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雪月花 魂の行方  作者: 荒木田久仁緒
花は宴と共に - 二ッ岩マミゾウの場合
14/19

三 花の下に狸の居る事  


  鳥居のわきで、二人の女が、昼日中(ひるひなか)から酒を飲んでいる。


  一人は着物に丸眼鏡の若い女。もう一人は黒いワンピースの、むしろ少女と呼べる年頃の娘。


  茣蓙(ござ)に座って重箱をつつく、頭上は一面の桜色。

  境内のすみに並んでいる、幾本かの山桜が、弥生の空に咲き誇っていた。



「ほれ、次がくるぞい、ぬえ」


  拝殿のほうから歩いてくる人影を目にした眼鏡の女が、そう黒服の娘に声をかける。


「わかってるって」


  ぬえ、と呼ばれた娘は小声で返事をすると、二人のそばを通り過ぎて鳥居をくぐろうとしている人影──先ほど霊夢にチラシを落とされた女の背中に、得体の知れない何かを投げつけた。


  すると、投げつけられた女の姿も、得体の知れない何かへと変わり、しかし当人はそれに気づきもせず、人里へと向かう石段を降りていく。


  正体不明の種。

  人でも物でも、仕込まれたものの姿を、なにやらよくわからないものへと変え、その正体を包み隠す力。

  それが、(  )ぬえ(  )(いにしえ)から呼びならわされる妖怪の能力だった。


「よし、よし。まだしばらくは、バレなさそうじゃのう」


  そう言って徳利(とっくり)から酒を注ぐ眼鏡の女も、やはり姿どおりの人間ではない。

  幻想郷一円の化け狸を束ねる頭領、二ッ岩マミゾウ。木の葉のチラシを用意したのは、彼女であった。


「へへへ。やっぱり、こういう(たぶら)かしこそ、妖怪の本領って気がするよ。妖力の美しさを競うのも、悪くはないけどさ」


  にかりと笑って、ぬえは団子をひとつ頬張る。


「あ、これイケるね……人里で作ってるやつじゃないな、(   )(   )のヤツ?」


「うむ、このあいだ里帰りしたついでの土産じゃよ」


  マミゾウも同じ団子をつまみ、口に放りこんで顔をほころばせた。


「あー、それにしても……やっぱりこの季節はいいねぇ。

 暖かい日差し、爽やかな風、咲き乱れる桜。

 平安の都のころから……何も変わらない」


  まだ、世界が混沌に満ち、人以外の多くのモノが未知の化物(ケモノ)であった時代。

  それを知り、今もその力を宿す小さな大妖怪は、目を閉じ、木に背中を預けて、その遠い風景を思い出しているようだった。


年年歳歳(ねんねんさいさい)花相似(はなあいにたり)歳歳年年(さいさいねんねん)人不同(ひとおなじからず)……なんて歌もあったがのう」


「それ唐のオッサンの詩? けど、いかにも人間の詠む歌って感じ。私たちから見れば、人間だって大して変わりゃしないのにね」


「いかにも。とはいえ、花の色が少しずつ移ろうように、人も少しずつ変わるがな。じゃから儂らは……今、(   )ここ(   )におる」


  言って、くいと(さかずき)を空ける。

  そんな彼女もまた、ぬえと同じ混沌の系譜に連なり、他の多くのケモノがただの動物となった後でも、なお奇怪なモノで在り続けた者の一人であった。


「あー、やなこと言うなぁ。まあ私たちは、まだ結構(   )(   )でも名が通るからマシだけどね。それもいつまでやら……。ハツデンショだっけ? 全部ふっとばしたら、また妖怪の天下が来るかな?」


「はは、やめとけ、やめとけ。いまさら人間に、喧嘩を売ったところで……」


「そぉぉぉおぉぉぉねぇぇぇ。神社に喧嘩を売るのも、なかなかいい度胸だけどねぇぇぇ」


  響いた声に、ぬえはぴゃっと奇声を発して飛び上がると、一目散に姿を消した。

  一方のマミゾウは、悠然と振り向いて、


「おや、霊夢。どうじゃな、お前さんも一杯」


「おや、じゃないでしょ! やっぱりあんたらか! わけわかんないデマ飛ばさないでよ!」


  バシバシと、お祓い棒でマミゾウの頭をはたく。


「あ痛っ! 痛い痛い、わかった、わかったからやめい!

 ……まったく、ちょっとした冗談じゃろうに、心が狭いのう……」


「冗談だろうがなんだろうが、怪異は怪異! 余計な手間かけさせんな!」


「しかし、おかげで幾らか賽銭も入ったじゃろう?」


「う……そりゃ、まあ……。

 でも、際限なく続くのは困るの! 今すぐやめさせなさい!」


「安心せい、もう新しいのは撒いとらん。

 じゃが、すでに撒いたのが多分まだまだ……痛っ!」


  再三、マミゾウを引っ叩いた霊夢の背後から、


「あのー、代替わりの儀って、どこで……」

「てぇーい!!」


  声をかけた若い男が手にしたチラシを、振り向きざまに張り飛ばす。


「うわっ!?」

「そいつはデマ! 代替わりなんかしないから! 宴も祭りも屋台もナシ!」


  噛みつくように叫びちらしてから、ずんずんと鳥居のほうへ歩いてゆく。


「おや、どこへ行くんじゃ?」


「まだ来るんでしょ!?

 こっちから里へ向かって、道すがら追い返すの!

 ついでにデマだってキッパリ宣言してくる!」


  お祓い棒をぶんぶん振りながら、霊夢は早足で石段を下りていった。


「やれやれ、相変わらず気短(きみじか)じゃのう……ん?」


  杯に口をつけなおしたマミゾウの視線が、すいと横へ流れる。



  視線の先には、人影がひとつ。


  つい今しがた、霊夢にチラシをはたき落とされた、若い男が。

  突っ立ったまま、じっとマミゾウを見ていた。



「……なんじゃ、儂に何か用かの?」


「あ、いや、その……」


  不意に、空を流れていた雲が切れ、さあと(まばゆ)い光が差した。


  陽光が二人の姿を輝かせ、くっきりとした影がふたつ、他に誰もいない境内に落ちる。


「……ちょっと、お願いが」


  男の声が、静かに響く。


  頭上を覆うのは、一面の花の雲。

  あたりを包むのは、暖かい春の風。


  ざわざわと枝を揺らす、満開の桜の下で────



「────を、教えてくれませんか」



  そう唇が動き、その言葉が、マミゾウの耳に届いた。


  そして。



「……は? 酔っとるのか? おぬし」


  数秒の()のあと、眉をひそめて、マミゾウは聞き返した。


「え? いえ、素面(しらふ)ですけど……」

「ふぅん……」


  男を横目で見ながら、くいと杯をあおり、


「……つまり、儂を口説いとるんじゃな? それは」


  半眼で、にやりと笑う。


「ええと……まあ、そういうことに、なりますか……ね?」


「そうか、そうか……ふん、なんとも物好きな。

 ま、教えてやってもいいが……」


  つと余っていた杯を拾い上げ、男に向けて投げ渡す。


「ただで教えるのも、つまらんからの。

 ちょっと、儂と勝負をしてみんか?」


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