しあわせな物語
色えんぴつで塗ったみたいな青い空に、ぽっかりと白い雲が浮かんだきれいな秋の日のことです。ふたりの愛らしい女の子が、嬉しそうに顔を見合わせました。
「やったあ!ついにできたね!」
そう言って手をたたいたのは、黒髪の女の子、紫伊ちゃんです。その隣でにっこりしているのは、ひつじの女の子・ペコラ。二人とも、創作サークル『芒羊會』のメンバーで、明日の文学フリマ東京に向けて準備をしていたのです。かわいい絵が表紙に印刷された三冊の本が積み上げられて、キラキラと輝いているように見えました。
「これが、『ある羊飼いの友人 おかわり』、こっちが『ある羊飼いとあの店のカウンター席』、それから『ある羊飼いの一生の不覚』だね」
紫伊ちゃんはひとつずつ確かめるように指さしました。三冊の本の中には、『芒羊會』の仲間たちの小説がいくつも入っています。どれもとっても面白くて、自信作なのでした。
「ペコラはどの本がいちばん好き?」
たずねられたペコラは首をかしげて何度かまばたきをしました。それから両手をおおきく広げ、にっこりと紫伊ちゃんの顔を見上げます。紫伊ちゃんは一瞬きょとんとしてから、なるほどと笑いました。
「うん、わたしも! 比べられないくらい、ぜーんぶだいすき!」
けれど、そのあとすぐに紫伊ちゃんは困った顔で腕組みをしてしまいました。どうしたのかと、ペコラも心配そうに見上げます。
「うーん、でもどうしよう。何がいいかなあ。どんなものなら、みんな喜んでくれるんだろう」
実は紫伊ちゃん、今回の本をつくるのにがんばってくれた『芒羊會』の仲間 ――― Muさん、藤原さん、yoさん、まつさん、春ちゃん、それからすてきな絵をえがいてくれたみみちゃんに、なにか特別な贈り物をしたいと思っているのでした。プレゼントは、明日の文学フリマのあとのパーティーでわたす予定です。時間はもうあまりありません。
すると、頭を抱えた紫伊ちゃんの服のすそを、ペコラがくいくいっと引っ張りました。どうやら、自分も協力したいと言っているようです。
「よーし、ペコラが手伝ってくれるなら百人力だよ! すてきなプレゼントを見つけちゃおう!ペコラ、このことはみんなに内緒だからね。みんなをびっくりさせたいの!」
紫伊ちゃんがしーっと人差し指をたてると、ペコラはちいさなこぶしを握りしめました。やる気満々です。そうして、ふたりはプレゼントを探しに出かけたのでした。
歩き始めてしばらくして、ふたりはたくさんの酒場が立ち並ぶネリマという土地にたどり着きました。ふたりがきょろきょろしていると、声をかけるひとがいました。
「ねえ、どうしたの? 何か困ってるの?」
ふたりが振り返ると、カノコさんの姿がありました。彼女も『芒羊會』のメンバーのひとりです。カノコさんは琥珀色のお酒を飲んでいました。そうです、ハイボールです。ペコラははじめてかぐアルコールのにおいにびっくりしています。紫伊ちゃんが事情を説明すると、カノコさんは合点がいったように明るい声をあげました。
「それならいいものがあるよ! わたしも『芒羊會』の編集メンバーにはお礼がしたいと思っていたから、ぜひもらって」
カノコさんが差し出したのは、強そうでしなやかな八本の美しい毛が束ねられた筆でした。
「これは、八岐大蛇の鬣を束ねて作った筆だよ。この筆なら、誰かの運命を変える物語を書けるって聞いたことがあるよ」
「八岐大蛇をやっつけたんですか?すごい!」
紫伊ちゃんが素っ頓狂な声をあげました。八岐大蛇といえば八つの頭を持つという大蛇です。そのたてがみを使った筆なんて、どうやったら作れるのでしょう。
「ううん、倒してないよ。一緒にお酒を飲んで仲良くなったの。それで、八つの頭から一本ずつその毛をわけてもらったんだよ。でも……」
紫伊ちゃんとペコラはなるほどと思いました。でも、なぜかカノコさんは口ごもって悲しそうな顔をしています。仲良くなったといえど、八岐大蛇は本来はあぶないかいぶつです。もしかすると別のひとに退治されてしまったのでしょうか。紫伊ちゃんとペコラもつられて悲しい気持ちになりました。
「八岐大蛇のヤツ、ひどい二日酔いになっちゃって……」
