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追憶のコンフェッショナル  作者: ティプトリー
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深夜の散歩その2



 城門の外に出ると途端に視界が開けた。

 城壁の外は攻め込まれにくいよう水堀が張られ、城門の位置にそれぞれ橋が架けられている。

 その橋の向こう側に広がる夜空と山脈や森達。城門の外にある村々を繋ぐ、軽く舗装された道。

 途端に懐かしく思い出す。この広がる自由の大地を。

 ジークの方に振り向くと、彼はすでに馬の背に乗っていた。

「ハッ!」

 もう遠慮は無用だと言わんばかりにジークは馬を高らかにいななかせ、助走など不要とトップスピードで駆け出した。

「あっ、おい!」

 その背に続くため、私は慌てて馬にまたがった。私を乗せた馬がブルブルと鼻先を鳴らし、自慢の走りを早く披露したいと前掻きする。

「分かった。行こう!」

 私が手綱をピシャリと打つよりも早く、馬は光沢のある毛並みを煌めかせ、力強く大地を蹴った。

 体が浮く感覚。そしてすぐさま体重が戻ってくる重み。

 全力でジークを追いかける馬の振動を全身で感じながら、私は知らずの内に笑い出していた。

 橋を駆け抜け歩道に出る。しかしジークは歩道を行かずに、進路を真っ直ぐ月の方角へと走らせる。

 私は身を前かがみにし、更にスピードを上げるよう指示を出した。

「ジーク! どこへ行くんだ?!」

 まさか月を捕まえに行くわけでもあるまい。

 風で声が流されるが、ジークは聞き漏らさず肩越しに私を振り返った。

「月の下に見える丘が分かるか?その近くに大きい影が見えるだろう。あそこは森になっている」

 ジークの言う通り、月の下に盛り上がった丘が見えた。森はどうやら月明かりで影になって見えるようだ。

「見えた」

「そこへ行く。ハッ!」

 私が追いつくのを待ってから、ジークは更に走りを早めた。

 胸の内がゾクゾクとさざめく。何の目的もない早駆け。

 血も命も駆け引きも何も背負わず、ただあそこへ早く行こうと誘われる喜びが胸の中を駆け巡る。

 もうずっと感じる事のなかった喜びだった。

「ブルルルッ!」

 私が乗る馬は負けん気が強いらしい。追い越せるのに何故指示を出さないとせっつかれてしまった。

 私は笑う。その逞しい首筋から伸びるたてがみに頰を寄せ、言った。

「行き先は分かった。追い抜けるか?」

 高いいななきが応える。

「ハァッ!」

 私の声に呼応して、馬は長く伸び上がった。

 風の抵抗がグンと強くなる。激しくなる振動。蹄にえぐられ巻き上がる土煙。今なら地平線にさえ追いつけそうだ。

 私の馬はなんて可愛い。その漲る自信の通り、彼はとても早い。

 すぐさまにジークの背を捉え、そして追い抜く。

「ふふっ、はははっ!」

 耐えきれず声が溢れる。笑い声をあげながら肩越しにジークを振り返ると、ジークも同じように笑っていた。

 楽しい。

 ハッキリとジークの感情が伝わってくる。

 私たちは遊んでいる。ただ無邪気に。どちらが早いのか。一番に目的地に到着できるのはどっちなのか。

 追い越し、追い抜かれ、更に追い抜く。今なら多少の無茶だってスパイスだ。

 もうあの頃とは違う。息を潜め、声を殺して馬を駆ける。この一歩が遅ければ、誰かの命が奪われる。血が流れ、悲劇が生まれる。

 もう違う。もう違うのだ。

 私はただひたすら夢中になって手綱を手繰り、我に返った時にはもうすでに森は目の前に来ていた。

 いつの間にか切り詰めていた息を深く吐き出す。その呼吸に反応して、私の賢い馬が足並みを緩めた。

「シルヴィ、こっちだ」

 ドロップの足並みに変えたジークが私を呼ぶ。

 森の入り口にしか月明かりが差し込まず、その奥に見えるはずの空間は真っ暗だった。

 こんな所で何をするのか。そう尋ねる前にジーク馬から降り、荷鞍から取り出したランタンに明かりを灯していた。

 周囲がぼんやりと見えてくる。

 いくら夜道に慣れているとはいえ、やはり暗闇で目にする明かりはどこか心をホッとさせるものがある。

 私は同じく馬から降りると、無言でジークの持つ明かりの側に近寄って行った。

「この木の根元だった」

 ポツリとジークが呟いた。

 何の変哲も無い木の根だった。強いていうなら大木であるとしか言いようがない。

 首をかしげる私に、ジークは微笑んだ。

「ここでグライフを拾った」

 グライフ。ジークが雛から育て、そして共に育った伝令らしからぬ巨大な翼を持った大鷲。

 その大きな翼は私たちを守る為に広げられ、そして永遠に失われた。

 ジークが失われたグライフを想い、涙を流すことはなかった。

 けれど涙だけが悲しみの形ではない事を私は知っている。

 さっきまで何の変哲もなかった大木は、グライフの生まれた場所だと思うだけで不思議と愛おしく感じる。

 私はそっと幹に触れた。

「ここにいたのか」

「いつもの場所に行く途中、ここで見つけた。巣から落とされる雛は元々弱い。ヒルダに持って行かれるのがシャクで、俺が育てると宣言してみたものの、すぐに死ぬだろうとその時は思ってた」

