胸騒ぎ
「精霊達が教えてくれるの。もうすぐ、帰らなきゃいけない時がくるんだって……」
アーニャはどこを見るでもない、ぼんやりとした目で呟いた。おそらく周囲の精霊達を見ているのだろう。
精霊は波長が合うものしか見る事は出来ない。アーニャの召喚を媒介するれば姿を見る事も出来るようになるが、それ以外では私ですら姿を感知する事は出来ない。
家督を継ぎたくない。
そう思うようになっていたのは知っている。けれどそれに部外者がどう口出せば良いのか、私は分からないままでいる。
私のためらいを感じたのだろう。アーニャはすぐさま私に焦点を切り替えた。
「今すぐって訳じゃないのよ? だから私、今を思いっきり満喫するわ!」
今度は偽りなく笑ってみせる。その笑顔に微笑み返しながら、本当に強い娘だと思う。
「後はジークの話ね。私が知らない間にお付き合いしてたんだっけ?」
沈みそうな雰囲気を変えようと、アーニャがわざとからかうように焚き付けてくるので私も分かりやすく怒ってみせる。
「お付き合いなんてしてないって言っただろ?」
「でも今は文通してる」
「それが愛文だとでも言いたいのか?」
「なにそれ。もしそうならすっごい興味ある。ジークって何て言って愛を囁くのよ。想像つかなさすぎて興味深いわ」
急に真剣な顔をして前のめりで聞いて来るので笑ってしまう。
「知らない知らない。私がジークの口説き文句なんて知る訳がないだろ」
以前、魔王討伐の道中にジークを追ってやってきた美しいヒルデ嬢を思い出した。あんな美しい女性に愛を告げられても、ジークは応える素振りさえ見せなかった。
そんな男が誰かに愛を囁いている所など———、
知りたくもない。
唐突に湧き上がった思いに、自分自身でたじろいでしまう。
アーニャは気付かずに話を続ける。
「まぁそうよね。でもジークったらお見合い話がすごいみたい」
「え?」
驚く私に、アーニャはひょいと肩をすくめて見せた。
「シルヴィーからすれば、マーカスをビッシバシにしばいた融通の利かない負けず嫌いの厳しいだけの男かもしれないけど、ジークも英雄の1人だもん。欲しがる家も多いわよ」
それは君の感想だろと突っ込みたかったが、私は思わず黙り込んでしまった。
分かり切っていた事なのに、想像さえしていなかった。ジークもいずれ家庭を持つのだ。
これからあのテンペストストーンの瞳が、誰かを愛しげに眺め、それこそ愛を囁くのだろう。
急に、胸に重しを乗せられたような息苦しさを感じた。
「でも、ジークったら全部断って、今は参謀室に入り浸ってるんだから。らしいって言ったららしいわよね」
「……そうなのか?」
「そうなのよ。参謀室に入っては、連日大げんかしてるみたい。私たちにはそんな素振り見せないようにしてるけど、王宮って何だかんだと噂話がすっごいの。嫌でも耳に入ってくるのよ。流石に詳しい内容まではわからないけどね」
魔王が倒れ、平和になったと思っていたのは私だけだったのだろうか。
マーカスが国に抑留され、ジークは参謀室で荒れている。
じわじわと、不穏な何かが忍び寄ってきている。そんな嫌な予感に私は背筋を震わせた。
アーニャだけでも、早くこの国を出た方が良いのではないか。そんな思いにまで駆られてしまう。
けれど正体を隠しながら人の世に溶け込むしかない私では、何の力にもなる事もできない。
「大変なんだな。何の協力も出来ずに申し訳ないよ」
「あら、そんな事ないわよ?」
思わず漏れた弱音に、アーニャが悪戯っぽく笑った。
「シルヴィーは恋文なんかじゃないって言うけど、シルヴィーからの手紙、ジーク楽しみにしてるもの」
思わぬセリフに、私は驚いて目を瞬かせる。
「そうなのか?」
「空を見てる」
あんまりな回答に、思わず苦笑してしまう。
「それが楽しみにしてるって事とどう繋がるんだ? ジークだって空くらい眺めたりもするだろうさ」
苦笑いしながら言い返す私に、アーニャは勿体ぶった仕草で1本指を立て、ゆっくりと左右に振った。チ・チ・チ。
「ジークがそんな感傷的な男だと思う?」
