15.謎の魔道騎士
その時、男の身体が急に後方に弾けとんだ。
そして、家の壁にぶつかる手前で今度は上方に飛ばされた。
手足をバタバタさせた男は、どんどん上昇していく。
カリーナと沿道の人々は声を上げることさえせ出来ず、それをただ、ぽかんとして目で追っていた。
やがて、どこからか紐状の光が現れ、ひゅんひゅんと音をたてて男の身体を空中で縛り付けると、男はゆっくり落下して地面に転がった。
度肝を抜かれたからか、目を見開いて放心している。
カリーナもあんぐり口を開けて立ち尽くしていたが、背後から至近距離で声を掛けられ、我に返った。
「相変わらずのお転婆ぶりですね」
カリーナが振り向くと、紫のフードを深く被った長身の人物が立っていた。
カリーナは瞬きをしながらその人物を見つめた。
心当たりなど全く無い、何しろ顔もまともに見えない。
「ああ、でも、とてもお美しくなられましたね。もう立派なレディだ」
その話し方がカリーナの記憶のどこかに触れた。
しかし、形を成さない。
「えっと…どこかでお会いしました?」
カリーナは思いきって聞いてみた。
その質問には答えずに、フードから唯一のぞく口許で曲線を描くと、その人物はローブを翻した。
「またお会いしましょう」
翳した左手の前に大きな魔方陣が出現し、紫のローブはその中に消えた。
やがて、路地から先程の娘に先導されて騎士が数人現れた。
その中にキースもいたようで、慌ててカリーナの側に駆け寄ってきた。
「ひ、ひめ~大丈夫っすか?お怪我はないっすか?」
「大丈夫よ。擦り傷ひとつないわ」
安心させるように微笑んだ。
キースは安堵のため息をつくと、ガックリ項垂れた。
「不甲斐ないっす。お守り出来ず。マジで副団長に殺されるかも俺」
カリーナは、キースの肩をポンポン叩いて慰めた。
「私が軽率だったのよ。キースは騎士の職務に忠実だったわ。屋台の喧嘩は解決したの?」
キースは項垂れたまま頷いた。
「まあ、最終的に両方殴って黙らせたんすけど」
あらまあ。
キースはふと顔を上げて尋ねた。
「事情は道すがらあの娘に聞きましたけど、まさか、あの輩は姫が?」
捕縛された男は騎士2人に抱え起こされている。
カリーナは首を振った。
「私には手に負えなかったわ。魔道騎士が助けてくれたの。紫のローブの…」
キースは目を見開いて絶句した。
「まさか…あのお方が?」
「やっぱり高名な魔道士なのね。鮮やかなお手並みだったわ」
キースは、信じられないというように頭を左右に振って口を手で覆った。
「多分、魔道騎士長官っすよ。紫のローブだったら間違いないっす。ずっと魔法塔に隠って研究してるんで、滅多に姿を見られないお方なんす」
「へぇーそうなの?」
そんな方が何故私の事を知っているんだろう。
カリーナは先程見た姿を思い出してみる。あの声、あの口元…
「副団長の師匠なんすよ」
カリーナは、はっとしてキースをふり仰いだ。
「フラン隊長!」
沿道の人々に事情を聞いていたらしい部下から呼ばれて、キースはそちらへ向かった。
カリーナもトテトテ付いていく。
そして、先程の事件現場に転がっているポポの実を回収した。
わぁ、本当に硬いんだー、傷ひとつついてない。
ポポの実を両手に持って、キースの元へ行って尋ねた。
「ねえ、これってまだ食べられるよね?」
顔を上げると、キースを始めとするそこにいた騎士達が、なんとも言えない表情でカリーナを見つめていた。
「大活躍だったそうですね」
目の前には、美形の騎士がアイスブルーのオーラを纏いながら仁王立ちをしている。
カリーナは目をそらして手をもぞもぞ動かした。
背後ではキースと騎士達が直立不動で凍りついている。
キースらと城に戻って来たところ、宮殿から飛び出してきたアルフレッドと鉢合わせた。
アルフレッドの姿を見つけたカリーナは、振ろうとした手を上げたまま固まった。
遠目にもその怒りが見てとれたからだ。
「貴女には王女という自覚が足りない!」
「困った民を救うのは上に立つものとしての使命よね」
アルフレッドは腕を組み憮然とした。
「ほう、では、上に立つ者が使命感だけで向こう見ずに行動することで、どれだけの損害があるか考慮した上での事だったと?」
カリーナは黙った。
アルフレッドの言う通りだ。
今回はたまたま魔道騎士長官が居合わせていたから助かっただけ。
そうでなければ、カリーナが命を落とすだけに留まらず、一旦救助した人質も沿道の人々も犠牲になっていたかもしれない。
護衛として任命されていたキース、偽騎士の扮装に関与した者、すべてその責任を負う。
