者がいたならば、太古の竜は一瞬でその者を滅ぼすだろう。



心臓の鼓動が苦しい。大量の汗が目に染みて痛い。


背後には暴竜の火炎が渦巻き、熱気に羽根が燃え上がりそうだった。

あと一歩で消し炭にされかけたジークを睨みつける。

私に押し倒された形で転がるジークはチラリと私を見遣ったが、次の瞬間にはもう下から抜け出し次への攻撃に備えている。

思わず舌打ちが溢れでる。

あまりに自分勝手なこの男なぞ、いっその事そのまま炎で炙ってやれば良かったのかもしれない。

ジークが暴竜の巣のある地区をあえて通過するルートを選んだ時、更に一時的に兵団から別行動をとると言い出した時、真っ先に嫌な予感がしていたのだ。

けれど。


「兵団を抜けて何をしに行くのかと思えば…、まさか一人で暴竜の牙を狩りに行くなんて。そんなバカな奴だとは思わなかった!」

「シルヴィ、ぼさっとするな。俺に冷気の風を纏わせろ」

「このっ……!」

あまりの言い草に喰ってかかろうとする前に、耳をつん裂く咆哮の衝撃が私たちを襲う。

ジークの言い成りになるのは癪だが、こうなってはもう仕方がない。私たち種族しか扱えないエノク語を詠唱する。

言葉が光の導きとなり、ジークの全身を一瞬覆う。


「あなたの体との隙間に冷気の風を纏わせたけれど、暴竜の火炎の前では直ぐにその風も吹き飛ばされる。詠唱は繰り返すが、油断はせずに出来るだけ避ける事を考えて欲しい」

「口に入れないか?」

「馬鹿なのか?! こんな手間のかかった派手な自殺なんてやめてくれ!」

あまりの狂気じみた台詞に思わず悲鳴を上げてしまう。


暴竜はまだ夢現だ。まだ眠りから覚醒しきってはおらず、夢と現実の境目でグズついている。その状況にも関わらず、あくびの咆哮、寝返りの吐息だけでこちらは石炭になりかけているのだ。

