早すぎる再開その1
「最悪……、すっごい頭痛い……」
翌朝、寝起きの姿もそのまま食卓へやって来たアーニャに、私は洗面所を指差し伝えた。
「おはようアーニャ。顔を洗って身なりを整えてきなさい。君は一応妙齢の女性なんだぞ」
「一応って何よぅ。私は妙齢の美しい娘よ……」
「妙齢の美しい娘は、そんな寝乱れた姿で廊下を歩く事はないよ。……まさか、普段もそんなじゃないだろうな?」
「違うわよお母さん。シルヴィーがいると、実家感すごいのよね……」
頭を抱えながらブツブツと呟き、それでも言われた通り洗面所へ向かう。
誰がお母さんだとも思うが、ふらふらしているアーニャに追撃する気にもならない。
軽い朝食を用意しているが、果たして食べる元気はあるだろうか。サラダにオレンジを添えていると、奥の扉が開く音がした。
「おはようございます婦人」
「おはようございますシルヴィオスさん。私すっかり寝入ってしまって、お恥ずかしいわぁ」
こちらは身なりをきちんと整えた婦人が、恥ずかしそうに頬に片手を添えながらやってくる。昨日の涙の跡も酒の名残も感じさせない、スッキリとした表情に安堵する。
「昨日のお片づけもしてくれて、朝食の準備まで。ありがとうねぇ」
「気にしないで下さい。昨日はアーニャがあなたを振り回してしまって申し訳ない」
謝ると、婦人は目をパッチリ開けてから破顔した。
「やぁねぇ、私、すっごく楽しかったわ。年甲斐もなく泣いちゃって、シルヴィオスさんはビックリされたかもしれないけど、私久々に晴れ晴れした気持ちになったわぁ。アーニャさんにはお礼を言わないといけないほどよ」
「そうですか、それは良かった」
本当に晴れ晴れとした表情で笑う婦人に、私も微笑み返す。
「でも、シルヴィオスさんは何か気になる事でも? 私と違って何だか浮かないお顔つきね」
婦人の鋭い観察力にどきりとする。昨日の晩、アーニャと話した内容が、私の心には引っかかったままだった。
「久しぶりに酒を嗜んだからかもしれません」
「あぁ、あまり飲まれないものねぇ」
残念そうに婦人は言うが、あの酒量を飲んでも翌日顔色を変えない人間に付き合っていては、幾つ腎臓があっても足りるものではない。
「あ、ふじーーん、お昼からシルヴィと外に行きたいのに頭が痛いの! 二日酔いの特効薬ってないの〜?」
身なりを整えてやって来たアーニャが、婦人の姿を見て甘えた声を出す。
「アーニャ、朝の挨拶が先だろう?」
「おはようございますアーニャさん。あらあら、二日酔いなの? 可哀想に。よく効く飲み薬があるから、それを飲んでもう一眠りしなさいな。お昼には元気に歩き回れるようなりますよぅ」
甘えられる事が嬉しいのか、婦人は我が子を相手するかのように甲斐甲斐しい。
アーニャは精霊使いの名家の出だが、家族の縁は薄い娘だ。甘えるといった事を知らなかった彼女が、むずがったりごねたりして甘えているのを見ると、窘めないとと思う反面、どこまでも甘やかしたくなってしまう。
「シルヴィー、私せっかく服着替えたけど、婦人の薬飲んでもう一回寝るね。お昼は私と一緒に外へ行くのよ? だから10時頃にもう一回起こしてね。シルヴィの朝ごはん摘んで、それから遊びにいきましょう?」
私のスケジュールを当然のように決めてしまったアーニャに、私は笑って頷いた。
「それでいいよ。10時に起こしてあげるから、薬をもらっておいで」
アーニャはもらった薬を飲むと、お休みと一言告げて気だるそうに部屋へ引き返した。
その背中を見送る私の隣で、クスクスと婦人が笑う。
「シルヴィオスさん、普段とは別人ね」
「そうですか……?」
自分では感じることもない指摘に、戸惑って聞き返した。
