9.謀られた王女
帰国の為の荷造りをし、床についたカリーナは、明け方にガタガタと小さな物音を聞いた気がした。
隣の兄の部屋からのようだ。
出発は、朝食後に国王に謁見してからだと聞いているからまだ早い。
気が焦っているのかしら…
そう思いながら、カリーナは再び眠りについた。
目が覚めると、妙な違和感を覚えた。
何だろうと首を傾げながらも身支度を整えた。
窓から日差しが漏れている。
今夜王宮では舞踏会がおこなわれるが、城下町では、明日からの聖誕祭の前夜祭が催されるらしい。
屋外にダンス会場も設けられるそうだから、晴れて良かったなと思う。
堅苦しい舞踏会に出席するより断然そちらの方が楽しそうだが、カリーナはどちらにも出席せず早々にこの国を出ることになる。
昨晩の内にまとめた荷物をチェックした後、身支度に使ったブラシや化粧品を大きめの鞄にしまっていると、ドアがノックされる音がした。
メイドが朝食を運んできたのだろうか。
少し早い気がするが…
ドアを開けると、予想に反して白髪の執事が立っていた。
執事は一例すると、言葉を発した。
「カリーナ殿下、我が王が謁見を所望しております。共に来ていただけますでしょうか」
カリーナは戸惑った。
「私だけですか?兄は…」
執事はその言葉を聞くと、頷いて懐から一通の封書を取り出した。
「ジスペイン陛下より殿下にお渡しするようにお預かりしております。まずは、一緒にお越し下さいませ」
カリーナは嫌な予感がした。
朝から感じた妙な違和感。
そう、兄がいるはずの隣の部屋から物音ひとつしなかったではないか。
ガルシア王と一対一で対面するなど予想もしていなかったカリーナは緊張していた。
ベールがあることにこれ程感謝したことはない。
通されたのは、王の執務室だった。
王は、重厚な作りの机の向こうからソファーに掛けるようにカリーナに勧めた。
カリーナは言葉に従った。
「いきなり呼びつけてしまって申し訳ないね」
王は優しく話し掛けた。
「明け方、ジスペインから通知がきてね、奥方が産気付かれたとのことで…」
カリーナは顔を上げて王を見た。
「お兄様は先に出発してしまわれたんだよ」
カリーナはここにくる道すがら予想していたとは言え、ショックを受けて言葉を発する事が出来なかった。
「最短の道程を行く厳しい帰路になるとのことで、カリーナ姫を付き合わせるのは偲びないだろうからと、しばらくこちらに滞在することをお勧めしたんだ」
カリーナは思わず手に力が入り、兄からだという封書を握りしめた。
「兄上からのメッセージは受け取ったかい?」
カリーナは封筒からカードを取り出した。
“悪いが先に帰ることになった。せっかくの申し出なので楽しんできなさい”
カリーナは、ガックリ項垂れた。
「滞在中は不足がないよう配慮させていただくつもりだから安心してくれたまえ。 それと…」
王はそう言うと、手元のベルを鳴らした。
ドアを開けて入ってきた人物を見て、カリーナは確信した。
(謀られた!)
「滞在中は、彼に身辺警護させるよ。ご存知、我国の副騎士団長のアルフレッド=ドガ=バイオレットだ」
「酷い…」
執務室を出て歩きながら、カリーナは隣の騎士を力なく睨み付けた。
「こんなやり方をしなくても良いじゃない」
アルフレッドは、身を屈め、じっと目を合わせてきた。
「こうでもしなきゃ、君は帰ってしまっただろう」
「私程度の令嬢なんてそこら中にいると思うんだけど…」
私のどこがこの美形騎士の心を捉えたのだろう。
アルフレッドは更に綺麗な顔を近付ける。
「君のような人はこの世の中の何処を探してもいないよ。僕にとってはね」
近い近い!美形の圧半端ない!
「わかった、わかったから。近いし、もう離れて」
カリーナは頬を染めて顔を背けた。
「カリーナは僕の顔が嫌いなの?」
何を言い出すんだ、この超絶美形は。
「貴方の顔が嫌いな訳じゃないわ。むしろ綺麗すぎて直視できないというか、恥ずかしいというか」
アルフレッドはカリーナの両頬を包んで自分の方を向かせた。
「僕を意識してくれるのは嬉しいけど、慣れて欲しいな。僕は君に見てもらいたいから」
長い睫毛に縁取られたネイビーブルーの瞳が至近距離に迫っていた。
真っ直ぐな鼻筋と薄く淡い色の唇。
まじまじと見せつけられて、カリーナは上手く呼吸が出来ないほど胸が高鳴っている。
何なのこの砂を吐くような甘さは。
ねえ、本当に鼻血が出そうなんだけど。
こんな感じで始終そばに居られたら精神的に持たないよ。
倒れるよ。
カリーナは気力を振り絞ってアルフレッドの胸に手を当てて押した。
「とにかく離れて!」
カリーナは、片手を腰に当て、人差し指を向けて、来賓とその護衛騎士として、適度な距離と節度ある態度を保つことをアルフレッドに言い聞かせた。
アルフレッドだって、こんなデレデレした様子を周りに見られたら、副騎士団長として示しがつかないだろう。
しかし、説教されているのにも関わらず嬉しそうな表情を浮かべる目の前の男に、カリーナは困惑していた。
外堀を埋められて頼る者もいないこの国で、どう戦えばよいのか。
このまま流されるのはどうしても嫌だ。
商人に嫁ぐことを目標に掲げたからには、この色気過多の美形騎士に堕ちる訳にはいかない。
(私は勝つ!)