それなのに喉の奥でジークがクッと笑う。


「俺が兵団から離れてから3週間、こそこそ隠れながら付いてきて、わざわざ俺の自殺幇助とは。お前もとんだ好き者だな」

私はだんだんと眩暈がしてきた。

「……信じられない。あなた私が後を付けてきた事に気付いてたんだ。さっきの炎に巻かれそうになったのも、隠れていた私をおびき出すためにわざと…っ!」

「この時期の竜の眠りは深いと踏んでいたんだが、思ったよりも深度が浅い。さっさと出てきて協力してもらった方が手っ取り早かった」


飄々とした、何ら罪悪感も覚えてない顔をぶん殴ってやりたくなる。


こんな男、いくらマーカスの頼みでも放って置いてやれば良かった。

マーカスが心細そうに、ジークの事が心配等と言うから、思わず慰めてやりたくなって。

気付けば偵察を買って出てしまったのだ。

今更ながらに激しい後悔の念が湧く。


「いいか、シルヴィ。知っての通り、俺はここに来る前に氷結の剣を手に入れている。

伝承では全てを凍り尽くし、炎でさえもその姿のまま封じられると言われているが、俺はそこまで優秀な剣ではないと睨んでいる。

暴竜の火炎をこいつで防いだ後、俺はすぐさま奴の口の中に飛び込むつもりだ。

恐らく口に飛び込んだ時点でこの剣は砕けているだろう。あんたの出番はそれからだ。この氷結の剣の特性を暴走させろ。その隙に俺は奴の牙を折る」


 話を最後まで聞き終わって、私はゆっくり自分の顔を両手で覆って項垂れた。


「ああもう信じられない……。これじゃ本当に私の役目は自殺幇助だ」

「何言ってる。これから手に入れる牙で、魔王幹部の喉笛に喰らい付き、そのまま喰い千切ってやるんだぜ?」

犬歯をむき出しに野太く笑う。


「お前も戦士だという所を見せてみろよ」


ジークの思うがまま動くのは癪だった。癪ではあったが動かざる得ない舞台まで引っ張り出された後だった。



それならばもう、後は全力で踊って見せるより他はない。






「剣が折れた! 今だ! やれ!!」

暴竜の劫火を弾ききり、宣言通り迷いもなく暴竜の口の中に飛び込んで行くジークはただの気狂いだ。

洞窟はもう噴火した火山の火口のように、至る所が溶岩となって溶け出している。


「死んでも恨むな!!」


砕けた氷結の剣の眠れる魂に同調し詠唱する。全てを忘れ、お前は今こそ全てを投げだす時なのだ。

最後に氷結の剣の真実の名を呼んでやる。


「さあ、全てをうち捨てろ。狂乱のオフィーリア!」


瞬間、凄まじい光と脳を焼くほどの高音の歌声が全てを貫いた。

その衝撃で完全に暴竜が目を覚まし、私たちの身長ほどもある眼球が半透明の瞬膜から露わになる。

竜が自身の突然の目覚めに戸惑い、苦痛に口を閉じようとするも、暴走したオフィーリアの氷結が口の中を這い回りそれを許さない。

「ジーク! 早く牙を折れ!!」

暴竜の覚醒した瞳は、完全に正気を失ったそれである。行動の予測ができない。

くそ、今回は最初から最後まで登場するもの全てが狂っているのはどんな皮肉だ!

「ジーク早く! もう直ぐオフィーリアの魂が消滅する!」

剣に宿る魂が消滅すれば、氷結の剣はただの鉄屑に過ぎなくなる。

氷の属性の詠唱を何度も繰り返すが、所詮ただの時間稼ぎに過ぎない。アーニャがいればと歯噛みするが、ここにいない人間に助けを求めても意味はないのだ。

「ああもう! 全員気が狂ってるんだ!!」

私は火の粉に当たらぬよう折りたたんでいた翼を広げる。

こうなればもう直接天使の詠唱を暴竜の口の中に叩き込むしかない!

「ジーク! 折る牙はどれだ!」

暴竜の口の中を無尽に走り回るオフィーリアの氷柱をかいくぐり、ジークの元へと急ぐ。身体半分が氷で覆われたジークが、竜の犬歯根元にいた。ジークは驚いたように腕を振る。

「シルヴィ?! 離れろ! 次は俺の剣を折る!」

その言葉を聞いて、私は思わず翼を止めた。

ジークの剣に込められた魂の威力を知っているからだ。


「聞いてない…っ!」


作戦は全て伝えるべきだ。例え反対されると分かっていても。

私は急ぎ暴竜の口から吐き出されるかのように勢いよく飛び出す。そして詠唱する。

あの命知らずな気狂い馬鹿のために。


そして光線が空間を切り裂いた。






暫く気を失っていたらしい。耳鳴りがひどく、気を失ってからさほど時間が経っていない事を知る。

激しい爆破の巻き添えをくらい、私は地面に叩きつけられたのだろう。

一瞬翼が燃えてしまったのではないかとヒヤリとしたが、生えそろった羽が見えホッとする。

だが地響きのような唸りが聞こえると、すぐさま安堵は消え去った。


オフィーリアの暴走と、ジークの剣の爆破で溶岩は吹き飛ばされ、今は燻った炎があちこちにチラチラと燃えている。

そして洞窟の奥に、巨大な暴竜が身を捩りながら唸り声を上げていた。

口の中を気にするような素振りを見せてはいるが、外皮に傷のようなものは全く見当たらない。あれ程の攻撃を食らって尚、一滴の血の滴りさえ見せないあまりの強靭さにゾッとする。

まだ何が起こったのか把握しきっていないのだろう。

暴竜は私たちの存在を気にかけてはいない。まだ。

私は気取られぬよう、必死にジークを探す。あの爆心地にいたのだ。彼の剣の魂が、主人を害する意図は持たないとは言え、無傷とは思えない。ましてやオフィーリアの暴走で、彼の身体は半分以上凍り付いていたのだ。


