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短編まとめ【商業化未作品】

佳麗になりたい

作者: 四片霞彩

 佳麗かれい

 それは、整っていて綺麗な事ーー美人な事。

 麗は私の名前にも入っている。

 麗華れいか、それが私の名前。

 名字は和泉いずみ

 和泉麗華。字だけ見れば可愛い名前だと思う。

 私はずっと嫌だったけど。


 子供の頃から、顔は不細工で、身体は太り気味。

 中学生になるとニキビに悩む日々。

 そうして、必ずと言っていい程に、名前と比較されてしまう。

 そんな私は、どこに行っても名前負けしてるって言われてきた。


 学生の頃、アルバイトの面接に行ったら、面接を担当した店長に「名前と見た目にギャップがあるね」って笑われてしまった。

 それもあって、いつしか名前がコンプレックになった。


 それは学生を卒業して、大人になった今も変わらない。

 このまま、名前というコンプレックを抱えたまま生きたくない。


 だから、変わろう。

 誰だって、人は変われる。

 女の子なら誰だって綺麗になれる。


 社会人三年目になった麗華は、そう決意したのだった。


 新入社員の研修を終えた六月の下旬。

 梅雨入りした夕方の空は、小雨だった。

 定時から少し過ぎた頃、麗華は今日の分の仕事を終えると、パソコンの電源を切る。

 パソコンが完全に消えるまで、机に広げていた書類を片付けていると、「和泉〜」と向かいの席から声を掛けられる。


「今日はこれ行ける?」

 ジョッキを傾けるようなジェスチャーと共に声を掛けてきたのは、麗華の先輩である高森たかもりであった。

 学生時代は陸上をやっていた事もあり、高森はとても均整のとれた身体つきをしていた。

 今も、社会人によるスポーツチームに所属をしているという事もあって、無駄な脂肪がないほっそりとした身体を維持していた。


「すみません。この後、用事があって……」

「え〜。最近、忙しいよね? 何かあるの?」

 高森は面倒見の良い先輩であり、仕事終わりはよく飲みに誘ってくれた。

 入社したての頃や仕事で失敗した日には、高森と飲みに行っては、よく仕事の愚痴を聞いてもらい、慰めてもらったものだった。


「忙しい訳ではないんですが、今日は用事があって……」

「な〜んだ。彼氏でも出来たのかと思った」

「もう! 彼氏なんていませんよ!」

 高森は体育会系なのか、何ともないように彼氏の話を振ってくる。

 昨今ではハラスメントの問題になりそうだが、そんな事は気にしないらしい。


「じゃあ、私は新人ちゃん達を誘って飲みに行くね。次は和泉も来てね!」

「はい」

 そうして、高森は今年から配属になった新入社員を誘いに行ったのだった。

(いいな。高森さんはああやって、誰とでも打ち解けられて)

 新入社員と話す高森の後ろ姿を、麗華は眩しく思う。


 高森のように、美人でほっそりと痩せているなら、自分も自信を持てるだろうか。

 麗華は自分の身体を見下ろす。


 社会人になって、一人暮らしを始めた。

 仕事で多忙を極めるようになると、まともに食事を取れなくなった。

 職場内での対人関係のストレスも原因かもしれない。

 それもあって、一番太っていた学生の頃より体重は減ったが、まだ完全に痩せたとは言えなかった。


(体重は減ってもなあ……)

 麗華は電源が切れたパソコンを見つめる。

 真っ暗な画面に映っている麗華の肌は荒れていた。

 特にここ数日は、遅くまで残業をして、夕食を食べるのも、日付けが変わる直前であった。

 度重なる不摂生も重なって、昔ほどではないが荒れてしまったのだった。


(ようやく仕事も落ちついたし。しばらくは、この時間に帰れるだろうし)

