1.出会いと別れ
初投稿です。拙い文章でお恥ずかしいですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
「こちらを離れることになりました」
聞き慣れた声が告げた言葉を、叔父の肩越しに聞いていた。
「……そうですか。それは、寂しくなりますね。ミルト君も今までありがとう」
叔父は傍らにいた少年に声をかけた。
叔父より頭一つ分小さな少年の輪郭が覗いたとたんに胸がキュッと締め付けられる。
それでも俯きたくなるのを堪え、普段通り平静を装い視線を前に向けた。
「カレン、こちらへおいで」
叔父に呼ばれて隣に立つ。
アメジストの瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。
年齢の割りに小柄な少年は1つ年下のカレンと目線がほぼ同じだ。
「…おそらくもうお会いすることは難しいと思います。なので…」
少年の横に立つ長身の侍従は端正な顔を曇らせて珍しく言い淀んだ。
叔父は頷くとカレンの肩に手を回し、優しく撫でた。
「最初からそういった条件の下での婚約でしたから。カレンもわかっております」
カレンは表情を変えずに頷いた。
ミルトは息を飲んで、カレンの瞳を探るように見詰めている。
そこに何か感情の片鱗を見つけたいのだろう。
カレンと違い素直な彼だから思考が読みやすい。
しかし、生憎と感情を殺すのは得意だ。
「ご活躍とご健康をお祈りしております」
堅苦しい別れの言葉に、ミルトは驚いたように目を見開き、その後表情を歪めた。
「カレンも元気で。いままでありがとう。カレンと一緒に過ごせて、僕は、とても、幸せだった」
絞り出すかのように語られた言葉に、カレンの心は激しく揺れた。
だからこそ、渾身の笑顔を作って答えた。
「光栄です」
黒光りする馬車が遠ざかり、やがて右手に逸れて楡の林の中に消えると、ようやくカレンは堪えていた感情を解放した。
大粒の涙がとめどなく流れ、ぽたぽたと地面に落ち、黒い染みを作る。
叔父はカレンを抱き締めた。
その胸でカレンは声をあげて泣きじゃくった。
後にも先にもあのように泣いたことはない。
ミルトが村にやって来たのは早春の晴れた朝だった。
長く空き家だった隣の屋敷に住むことになったと、村長が長身の男と少年を連れて訪れた。
ミルトは生成りのシャツに焦げ茶色のベストとくすんだ紺色のズボンという、平民のありふれた服を身に着けていたが、育ちの良さが一見してわかる子供だった。
シルバーブロンドの髪は艶々していたし、アメジストの瞳はキラキラしていた。
白い右の耳たぶに赤い石のピアス。
真っ白の肌に薔薇色の頬。
真っ直ぐ伸びた華奢な手足。
(なんて綺麗な男の子だろう)
カレンは暫し見とれた。
ミルトはカレンを見て、はにかんだように少し笑った。
その仕草に胸がざわざわしたのを覚えている。
住人が100人に満たない村には子供も少なく、年の近いカレンとミルトは自然に行動を共にするようになった。
山に囲まれた村での野性的な遊びに、先輩面をして毎日ミルトをつれ回すカレン。
最初はおっかなびっくりだったミルトも、夏が来る前にはすっかり村の生活に馴染んでいた。
そうやっていくつか年を過ごした夏の夜のこと。
その日、カレンはミルトの屋敷に泊まりに来ていた。
ミルトの屋敷には屋根裏部屋があり、天井の窓から空が見える。
普段は使われていないその部屋に、侍従のバーナムが寝具を運んでくれる。
カレンとミルトは並んで寝転がり、星空を見上げてずっとお喋りをするのだ。
「流星群、カレンと一緒に見たかったなぁ」
ミルトが呟いた。
先々週、一緒に流星群を観測しようと約束していた日に、ミルトが風邪を引いて寝込んでしまったのだ。
「しょうがないわよ。お熱が出ちゃったんだから。村長さんは、またいつか見られるって言ってたわよ」
「そうなの!?いつ見られるんだろう」
星明かりに照らされたミルトの嬉しそうな表情が見えた。
「えーっと、多分10年後だって」
とたんにミルトの顔が曇った。
それを見てカレンは胸がキュッとした。
当たり前に明日が来て、それが続いていくと錯覚していた事に気付いたからだ。
カレンにも、おそらくミルトにも避けられない未来が待っている。
こんなにも輝いている毎日も、偽りの中だからこそ成立するのだ。
カレンは自らの髪を一房取って、戒めるようにじっと見た。
闇に溶ける漆黒。
これすら偽りだ。
ミルトがぎゅっとカレンの手を握りしめた。
「僕はカレンと流星群が見たい」
「……そうだね」
「カレンとずっと一緒にいたいよ」
「……うん」
カレンの気持ちも一緒だ。
このまま大好きなミルトといられたらどんなにか幸せだろう。
でも、それは難しい事だとわかっている。
だから、自分の気持ちは言えない。
はぐらかすような返事しか出来ない。
「結婚しちゃえば良くない?」
ミルトが突如告げた言葉にぎょっとして、カレンは隣の美少年を凝視した。
「結婚すればずっと一緒に居られるよ。神に誓わないといけないからね。破ったら神を偽ることになるからね」
「ミルト、結婚は無理だと思うよ。私達は子供だから。子供の夫婦なんて見たこと無いでしょ?」
ミルトはカレンから視線を外さない。
「じゃあ、結婚の予約をする!」
「…婚約ね。ミルトはもう少し言葉をお勉強した方が良いわよ」
婚約だって無理だろう。
バーナムと叔父の困惑する表情が浮かぶ。
しかし、ミルトは明日2人に話すと言ってきかなかった。
果たして何故かすんなりと婚約は成された。
しかし、叔父には釘を刺された。
どちらかが村を出ることになれば、婚約は解消される。
これはそういう条件の下での婚約だと。
故に指輪も証明書も無い、只の口約束に過ぎなかった。
その夜、ミルトはカレンの手を引いて村の外れの丘に連れていった。
澄んだ空にはいつも通りの満天の星。
小さな村には教会もない。
だから、星に誓おう。
「今、星のもとに誓います。私達2人は一生共にあることを」
声を揃えて空に向かって唱えた。
ミルトは恥ずかしそうに笑うと、カレンの肩に手を置いて、頬にキスをした。
カレンも同じようにキスを返した。
ミルトはカレンにぎゅうと抱きつくと、カレンの首筋に顔をくっつけた。
ミルトの癖だ。
カレンのうなじの匂いを嗅ぐと安心するらしい。
おかしな癖だしゾワゾワするので、いつもなら直ぐ引き剥がすのだが、その夜のカレンはミルトの好きにさせていた。
見下ろすとミルトの右耳の赤いピアスが目に入った。
夜空に一際光るあの星に似ているなぁと思った。
優しい夜風が2人の髪を揺らしていた。
ミルトは満足そうにカレンにくっついている。
この光景は一生忘れない。
例え悲しい未来が訪れても、宝物にして胸の中にずっと大事にして持っていこう。
そう思った。
そして、ミルトが村に訪れてから5年の後、その日は呆気なくやってきた。
その翌年にはカレンも村から離れることになった。