カノコさんがそう言って肩を落としたので、紫伊ちゃんとペコラはなーんだと思ってしまいました。二日酔いなら、きっと明日にはなおるでしょう。ハイチオールCとポカリを飲めば一発です。
それはさておき、カノコさんからもらった筆はなんてすてきなのでしょう。かわいい物語、かっこいい物語、さびしい物語、色々な物語をたくさん作ってきたみんなだったら、きっと喜んでくれるにちがいありません。
「そうそう。この道を北に進んだ先にあるサイタマという深い森の奥に、わたしの友だちがいるよ。彼女もきっと力になってくれると思う。目立つ姿をしているから、すぐにわかると思うよ」
紫伊ちゃんとペコラはカノコさんにお礼を言って、次のプレゼントを探してさらに道を進むことにしました。
漆黒の深い森に入ってから、もうどれくらい経つでしょう。風に吹かれて木がざわざわ。姿の見えない鳥がキェーキェー。紫伊ちゃんとペコラは互いの手をギュッと握りながら、森の中を歩いていきます。
こわくてこわくて逃げてしまいたいけれど、『芒羊會』のみんなの笑顔を思い浮かべたら、ちょっとだけ勇気がわいてきました。
「ペコラ、すてきなプレゼントをみんなに渡そうね」
大きく頷いたペコラの笑顔にも元気をもらい、紫伊ちゃんはさらに奥へと進みます。しばらくして、ふたりは大きな木がたくさん生えているサイタマにたどり着きました。
「カノコさんはすぐに分かるって言ってたけど…?」
サイタマは薄暗くて、まわりの景色がよく見えません。ふたりがきょろきょろしていると、声をかけるひとがいました。
「ねえ、どうしたの? 何か困ってるの?」
ふたりが振り返ると、みやさんの姿がありました。彼女も『芒羊會』のメンバーのひとりです。みやさんの服は、上から下までぜんぶピンク色。読書会の時よりも派手な地元コーデに、ペコラはびっくりしています。紫伊ちゃんが事情を説明すると、みやさんは合点がいったように明るい声をあげました。
「それならいいものがあるよ! わたしも『芒羊會』の編集メンバーにはお礼がしたいと思っていたから、ぜひもらって」
みやさんが差し出したのは、つやつやと輝く純白の紙でした。
「これは、世界樹の葉を漉いて作った紙だよ。この紙に物語を書くと、次元を行き来できるようになるんだって」
紫伊ちゃんとペコラはとっても驚いて、目を丸くさせています。でもそれは、みやさんがチェーンソーで世界樹を切ったからでも、この紙が次元の壁を越えられるからでもありません。
「ピンクじゃなくていいんですか?みやさんなのに」
「小説を書く時にピンクの紙だと見づらいよー。あ、ピンクの方がよかった?」
みやさんは時々、とても現実主義なのです。紫伊ちゃんとペコラはあわてて首を横にふり、薄闇の中でもキラキラと光る白い紙を、両手でやさしく抱きしめました。
やさしい物語、うすきみわるい物語、あかるい物語、色々な物語をたくさん作ってきたみんなだったら、きっと喜んでくれるにちがいありません。
「そうそう。森の奥のトンネルを抜けた先にあるヨコハマという海辺の町に、わたしの友だちがいるよ。彼女もきっと力になってくれると思う。目立つ姿をしているから、すぐにわかると思うよ」
紫伊ちゃんとペコラはみやさんにお礼を言って、次のプレゼントを探してさらに道を進むことにしました。
漆黒の森の奥には、長いトンネルがありました。オレンジ色の明かりがぽつぽつと灯るそこを歩いていくうち、だんだんと潮の香りがただよってきます。香りにみちびかれるようにさらに歩いていくと、今度は波の音が聞こえてきました。紫伊ちゃんとペコラは顔を見合わせると、いてもたってもいられなくなって、トンネルを一気に駆け抜けました。
トンネルを抜けると、木でおおわれていない広い空と、海に沈んでいこうとする橙色の夕陽の光が、ふたりの視界いっぱいに広がります。
潮の香りに混じってシウマイの匂いがするその場所は、みやさんが教えてくれたヨコハマという町でした。
ふたりがきょろきょろしていると、声をかけるひとがいました。
「ねえ、どうしたの? 何か困ってるの?」
ふたりが振り返ると、はとむぎさんの姿がありました。彼女も『芒羊會』のメンバーのひとりです。はとむぎさんのまわりを飛んでいるたくさんの鳩たちの姿を見て、ペコラはびっくりしています。紫伊ちゃんが事情を説明すると、はとむぎさんは合点がいったように明るい声をあげました。