カリーナは王女なのだから、国家間の問題にまで発展するだろう。
ガルシア騎士団の面目も潰れる。
カリーナは頭を下げた。
「この度は、私の軽率な振る舞いで、ガルシア騎士団及び私に関わるすべての方々にご迷惑お掛けしたことを心よりお詫びいたします」
そして、後ろを向き、騎士達にも詫びた。
「あなたがたにも心配を掛けてしまって申し訳ありません」
王女に頭を下げられて騎士達は狼狽えて、お互いの顔を見合っている。
カリーナは、アルフレッドに向き直った。
「バイオレット閣下、すべての責任は私が負いましょう。来賓などという気遣いは必要ございません。どうか、彼らをお責めになりませんよう、心よりお願い申し上げます」
アルフレッドは、眉をしかめ、カリーナから目をそらした。
「ジスペイン国からお預かりしている立場として、貴女を危険な目に合わせたことは紛れもない事実です。これは明らかに責任者である私の落ち度です。貴女に責任を負わせるつもりはない」
アルフレッドはキースに報告書の提出を命ずると、カリーナの腕を掴んで踵を返した。
強い力で握られ、引っ張られて、腕がじんじんしてきたが、カリーナは黙って従っていた。
仕方ないこととは言え、いつもカリーナに対しては情けないほど優しいアルフレッドに、あのように冷たい眼で見られたことにショックを受けていた。
(やばい…泣きそう)
国に返されるのだろうか。
無理やり留められ、ほんの数日しか滞在していないにも関わらず、カリーナはこの国に愛着を持ち始めていたことに気づく。
アルフレッドの背中を見上げて思う。
なにより、アルフレッドのような人にはもう二度と出会えないだろう。
すれ違う騎士達がアルフレッドに頭を下げつつ、カリーナを気の毒そうに見てくる。
カリーナは懸命に平然とした表情を作って後に付いていく。
そうして、通路奥からひとつ手前の部屋にたどり着くと、アルフレッドはドアを乱暴に開けた。
カリーナも引きずられるように部屋の中に入る。
そして、腕を強く引っ張っられたかと思うと気付けば、アルフレッドの腕の中だった。
強い力で抱きしめられている。
「本当に貴女はっ…!何でそんな無茶をしたんだ!」
カリーナはアルフレッドの腕に手を掛けながらその顔を見上げた。
「くそっ!僕がそばにいれば、そんな目に合わせなかったのに!」
端正な顔が今にも泣きそうに歪められた。
カリーナは慌てて謝った。
「ごめん、ごめんなさい。アルフレッドは悪くないわ。自分を責めるのは止めて。それに、本当に私はなんともないのよ!」
アルフレッドはカリーナの頭を抱き込んで自らの顔を寄せた。
その手が僅かに震えていることに気づいて愕然とした。
何故、この人はこんなにも私を失うことを恐れるのだろう。
カリーナはアルフレッドの背中に手を回して擦る。
「大丈夫。私はここにいる。ここにいるわ」
カリーナは背伸びをして、アルフレッドの髪を撫でた。
強ばっていたアルフレッドの身体から徐々に力が抜けていく。
カリーナは、そっと、アルフレッドの両頬に手を添えて下から目を合わせた。
ネイビーブルーの瞳が揺れている。
その奥の光を覗き込むようにじっと見つめる。
「アルフレッド。ごめんね」
やがて瞳が落ち着きを取り戻すと、目尻にシワを寄せ、口の端を上げて美形の騎士は笑った。
「もういいよ」
カリーナはホッとして微笑んだ。
アルフレッドは、息をついたあと、カリーナの肩に手を置いて、全身を眺めた。
「うん。魔道騎士の制服すごくいいね。似合ってる」
「そう?動きやすくてとても良かったわ。最初はちょっと恥ずかしかったけど」
カリーナは照れてローブを掴んでパタパタあおった。
アルフレッドの反応が途切れたので不思議に思って見上げると、唖然とした顔が目に入った。
「どうしたの?」
「何でそんな短いの履いてるの?足が見えてる!」
カリーナは面食らった。
「え?いや、スラックスはサイズが合わなくて、これも一応正規の制服だって聞いたわよ」
「それで町を歩いてたってこと?一緒にいたキースの野郎も見てたってことだろ?僕が見る前に…許せん…」
カリーナは扉に向かうアルフレッドを後ろから抱きついて必死で止めた。
「ローブで殆ど見えてないから!絶対見えてない!屋根から飛び降りた時くらいだよ」
アルフレッドが動きをピタリと止めて、ゆっくり振り返った。
顔が怖い。
「屋根から飛び降りたって?誰が?」
え?そこはまだ聞いてなかったんだ…
カリーナは自分の血の気が引く音が聞こえた気がした。




