10.ガルシア王宮
プライベートガーデンのガゼボでアルフレッドとカリーナは朝食を取っていた。
「正直、舞踏会なんて出たくないけど」
兄が帰国してしまった今、国の代表としての出席は免れないだろう。
「舞踏会用のドレスは用意していないから、お借りするしかないわよね。出来れば1人で着れる簡単なものが良いけど……」
ガルシア王国の令嬢はきっちりコルセットで腰を締め上げてペチコートを重ねた重そうなスカートを引きずっていた。
ジスペインは温暖な気候にあるので衣服はシンプルで軽いものが主流だ。
コルセットなど着けたことがない。
カリーナは憂鬱になった。
「侍女長に聞いてみるよ。僕は女性の衣装には詳しくないからね」
手を煩わせるのは申し訳ないなぁ、きっと今日だって凄く忙しいに違いないのに。
「エスコート役のチェンジは出来ないの?」
オムレツを口に運ぼうとしていたアルフレッドはフォークを置いてカリーナを睨んだ。
「それは出来かねます。姫」
答えは予想していたが、一番厄介なのは、国王より注目を集める美形騎士がエスコート役だということだ。
とは言え、もう覚悟を決めるしかない。
出来るだけ敵を作らないように穏便に過ごすにはどうしたらよいだろう?
カリーナは、思いを巡らせながら、緋色のサイダーの入ったグラスを手に取って乾いた喉を潤した。
ああ、マリカの果汁が入っているのだな、美味しい…
鼻に抜ける甘い独特の香り。
カリーナはこの風味が好きだった。
気付けば、アルフレッドがじっと見つめている。
「なに?」
「いや、そのサイダー気に入ったのかなって思ってね。結構癖があるから、初めて飲む人は大抵顔を歪めるんだ」
カリーナは一瞬ヒヤリとした。
アルフレッドに他意はないだろう。
しかし、マリカの実のことは良く知らない設定を貫くべきだ。
「そう?私は好きだけど。ジスペインでは香草や花を好んでお茶や料理に使うから、風味の強いものには慣れているのかもね」
「それ、庭園でカリーナな捻り潰した実の果汁が入ってるんだ」
「ああ、そうなの?」
「原種は平地では中々育たないのだけど、品種改良したんだよ。その際に、元々種にあった苦味も取り除いたんだ」
「へ、へぇぇ」
苦い種をわざと味あわせようとしているなどと勝手に邪推して、挑発した私って…。
カリーナは申し訳無さにアルフレッドを直視出来ずに再度グラスに口を付けた。
それにしても、何故わざわざそうまでしてマリカの実を栽培する必要があったのだろう。
疑問に思ったが、下手に探れば墓穴を掘ることにも繋がる。
カリーナはさりげなく話題を変えた。
アルフレッドに案内されて王宮を歩くカリーナは、まるで森の中を歩いているような錯覚に陥っていた。
ガルシア王宮はとにかく緑が多い。
王宮は本殿を中心に8つの宮に分かれているが、本殿の周りは生い茂る樹木で囲まれており、その間を縫うように宮に続く外廊が走る。
其々の宮は、中心に庭を抱くように回廊が巡らせられている。
「もっと近代的で豪奢な宮殿を想像していたわ」
「元々は森だった場所に無理やり宮殿を作ったんだ。平地に出来た村が町になり、どんどん成長したものだから、最初の君主は自らの土地を民に分け与え、森の中に居住を移したと言われているね。 王宮の形は、国が信仰しているロミスター教の始祖を表しているんだ」
外から吹く風に、黒い髪と紺色の騎士服の裾をはためかせる長身の騎士がこちらを向いて説明している。
「そうなの?随分幾何学的な形の始祖なのね」
そういって廊下の外を見た。
茂る枝葉の向こうにそびえ立つ本殿が見える。
「神の象徴なんだ。我が神は、例え国を遠く離れても常に側にいて、祈ることが出来る。……誓うこともね」
カリーナは、その意味ありげな口調が気になってアルフレッドを見たが、その端正な顔は逆光で見えない。
「この先が、王宮の図書室だよ」
アルフレッドは背後の背の高い扉を指差した。
カリーナは顔を輝かせた。本は大好きだ。
「残念だけど、僕はこれから今夜の警備についての最終確認に行かねばならない。カリーナはこちらでゆっくり過ごせば良いよ。テラスに昼食を運ばせてあるし、帰りは侍女を迎えに寄越すから」
そういって、アルフレッドは名残惜しそうに去っていった。
カリーナは小さく手を振って見送ると、扉を閉め、改めて周囲を見回した。
見上げれば首が痛くなるほどの高さで連立する本棚。
中央には木製の大きな円形テーブルが配置されている。
階段が見えるので上にも蔵書があるようだ。
(それにしても、アルフレッドは何故、私が本に興味を持つと思ったのかしら)
そんな話をした覚えはないけどな。
カリーナの本好きは、隠れ里の村長がきっかけだ。
彼の屋敷には小さな村に不似合いなほどの大きな図書室があった。
ミルトが来る前はほぼ毎日入り浸っていたし、ミルトが来てからも良く2人で訪ねていた。
村長は、天文学が趣味だったらしく、それに関連した蔵書がたくさん保管されていた。
(ま、いっか)
カリーナは図書室に充満する本の匂いを吸い込んだ。
今はこの場所を堪能するとしよう。
そして、棚に並ぶ背表紙をじっくり眺め始めた。
日差しが傾き、図書室の中の影が長くなる頃、侍女が迎えに来た。
昼食を取るのを忘れて読書に没頭してしていたカリーナを見付けて、侍女は呆れているようだった。
結局、バスケット毎部屋に運んでもらい、カリーナは遅い昼食を取った。




