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雪月花 魂の行方  作者: 荒木田久仁緒
花は宴と共に - 二ッ岩マミゾウの場合
16/19

五 仲々諦めぬ彼奴   


「なんじゃ、また来よったのか。しょうのないやつじゃのう」


  鳥居によりかかって煙管(きせる)を吸っていたマミゾウは、石段を登ってきた人影に目をやると、呆れかえった表情でぷうと煙を吐いた。


  あの日から毎日のように、(さかずき)を手に挑んできている男のほうは、軽く手を上げ、嬉しそうに笑う。


「ええ、自分でも、諦めが悪いとは思いますけど。……まだ、咲いてますよね」

「まあ、一応は……な」


  横目に見上げる山桜の枝には、なおぽつりぽつりと遅咲きの花が残っていた。


  と、地面のほうから、


「へえ、こいつが噂の物好きか」


  大きな帽子をかぶった金髪の少女が、座りこんで男を見上げていた。


「あれ? あなたは確か、霧雨の……」


「いやあ、今ならタダで酒と団子にありつけるって聞いたからさ」


  自称普通の魔法使い、霧雨魔理沙は、そう言ってにかっと笑う。

  その手は早くも重箱の中へ伸び、団子がひとつ口の中へと消えた。


「……お前さんの分は、賭けに入っとらんぞ」


「いえ、構いませんよ。俺が負けたら、一緒で」


「おーっ、太っ腹!」


  そして今日も、物好きたちの宴が始まる。






「で? で? こいつのどこが気にいったんだ? なあ」


  魔理沙は魚の干物をかじりながら、興味津々といった表情で、男を肘でつついて問い詰める。

  勝負の盤外から身を乗り出すその顔は、もうだいぶ酒が回ったふうだった。


「うーん……どうしてでしょうね。やっぱりいわゆる、一目惚れ……かも」


  注がれたばかりの酒の香りを嗅いで、男がそう答えると、


「お、お~……ひとめぼれ……そ、そうかぁ~」


  居心地悪そうに目線を泳がせながら、ぽりぽりと赤くなった頬を掻く。


「なんで、お前さんが照れとるんじゃい」


  そんなマミゾウのツッコミを聞き流しつつ、


「うーん……いや、熱い、熱いねー……」


  そう言ってうんうんと一人うなずいていたが、不意にぱんと男の背中を叩くと、


「でもなあ、こいつはやめといたほうがいいと思うぜ?

