挿話 夢の話—天使と人間—
叩きつける音に、マーカスがびくりと肩を震わせた。
恐る恐るこちらを伺っている様子を目の端に捉えているものの、私たちの言い争いは加速していく一方だ。
人気のなくなった鉱山採掘跡地の穴蔵の中、怒鳴りあう声がゥワンと響きあっていた。
「私以外の天使が地上にいるなんて思うはずがないだろう!」
「闇市で天使の話が出た時にはもう確信していただろう! あんたらの種族が瀕死の時に仲間を問答無用で呼び寄せるなら、なぜ先に言わない!」
「言えるものか! 種族全体の弱点になるかもしれない情報だぞ!?」
「それでこっちの足を引っ張ったのなら本末転倒だろう! 俺たちが追っていた擬態の魔物は魔王の幹部だ。確実に仕留める必要のある相手を前に、あんたは理由も言わずに離脱したんだぞ!」
ジークの巨躯から怒りのオーラが立ち上っているのが目に見えるようだった。
分かっている。ジークの怒りはもっともだ。
天使が闇市に売られてる情報を知り、地上の天使が2人になったことを私は感じ取っていた。売られた天使の痕跡に近付くたび、私を呼ぶ仲間の声が聞こえてきたのだから。
けれど私は彼らに、天使は仲間の声を感知する力があるのだと、必要最低限の情報しか伝えなかった。
結果起こったことは、擬態の魔物が潜伏している採掘場跡地まで出向いたところで私がもう1人の天使の呼びかけに同調してしまい、混濁した意識のままに皆を置いて戦線を離脱するといった事態だった。
「ヤツは再び逃げたぞ。分かってるのか」
先の戦いですでに深手を負わせていたとはいえ、相手は魔王の幹部クラス。ほとんど命が尽きかけているにも関わらず、命汚く逃げたらしい。
その責任の重さに、ぐっと唇を噛み締める。
ジークや皆に、捕まっている天使が瀕死であれば、天使の同調が起こるかもしれない事を伝えれば良かったのか。
けれど、女妖魔の血のように赤い唇からこぼれ落ちる声が胸中に響く。
『こんなに脆い性質を持ってるんじゃ、他種族と交わって生きるなんて確かに無理ね。直ぐに淘汰されてしまう』
そう。
天使の性質は、天空の島にいる限り、仲間と共にある限り不都合はない。
けれど、一歩天空の島を離れ、仲間の元を離れてしまえば、限りなく弱点になるような性質を持った種族なのだ。
「言えるわけがない」
私の言葉にジークの眼光が鋭くなる。
「あんたは皆を危険に晒した。言うべきだった」
「なら、私の種族を危険に晒すのは良いという事か?」
「あんたの種族は地上にはいない」
真っ向からの言葉に火がつく。いた。いたんだ。地上にも、天使がいた。
「あの天使をどうやって捕らえたと思う」
翼をもがれ、目玉をくり抜かれ、指を、腕を、足を、臓器を。切り売りされていたあの天使は、どうやって捕らえられ、市場に売られることになった?
「私たちが持つ同調の習性を利用されたとは考えないのか? 先に捕まっていた天使がいて、ここにいた天使が習性を利用されておびき寄せられたとは思わないのか? その囮になった天使だって。連綿とそうやって利用されてきたんじゃないのか?」
私は自分が動揺していることを自覚できていなかった。
久しぶりに出会った仲間の無残な姿や突然の同調。そしてその天使に訪れた結末に、理解が追いつかずに気付かず内にパニックを起こしていた。
「そもそも、闇市に関わっていたのは魔物だけか? 人間は関係なかったのか? 誰が天使の体を買っていた? 高値で取引するのは誰だ? 天使を捕らえる方法があれば、利用するのが」
人間じゃないのか?
口が、凍りついたように固まった。
マーカスが、ルーが、ジークが、静かに私を見ていた。
「あ……」
さっきまであんなに滑らかに回っていた舌が、喉奥に干からびたように張り付いて動かない。
「シルヴィ。論点をずらすな。『俺たち』に伝えるべきだったと言っているんだ」
冷静な声だった。怒鳴りあっていた熱はもうそこにはない。
「私たちは……」
頭がひどく痛い。
頭を抱えてうつむけば、そこに天使が繋がれていた魔法陣が見えた。
妖魔が闇市からここに天使を移動させたのは、勇者の仲間である私を捕らえるためだったのか。
それとも、純粋に縄張りから離れた天使を新たな商品にすべく釣ろうとして罠を仕掛けただけなのか。
もうあずかり知らぬこととなってしまった。
切り売りされ小さくなってしまった天使は女妖魔に食べられ、その女妖魔はジークが切り捨てたと言う。
全て私の意識が同調により混濁している間の出来事だ。
「もうよせ。ここでいつまで言い争っていても事態は変わらぬ」
今まで黙って聞いていたルーが、深いため息を吐きながら私たちの間に割り入った。
「……確かに幹部は逃げた。じゃがあの致命傷ではおそらくもう生きてはおるまい」
「生きて回復のためにまた多くの人間を喰ったらどうする」
「じゃから今ランディスとアーニャが奴の亡骸を確認するために痕跡を追っておる。ここで我々が仲違いをしても仕方なかろう」
普段は穏やかに響くルーの声に疲れが滲んでいた。
「いつまでもこの鉱山に残っていても意味はない。日も暮れてきた。採掘場だったなら、近くに山小屋も残っておるはずじゃ。移動して皆少し休め」
言ってルーはすぐに背を向け歩き出した。マーカスが私たちの元へ走り寄ってくるが、少しして戸惑ったように私の前にくる前に足を止めた。
気を遣わせている。
同胞が文字通り切り売りされた要因の一つに人間がいると私が思っていることが、マーカスの足を重くさせている原因に他ならない。
けれど今の私に持つ言葉はない。
揺らぐ。私は、なんのためにこの地上にいるんだ?