「ええ。いつも穏やかで優しいけれど、アーニャさんが来てからのあなた、すごく嬉しそうで、普段よりも明るいわ。大事なお友達なのねぇ」
「……そうですね。かけがえのない友人の1人です」
「そうなの。素敵なことねぇ。人には会える時に会わなくっちゃね。後悔してしまうから」
経験から出た婦人の言葉に、私は無言で頷いた。
掃除をしたり洗濯物を干したり、細々した家事を行なっていると、婦人の小さな声が聞こえた。
「どうしました?」
「ミルクを切らしてるの、忘れてたみたいなの。でも急ぎじゃないから別にいいのよ」
とは言え、婦人が夕方の休憩に好んでミルクテーを飲んでいる事を知っている。
時計を見ると10時になろうとしていた。アーニャを起こす時間だが、買い物から帰ってきてからでも問題ないだろう。
「婦人、私が買って来ます。いつものアダムさんの所のミルクですよね?」
「あら、良いの?」
「ええ。他にも買い物があれば言って下さい。その代わり、アーニャが起きて来たら、すぐに戻って来ると伝えてもらえますか?」
「お安いご用よぉ」
私は財布を懐に入れると、行って来ますと軽く手を挙げて家を出た。
食料品や雑貨など、細かな店が集まっているのはこの区画からは少し離れた場所になる。
王都の中心地に比べると品数も品質もうんと劣るが、壊された城壁近くで商売をしていた者達も集まっている。狭い通りだが、今ではちょっとしたバザーのようなひしめき合う華やかさがあり、そこに居る人々も活気に満ちている。
婦人の家で暮らすようになって、ここで食材などを買う機会も増え、今ではちょっとした顔見知りもいる。
「やぁシルヴィオス! 何買いにきたんだ? 今日は新鮮なジャラライの実が入ってるよ」
「アダムさん所のミルクを買いに来たんだ。また今度寄るよ」
青果屋の顔見知りに応えると、正面のカゴ売りの店主が声をかけて来る。
「アダムん所? そしたらお前、あそこの娘に声かけてやんなよ。あんたの事、気に入ってるらしいからよ!」
「光栄だ」
「あんた見目が良いのに浮いた話に興味がないよなぁ」
「そうだろうか?」
「それとも、もう誰か好いている人でもいるのかな?」
背後からかけられた声にドキリとして、私は驚いて振り返る。
「ごめんごめん。驚かせてしまったかな? やぁ、こないだぶりだね」
そこには前回とは違い、庶民的な服装を見にまとったフランツが立っていた。
ブラウンの長い髪を後ろで一つに束ね、ヘーゼルの瞳が好奇心豊かに瞬いている。
ジークの身長にも近い長身。細身の体を庶民的な服で包み、あの警戒心をほぐす少し困ったような微笑みを浮かべ、フランツは私の隣に立った。
「私のこと、覚えててくれてるかい?」
そう言って顔を覗き込んでくるフランツに、私は顔を背けるようにして頷いた。まさか再会があるなどと思っても見なかった。
「よかった。ずっと君の事が気になってた」
その言葉に心臓が縮み上がる。やはり学者なのだ。私の術をずっと気にしていたのだ。
いっその事、もう逃げてしまおうか。そう思った。顔見知りも多い場所だが、私が逃げる姿を見れば、見知らぬ顔に早々私の情報を教える者も少ないだろう。
サッと逃走経路を確保するため左右に目を走らせると、フランツが両手で私の手をとった。
「また会えないものかなと思って、今朝君に会った地区へ行ってみたんだ。誰もいなくて今日は休日なんだと知ったよ。でも諦めきれず、人が多い場所へ行けば君がいたりしないかと思って来てしまった」
フランツは恥かしそうに笑った。
「恥ずかしいな。こんな真似までして。でも、君にまた会えて私は嬉しい」
純粋な再会の喜びを素直に表すフランツに、私はどうにも困ってしまう。
私はため息をつく。手を離してくれるよう頼むと、ああごめんねと、悪びれもなく手が離される。
