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追憶のコンフェッショナル  作者: ティプトリー
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深夜の散歩その3



 戦闘でもない日常で、羽を広げる事をジークから促されたのは初めてだった。

「いいのか?」

 私の翼だ。許可など取る必要もないのに、それでもそう聞き返していたのは、あまりにも天使である事を隠すよう長く言われ続けてきたからに他ならない。

 それほどまで、ジークのこの発言は私の中での驚きだった。

「飛びたくなったら言えと言ってただろう。遠駆けに連れて行ってやるって」

 確かに言っていた。

 けれどまさか私が言い出す前に連れ出してくれるとは思ってもおらず、再度驚きにマジマジとジークを見つめると、複雑そうな顔をして目線をそらされた。

「……必要なかったか」

「いや!」

 拗ねるような響きを感じた瞬間に、思わず被せるようにして否定していた。

 その勢いに、今度はジークが驚いたようにこちらを見返す。

「や、その。そ、そんなことはない」

 思った以上に食い気味な返答になってしまった事に羞恥を覚え、私は軽く俯いた。

 しかしそれでも何とかつっかえ気味ながらも言葉を紡いだのは、ジークに誤解されたくない一心に他ならない。

「もう随分、羽を出してなかったから……」

 翼は私の体の一部だ。

 たとえ背中に溶け込ます事ができたとしても、親指を拳の中に永遠にかくし続けるのが困難であるのと同じ。その内解放したくてたまらなくなる。

 だから私にとって、羽を広げるのは拘束から解き放たれる開放感に満ちた行為だ。

 私はジークを見上げた。

 そこには拗ねたような空気を既に霧散させた、いつものジークが私を見下ろしていた。

 真っ直ぐ相手を見つめるジークの癖。

 その真っ直ぐな視線を受け止めながら、彼の目の下に隈がうっすら浮かんでいるのに初めて気付いた。

 忙しい人なのだ。ジークは。

 アーニャからもその多忙さは聞き及んでいる。

 本来ならこんな真夜中に馬を駆って、わざわざ私に会いに来るような暇などない。

 けれど。

 それでも、ジークは来た。

 休息にあてがっても良いはずの時間を使って、私を喜ばせるために。

「ジーク」

 頬が紅潮していくのが自分でも分かる。顔全体に笑みが浮かぶのを感じながら、私は湧き上がる喜びそのままにジークに伝える。

「嬉しい。ありがとうジーク」

 ジークはゆっくり瞬きをして見せた後、珍しく視線を地面に落とした。

「……そんなに大した事じゃない」

 ぶっきらぼうに告げられるが、私にとっては大した事なのだ。

 厚意を見せびらかさないジークらしい言葉に再度微笑み、私は大きく手を広げた。

 背中に少し意識を向けるだけで、緩い熱が体に渦巻く。

 天使族特有の言語であるエノク語が、淡い光となって背中に円を描く。そして次の瞬間、光の円から翼が押し出された。

 開放感そのままに、私は背中に現れた純白の翼を強く羽ばたかせる。

 翼が巻き起こした風で静かだった湖面が波を打ち、周囲の木々が葉を震わせる。深夜の静まり返った森が、その時だけ目を覚ましたようだ。

「相変わらず見事なもんだな」

 ジークが眩しげに私の翼を眺めて褒める。

 意外と思われるかもしれないが、ジークが私の翼を見た回数は実際さほどに多くない。

 魔王との最終決戦終盤でこそ、翼を使ってフルに戦ってはいたが、それ以外は人目につきやすい翼は殆ど隠して過ごしていた。

 こうして戦闘による空中滑走が必要でない時に翼を広げて見せるのは、思えば初めての事かもしれない。

 私が再度翼を羽ばたかせてみると、ジークの瞳が好奇心に光を放つ。

 そういえばジークはグライフを可愛がり、今も小グライフを手元に置いている。鳥が好きなのかもしれない。

