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4.マリカの実

広い園庭は招待客で賑わっていた。

兄と別れたあと、幾人かの紳士に話し掛けられたが、すべて差し障りなくかわし、園庭の端に辿り着き、そっと生垣の陰に身を隠した。

カリーナは女性にしては少し背が高い。

更にベールを着用していることでどうやら人目を引くようだった。

しばし、ぼぅ、と立って、園遊会の様子を眺めていた。

目的を果たした今となっては、ここですることはない。

園遊会を楽しむ気持ちになれるほどには直ぐに吹っ切れるものでもないようだ。

なんたって6年もの間、想い続けていたのだから。

何度か知れない溜め息をついて、カリーナは、何気なく見た方向で生垣に切れ間があることを発見した。

ギリギリひとりが通れる隙間から覗き込むと生垣が二重になって通路になっており、左は行き止まり、右側はどこかへつづいているようだ。

カリーナは誘われるように右に向けて歩を進めた。


道は左に緩やかに曲がり続いていく。

次第に園庭からの人のざわめきも遠ざかる。

生垣は見上げるほど高く、針葉の細かい葉が密に繁っているので外側の様子をうかがい知ることはできない。


5分も歩いただろうか、目の前が突然開けた。


カリーナは息を飲んだ。


そこには、どこか懐かしい光景が広がっていた。

どっしりとした大木3本に囲まれた明るい芝庭。

大木の外には楡の木の林。

赤い実のなる低い生垣。

ところどころに色とりどりの草花が繁っている。

カリーナは呆然と立ち尽くした。


(似ている…)


ミルトと過ごしたあの村に舞い戻ったような錯覚をするほど、この場所は似通っていた。

直ぐそばで囀ずる鳥の鳴き声まで。

カリーナは思い切って探索を始めた。


(もしかしたらガルシア国王があの村を懐かしんで再現したのかも…)


彼もあの日々を覚えているのだとしたら、やはり嬉しいと思う。

カリーナは切なく締め付けられる胸の痛みを誤魔化すように、辺りを見回した。

ふと、低い生垣に気をとられ、カリーナは屈んで観察した。

楕円形の親指ほどの赤い実が実っている。


(マリカの実だ!)


少し癖のあるマリカの実は、カリーナの大好物だった。

ジスペインの気候では育たないとわかってガッカリしたものだ。


(ガルシアでは育つのね。寒暖の差が激しい山岳地方じゃないと駄目だと思ってた)


カリーナは赤い実にそっと手を伸ばした。

その時、頭上から声が降ってきた。


「お嬢さん、その実に手を触れてはいけません」


カリーナは驚いて手をひっこめた。

そして、改めて自分の置かれている状況に気づいて焦る。

勝手にこんな奥まで入り込んだ上に、王宮所有のものに勝手に触れようとしている…

一国の王女にあるまじき無作法な行為だ。


「も、申し訳ありません」


謝ってみたが、はて、声の主はどこにいるのだろう。

確か上から聞こえたような気がしたが…。


「いえ、咎めている訳ではないのです」


カリーナは声を追って側の大木を仰ぎ見た。

カリーナの背丈2つ分ほど上にある太い枝に何者かが腰かけている。

逆光になって良く見えないが、若い男性のようだ。

ガルシア王国の高位の衣装を身に付けている。

カリーナは、後退りながら釈明をした。


「勝手に入り込んでしまったこと、お詫びいたします。どうかお見逃しください」


そうして踵を返したところで、背後で男が枝から飛び降りた気配を感じた。

そして、足を踏み出したところで腕を掴まれた。


「待って下さい」


男の声を間近で聞いて、カリーナの心臓が跳び跳ねた。


「逃げないで」


カリーナは何故か振り向くことができず、男に背を向けたまま数回頷いた。


「怖がらせてしまったかな? 貴女が手を触れようとしたあの木には刺があるのです。それに…」


知っている。

マリカの実を生食するにはちょっとした技術を要するのだ。

そのまま口に放り込めば必ず後悔する。


「教えようとしてくださったのですね、ありがとうございます。…初めて見る果実でしたので、つい興味が湧いてしまいました。未知なるものに触れる時は慎重にならねばなりませんね」


カリーナは食いぎみに早口で答えると 振り返ると同時に頭を下げ、すぐに回れ右をしたが、動かない。 男が腕を離さないのだ。


え、ちょっと、結構な力で引っ張ってくるじゃないの。やめてよ。


「せっかくなので、お召し上がり下さい。僕が採って差し上げましょう」


カリーナは諦めた。

ここで無理に去っては印象が悪い。

ジスペインの衣装は特徴があるから、どうせ正体などすぐばれてしまうのだし。


「…それでは、ご馳走になりますわ」


カリーナはうつむき加減に振り向いた。

ベールがあるから、カリーナの顔ははっきりとは見えないはずだ。

男は熟したマリカの実を選んでカリーナの掌に乗せてくれた。

カリーナはそっと正面の男を見上げた。

艶やかな黒髪と長い睫毛が見えた。

視線を感じたのか、顔を上げた男と目が合った。

瞳の色は明るい夜空のようなネイビーブルーだった。 あの日2人で見上げた夜空のような…


「どうぞ、お召し上がり下さい」


男はニッコリ笑った。


しまった、うっかり見とれてしまった。

どことなく国王に似ているような…つまり、かなりの美貌だ。

ガルシアは美人が多いのかしら。


カリーナはドギマギしながら掌の上の果実に手を伸ばそうとして、はた、と考えた。


このままで食べろと?


マリカの実には小指の先ほどの尖った種が2、3個入っている。

この種が物凄く苦いのだ。

カリーナは隠れ里に来て直ぐにこの種の洗礼を受けた。

その後、側にいた村長に食べ方を教わった。

初心者にはまず失敗させるのが村の習わしだった。 当然のごとくカリーナもミルトに対してそうしたわけだが…

へんな汗が出てきた。

いや、ここは何も知らないふりをして食べて見せるべきなんだろう。

だけど…あの苦さを再び味わうのは御免だ。


カリーナは再び目の前の男を見上げた。

男は輝くばかりの笑みを浮かべてカリーナを見つめている。

邪気のない笑顔に見えるだけに、知っていてやっているなら相当腹黒い男だと言える。


カリーナは覚悟を決めた。

そして、マリカの実を摘まむとぐっと指に力を入れて捻り潰した。

果汁を撒き散らして弾けとんだ種は3つ。

2つは地面に落ちたが、その内の1つが男の頬に命中した。

赤い果汁が男の白いチーフを汚した。

男の驚いた表情を確認してから、カリーナは掌の上でひしゃげた赤い実を舐めとった。


「とても美味しいですわ」


カリーナは挑戦的に笑って見せた。

カリーナのベールにも赤い果汁の染みが点々とついていた。今日の淡い水色のドレスも当然汚れただろう。

これで園遊会を退出する理由が出来たというものだ。


「ご馳走さまでした。それでは、私はこれで失礼いたします」


カリーナは一礼すると再び男に背を向けた。


その時、いきなり突風が吹いた。

カリーナのベールが花の飾りの止めピンごと上空に舞い上がった。

ベールはそのまましばらく漂っていたが、翻りながら下降し、先ほど男が登っていた木の枝の上にひっかかった。

カリーナは唖然としてベールを見上げた。

辺りはしんと静まりかえっている。

先ほどと同じように木々の葉ひとつ揺れておらず、穏やかな日差しが邪魔されることなく降り注いでいる。


視線を感じて、カリーナは恐る恐るそちらに顔を向けた。

男がネイビーブルーの瞳を見開いてこちらを凝視していた。

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