「ジーク……」


「大丈夫。ここだ」


思いがけない程近くでジークの声が聞こえた。どうやら私のすぐ背後にいたらしい。

「シルヴィ。脱出直前、俺に強化と回復の詠唱をかけてくれたんだな」

そのはっきりした語り口に、ジークがそれほど重症ではない事が分かる。

安心して起き上がってジークを見ると、彼は何故か複雑そうな顔で私を見ていた。


「うん? とにかく、お互い無事なら早く離脱しよう。ジーク、牙は取れたのか?」

「……ああ。牙はここにある。そうだな、もう用はない。手がつけられなくなる前に離れた方が良いな」

「これからこの洞窟は彼に破壊され尽くすだろうしね……」

これからの暴竜の激怒を考えると頭が痛くなる。下手をするとこの山脈全てが無くなってしまうかもしれない。

後始末など考えもせず、逃げ出したいのは私も同じだ。

私たちは食事の前に毛繕いをしている猫の背後を通らなければいけないネズミのような面持ちで、ソロソロと来た道を後ずさりながら戻るのだった。






 その後響き渡った暴竜の激怒する咆哮から逃げ切り、ようやく一息つきながら山中を二人で歩く。とは言え、まだ安全ではない。

暴竜の怒りの凄まじさは想像がつかないのだ。


「……シルヴィ」

「……山脈が消失した時の言い訳なら、私は考えないぞ。あなたが全部考えるんだ」

「違う。どうして口の中へやってきた」

その質問にハッとする。


お互い無事だった事で完全に失念してしまっていたが、私は怒っていたのだった。

「それはこっちのセリフだ。どうしてあなたの剣を折る話を私にしなかったんだ」

告げるとジークは嫌そうに顔をしかめた。

「その話かよ。あの場でそこまで話たら、どうせ何だかんだと止めに入って来ただろう。

 いつ竜が目を覚ますか分からない時に、そんな口論している余裕なんてない」

いつもの自分勝手なジークの理論に益々腹が立ってくる。


「それよりも」


私が言い返すよりも先に、ジークが素早く会話の矛先を持ち去る。

「何で口の中へ来た」

その質問に戸惑ってしまう。

「何故って、あなたが中々牙を折って出てこないから、普通は何かあったと思うじゃないか」

「思っても普通はあの状況で口の中までは来ない。分かってるのか? 一歩間違えればあんた死ぬところだったんだぞ?」

「……一番死ぬかもしれなかった人間が何を言ってるんだ?」

開いた口が塞がらないとはこの事である。

私が唖然として聞き返すと、ジークは複雑そうに眉間にシワをつくる。

「そうじゃない。俺には作戦があった。だから実行するのに躊躇いはなかった。でもあんたは違うだろう? あんたに作戦なんてなかったはずだ」

「失礼な事を。私にだって作戦はあった。牙が折れないなら根元に詠唱を叩き込もうと思ってた」

「あんたのそれは作戦じゃない。思いつきって言うんだ」

ジークが私に何が言いたいかが分からず、こちらの方が戸惑ってしまう。

私がした事は、まるでジークからすれば迷惑な行為だったかのようだ。

「ジーク……」

口を開いた瞬間、激しい地鳴りの音がした。暴竜が暴れ、そこら中の土砂が崩れ始めている。

「だめだジーク、ここを離脱するのが先だ」


「そうやって、利用され尽くして死ぬつもりなのか?」


「え?」


よく聞こえず、ジークを仰ぎ見ると、ジークは強く口元を押さえていた。

その瞳は驚愕に揺れていて、今まで見たことのない程動揺しているジークに、私は不安な気持ちにさえなる。


「ジーク?」


「早く進もう。ここももうすぐ崩れるだろう。早く皆の元へ戻ろう。早く……」


暴竜の口の中に飛び込んだ恐怖が今襲ってきたと言われたら信じただろう。

ジークは青ざめた顔色で呻くように呟いた。



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