深夜の散歩その1
窓を小突く音で目が覚めた。
身じろぎの拍子に耳に冷えた汗が流れ込み、その不愉快さに腕で額に浮いた汗を拭い取った。
鼓動は小刻みに脈打ち、どうも何かよくない夢を見ていたようだった。
夢の内容を思い出そうとしても思い出せない。
記憶の残滓は掴み取ろうとする前に、脆い砂の城のように儚く消えていった。
二度と取り戻せない夢の名残に目を閉じると、もう一度窓から木の実でもぶつかるような音がした。
「……?」
ベッドに身を委ねたまま、気だるい気持ちで首だけひねって窓を見る。
そこにはジークの小グライフが、窓の外のヘリに窮屈そうに足を引っ掛けたまま羽ばたいていた。
「小グライフ?」
驚いて反射的に時計を見るが、まだ夜が明ける前の時間だ。夜の気配がまだふんだんに残っている空気をかき分け、私は窓を開けた。
小グライフは窓が完全に開ききるのもまたず、隙間を掻い潜るようにして中に入ってくる。
「どうしたんだ、こんな時間に。何かあったのか?」
小グライフは普段通り、すましたクールな表情のまま私を見つめ返す。
けれど今までになかった時間の訪問に、不安な気持ちが滲み出る。
アーニャは既に王都へと戻って行っていたものの、勝気な彼女が吐露した王宮に渦巻く不穏の影が脳裏をよぎり、私は無言で小グライフの翼を探った。
指先に当たる筒から文を取り出し、急く気持ちのまま文を広げる。
「……外を見ろ?」
文に書かれていたのはそれだけだった。
念のため裏返してみるものの、他に何か記されている訳でも、暗号が隠されている訳でもなさそうだ。
そうなると選択肢は一つ。
私は窓に近付き、まだ星空も見える夜のしじまへと身を乗り出した。
果たしてそこに見えたのは。
リードロープで馬を従え、更に自身も馬上の人となったジークの姿だった。
「どうしてこんな時間にこんなところにいるんだ?」
ジークの姿を見た瞬間、私は寝着のまま上着だけを引っ掛けて慌てて家の外に出ていっていた。
開口一番飛び出た言葉は、馬から降りて私を待っていたジークの予想の範疇だったのだろう。
ニヤリと笑って、引き連れてきた馬に乗るようにと手綱を握らせてくる。
「散歩の誘いに来た。夜明け前の散歩も悪いもんじゃないだろ」
「散歩って……」
まさかそれだけの為に、忙しい身をおして王都からやって来たとでも言うのだろうか。
唖然とする私に、ジークは荷鞍から取り出した厚手のマントを広げた。
「夜はまだ冷えるからな。まぁ、寝着のまま飛び出して来るとは思わなかったが」
羽織っておけと、広げた厚手のマントで私の体を包む。
ジークに似合わない過保護な行動に、私は被されたマントを胸元で握りしめ、言われもせぬ内から慌てて馬によじ登った。
そうでもなければ、抱きかかえられて馬に乗せられそうな(馬鹿馬鹿しい妄想に違いないが)、そんな気配を感じたのだ。
私の動揺に気付くこともなく、ジークは慣れた動きで馬にまたがる。
迷いなく馬に進路を指示する姿から、どこへ行くのかは彼の中では既に決まっている様子だった。
振り返ってジークが笑う。
「さあ行こうぜ。この時間はあっという間に過ぎるからな」
いななき一つ上げる事もなく、ジークを乗せた馬は走り出した。
「あ、おい。ジーク」
ほぼ反射で手綱を手繰り、ジークの後ろを追いかけた。馬の躍動する筋肉が、全身に伝わってくる。魔王討伐の旅路で何度も感じた手応えだった。それなのに、今ではこの感覚が随分と懐かしいものに感じる。
今晩のような灯りのない夜の道を、月明かりだけを足がかりに何度も何度も様々な場所を駆けたものだった。
静まり返った夜の街に、あの頃のような力強い蹄の音だけが聞こえる。
そのまま懐かしさに身を委ねようとした時、ジークの向かう先にギョッとした。
手綱と足でスピードを上げるよう馬に指示を出し、狭い路道にも関わらず私はジークの隣に並んだ。
「ジーク、一体どこへ行くつもりなんだ?散歩じゃなかったのか?」
横目で私の驚く様を面白げに見てジークは笑う。
高らかに笑いたいのをこらえているような、遊びに高鳴る興奮を我慢しているような、冒険に身を委ねる前の子供のような笑い方だった。
ジークの瞳がきらめいている。
眉間のシワと眇められた双眼。整った唇の形が変わるのは指示を出す時と怒声を発する時だけ。そしてたまの笑み。
それが旅路の中、私が見て来たジークの表情の全てだった。
私は笑うジークの横顔を見る。
心臓の奥が苦しい。
胸元を握りしめたのは、ただはためくマントを手繰り寄せる為だけではなかった。
「知った場所を散歩してるだけじゃつまらないだろ」
「だからって……、この時間に城門に?」
ジークがどこへ向かっているのかは、とある角を曲がった時に直ぐに気付いた。
むしろ、その奥はたった一つのゴールしかない。
城壁に守られた市街地から外へ出る為の城門と城壁塔だ。
城壁から一番近い区画で暮らしているものの、用事もなかった為私はほとんど近いた事もなかった。
けれど城門の開閉には門限があり、そう容易く開かれるものではない事は知っている。
私が何を言いたいのか、ジークは分かっているのだろう。さらりと告げられる。
「何事にも特例はある」
魔王軍との攻防で崩された箇所はあるものの、堅牢な石で組み上げられた壁が私たちの眼前に迫る。
ジークは馬のスピードを落とすと、巨大な門の直ぐ側に建設されている望楼に向かって手をひらめかせた。
「こっちの出入口は狭いからな。降りて馬を引いて通ってくれ」
言ってジークが向かったのは、門から少し離れた重厚な木の扉。それは門番や許可を得た者しか通る事が許されない、門以外で壁外へ出る扉だ。
本来であれば厳重に施錠され、必ず見張りがいるはずなのだ。
けれど今は望楼の上に人の気配を感じるだけで、門の前に見張りはいない。それどころか、木戸はジークが軽く手を触れてだけで外側に容易く開いた。
「どういうことだ?」
変わらず楽しげな雰囲気のまま、ジークは私の疑問に答える。
「自分の為の権力の使い方を多少覚えただけだ」
権力。その言葉に私は目を瞬かせた。
権力争いを嫌って家から出奔したくせに、その腕一つで軍人の最高峰の一つである千人隊長まで上り詰めた。しかしその地位を何の未練もなく打ち捨て、そして次いでは魔王を討取り英雄の1人となった、権力と切り離せない男。
そんな男が言うには青すぎるセリフだ。
けれど確かに、この男が私欲の為に権力を振るったところは見たことがない。
ジークは目的遂行の意思が強過ぎて、他人からは野心家と思われがちだ。
だがジークという男の内面を覗いてみると、彼はひたすらに大義に従事する無欲な人間だった。
だから、思わず溢れた言葉は仕方のないことだ。
「そんなこと、出来たんだな」
フンと、鼻で笑われてしまった。