 そう思うと、鳥だと揶揄されて不機嫌になった過去も忘れて楽しくなってきた。

 翼はもう飛びたいと叫んでいる。

 私はジークに見せつけるように何度も翼を羽ばたかせ、そして思い切り翔んだ。

「シルヴィ!」

 激しく渦巻く風を片腕で防ぎながら、ジークが高く舞い上がった私の名を呼ぶ。

 だがその時には、私は恐らく誰よりも近く月の側にいた。

 天空から見下ろす景色はあまりに久しぶりだった。遠くに寝静まったブラウディアン王国の城壁も見える。

 真下を見ると、木々が密集した巨大な森に一箇所だけ穴が空いている。暗闇の中で月明かりを映してキラキラと輝いて見えるのは湖の一部なのだろう。ジークの姿は闇夜の影に飲み込まれてよく見えない。

 痺れるような解放感が私を満たし、夜の空を大きく旋回する。

 飛ぶことは私の本能の一部だ。

 どれだけ人間の真似事をしていても、この翼が背中にある限り私は天使なのだ。

 恍惚に痺れた頭で、ふと、このまま高く高く飛び続ければ、故郷に帰れるのではないかと思いつく。

 なんで思いつかなかったんだろう。試してみる価値だってあったはずなのに。

 探してみよう。あの美しい天空の島を。

 だって私は天使なのだから。仲間を求めて何が悪い。

 喉奥で笑いがこみ上げてくる。本能を刺激された故の、無意識の笑いだった。

 私はもう一段階高く舞い上がるため、大きく翼を動かした。

 その時、翼の付け根に激しい痛みが走った。

「ううっ!?」

 思わず背中に手を回すが、切り裂くような痛みは激しさを増す。

 本能を刺激した陶酔感は急激に失速し、麻痺した頭に理性が舞い戻ってくる。

「くそっ、魔王め……」

 痛みに心当たりはあった。

 魔王との最終決戦で引き裂かれた翼の傷がどうしても完治しないのだ。

 この傷のおかげで天使としての力も随分と落ちた。

 長時間飛ぶことが困難なのは分かっていたはずなのに、久しぶりの開放感ですっかり頭の隅に押しやってしまっていた。

 こうなるともう、後は落下しないように制御するのが精一杯だった。

 痛む翼を庇いながらふらふらと高度を下げる。

 暗い影でしかなかった森の穴の中が見えるようにまでなってきて、そこに立つジークの姿も見えてくる。

「おい、シルヴィ!」

 弱々しい羽ばたきに驚いた様子で、ジークは手を伸ばして私の落下地点に駆け出した。

 浮遊がおぼつかなくなった私の体をジークが両腕で捕まえたので、まるで子供を抱き上げた時のような格好になる。

 ジークの腕は、私の足と腰をがっしりと支えた。

 その力強さ安心感を覚え、私はジークの頭にしがみつき、全ての体重を彼に預けた。

「どうしたんだ?翼が痛むのか?」

 私の腕に絡みとられたまま、ジークはくぐもった真剣な声で私に呼びかける。

 けれど激しい痛みに声を漏らさないようにする私には、ジークの呼びかけに答える余裕がない。

「シルヴィ……」

 ジークが緩く体制を変える。もたれかかる事ができるようにと背中を逸らし、全身で私を支えた。

「あの日の傷か?」

 静かに、確認するように問いかけてくる。額に脂汗を浮かべたまま黙って頷くと、振動で理解したのだろう。

「痛むんだな」

 そう言ってジークはあの日、戦いが終わった日のように、用心深く怖々とした手つきで背をそっと撫ぜてくれた。

 その懐かしさに、私は激痛の中、ジークの耳の近くに自分の耳を強く押し当てた。

 あの戦いで死んでしまったかもしれない、彼の血潮が脈を打つ音を聞きたかったのだ。

 首筋か、胸からでもなければ、耳で鼓動を感じることは難しい。

 けれど私は背を撫でられ続けながら、必死で彼の鼓動に耳をすます。

 だから、ジークに撫でられた背中がほのかに温もり、そして淡い光が灯ったことに気付くのが遅くなったのだった。




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