妙な闘争心が沸き上がってきて、気付けば、アルフレッドを無言で睨んでいた。
アルフレッドはその視線を受け止めて、フフッと楽しそうに笑った。
「負けず嫌いだなぁ。でも、僕も負けないよ」
そういって、アルフレッドは素早く身を屈めてカリーナの頬に唇を寄せてキスをした。
カリーナはとっさに身を引いて、真っ赤な顔で叫んだ。
「なにするのよ!」
振りかぶった腕を避けてアルフレッドが逃げる、その背中を追った。
王の執務室に繋がる廊下は王宮でもおいそれと立ち入れない区域だ。
そのせいか人の姿は見当たらない。
それをいいことに長く広い廊下を貸しきったかのように、2人は駆けていく。
紺色の制服を纏った長身の騎士をベールを靡かせてドレスをたくしあげて追いかける姫。
誰かが見掛けたら卒倒しそうな光景だ。
やがて片側が庭に面した外廊に出た。
カリーナは息が上がって膝に手をついて立ち止まった。
そよ風がカリーナのベールを揺らした。
(何をやってるのかしら私は。良い歳をして、子供みたいに)
でも、こんなに走ったのは久しぶりだ。
心地好い疲れを感じて、カリーナは深呼吸した。
庭の緑が風に揺れて床に落ちた木漏れ日もちらちら揺れている。
改めて庭を見回すと、少し離れた場所で木に凭れてこちらを見ているアルフレッドを見つけた。
アルフレッドは手を振っている。
カリーナの脳裏に昔の光景がふとよぎった。
(ミルトとも良くこうやって追いかけっこしたっけ)
華奢な割にはしっこい少年には中々追い付けなかった。
いつもカリーナが必死で追いかけてくるのを笑って見ていた。
カリーナは腹を立てて…どうしたっけ。
ふと下を見ると、廊下と庭の間に白い玉石が敷かれているのが目に入った。
カリーナはそれを1つ拾うと庭に足を踏み出した。
アルフレッドは明らかに焦って両手を前に出してガードしている。
カリーナは振りかぶって思いっきり手の中の小石を投げた。
小石はアルフレッドの右肩辺りをギリギリ掠めて木の幹に当たって落ちた。
そう、カリーナはコントロールが相当良かったのだ。
もう1つ玉石を拾おうとすると、アルフレッドが慌てて叫んだ。
「カリーナ!悪かった。降参だ」
「ねえ、カレン、男の方が力も強いし体力もあるものなの。貴女が大きくなるほどにその差も大きくなるわ」
教えてくれたのは誰だったろう。
多分、隠れ里で唯一の機織りだったアンナだ。
「それを解っていてわざと抵抗しないのは優しさなの。ミルトは貴女を大切に思っているから、傷つけたくないのよ。悔しい気持ちを受け止めてくれているの」
カリーナは、アルフレッドに投げた石を拾った。
「貴方なら跳ね返すことも出来たでしょ。魔術が使えるんだし」
アルフレッドは、首を傾げた。
「カリーナはわざと外したろう?それに下手に跳ね返して君に当たったら困るよ」
「それにしても、石を投げるなんてあんまりよね」
「…悔しがらせたのは僕だから、甘んじて受けるよ」
カリーナはちらっとアルフレッドを見てから俯いてため息をついた。
「アルフレッドは優しいのね。私は駄目だわ。ちっとも成長していない」
アルフレッドはカリーナに駆け寄った。
「僕はその君の負けん気の強いところを好ましいと思っているんだ。それと、僕が優しいとしたら、君にだけだ。どこぞの令嬢に追いかけられたら、本気でまくし、石を投げられそうになったら、魔術で捕縛して放置する」
カリーナは呆気にとられて真顔のアルフレッドを見上げた。
「捕縛に放置はやりすぎでしょ?」
アルフレッドは首を左右に振った。
「君は彼女らの執拗さを知らないんだ。僕も最初は黙って耐えていたが、女を笠に着てえげつないことこの上ない。本気で振り払わないと僕の身が危ない」
「へ、へぇ…」
大国の貴族子女はそんな肉食なのか。辺境の小国で良かった…というか、
「ちょっと待って!私は園遊会で貴方と一緒に居るところを見られてるのよ。肉食令嬢達から確実に敵認定されてるじゃないの」
アルフレッドはにっこり笑った。
「僕が護衛するんだから大丈夫だよ」
それが尚更に不安なんだってばぁぁぁ、煽るだけじゃないのよぅ。
味方も居ない上に敵だらけって、辛すぎるよ!
カリーナはガックリ項垂れた。