六 吟じられた望み
「はぁ~るぅ~こぉ~おぉ~ろぉ~おぉ~のぉ~、
はぁ~なぁ~のぉ~えぇ~ん~~、っとぉ……おや」
季節は巡り、新しい春。
柔らかな風の吹く昼下がり。開き始めた、山桜の下。
博麗神社の境内で、独り徳利を傾けていたマミゾウは、ころりと首を傾げて、石段のほうを見やる。
「おー、また来よったか。久しぶりじゃのう……確か、秋ごろ以来かの」
「ええ、あの時は、紅葉を肴に……」
鳥居の下に、あの後も幾度か呑み比べをした、その男が立っていた。
「もうそろそろ、咲くころかなって、来てみました」
「ちょうど、暖かくなったからの~。しかしまだ咲き始めというに、随分と準備がいいのう」
くいと指で押し上げる丸い眼鏡に、男の手に提げられた酒瓶と重箱が映る。
「それは、あなたも……というか、一体いつから飲んでるんです?」
「お互い様か、はは、は。
……それにしても、やっぱり、春はこれじゃな。こいつなしでは、始まらん」
まだ薄く寒さを残す空の中、浮くように輝く花を見上げて、マミゾウは笑っていた。
「綺麗、ですよね」
「ああ。じゃがそれは、ただ色や形の美しさではない」
「え?」
「ま、霊夢からの受け売りじゃがな……」
杯にひとつ口づけてから、物語るように、言葉を紡ぐ。
「────いわく、季節の巡りは、命の巡り。
三精、四季、五行の中で、何度でも世界は生まれ変わる。
古来より、変わることなく……桜の花は、その象徴。
ゆえに命もつ誰もが、この花に引き寄せられてくるのじゃろうて」
花と枝の間に遊ぶ妖精を眺めつつ────そしてもう一言を、付け足した。
「もちろん、お前さんも、な」
「……そうなんでしょうか、ね?」
「ふふ、花より団子が目当てかの? まあ、いいわい。しかし……」
火照った眼差しで男を見つめたマミゾウは、再び桜を見上げ。
その唇が、おもむろに風に謡う。
願はくは
花の下にて
春死なむ
その如月の
望月の頃
「……それは?」
「むかーし、むかしの坊主の歌じゃよ。死ぬなら満開の桜の下、この世でいちばん美しい景色の中で……とな」
杯の中にわずかに残っていた酒を、すいと飲み干して、マミゾウは語りを続けた。
「ちなみにそいつは、その願いどおりに死によった。強い意志が運命を引き寄せたのか、その謡った言葉が願いを叶えたのか。あるいは、単なる偶然かもしれんがな。ただ……」
空いた杯を、男のほうに突き出し、にやりと笑う。
「強く想い、引き寄せようとせぬ願いは、決して叶うことはない。
さて、いつかの願いは叶うかどうか。
今年も勝負といってみようかの?」
◆ ◆ ◆
「言ったじゃないですか、先に飲んでた分の差が、不公平だって」
神社から人里へと向かう、赤く日の暮れかけた道を、柔らかな荷物を背負って、男は歩いていた。
「いや~、あれくらいなら大丈夫と思ったんじゃがの~。そう、ほら、あれじゃよ。はんでかっぷ、というやつじゃ~」
男の背にぐってり身を預け、眼の閉じかけた真っ赤な顔を左右に揺らしながら、マミゾウはのろのろと言葉をこぼす。
「勝負なしでいいですよ、今日のは……」
「ふん、生意気なことを、言うでないぞぉ。始めた以上、勝負は勝負。後からひっくりかえすほどぉ、落ちぶれちゃ~おらん。
……が、しかし……」
「しかし……なんです?」
「うーむ……ちょっとばかり、まずいことにぃ、なってきたのぅ……」
背中にしがみつく力が、ほんの少し強まる。
「だから、なんなんですか」
「いやぁ~、今日はたくさん呑んだからのぉ~。その水気が、ちと……漏れそうなんじゃ、下から」
男の耳元で囁くように、そう言いつつもマミゾウの腕は、なおしっかりとその背に抱きついていた。
「え!? ちょ、ちょっと待ってください、今、どこか草むらに……!」
慌ててあたりを見回す。だが、
「いや、間にあわん。漏れる」
「ええ~……。しょうがないなぁ……」
マミゾウを背負ったまま、立ち尽くす男。
しがみついたまま、動きを止めるマミゾウ。
ややあって。
「……なんじゃ、放り出さんのか」
ぼそりと男の耳に、声が吹きかかった。
「いやぁ……あなたのなら、別にいいかなって……」
「酔っとるな? お前さん」
「そりゃあ、まあ……俺だってかなり呑みましたし。
って、余裕あるんなら、いま降ろしますけど」
「……ふん、冗談じゃよ、冗談。
子供じゃあるまいし、そんな簡単に漏らしたりせんわ。
ところで、そこ川じゃぞ」
「えっ?」
言われて見下ろした足元は、すぐ目の前に小川の流れる草むらだった。
「あ、あれ!? さっきまで、道の真ん中、歩いてたはず……!?」
「ははは、小水ではなく、小川の水で、びしょ濡れになるところじゃったのう。ほれ、橋はあっちじゃ、あっち」
「ううん……」
酔いに揺れる頭を振りながら、男は橋に続く道へと歩みを戻した。
◆ ◆ ◆
やがて、野道も尽きて。
薄暗がりの中、小さな門をくぐったその少し先で、男は足を止めた。
「ほら、里に着きましたよ。家は、どっちです?」
とっぷりと日の暮れた街角で、背中の荷物に問いかける。が、
「う~ん、どっちじゃったかの~。呑みすぎたせいか、よく分からんわ」
男の肩の上であごを転がすマミゾウから返ってきたのは、そんな返事だった。
「ええ……?」
「なんなら、ここに置いていってもいいぞ~い。
そのうち酔いも覚めて、思い出すじゃろ~」
ぐでぐでと耳に入ってくる言葉を追い出すように、男は首を振る。
「いや、こんな時間、こんな場所に、女性一人で置いてくなんて……」
人通りのない里のはずれは、すでに夜の底。
暗くぼやけた道を照らすのは、ところどころに置かれた灯篭の、頼りない明かりだけだった。
「そうじゃなぁ。もしかすると、通りがかった狼に、襲われてしまうかもしれんなぁ」
その闇には不似合いに暢気な声と、男の口から漏れる、小さな溜息。
「そうですよ、だから家まで……」
「うむ、じゃからな」
声をさえぎり、頭と頭をくっつけて。
そっと、囁く。
「……今宵は、お前の家に、泊めてくれ」
宵闇に包まれた、人里の片隅で。
ほんの少しの間、静かに時が流れた。
「……俺だって、突然、狼になるかもしれませんよ」
「お前さんに襲われるなら、別にいいかのう」
「酔ってます?」
「勿論」
溜息のような、あるいは深呼吸のような、大きな息を吐き。
男は、彼女の体をしっかり背負いなおすと、自分の家を目指して、町並みの中へ消えていった。
────そろそろ、教えてください
────何をじゃ?
────まだ、名前を聞いてません
────ふふ、覚えとったか
────だって、それが俺の、願いですから
────そうじゃったな……儂の、名前は、な……
花に酒。開き、散る輝きと、新生する季節への喜びを。
月に酒。夜風に寄り添う肩の間で、杯に映る真円の餅を。
雪に酒。白く凍る静寂の中、触れ合う手と体の温もりを。
巡る、巡る、巡る季節。
そして────




