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雪月花 魂の行方  作者: 荒木田久仁緒
円環のほとりにて - 四季映姫・ヤマザナドゥの場合
2/19

二 消せない罪


  ごんごん、ごうごうとあちこちから、道具の動く音、炎の吹き出す音が、薄暗い廊下の壁に響く。


  冥府の矯正施設の一、叫喚地獄。

  時代に合わせて拡張近代化はしたものの、亡者の増加はなお著しく、相変わらず処理は滞りがちと聞く。

  ここの地下にあるはずの、魂の業炉。その様子を見に行くため、私は一人、廊下を奥へと進んでいた。


  仕事として……ではない。今日は課程の合間の、休息日。本当は、過去の判例集でも読みこもうかと思っていたのだけど。


  ただ、業炉に送られたあの亡者のことが、どうにも気にかかっていて。

  なんとはなしに、足がここへと向いてしまったのだ。




  案内板を頼りにたどりついた、長い下り階段を歩みながら、もう一度あの者の生を、前世まで含めて、思い浮かべる。


  ……確かに、いくつもの罪を重ねてはいるが、それらはいずれも小さなもので。

  それも、欲望に突き動かされて、と言うよりは。

  まるで、他人から嫌われようと、わざと犯したような。


  そして、死因も。さして強くもない酒を無闇にあおり、増水した川で泳ごうとして、溺死。

  事故死、となってはいるが、あれは、ほとんど自殺だ。

  当然、その死を悲しむ者も、ごくわずかだった。



  なぜ、そんなことをしたのか────?



  その疑問の答えは、さっきからチラチラと、頭のすみに見え隠れしているけれど、私はまだ、それに白黒をつけることができずにいた。

  そんなことをした理由が、仮にそれだとしても。その理由の、さらに元になる理由、それがわからなくて。


  いや……そもそも、そんなことを気にかけて、どうなるのだろう?


  どうせ間もなく、あの魂も業炉の炎に焼き上げられて、そんな理由も何もかも忘れ、まっさらな白玉になってしまうというのに。あるいは既にもう、そうなってしまっているかもしれないのに────




  考えているうちに、階段が尽きた。


  地下の通路を、さらに奥へと進み、業炉管理室と書かれた部屋の扉を開く。


「ん? どちらさま……あっ!? あなたは……」


  背は低いが恰幅のいい一人の獄卒が、私の方を振りかえり、驚いた表情で声を上げた。身なりからすると、主任級のようだけれど。

  いや、それよりも。


「……私のことを、ご存知で?」


  初対面のはずなのだが。


「あー、いや、存じていると言いますか、なんと言いますか……しかし、ちょうど良かった。こちらからも、ご報告しようかと思っていたところでして」


  話の流れが見えない。いったい何が起きているのか。


「あ、わたくし、ここの鬼長を務めている者で。とにかく、直接見ていただくのが早いかと……」


  いぶかしむ私を尻目に、業炉の鬼長を名乗った獄卒は、部屋の真ん中に鎮座している、巨大で真っ黒なかたまりへと歩み寄った。


「これが……」


  知識はあったが、実物を見るのは、初めてだ。

  それは、あちこちから管のようなものが突き出した、涙型の壷のようにも見える。その中では、宿業そのものを焼きつくす、始原の炎が燃えさかっているはずだ。地獄でも有数の灼熱を秘めた炉は、近づくだけでもその熱気をじりじりと肌に感じさせる。


  鬼長は、炉の扉についている小さな丸い板の取っ手をつまみ、かちゃりと横へずらした。その下に現れた小窓から、中の様子を見るよう、目で私に促す。


  わずかに感じた寒気(さむけ)を、頭のすみから振り払い、私はその小窓をそっと覗きこんだ。



「────!?」



  その光景に、思わず息を飲む。


  赤……いや金色がかって踊り狂う、炎の海。

  その上で(あぶ)られ、ふらふらと揺れる、青白い球体。

  そして、その球体から噴き出している、熱せられた蒸気。

  それは、魂より蒸発する宿業そのものであり、そこには執着の根源が形となって現れるという。


  ゆらめく蒸気の中に、映し出されていたのは────


「……そん、な」


  静かな微笑をたたえた、女性の顔。

  短めの、左右非対称の髪型。


  紛れもなく、私自身の。


「ごらんのとおり、これが……いくら焼いても、一向に燃え尽きる気配がなく、どうしたものかと……」


  鬼長の言葉を耳で受け止めつつも、私はそれに返事もできず、ごうごうと燃えさかる炉の前で立ちつくしていた。


  この魂が、なぜ? 私の、こんな表情を、いったい、いつ、どこで?

  馬鹿な。こんなこと、あるはずが……いや……


  ……思い、出した────




  ◆ ◆ ◆




  ────それは、私が是非曲直庁ぜひきょくちょくちょうに入って、まだ間もない頃。

  書記ですらない、雑用係として、法廷の末席に立っていた日。


  裁判長は、閻魔募集の初期に入った先輩。

  一人一人、亡者が引き立てられ、判決がくだり、あるものは地獄の扉へ、がっくりと(こうべ)を垂れながら、あるいは激しく取り乱しながら、またあるものは冥界の扉へ、ほっとした表情を浮かべながら、警吏に促され、流されていく。


  これが冥府の裁判というものか。そう感慨に浸りながら、たいした仕事もなく、ぼんやりとそれを眺めていた私の前を、一人の地獄行きの亡者が、通りすぎようとした。


────嫌だよ──怖いよ────

────どうしてこんな──そりゃ確かに悪いことしたけど────


  声なき声が、心に届く。


────辛く短い人生、いいことなんて何にもなかった。死んでさえ、長く苦しい地獄なんて。嫌だ。怖い。怖い、怖いよ。怖い。誰か、助けて────


「……大丈夫ですよ」


  はっとした表情で亡者が顔を上げ、私を見る。


「地獄は魂を清める場所。少しの苦しみの先には、まっさらな新しい生。今までもこれからも……永い円環の先に、いつか救いはあります。だから……」


「そこ!! 何をやっている!!」


  がん、と裁判長席から怒声が降ってきた。


「亡者と余計な関わりを持つな! さっさと連れていけ!」

「あっ……も、申し訳ありません!」


  慌てて振り向き、頭を下げる。

  まったく、と鼻を鳴らして、裁判長は次の亡者を呼ぶ。私は肩と首を縮め、小さくため息をついてから、そっと頭をめぐらせた。


  さっきの亡者は、改めて警吏に曳かれ、地獄へと連れられていく。

  扉をくぐる間際、あちらもふと、私のほうを振り向いて。


  一瞬、視線が合い。

  どこか安らいだ穏やかな顔が、ばたんと扉の向こうに消えた。


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