 麗華が真っ暗になったパソコンの画面を見つめたまま、小さくため息をついていると、コツコツと足音が近づいてきた。


「先輩? どうしましたか? またパソコンの調子でも?」

 麗華が振り向くと、そこには髪型をアップバンクのショートヘアにした男性社員が居たのだった。


桂木かつらぎさん」

 麗華の一年後輩に当たる桂木だが、年齢は麗華と同い年であった。

 元々はIT系の会社に勤めていたらしいが、度重なる上司からのパワーハラスメントとブラックな労働環境に身体を壊して、昨年から麗華と同じ会社で働いていた。


「ううん。今日は大丈夫です」

 IT系で働いていた事もあって、桂木はパソコンにとても詳しかった。

 パソコンが苦手な麗華は、パソコンが動かなくなる度に、こっそり桂木に聞いていたのだった。

「そうですか? それならいいんですか……」

 今日は湿気が多く、気温が高いからか、桂木はジャケットを脱いでいた。

 第一ボタンが開けられた白色のシャツと、適度に緩められた黒色と深緑色のストライプのネクタイから、爽やかさを感じたのだった。


「先輩はもう退勤されますか?」

「はい……。桂木さんは?」

「俺はまだ仕事が残っているので……」

 桂木は目を逸らした。

 桂木はパソコンは得意だが、意外にも書類仕事は苦手なようだった。

 今も明日の会議に備えて、会議資料の印刷や用意に奮闘していた。

「よければ、お手伝いしましょうか?」

「いいえ。あと少しで終わるので、先輩は先に退勤して下さい」

 麗華が桂木にパソコンを見てもらっているように、桂木も麗華に書類仕事を手伝ってもらっていた。

 それを桂木は気にしているのだろう。


「そうですか? それならいいんですが……。もし、時間が掛かりそうなら遠慮なく声をかけて下さい」

「ありがとうございます。先輩」

 同い年の桂木に「先輩」と呼ばれて、麗華はこそばゆい気持ちになる。

 麗華は「先輩」と呼ばなくていいと言っているのだが、桂木を指導した高森の影響なのか、桂木は麗華達を「先輩」と呼び続けていたのだった。


「それでは、お先に失礼します」

 麗華は荷物をまとめると立ち上がる。

「お疲れ様でした。先輩」

「お疲れ様でした」


 桂木は一礼すると、自分の席に戻って行った。桂木は麗華の右斜め後ろの席なので、ここからでも桂木の様子が見れた。

 桂木は席に戻ると、すぐに印刷した会議資料をステープラーで留め始めた。

 麗華は小さく微笑むと、部屋を後にしたのだった。


「和泉様ですね。お待ちしていました」

 仕事が終わると、麗華はその足でエステティックサロンにやって来ていた。

 麗華が受付で名前を言うと、受付は予約票を確認した。

「担当は前回と一緒ですね。今、呼んできます」


 担当を呼びに行っている間、入り口近くのソファーに座っているように言われた。

 ソファーに座ると、麗華は近くにあったマガジンラックから女性向けの雑誌を取り出して、パラパラと読んだ。


 最近、麗華が高森の飲み会に行かない理由の一つに、自分磨きに力を入れているというのがあった。

 麗華は一週間の内、週一日はエステティックサロンに、それ以外にも週三日はフィットネスクラブに通っていた。

 それ以外でも、化粧品やスキンケアにこだわってみたり、髪型や服装にも力を入れてみたりした。


 もう、名前負けしているとは、言われたくなかった。

 麗華って名前だけで、綺麗な人や可愛い人を勝手に想像されてきた。実際に会うと、必ずと言っていい程に、相手に幻滅され続けてきたのだった。


(私もこうなりたいな……)

 雑誌の中のモデル達は、いつもキラキラして、眩しくて、自分とは違う世界に住んでいるように思えた。

 自分はモデル達のように、胸を張って堂々とは出来ない。

 そもそも、自分に自信がなかった。


 大学生までの麗華は、肌の手入れや化粧もまともにしておらず、顔はニキビだらけ。服装や髪型にも特にこだわっていなかった。

 また、体型も太り気味で、とても綺麗とは言い難かった。


 名前が「麗華」というのもあって、周囲から「似合わない」と、面と向かって言われた事もあれば、陰で言われた事もあった。

 その度に、麗華は傷ついて、泣き寝入りをした日もあった。

 今ではすっかり慣れてしまったが。


 さすがに、社会人になったら面と向かって言われなくなったが、それでも綺麗な同性や異性の前では尻込みしてしまう。

 そんなある時、麗華は考えた。


 ーーこのまま、名前負けしたまま、ずっと生涯過ごすのかな。


「麗華」という名前に、負けたままでいいのかな。

 そう考えていたら、だんだんと悔しくなってきた。


 ーー変わってやる。名前に相応しい女性に変わってやる!