 幼いジークとヒルダ嬢の姿が目に浮かぶ。きっと喧々と言い合って、どちらが育てるのかを決めたのだろう。

「だがグライフは死ななかった。瀕死の癖に餌にがっつく姿に感動したよ。どんな死に際でも、生にしぶとくしがみつけば———明日を見る事ができる」

 ランタンの灯りに照らされるジークの横顔は静かだった。

「行こう。何も変わってなければ、奥に当時の俺の遊び場がある」

 近くの枝にリードロープを括り付けると、ジークはしばらく待ってるように馬たちに言い聞かせた。

 そして自然と差し出された手に、私は吸い込まれるように掌を重ねていた。

「しばらくは木の陰で月明かりも差し込まない。随分暗いからな、足元に気をつけろよ」

 確かに。

 森に一歩足を踏み入れると辺りは真っ暗闇で、ジークの持つ光源しか頼れるものはなくなった。

 複雑に貼る木の根に、何度も足が引っかかりそうになる。バランスを崩しそうになる度に、繋がれた手が私を支える。

 私は不思議な気持ちで、手を引くジークの姿を見ていた。

 ジークが誰かを支えるのは珍しい事ではない。

 その大柄な体躯と底知れぬ体力を出し惜しむ男ではないので、険しい道中ではアーニャやマーカスを担ぎながら進む事もあった。

 けれどその中に負傷していない私が含まれた事はない。

「いつもの場と言ったけれど、幾つの頃の話しなんだ?」

 繋がれた手が何となくこそばゆく感じ、その思いを振り払うようにジークの背中に声をかけた。

「随分昔だ。俺がシグルズの家を出る前だから、12の年の頃か。剣術の稽古をしょっちゅうサボっては自分の居場所を探しに外へと飛び出していた」

「稽古が嫌いだったのか?」

 意外なセリフだと思って聞き返すと、ジークは緩く首を振った。

「いや。ただその頃には試合が許される範囲に俺に勝てる奴がいなくて退屈だったんだ」

 あっさりと返ってきた言葉は才能ある者特有の傲慢さで、ジークらしいと言えばらしいのかもしれないが私は一時言葉に詰まる。

「それは……。あなたと共に鍛錬していた者は腹立たしかった事だろうな」

「そうだろうな。世間知らずで奢ってたんだ」

 結局言葉を選ばずに率直な感想を伝えてしまったが、ジークは私の言葉に言い訳せず頷いた。

「その割に思い通りにいかない事も多くて、もどかしい思いを抱えてはここに来ていた。ヒルダが俺のサボりを聞きつけては追いかけて来るもんだから、いつも入り口周りで撒いて、俺だけが知る秘密の場所だ」

 実力はあるが、生意気で傲慢。

 そのくせ心に憂いを秘めた幼いジークが逃げ込む秘密の緊急避難場所。

「そんな秘密の場所に、私が行ってもいいのか?」

「ああ。久しぶりに行ってみようと思った時に、あんたの顔が浮かんだんだ」

 重ねた指先が跳ねないよう、私は懸命に自制した。

 ジークはこの暗闇を、ランタンの灯り一つで迷わず進んで行く。

「きっと気に入る。ああ、見えてきたな。奥が見えるか?」

「見える……?」

 この木々で囲まれた闇夜の中で?そう尋ねようとした時、私はああと声を出していた。

 確かにジークが言った通り、森の奥に薄明かりが見える。人工的な灯りではなく、ぼんやりとけぶるような淡い光。

「……変わってないな」

 もう先導する手を離しても大丈夫だと認識したのだろう。ジークはゆっくりと繋いだ手を離す。

 ジークの手が離れても、私は転ぶ事なく前に進む事ができた。

 光に向かって足を踏み出すと、そこは木の生えていない、芝の生えそろった小広い空間になっていた。

 木々に遮られに月明かりが、まるでスポットライトのように周囲を浮かび上がらせる。

 奥には湖面が広がっていた。

 水中に自生する木々が奥に行く程に密集している為、湖が果たしてどこまで続いているのか肉眼では確認できない。

「すごい。この森の中にこんな大きい湖があったんだな」

 湖面に月が映りこみ、風で漣がたつと乱反射して光る。

「綺麗だ……」

 思わず声が漏れるほど美しかった。

 昔マーカスを諌め、肩に傷を負ったのも夜の湖畔だった。痩せた細い月が冷え冷えとして見えたのを覚えている。

 けれど今は、ふっくらと真珠のような円を描く月は暖かく美しい。

 飲まれたように立ち尽くす。その隣に、気付けばジークが並んで私を見ていた。

「……ジーク?」

「ここなら」

 言って、私の背中を緩く撫ぜた。

「誰も見てない。羽を広げても構わない」


 

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