「アーニャ……、何だか君の中でのジークの評価が不安になってきたぞ。ジークだって感傷に浸ることくらいあるだろ」
「あの男が空を眺めるなんて、方角・天候・風向き以外何があるっているのよ。シルヴィー大丈夫? ジークの事、過大評価が過ぎるんじゃない?」
逆に心配されてしまった。
ジークに愛情を抱いたせいで、無意識に彼を過大評価してしまっているのだろうか。まさか。そんな事はないはずだ。
「感傷・情緒が死んでる男がまぁまぁな頻度で空を見る原因って、一体何だと思う?」
さあ当ててみせろと言わんばかりの言い草だが、むしろ外すなと言わんばかりにヒントを盛大あげつらってみせている。
出来レースに参戦させられたような気持ちで、渋々アーニャの求める回答を口にする。
「何だろうな。けれど、君がくれたヒントからして、ジークは私の文を待ってくれているのかな?」
私は間違いなく正解を言い当てたようだった。
私の言葉にアーニャは満足げに頷くと、空に腕を突き出した。そしてパントマイムのように何かを腕に乗せてみせた。
「そうよ。あの風情が壊滅している男が小グライフの帰りを待ってるの。シルヴィー、あなたの書いた文を持つ小グライフをね」
そのまま腕に乗せた目に見えない鷹を可愛がるような仕草を続け、アーニャは笑った。
「そんな可愛い男かな?」
「そんな男じゃないわね。でも分かるの。小グライフが戻ってきて、手紙を取り出す時。もちろん、ウキウキした顔何てちっとも見せないけどね」
「それじゃあ喜んでるかどうかも分からないじゃないか」
もう何が何だか分からない。結局ジークは喜んでいるのいないのか。ただ報告書を待っているだけだと結論付けてもいいのではないだろうか。
楽しそうだなんて言われ、少し舞い上がった心はすっかり拍子抜けしてしまい、私はカップに残った紅茶を飲み干した。
下手な推理の時間は終わりだぞ。そう言って、店を出るタイミングを告げようとした時アーニャは言った。
「ジークっていっつもそうだけど、昔から必要がないって判断したら何も言わないで、自分1人でしれっと行動するじゃない。そうして誰にも気付かせずに1人で矢面に立ってる。今もそう。何から私たちを守ろうとしてるのか分からないけど、それが分かるの。もう付き合いも長いから。」
アーニャの瞳が揺れていた。隠しきれなくなっている彼女の胸騒ぎで、瞳の中がさざめいているのだ。
魔王が存在していた頃にはよく見た表情であり、もう見る事がなければ良いと思っていた表情だった。
「アーニャ……?」
「隠してるけど、王宮に戻ってからジークはずっとピリついてる。でも、小グライフが戻ってきて、シルヴィーの手紙があるのを見ると、どことなくホッとしたような、安心したような空気になるの」
もしあの頑ななジークの心を少しでも解く手助けが出来ているのなら、それはこの上なく光栄な事だ。
けれど告げるアーニャは憂いを帯びたまま、話の内容と表情が合致しない。
「なにが起こってるんだ?」
「私にも分からない。ごめんなさい、シルヴィー。こんな事を言って、あなたに心配かけさせる気はなかったのよ」
私はテールブの上に置かれたままになっていた、アーニャの白く繊細な手を取って握りしめた。
「君はものすごく愚かな事を言ってるぞ。もしあの旅路のどこかでそんな遠慮をしてたなら、私たちの誰かは確実に死んでいただろう」
あの頃情報の共有は死活問題であり、必須であった。まずは共有し、行動出来るかの有無はそれからの判断だった。
下手な遠慮で情報をつぐむ事は、パーティ全員を危険に晒す事に繋がっていた。
そして何よりも。
「私たちは仲間だろう? 私は離れていても、君たちとずっと仲間でいると感じてる」
「シルヴィー…!」
アーニャが強く私の手を握り返す。
「王都は……、ううん。王宮は何か変よ。私はこの国の出身者じゃないから詳しい事は分からないけど、でも昔に話に聞いてたブラウディアン王国じゃないみたい。どうしてこんなに不安な気持ちになるのか分からない。おかしな事をされてる訳でもないのに。でもこの国で、何か嫌な事が起こりそうな予感がするのよ」