 決意した麗華は、仕事の合間に自分磨きに力を入れる事にしたのだった。


「和泉様。お待たせしました。担当の明石あかいしです。今回もよろしくお願いします」

 雑誌を読んでいると、麗華を担当するエステティシャン明石がやってきた。

 麗華は立ち上がると、読んでいた雑誌をマガジンラックに戻した。

 持っていた鞄を受付に預けると、明石について店の奥に行ったのだった。


「和泉様、ご指名頂きありがとうございます」

 麗華が部屋に案内されると、明石は一礼した。

「今回もよろしくお願いします」

 以前、このエステティックサロンを利用した時、たまたまいつも担当をお願いしていた人が休みだった。

 代わりに担当してもらったのが、この明石であった。

 それ以来、麗華は明石に担当をお願いしていたのだった。


 年齢は麗華と同じくらいだろうか。

 茶色に染めた髪を頭の後ろで一つまとめ、適度に化粧もしていた。

 施術中の雑談も楽しく、肌の手入れや新商品の化粧品の情報、それ以外の話題もたくさん持っていた。

 とても大人っぽくて、麗華は密かに明石に憧れていたのだった。


 麗華が病院にある様なベッドの上で横になると、明石は麗華の服が汚れないようにタオルケットをかけてくれた。

「では、最初に化粧を落としますね。それから、お肌の調子を見ていきます」

 そう言って、明石は麗華の化粧を落としていく。

 明石の温かい指先が顔に触れて、くすぐったかった。


「前よりお肌がよくなっていますね」

「良かったです」

「でも、まだ荒れていますね。もう少し、手入れを頑張るといいかもしれません」

「は〜い……」


 これまで、麗華は仕事が忙しい事や疲れている事を言い訳にして、肌の手入れを怠っていた。

 それもあって、最初にここに来た時、麗華の肌はボロボロだった。

 明石によると、麗華の肌はしっかり手入れがされていなかったので、ニキビが出やすくなっていたらしい。

 ここで肌の手入れについて教えてもらって、ニキビが出にくくなって、少しずつ改善されてきたのだった。


 いつもと同じように雑談を挟みつつ、明石に手入れをしてもらっていると、時間はあっという間に過ぎていった。

 最後に、忙しくても簡単に出来る肌の手入れについて二人が話していた時だった。


「和泉さん、間違えていたらすみません」

「はい?」

「最近、綺麗になりましたよね? 前回よりもますます綺麗になって……。何かきっかけがありましたか?」

「きっかけなんて、何も……」

「例えば、好きな人が出来たとか」

「す、好きな人……!?」


 不意に、麗華の頭の中を、会社の後輩である桂木の姿が過ぎった。

 それを打ち消すように、麗華は「いません!」と、明石の言葉を否定したのだった。

「そうですか? てっきり、好きな人が出来たのかと思っていました」

「違いますよ〜」

「失礼しました」と謝る明石に、「気にしないで下さい」と麗華は返したのだった。


「そんな明石さんは、好きな人がいたりするんですか?」

「私は今年の始めに結婚したんです」

 仕事中は邪魔になるからしていないが、普段は結婚指輪をしているらしい。


「わあ、素敵です! 相手の方はどんな人なんですか?」

「そうですね……。趣味や好みが私と合っていて。性格は大雑把で、でも優しい人なんです」


 明石によると、エステティシャンの専門学校に通っていた頃から付き合っており、専門学校を卒業して、数年経ったのを機に結婚したが、今ではすっかり気心の知れた仲らしい。


(こんな美人な明石さんと付き合っているって事は、イケメンな旦那さんなのかな……)

 少しだけ羨ましいと、麗華は思った。

 明石の様に、いつの日か麗華も素敵な人と結婚出来るように、もっと綺麗になりたいと決意したのだった。


 麗華が本日の代金を支払って外に出ると、外は土砂降りの雨であった。

 麗華は鞄から折りたたみ傘を取り出すと、傘を広げた。

 駅に向かいながら、麗華は頭の中で明日の予定を反芻した。

(明日は会議があるから、その前に上司に書類を提出して、それから夜のフィットネスクラブの予約時間までに、その日の仕事を全部終わらせて……)


 その時、麗華の視線の先には一人の男性がいた。

 ファストフード店の軒先で困ったように空を見上げていたのは桂木であった。

(桂木さん? どうして、ここに……?)