「それならいいものがあるよ! わたしも『芒羊會』の編集メンバーにはお礼がしたいと思っていたから、ぜひもらって」
はとむぎさんが差し出したのは、深い藍色をしたインクの詰まった、鳩のマークの小瓶でした。ふたりがその小瓶を受け取って中身を眺めると、それはきらきらと光っていることに気が付きました。
「それはね、ここにたまった海獣の涙を濾して作ったインクだよ。このインクで書いた物語は、現実になるとかならないとか……」
そう言って海を指したはとむぎさんの手の動きをたどるように、ふたりはどこまでも続いていく青い海を見つめて、わあ、と声をあげます。ところが、おかしなことに気がつきました。
「夕陽があんなに近くにあるのに、海の色が青いままだね」
紫伊ちゃんの言葉に、ペコラが力強く何度も頷きます。そうしてふしぎそうに首をかしげる二人を見て、はとむぎさんがおもしろそうに笑いました。
「これはただの水じゃなくて、海獣の涙だからね。かなしいこと、うれしいこと、全部がつまったプルシアンブルーだよ」
はとむぎさんの言葉を聞いて、ふたりは顔を寄せ合い、海獣の涙を集めて作ったインクの詰まった小瓶をもういちど見つめます。
かなしい物語、うれしい物語、たのしい物語、色々な物語をたくさん作ってきたみんなだったら、きっと喜んでくれるにちがいありません。
これでプレゼントは揃いました。紫伊ちゃんとペコラはやったあと手を取り合います。はとむぎさんもうれしそうです。
「よかったね。みんな、きっと喜んでくれるよ」
このプレゼントなら、Muさんも、藤原さんも、yoさんも、まつさんも、春ちゃんも、みみちゃんも、きっと満足してくれるに違いありません。あとは明日のパーティーを待つだけです。もちろん、パーティーを楽しい気持ちでむかえるためには、文学フリマでたくさんの人が『芒羊會』の本を読みたいと思ってくれなくてはいけません。でも紫伊ちゃん、それは心配していませんでした。だって、みんなで作った『芒羊會』の本は、「最高」に決まっているのだから!
翌日、三人から受け取ったプレゼントを持って、紫伊ちゃんとペコラはパーティー会場の朋来堂に向かいました。文学フリマは大成功におわり、朋来堂に集まった『芒羊會』のメンバーたちはみんなほっぺたをすこし赤くして、小説の感想を伝え合ったり、次の作品の構想を語ったりしています。プレゼントを気付かれないように四畳半の和室へ隠したあと、紫伊ちゃんとペコラも輪のなかに入って、『芒羊會』の本がたくさんの人たちの元へと旅立っていったことを喜びました。
宴もおしまいに近づいたころ、紫伊ちゃんとペコラは三人からもらった筆と紙とインクを持って、『芒羊會』の編集メンバーに近寄りました。どうしたんだろう、と不思議そうにする仲間たちに、ふたりがプレゼントを差し出すと、みんな声をあげて喜んでくれました。よかった、と紫伊ちゃんが胸を撫で下ろしていると、横でペコラがもぞもぞしています。
「あれ? ペコラ、それなあに?」
ペコラがまだなにか隠していることに気がつき、紫伊ちゃんは不思議な気持ちでたずねました。三人から受け取ったプレゼントは、これで全部だったはずです。ペコラはびくりと肩をゆらし、それからおずおずと一冊の絵本を差し出しました。
「これ、わたしに?」
ペコラはもじもじとうなずきました。そうです。ペコラは、こっそりと紫伊ちゃんにも贈り物を用意していたのです。紫伊ちゃんが絵本を開くと、そこには昨日のふたりの大冒険の様子が、かわいい絵と文字で記されていたのでした。紫伊ちゃんはとってもうれしい気持ちになって、ペコラにぎゅうっと抱きつきました。
「ねえ、ペコラ。『芒羊會』のみんなは、これからどんな物語をつくってくのかな?」
キュンとする恋の物語、ゾッとするようなこわい物語、思わず泣いてしまうような感動する物語。作風の幅広さも『芒羊會』の魅力のひとつ。きっと想像もできないような、おもしろい物語がたくさん生まれることでしょう。
「紫伊ちゃん、ペコラ。はやくおいで! 今日は朝までだからね。二軒目いくよ!」
『芒羊會』の仲間たちの呼ぶ声に、ふたりはいたずらっぽく顔をあわせて立ち上がりました。『芒羊會』のしあわせな物語は、まだまだ続いていくようです。