三 通告
「本気だったの?」
先に立って廊下を歩みながら、私は三歩うしろをついてくる客に問いかけた。
「先ほどの決闘ですか? もちろんです。手加減する理由などありませんし」
「そう。……有難う」
「礼を言われる筋合いも、ありませんけれどね。それにしても、ずいぶん時間がかかってしまいました。なかなか大したものです、あのタフさは」
本気で感心しているのか、どうなのか。この人の言葉は率直だが、その真意はいまいち読み取れない。
「まあ、それが一番のとりえみたいなとこ、あるし」
「ところで、貴女も客分とはいえ、紅魔館の一員。私を阻みはしないのですか?」
「私は……美鈴ほど、強くはないから」
「そうですか。それもまた、結構」
美鈴の手当ては、小悪魔に任せてきた。今頃は目を覚ました彼女に、追い払われているかもしれないけど。
どうしようもなく、一人になりたい。そんな気持ちになることは、容易に想像できる。
さっきの裁判長の言葉は、私自身にも、深く刺さっていたから────
さして長くもない旅程が終わり、辿りついた咲夜の部屋の扉を、私は出来るだけ静かに開いた。
そんなことをしたところで、何か意味があるわけでもないが。
レミィは相変わらず、こちらに背を向けて、じっとしている。
ただ、さっきまでと違うのは。
その身からほとばしる、峻烈な妖気。
望まぬ来訪者を、威嚇するかのような。
「……レミィ、お客様。地獄のほうから、閻魔様が」
言わずとも分かっているであろう言葉を、それでも口から押し出す。
そうしなければ、私自身が、圧されて部屋から出てしまいそうで。
無形の強風に逆らって扉をくぐる私に続き、するりと閻魔が部屋に足を踏み入れた。
その時。
レミィが、動いた。
頭だけ。ゆっくりと、こちらを振り向く。
そして、その唇が。
「……それで? 地蔵ふぜいが、私に……咲夜に、何か用でも?」
久しぶりに聞くレミィの声は、細く、低く、静かで……あまりにも、刺々しかった。
椅子に片膝を立て、ぎらりと私の背後を睨む。
その瞳には、燃えさかる灼熱の焔が見えた。背筋をぞわりと冷たいものが這い落ちる。
「レミィ……」
魔術書を持つ手に力が入り、じっとりと湿り気を帯びる。ありったけの防御・緩衝系の魔術を準備状態でセットしてはあるが、もしも「そんな事態」になってしまったなら、どれほど効果があるものかはわからない。こんな、新月の夜でさえも。
もう一方はといえば、いたって涼しい顔で、そんな気はおよそ無さそうに見えるのが救いだった。だが。
「誰にも用はありませんが。ちょっと現状を見に来ただけです」
そう言って、止める間もなくするりと前に出てくる。咲夜が寝かされている、ベッドのすぐ横まで。
つまり、レミィのすぐ隣まで。
ざり、と音がした。私の口の中から。
がさがさと、歯と歯が小さくこすれあう音。
喉が異様に渇く。心臓がティンパニのように鳴っている。膝が笑い、砕けそうになるのを必死にこらえる。網膜の裏が沸きたち、熱く紅い。
レミィは、無遠慮に隣に立つ閻魔の、すました横顔を睨みつけている。
閻魔は、横たわる咲夜をじっと見下ろしている。
私は。
何も、できない。
やがて、永遠のような数秒が過ぎ去った後。
「……成る程、確かに報告のとおりのようです。それでは」
くるりとベッドに背を向けると、彼女は行きと同じようにすたすたと私の横を通りすぎ、部屋から出て行こうとした。
「え? そ、ちょ……」
振り向いてその後を追おうとした体がふらつき、壁に背中が当たる。
言葉が、うまく出ない。
「何か?」
扉の前で足を止め、そんな私を横目で見ながら問う四季映姫。
ごくりと唾を飲みこみ、呼吸を整える。
「……それだけ、なの?」
「私は現状を把握しに来ただけ。先ほど言ったとおりです」
手に持った笏で口元を隠しながら言う彼女の顔に、表情はない。だけど、わずかに微笑んでいるような気もした。
「そう。……てっきり、魂を徴収しに来たのかと思ったけど」
「閻魔を何だと思っているんです? 魂を取りたてるのは死神の仕事ですよ。……ただの地獄の下級役人であるところの、いわゆる死神ではなく、本物の死神のことですが」
また、ぴし、と空気が鋭くなる。
「……それは、鬼神に属する実力部隊、ということかしら」
「実力、というと語弊がありますが。冥界の亡霊のように、死をもたらす力があるわけではないので」
「もう少し、詳しい話を聞いても?」
状況はまだ緊迫したままだけれど、頭はだいぶ落ち着いて、冴えてきた。少なくとも、もう足は震えていない。
「構いませんよ。
……その仕事、その能力は、死者の魂を回収すること、ただ、それのみ。それ以外には何もできませんが……同時に、何者もそれを止めることはできない。死者が常世へ渡ることを妨げる、あらゆる障害を越えて、魂を河の向こうへ強制的に送るもの。……そう、丁度このような事例のときに、おはちの回ってくる仕事です」
空気が、更に冷える。今はもうベッドだけを見つめているレミィの背中から、ゆらゆらと陽炎のように紅い冷気が立ちのぼっている。
また、舌の根が強張るのを感じる。だが聞いておかなければならない。
「それで……いつ、来るの? その、死神は」
脂汗と一緒にしぼり出した言葉は、
「さあ?」
しかしあっさりと、流された。
「さあ、って……」
「まだ出動要請の書類を出してませんので。出せば、すぐにも動くはずですが」
はあ、と思わずため息が出る。一体どこまで本気なのか、この人は。
「それは……その書類を出さなければ、来ることもないってことなの?」
「いえ、魂を回収しない、ということはありません」
ふと口に出した希望もまた、あっさりとその言葉に砕かれる。
「担当区域の閻魔が、該当の事象を確認したその時から七日以内に、回収を完了しなければいけないことになっています。ですから、遅くとも七日後までに、ということです」
しばらく、沈黙が落ちる。
部屋の冷気は一段と濃い。けれど、レミィが動く気配もなかった。
何を言おうか迷っているうちに、先に口を開いたのは閻魔のほうだった。
「まだ、何か? なければこれで帰りますが」
「そう、ね……もうひとつ、聞かせてもらえるかしら。咲夜が死……」
咳払いをして言葉を切り、言い直す。
「……事故に遭ってから、今日あなたが来るまで、半月も経ってるけど。それには何か理由が?」
「担当の死神……これは寿命記録係のほうですが……それが事態に気づいてから、上司である閻魔に報告書類を提出するまでの期限が七日。そして閻魔が報告を受けてから、事実確認を行うまでの期限が七日だからです。……このところ、やたらと忙しかったもので」
「そう……なるほど、ね」
「それでは、これで失礼。ああ、見送りはいりませんから」
そう言って、楽園の最高裁判長は扉の向こうへと消えた。小さな足音が廊下を遠ざかっていく。
「……聞いた? レミィ。あと七日ですって」
返事はない。
さっきまでの冷気は消えたが。ただ、元に戻っただけだ。
また、大きなため息をついて、私は。
ただソファに腰を沈め、二人を見守ることしかできなかった。