 桂木を無視して駅に向かう事も出来たが、なんとなく麗華は桂木が居るファストフード店に近づいて行ったのだった。


「桂木さん?」

「先輩? どうしてここに……。もう帰ったのかと思っていました」

 麗華が声を掛けると、桂木は目を大きく見開いた。

「私は寄り道をしていたので……。ところで、桂木さんはどうしてここに?」

「仕事が終わったらこんな時間だったので、とりあえず会社近くのこの店で夕食を済ませたんです。帰宅してからだと遅くなるので」


 麗華と別れて会社に残って仕事をしていた桂木だったが、帰り際の上司から明日の会議資料の追加を頼まれたらしい。

 それが終わって会社を出たら、既に遅い時間になっていた。

 このまま自宅に帰っていると、益々遅い時間になるので、とりあえず会社近くのこのファストフード店で夕食を済ませる事にしたらしい。

 すると、夕食を食べている間に、一度小雨になった雨は土砂降りに変わって、帰れなくなったそうだ。


「全く……。上司も定時を過ぎてから頼まなきゃいいのに……」

 呆れたようにため息をつく麗華に、桂木は慌てた。

「けれども、それをやると言ったのは俺です。上司は何も……」

「桂木さんも、会議資料なんて明日の朝一でいいんですよ。なんなら、私も手伝ったのに」

 会議は明日の昼からだったので、朝一で資料を用意すれば間に合うだろう。

 わざわざ、今日中に用意をする必要もない。


「すみません。そこまで気が回らなくて……」

「いいえ。桂木さんは悪くありません。それより、傘は持っていないんですか?」

「会社に置いてきてしまって……。今夜は晴れると聞いていたので」

 桂木の言う通り、今朝の天気予報では朝から降っていた雨は、夜には晴れると言っていた。

 けれども、夜になっても雨は晴れるどころか土砂降りになったのだった。

 麗華が周囲を見回すと、他にも傘を持っていないと思しき人達が、あちこちの店先や軒下で雨宿りをしていた。


「俺は雨が止んでから帰ります。先輩は早く帰った方が……」

「桂木さんって、確か電車で通勤されていましたよね?」

「はい。そうですが……?」


 以前、桂木が入社したばかりの頃、高森が聞いていたのを麗華も一緒に聞いていた。

 桂木は七つ先の駅から会社がある駅まで、電車で通勤しているらしい。

 一方の麗華も、会社がある駅前から出ているバスで通勤していたのだった。


「桂木さんが良ければ、駅まで一緒に行きませんか?」

「先輩の気持ちは嬉しいですが、さすがに悪いですし……」

「気にしないで下さい。元はと言えば、私が桂木さんを置いて先に帰ったのが悪いですし」


 桂木が入社するまで、会議資料の用意は麗華の業務であった。

 その際にも、上司には散々、資料の追加を会議の用意が終わった後にされていた。

 会議資料の用意が麗華から桂木に変わっても、上司が変わらない限り、後から会議資料が追加される事は予想できた筈だった。

 それを放っておいて、桂木を置いて帰ってしまったのは麗華の落ち度だった。


(高森さんだったら、絶対にこうはならなかっただろうな……)

 麗華が終業後に泣く泣く追加された会議資料の用意をしていると、常に手伝ってくれたのは先輩の高森であった。

 会議まで時間があるのがわかると、高森は麗華から資料を取り上げた。

 そうして、「明日やろう! 今からやってもミスるだけ」と言って、麗華を飲みに連れて行き、帰り際に会議資料の追加を渡してきた上司の愚痴を聞いてくれたのだった。


 そんな高森に助けられた経験があるから、麗華も桂木を助けたいと思っていた。

 それなのに、麗華は自分の事ばかりを考えて、桂木を見捨ててしまった。


「先輩は何も悪くありません。仕事が終わったのなら、退勤するのが当たり前です。特に、最近、慌ただしく退勤されているようですし……」

「それは……!」

 まさか、桂木にフィットネスクラブやエステティックサロンの予約時間に遅れないように慌てて帰っているとは言えなかった。

 それで、麗華は適当に誤魔化す事にしたのだった。


「さ、最近、実家から頻繁に連絡が来ていて、早く返事をしないと心配をするから、それで慌ただしく帰っちゃって……」

「そうなんですか……?」

「そうなの!」

 麗華自身も苦しい言い訳だと思う。

 桂木は考え込んでいるようだったが、やがて頷いたのだった。


「では、先輩のお言葉に甘えて。駅か途中で傘を売っているお店まで、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「勿論です! さあ、どうぞ!」