足に急に力が入らなくなって、うずくまりそうになるその時、腕を強い力で引き上げられた。
「……ジーク」
「休むのはまだ後だ。山小屋までは堪えろ」
「ああ…」
頷いて、ルーの後ろを追おうとよろよろと歩き出す。ジークは私の腕を引き上げたまま離さなかった。
「シルヴィー、大丈夫? 汗がすごいよ」
マーカスが意を決したように私の元へ走り寄り、顔を覗き込んだ。
銀の髪が汗で額に張り付き、鼻先から汗が滴って地面へと落ちていく。乾いた土に雨跡のような色を残すそれを見ながら私は無言で頷いた。
「馬鹿! 馬鹿じゃないの!! 人の心ってもんがないわけ!?」
隣の部屋からアーニャのほとばしるような怒声が聞こえ、ビクリと目が覚めた。
一瞬自分がどこにいるのか把握できなかったが、すぐに採掘所付近に捨て置かれたままになった山小屋の中だと気が付いた。
精神的なものもあってか、体調を崩した私は山小屋に着いた途端倒れこんでしまい、奥の部屋で寝かされたのだ。
ジークの伝令であるグライフが、ランディスとアーニャをここまで案内したのだろう。
聞こえてきた声に怪我はなさそうだと安堵する。
アーニャがここいるならヤツの生死の判別がついたのだろう。私はそっと体を起こして隣につながる扉へと近づいた。
「なんでいつもそんななのよ!! 使命だ目的だって! みんながジークみたいになんでもかんでも無情に割り切って動けるわけじゃないわよ! そろそろそれぐらい分かりなさよ!!」
「じょ、嬢ちゃん」
怒りのあまりアーニャの怒声が震えている。
感情的に見えるアーニャだが、精霊使いの名門ルイーダ家の正当後継者であり、かつ精霊の女王の異名を持つ彼女の中身は存外冷静で、ジークの利を取る考え方に理解を示すことも多い。
だからこそ、何事があったのだと驚いてしまい、扉を開くタイミングを見失ってしまった。
「シルヴィーは私たちの味方をするために一人で空から降りてきてくれたんでしょう!? それなのに天空の仲間が地上でひどい目に合わされてたのよ!? どうしてもっと優しい事が言えないの! シルヴィーのこと何だと思ってるのよ!!」
「ま、まぁ、嬢ちゃん。確かに今回のことはひでぇ話だったよ。でもな?」
「でもな! でもな、なによ! 天使の売買に人が絡んでるのは間違いないんでしょう!? シルヴィーは闇市の時からそれが分かってても我慢してただけよ!?」
アーニャの憤りの理由に気が付き、私は触れていたドアノブをそっと離した。
この件に関しては、私の中でまだ混乱が続いている。今ここで、皆に何を告げたら良いのかが分からなかった。
「そりゃ俺たちだって分かってるよ。でもな、瀕死の仲間の元に意識朦朧となって駆けつけちまう習性があるなら、それを前もって教えといて欲しかったってだけの話でさ」
「あんた達って本当に傲慢で自分勝手なのね。国王の名の下に行動するのを認可されてると、みんなあんた等みたいになっちゃうわけ?」
アーニャの宝石のような碧眼が、キッと大柄な男2人を睨みつける。
「いい? 精霊ってみんなそれぞれに特性があるの。精霊は人間の社会違う倫理で動いてる。だから力を借りる時は、できるだけ彼らの理論に寄りそうのよ。そしてどうしてもそれが出来ない時は純粋にお願いするしかない。あなたの考えに合わせる事ができないけど、今はどうしても力を貸して欲しいって。
精霊達は私がいつも彼らの考えに出来るだけ寄せようとしてるのを知っているから、じゃあ今回は良いよってお願いを聞いてくれるのよ。
それなのにあんた達ってば、人間じゃないシルヴィーにああだこうだと人間社会のルールや目的ばっかり押し付けて、なんなの?」
精霊へのリスペクトがなければ精霊を操ることなどできない精霊使いだからこそ、アーニャの憤りはひとしおなのかもしれない。
「ジーク、聞いたことあるの?」
「何をだ?」
「シルヴィーに、シルヴィーのこと教えてって言ったことある? 自分を信頼して欲しいって言ったことある?」
「……」
黙り込んだジークに、アーニャは再び眦をつり上げる。
「言ったこともないのに、よくそれでワーワーと偉そうに言えたわね。シルヴィーが力を貸してくれるのを当然だとでも思ってるわけ!?」
「もちろん俺たちだってそんな事思ってるわけじゃねーよ。シルヴィーにはいつでも感謝してるって! なぁ、ジークだってそうだろ?」