「フランツ様……」
「どうか私のことはフランツと呼んでおくれ。今はただの市民なんだ」
間髪入れずに正される。私は咳払いし、改めて言った。
「それではフランツ。私はここに買い物に来ているんだ。再会を喜んでもらっている所申し訳ないが、私にはあなたと話す事は何もない」
私の言葉にフランツはへにゃりと眉を下げる。
「随分つれない事を言う。こないだの君はもう少し優しさがあったように思うけれど」
「それは私があなたに怪我をさせたかと思ったからだ。でもあなたは十分に歩けていて、問題もなさそうだ。確かめる事が出来て良かった。それじゃ」
そのまま背を向けて歩き出す。しばらくポカンした顔で私を見送っていたフランツは、小走りに追いかけてきた。
「本当に君、つれないな」
「どうしてついて来るんだ」
「また会ったらゆっくり話そうって言ったじゃないか。シルヴィ、君は人見知り?」
「それはあなたが勝手に言った事だ。私は了承していない。それに私は人見知りでもない」
ここの市場は通りが狭いため、人のすれ違いもかなり多い。撒けないものかと足取りを早めるが、フランツはその細身を生かしてスイスイと人の波を掻い潜って私の後ろをついて来る。
「私は君の行き先を知ってるよ。アダムのミルク屋だろう? 私をおいていっても、どうせそこで合流するよ」
「それを合流とは言わない」
私は等々立ち止まって振り返った。フランツは私が止まったので、嬉しげに笑っている。
「私に話す事は何もないと言っているだろう?」
「でも私は君に興味があるんだよシルヴィ」
興味という言葉に怯んでしまう。術式の話になりそうだと思い怯んだ姿を、フランツは違うものとして受け取ったらしい。少し申し訳なさそうな顔になる。
「あぁ。そうか君、男に迫られて嫌な目にあっていたものね。急にこんな事を言ったら同じように思われてしまうかな」
思わぬセリフに私は目を瞬かせた。
「でも、私が君を気になっている理由は……、まぁそうだね。君がとても美しいから、忘れられなかったっていうのはある」
その白い肌を恥ずかしげに紅潮させ、フランツはあの困ったような微笑みを見せた。
「こんな事を言うと私もこないだの男と同類にされてしまうのかな……? それは避けたい。こんな事を今日言うつもりはなかったんだけどな。でも君があんまりにもつれないもんだから」
「……フランツ、申し訳ないけれど私は」
「君が扱う術式の話がしたくないならそれで良いんだよ」
やんわりと断ろうとする前に、フランツはそう言った。
「何……?」
「え? シルヴィは術式の話が嫌いだろう?」
驚く私に、驚いたようにフランツが言う。
「理由は聞いた方がいいのかな? それとも聞かない方が良い? 私は純粋に君と話がして見たいんだよ。まずは君の友人になれないかな?」
見抜かれていた事に唖然とする。それと共に、何故術式と関係なく私に興味を抱くのかが分からず困惑してしまう。
「君って……」
私の混乱を見てとったのだろう。フランツは吹き出すように笑った。
「そうか、君ってすごく鈍感なんだな。可愛いね」
「か、可愛い?」
言われなれないセリフに更に混乱する。フランツが何を考えているのか全く分からなかった。
「うん。シルヴィ、君は可愛い」
「そこまでよ!! シルヴィーから離れなさい!!」
突如小回りのきいた機敏な影が、私たちの間に割って入った。その小柄な影を見て、私は思わず声をあげる。
「ア、アーニャ?!」
「聞いてるんだからねシルヴィー! こいつなの?! シルヴィーに不埒を働いたって奴は!」
金色の長い髪を跳ね上げ、アーニャは戦闘も辞さないとばかりにフランツを睨み上げた。