 頭一つ半近く背の高い桂木の身長に合わせるように、麗華が傘を持ち上げる。

 桂木は傘の中に入ると、麗華が持ち上げる傘を掴んだのだった。


「俺の方が先輩より背が高いので、俺が傘を持ちます。先輩が傘を持っていたら腕が疲れると思うので」

「いいんですか?」

「これくらいはさせて下さい」


 麗華が傘から手を離す時、傘を掴む桂木の手とぶつかってしまった。

「すみません」と麗華が謝ると、「こちらこそ」とだけ返して、桂木は目を逸らしたのだった。

 そうして、二人は駅に向かって歩き出したのだった。


 ザアッと音を立てて雨が降る中、二人は無言で歩く。

 駅に向かいながら、途中のコンビニやドラッグストアを覗いてみるが、時間が遅いからか、それとも桂木の様に傘を持っていない人が買ってしまったのか、傘は残っていなかった。


「傘、売ってないですね……」

「そうですね……」

 桂木は片手で麗華の傘を持ちながら、反対の手でスマートフォンを使っていた。

 どうやら、文章を打っているようだった。


「あの、やっぱり私が傘を持ちましょうか?」

 スマートフォンから顔を上げた桂木が、慌てたように麗華を振り返った。


「すみません。スマホに夢中になって、濡れてしまいましたか?」

「いいえ。そういう訳じゃないんです! ただ、傘が傾いて、桂木さんの肩が濡れてしまっているので……」

 桂木がスマートフォンを使うたびに、傘を持つ手は麗華の方に傾いていた。

 そうすると、桂木がスマートフォンを持っている側の肩が、雨で濡れてしまっていたのだった。


「ああ……。傘を頼むのに夢中になって、すっかり忘れていました」

「はあ……。そうなんですか……」

 桂木はスマートフォンを胸ポケットにしまうと、傘を持ち直したのだった。


 二人が歩いていると、駅前の大きな横断歩道に差し掛かった。

 赤信号の横断歩道の前で立ち止まっていると、二人の目の前を車がスピードを上げて通り過ぎて行った。

 そのスピードを受けて、道路脇に溜まっていた水たまりが麗華達に向かって跳ねたのだった。


(やばっ……!)