「無論だ」
「なぁほら! 嬢ちゃんジークだってこう言ってるんだから」
そう言って、ランディスが山小屋に放置されたままの壊れそうな椅子を引いてアーニャに座るように促した。
「アーニャ、はいこれ」
マーカスがいつ渡すか手元で持て余していた薬草茶は、すっかりぬるくなった温度でアーニャの手元へと渡される。
まだ言い足りないとばかり数度口を開け閉めし、それからマーカスの顔を見て、アーニャは渋々とカップに口をつけて冷ます必要もない温度のお茶を飲み込んだ。
「まぁ、確かに嬢ちゃんの言うことも一理あるかもしれねぇなぁ。種族の弱点につながる話だったわけだし、そう簡単に言えることでもないっつーか」
「今回の件で死人が出ても、お前は同じ事が言えるのか?」
「へ?」
「擬態の魔物の死亡が確認できたから言える話じゃないのか? 逃げた先で村を殲滅しても、同じ事が言えるのか? 俺は言えない」
「そりゃ、まぁなぁ……」
ランディスがバサバサと麦色の髪をかき回す。
先ほどから無言のルーとマーカスが、私に遠慮しながらも、ジークに一定の理解を示しているのがわかる。
「お前が言いたいことも分かってるぜ。ただな、シルヴィーは人間じゃないんだ。俺たち人間に愛想をつかして天空の島に帰っちまうことだってあるかもしれないんだぜ? 嬢ちゃんの言う通り、もう少し天使ってやつの考え方を————」
「シルヴィは島には帰らない」
「いや、そう言ったって分かんねーじゃねーか」
「いいや。シルヴィは島には帰れないからな」
シン、と、空気が静まり返る。
「それはどういうことじゃ」
ルーが静かな声で疑問を放つ。
ジークはいつもの低く響く声で言った。
「シルヴィは天空の島へは帰れない。地上に降りてきた時に、種族から島へ戻る資格を剥奪されている。地上に降りた天使は二度と島へは帰れない」
「え?」
「えっ? え、待ってよ」
なぜジークがそのことを知っているのだろうか。
地上では誰にも話したことがない秘密をジークが知っていたことに混乱する。
「じゃ、じゃあシルヴィーは……」
マーカスが唖然とした声で結論を促す。
「そうだ。天空の島には帰れない。これからはずっと地上にいるしか居場所はない」
「そ、そんな……」
「嘘だろ? シルヴィーのやつ、分かってて島を出てきてるのか?」
「だろうな。天使族であれば常識らしい」
「待ってよ。そんなのって……」
震える声でマーカスが続けようとした時、ビンッと張り詰めた空気に皆が口を閉じた。
「ジーク」
ルーの呼びかけだった。
歴戦魔導師の、圧迫するような呼びかけだった。
「その情報をいつから知っておった」
「……ついさっきだ」
「天空の島に、降り立つ前ではないのじゃな」
「ああ」
ルーの威圧するような気配が瞬時に霧散する。皆がホッと息をつく間もなく、ランディスが疑問の声を上げる。
「さっき? さっきってなんだよ。いつ知るタイミングがあったんだよ」
「天使を食らった妖魔からだ」
「え? 採掘所の入り口であったあの?」
「そうだ。……天使を食ったせいで、天使の記憶と情報を取り込んだと言っていた。俺を煽って油断させようとしたのか、天使にまつわる情報を色々吐き散らかしてくれたよ」
「そう…、だったの……」
そして沈黙が落ちた。
誰もが私に罪悪感を抱いている。そんな空気に耐えきれず、私は大きく扉を開いた。
「シルヴィー!!」
あれだけの声で話し合っていながら、私がすぐそこで聞いていたとは思っていなかったのだろう。驚く皆の目に私はゆっくりと首を振って見せた。
「この世界に降りることを決めたのは私の意思だ。みんなが気にする必要なんてないんだ」
「そんなっ!」
いち早くマーカスが声をあげるが、でもそこで言葉が止まる。
何を言ったところで、私が天空の島へ帰れない事実は覆らない。マーカスもそれを分かっているから言葉を続ける事ができないのだ。
私はジークを見た。
ジークも私を見ていた。その眼に負い目も引け目もない。見据えているのはひとつ。人類の未来だ。
「忘れるな。道を選んだのはあんた自身だ」
聞いたアーニャが憤怒の声をあげるのも耳に入らず、私とジークは視線を交わす。
後戻りのきかぬ道を選んだというのなら、人類救済のため魔王討伐の道を選んだあなたもだ。




