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雪月花 魂の行方  作者: 荒木田久仁緒
同じ焔を抱いて - レミリア・スカーレットの場合
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一 時の棺


  カーテンに閉ざされた暗い部屋の中を、ランプの明かりだけが淡く照らしている。


  その炎と、ときおり本のページをめくる私の指の他には、動くものの姿はここにない。


  ソファの前のテープルには、冷えきった空のティーカップ。

  昼すぎに小悪魔がそれを持ってきてから、どれくらい経っただろうか。少なくとも、日はとっくに落ちているのは間違いないけれど。


  テーブルの反対側に置かれた、もう一つのカップの中身は、口をつけられた形跡もないまま、赤黒く固まった表面を見せている。


  その向こう、こちらに背を向けて置かれた小さな椅子の上に。

  小さくうずくまる、レミィの背中があった。



  どれだけ見つめていても、その幼い後ろ姿は、凍りついたように動かない。


  そして、彼女の見つめる先、ベッドの上に横たわる、咲夜(さくや)の体も。

  まるで眠っているように、動かない。



  いつまで、そうしているの────?


  幾度となく問いかけ、答えの返ってこなかったその言葉を、また私は幾度目か、喉の奥に飲みこんだ。




  ◆ ◆ ◆




  それは、二週間前の昼下がり、物干し場の近くの花壇で起きた。


  そのとき私は、いつものように図書館で本を読んでいた。

  美鈴(メイリン)は、いつも通り門の前に立っていた。

  レミィは、前夜の宴会で盛大に騒いだ疲れか、自室で寝ていた。


  ともかく、その瞬間を見ていたものは、誰もいなかったから。

  何が起きたかは、推測によるのだけれど。



  おそらく、咲夜は洗濯物を干したあと、ここ数日の暖かさでほころびかけた花のつぼみに目をとめ、しゃがみこんでそれを愛でていたのだろう。


  その花壇の脇にある、大きな木の梢に、それは引っかかっていた。

  たぶん何日か前、やはりいつものように本泥棒が侵入したときの騒動で、たまたま割れた窓の、片付け損ねが。


  そして、偶然に────全くの偶然に、少し強い風が吹き。

  何の音も、光も、ひとかけらの殺気すらもなく。


  落ちてきたガラスの破片が、咲夜の頚動脈を切断した。




  ……時空を操るという、およそ人間離れした能力を持ってはいるが、やはり咲夜は人間に過ぎない。


  それでも、ほんの少しでも、警戒する要素があったなら、きっとその能力で……いや、それすらも、今となっては願望でしかないだろう。ただ事実として、彼女が自分の身に起きたことを理解し、何かをしようとするよりも早く、激しくあふれだした血の量が、その機会を永遠の彼方に押し流してしまったのだ。




  その異常を私に告げたのは、一瞬にして目の前に押し寄せた本だった。


  本、本、本、それと本棚。見回す全てが、本と本棚の壁。

  彼方から聞こえる、それらに挟まれ押しつぶされた小悪魔の悲鳴。


  刹那、頭が真っ白になり、次の瞬間に悟る。

  咲夜の力で拡張されていた館と図書館が、本来の大きさに戻ってしまったことを。

  咲夜の身に、何かが起こったことを。


  しかし、ただちに咲夜の元へ向かうべく、図書館を飛び出そうとした私の行く手には。


  周囲を埋め尽くす、山のような蔵書と本棚と。

  その一つ一つに掛けた保護術式と。

  それらを解除し、焼き払い、なおかつその炎から私と小悪魔と、さらに館をも守る障壁を張りながら出口へ向かわなければならないという、厄介きわまる作業が立ちはだかっていた。




  ────愚劣!!

  なんたる愚劣!!


  この世の事象に、慈悲や手心は無い。

  故に、想定しうる最悪の事態には、決して備えを怠ってはならない。だというのに。


  『咲夜なら大丈夫』


  そんな、信頼という名でくるんだ怠惰の誘惑に酔い、当然なすべき対策を怠った。

  これを愚劣と呼ばずして、何と呼ぶのか────




  ────呪いの言葉を吐きながら、私が大事な本を焼き進んでいる間に、最初に咲夜の元へ駆けつけたのは、美鈴だった。


  私の次に異常に気づいた妖精メイドたちの騒ぎと、私の使う魔法の波動で、館の異常を察知し、館の変化によって咲夜の異常を察した彼女は、持ち前の俊足で館を、庭を駆け回り、すぐに血溜まりに倒れた咲夜を見つけ、その知識と力とで、精一杯の救命を試みた。


  けれど、それに遅れること数十秒、ようやく図書館を脱出した私が現場にたどり着いた時には。


  もう、決定的な瞬間が、咲夜の時間の上で過ぎ去ってしまっていたのだ。




  ◆ ◆ ◆




  ランプの炎の揺らめきが、動くもののない部屋の中で、それらの影だけを微かに揺らしている。


  私は視線をレミィの背中から、横たわる咲夜の顔へと移し、そしてまた手元の本へと戻した。いったい何の本を読んでいたのだったか、思い返しながら。



  厳密には────咲夜は、まだ死んではいない。

  咲夜の魂は、まだ肉体から離れていない。

  その寸前で、全てが停止しているのだ。


  だいぶ前に、咲夜本人の協力も得て、その能力を研究したことがあった。

  結論は、それは彼女自身を媒介とした彼女固有のものであり、他人がそれを利用することはできないか、ごく限定的な場合に限る……というものだったが。


  その実験の折、咲夜の中に作らせてもらった、魔力回路(バックドア)

  消さずにこっそり残しておいたものの、役立てる当てもなく半ば忘れていたそれを使って、私はとっさに彼女の時間を止めた。


  そうして事象の進行が止まっている間に、傷を修復し、失われた血を補い……咲夜のすべてを、元の状態に戻した。肉体的には。


  だけど、治療している最中には、もう気づいてしまっていた。

  咲夜の肉体と魂との結合が、ほとんど切れていることに。

  その千切れかけた糸を結い直すことは、もはや出来ないということに。


  このまま咲夜の時間を動かしても、もう彼女が目を覚ますことはないのだ。ただ、傷ひとつない肉体から魂が抜け出し、彼岸へ飛んでゆくだけだ。



  ……結局、私の研究も、思いつきの試みも、何の役にも立たなかった。いつものことではあるけれど。


  そして、そんな私の益体もない研究を、いつも面白がってくれていたレミィは。

  全てが終わってしまった後で、私の説明を聞き……それからずっと、ああして座りこんでいる。

  私とも、誰とも、何の言葉も交わそうとしないまま。


  そして私もまた、そんなレミィを見守りながら、その後ろでずっと座りこんでいる。

  咲夜にかけた時間の枷を、外してやることもできないままで────






  ページをめくる音だけが響く静寂が、どれほど続いただろう。


  今、めくりかけた指を止め、本から顔を上げた、目線の先で。

  ほんの僅かに、レミィの羽が動いた。


  私は本を閉じ、ソファから立ち上がる。


「やっぱり来た、か……」


  隠しもしない、強烈な威圧感。


  屋敷の門前へ、避けられない運命の使者が、ゆっくりと近づいてきていた。


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