 麗華が顔を背けると、桂木が麗華を庇ってくれた。

 跳ねた水で、桂木の左半身は濡れてしまったのだった。

「す、すみません! 桂木さん!」

 間近で見た桂木は、水に濡れて不機嫌そうな顔をしていた。

 麗華は泣きそうな顔で慌てて鞄を探ると、ハンカチを取り出したのだった。


「これくらい、大した事ではありません」

「で、でも! 私を庇った事で、桂木さんが濡れてしまって……!」

 麗華は桂木の頬を流れる水を拭こうと、背伸びをした。

 すると、桂木は目を大きく見開いて、麗華を見つめてきたのだった。

「先輩」

「な、なに?」

 桂木は笑みを浮かべると口を開いた。


「最近、キレイになった?」


 麗華は何度も瞬きを繰り返した。

「えっと……。それって……?」

「こういう事をはっきり言うのは失礼だとわかっています。けれども、言わせて下さい。最近の先輩は綺麗になったと思って」

「そ、そうでしょうか?」

 麗華の顔が赤く染まっていくのを感じた。

 桂木からそっと目を逸らす。


「間近で見て確信しました。以前よりも、いえ! 以前から綺麗でしたが、更に綺麗になったような気がして!」

 二人がそう話している間に、信号は青に変わっていた。

「行きましょう。桂木さん」

 麗華はハンカチを鞄にしまうと、桂木と一緒に横断歩道を渡ったのだった。


 横断歩道を渡って駅にやって来ると、電車やバスを待つ人達以外にも、送迎を待つ人達で駅の構内や駅前のロータリー付近は、いつもより混雑しているようだった。


「桂木さんはここで大丈夫ですか?」

「ありがとうございます。先程、身内に傘を持って来るようにお願いしたので」

 すると、駅の出入り口付近にいた麗華と歳が近そうな女性が、手を振りながら近づいて来たのだった。


「いたいた! お〜い! 秋斗あきと!」

 二人に近づいて来たのは、茶色に染めた髪を下ろして、白色のブラウスと黒色のロングカーディガンという、いかにも仕事帰りといった姿の女性であった。

 女性は透明なビニール傘を二本持っていたのだった。


秋穂あきほ、 すまない。頼んでしまって」

「本当だよ。もう……。傘を買って迎えに来いって言うから傘を探したのに、やっぱり来なくていいって言ってきて」

 秋穂と呼ばれた女性は、麗華の姿に気づくと綺麗に化粧を施した顔を傾げた。


「もしかして、和泉様ですか? さっき、うちのお店に来ていた?」

「そうですが。えっと、どちら様でしょうか……?」

 麗華が戸惑うと秋穂は小さく笑って、茶色に染めた髪を後ろで一つにまとめる振りをした。


「私です。明石です! 先程、私が担当しましたよね?」

「ああっ! 明石さんだったんですね! すみません。雰囲気が違うので気づきませんでした!」

 髪を後ろした明石は、とても年相応に可愛らしい雰囲気を醸し出していたのだった。


「お勤め先が秋斗と同じ会社と聞いていたので、もしかしたらと思っていましたが……。二人は知り合いだったんですね!」

 前回、明石に担当をしてもらった時に、仕事について聞かれて、麗華は会社名を話していた。それを覚えていてくれたのだろう。


 麗華が明石と話していると、秋斗と呼ばれた桂木が二人を見比べた。

「秋穂、先輩と知り合いだったのか?」

 明石は、「そうなの!」と親しげに桂木に返したのだった。

 その様子を見ていた麗華はハッと気づく。

(もしかして、明石さんの旦那さんって……)


 明石は結婚していると聞いたが、その相手は桂木ではないだろうか。

 桂木は顔立ちは悪くなくて、性格もいい。

 対する明石も、顔は化粧映えもあって綺麗で、優しい性格であった。

 そんな二人は、お似合いだと思ったのだった。


 二人を見ていると、何故か麗華の胸は痛くなった。

(どうして、こんなに悲しい気持ちになるんだろう)

 麗華は胸をギュッと押さえると、二人に向かって精一杯の笑みを浮かべたのだった。


「良かったですね。桂木さんも奥さんと合流出来て!」

 すると、二人は「はっ?」と声を揃えたのだった。


「先輩。俺が誰と夫婦なんですか?」

「誰って、桂木さんと明石さんが……」

 そこまで麗華が言うと、突然、明石が声を上げて笑い出したのだった。


「おい、秋穂。失礼だろう」

「ど、どうしたんですか!? 突然……」

 お腹を抱えて笑う明石の姿に麗華が戸惑っていると、「すみません」と明石は話し出した。

「和泉様には、私達が夫婦に見えましたか?」

「はい。仲が良さそうだったので……」

 すると、桂木は「先輩」と教えてくれた。


「俺と秋穂は、双子の姉弟きょうだいなんです」


「えっ……」

 麗華が言葉を失っていると、「そうなんです!」と、明石が目尻に溜まった涙を拭いながら教えてくれた。

「私が姉で、秋斗が弟なんです。で、私は結婚したので、名字が桂木から明石に変わったんです」

「そ、そうだったんですね……」

 勘違いした麗華は恥ずかしくなって、耳まで真っ赤になる。


「そうですよ! そもそも、誰がこんなパソコンオタクの根暗と結婚するものですか!」

 明石の言葉に対して、桂木も呆れたように返した。

「それを言うなら、誰がケバケバしくて、うるさい女と結婚するものか」

「なんですって〜!?」

 睨み合う明石と桂木を改めて見比べると、二人が似ている事に麗華は気づいたのだった。


 明石は麗華に顔を近づけると小声で話した。

「知っていますか? 秋斗の奴、仕事ではカッコつけてコンタクトレンズを使っていますが、いつもは黒縁眼鏡と黒ジャージ姿なんですよ」

「秋穂! 先輩に余計な事を教えるなよ!」

 顔を真っ赤にした桂木は、麗華の後ろに隠れた明石に向かって叫んだ。


「あら、秋斗だって気になる人がいるから、私に美容について聞いてきたのでしょう? 学生の頃は、あんなに顔の手入れやコンタクトレンズを嫌っていたのに」

「だから、先輩の前でバラすなって!」


 麗華を挟んで息の合った舌戦を繰り返す双子に、麗華は小さく微笑む。

(桂木さんの意外な一面が見れたのなら、自分磨きをして良かったかも)

 これも、麗華がエステティックサロンに通って明石と知り合いにならなかったら、見れなかっただろう。

 麗華は微笑むと、言い争う双子を止めたのだった。

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