 淑女然とはしていても、百戦錬磨の古狸。

 たぶらかした男は数知れず、だからな!」


  いつもとまったく変わらぬ調子で。

  陽気に、どこまでも陽気に、魔理沙は笑う。


  しかし。



  ────ぞわり、と(わず)かに。



「……利いた風な口をきくでないぞ。

 貴様(きさん)が儂の何を知っとると言うんじゃい、小娘が」



  漏れ出た妖気と共に、薄寒く細まった眼光が魔理沙を────見据えることすらなく、切りつけた。



「おっ……と、と……。じゃあ、私はこのへんで。ご馳走さん!」


  軽薄ではあるが、決して鈍くはない魔法使いは、跳ねるように箒に飛び乗り、空の彼方へ姿を消した。






  二人だけになった境内に、いくらかの時と酒が流れた後。


「ま……やめといたほうがいい、というのは、魔理沙の言う通りじゃがな」


  そっぽを向いたまま、マミゾウはそう言った。


  男は杯を傾けながら、はは、と小さく笑う。


「霊夢さんにも、同じこと言われましたよ。たぶらかされてるだけだって」


「あやつめ……いや、まあ、よいわ」


  軽く眉をひそめながら、ふんと鼻息を吐き。

  差し出した手に持った杯に、男の手から酒が注がれる。


「……お前さんが一体、どんな夢を見て儂に言い寄っとるかは知らんがな。きっと、そんな望みどおりにはならん。生憎じゃがな」


「そうですかねえ」


「そうじゃよ。あやつらの言葉じゃないが……たぶらかされて、泣くのがオチじゃろ」


「たぶらかす気なんですか? 俺を」


「やかましい、言葉のあやじゃわ。

 分不相応な夢を見れば、残るは失望と後悔だけ、と言っとるんじゃ」


  唾を吐きつけるような声が飛ぶ。

  けれど、浴びせられた当人の口から出た言葉は、場違いなほどに穏やかだった。


「あとに何を残すかなんて、自分しだいですよ」


「……はあ?」


「たとえ願いが叶わなくても……追いかけていた自分を、不幸だと思わなければ、それは素敵なことじゃないですか?」


「……ふん、なんとも幸せそうな考え方じゃのう」


  冷笑と共にくるくると、手の中で杯と酒をもてあそぶ。


「しかし……まあ、確かに、な。何事も、見方によって姿は変わるもの。そのうち(いず)れが本当なのか……それは、あるいは神仏にすら分かりはせん。じゃから……」


  ────じゃから妖怪(わしら)は、なお、ここにおる────


  そう言いかけた言葉を、杯の中身と一緒に飲みこんでから、男に向かって徳利(とっくり)を差し出す。

  そんな言葉を知るはずもなく、男は杯でそれを受け、


「ええ、それなら……だからこそ、自分の望む世界こそが、自分にとっては真実なんだって……俺は、そう思うんですけど」


  言って、かすかに笑ってみせた。


「望んで足を踏み出した先が、もしかしたら断崖絶壁だとしても、かの?」


「信じていれば、そのまま空も歩いていける。そういうことも、あると思いませんか?」


「……ふ、そうじゃな。確かに(   )ここ(   )では、そういうこともあるんじゃろうなあ」


  杯を干す男を見つめつつ、彼女もふと柔らかく笑い────けれどその笑みは、どこか自嘲ぎみだった。


「自分の望む世界、か……」


  また酒を注がれながら、独り言のように、マミゾウは言葉を続ける。


「もう儂には、よう分からん。皆の求めに応じて取り繕い、立場に相応しい色を塗り重ねた、今のこの自分と、それを囲む世界が、自ら望んだものなのか、そうでないのか……。

 もはや自分だけしか憶えておらぬ、あの日の自分は────本当に存在していたと言えるのか……な」


  手の中で揺れる水面(みなも)をぼんやりと眺め、それに口をつけようとした、その耳に。


「……よくわかんないですけど。

 俺にとっては、いま目の前にいるあなたが、本当のあなたですよ」


  暖かい風に乗って、その言葉が届き。


  はたと上げられた顔の真ん中で、マミゾウの目が、その眼鏡のように丸くなる。



  ひらり、と花びらがひとつ、舞い落ちるほどの時間が過ぎて。



「ぷっ……。

 ……くく、くはは、あははははは!!」


  突然に、春の空を仰いで、高らかに笑う。

  それを見て、今度は男の目が丸くなる。


「何か、おかしなこと、言いました?」


「ははは、は……。

 いや本当に、幸せそうな男じゃと思って、な……」


  目じりを軽く指でぬぐいながら、マミゾウは杯に口をつけなおした。


「……はい」

「褒めとらんぞ」

「はい」


  男はただそう返し、ただ穏やかに笑っている。




  またしばらくの間、静かに酒を勧めあう時が流れ。


「……なあ、お前さん……」


  不意にぼそりと、口から言葉がこぼれた。


「んー……? なんです?」


「もしかして、以前、どこかで……」


「……え?」

「いや、なんでもない」


  ぼやかして杯を干し、男の杯に酒を注ぐ。


  男はそんな彼女の顔を、もうだいぶ酔いのまわった瞳で見つめながら、ややゆっくりと杯を空け、また徳利を傾け返す。


  注ぎ、注がれ、行きかう杯。

  桜の花が、またひらりと散った。








    …




── もう 会えんのか



 あたし (たば)ねに成らねばならんで



── せめて お前の……



 教えん どうせそれも 消えて()ぉなる

 さらばじゃ


 ……それと その

 あの事ぁ 誰にも



── あの事 ……ああ 粗相の



 言うな



── (おら)ぁ 気にしとらんが



 忘れぇ 忘れとくれや どうか……




    …








  どこかから流れてくる風に乗って届く、何かの香り。

  やや近くで感じる、ほのかな人暖かさ。


  ゆっくりと目を開けば、薄く赤みの差した空と、丸眼鏡の顔が目に映る。


「ようやく起きたか。今日もやっぱり、儂の勝ちじゃな」


  軽く笑って煙管をふかし、マミゾウは寝転がる男の胸に財布を投げ落とした。


「まだまだ、ぺぇす配分が甘いのう。だいぶ慣れてはきたようじゃが、な」


「……そう、ですね……」


  起き上がり、財布をしまってから、しばらく座りこんで宙を見上げていた男は、やがて軽く頭を振ると、ふらつきながら立ち上がる。


「では行くか。ほれ」


  そう言って、今日も肩を貸そうとしたマミゾウの腕は、やんわりと押しのけられた。


「いえ……一人で、歩けます、よ……。そんなに、何度も送られる、なんて、情けないです、し……」


「……ふん、そうか。ま、気をつけてな」


  頼りない足取りで鳥居をくぐり、石段を下っていく男の背中を、しばらく見送って。


  ぴゅうと吹き鳴らした口笛に、小狸が一匹、草むらからひょっこり顔を出す。


「里の入り口まで、見守っておけ。……何か起きたら、また霊夢がうるさいからの」


  その言葉に小狸はこくりと頷き、男の後を追って参道へと消えた。




  静まりかえった境内には、マミゾウの姿だけが残された。


「なかなか頑張ったが……残念ながら、時間切れじゃな」


  すっかり散ってしまった山桜を見上げ、独り笑う。

  酒と夕日に赤らんだその顔は、どことなく寂しげに見えた。



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