八 永久の灯
「……伝えられたのね。なら、良かった」
談話室の窓際のテーブルで、レミィの話を聞き終えた私は、本のページをめくりながらそう言った。
彼女と言葉を交わすのは、ほぼ一月ぶりだ。咲夜の寝室以外の場所で、声を聴くのも。
あのあと、無言で館に戻ったレミィは、また数日間、咲夜の前で座りこんだままだったけれど、それがようやく、こうして彼女の部屋から出てきて、私に話をしてくれた。館を飛び出してからの顛末を、ぽつりぽつりと。
「とにかく追えば、なんとかなる道は見えてた……でも、まさか八雲紫が出てくるとは、思ってなかったな」
揺らめく赤いランプの明かりと、凍てつく青い月の光が、同時に照らすレミィの横顔は、その境界がひどく曖昧で、ふと目を離せば消えてしまいそうなほど、儚げに見えた。
「貸しを作ったつもりはない、そう言ってたけどね。あいつのことだから、忘れた頃にしれっと何か言ってくるかも」
「そう。まあ、その時のことは、その時に考えましょう」
咲夜の遺体は、まだそのままになっている。そのうち荼毘に付し、館の敷地内に葬る予定ではあるけれど。
そのうちね、とレミィの言うその日は、きっとずっと遠い。時間はまだ必要だ。彼女にも、私にも、誰にも。
「ごめんねパチェ。色々と気を遣わせちゃって」
「別に……。私は特に、何かできたわけじゃないし。ただいつも通り、やりたいようにしていただけだから」
その言葉には嘘はない。私は義理や義務感で何かをしたことはない。今までも、これからも。
「それにしても……あの閻魔様は、意外と優しい方なのかしらね。また巡り逢うだなんて……あなたを慰めるようなことを、わざわざ言うとは、ね」
なんとはなしに、その感想を口にする。あるいは単に、レミィをすんなり退廷させるための方便だったのかもしれない、とも思った。しかし、
「そう? 私は違うと思う。冷酷なやつだよ、あれは」
「……どうして?」
意外な答えに、本から顔を上げて彼女を見る。もとからほとんど読んではいないけど。
くふ、と口から紅い息を吐いて、レミィは言葉を続けた。
「だってもし、もう二度と逢うことはない、なんて思ったら……いつか咲夜のことなんか忘れてしまって、この痛みも、苦しみも、それっきりになってしまうかもしれないじゃない?」
思わず目を見開く。ちらりと横目にこちらを見るレミィと視線が合う。
奇妙に歪んだ目と口元。その嘲笑の向く先は、私か。かの裁判長か。レミィ自身か。あるいは彼女の運命にか。
「きっとまた逢えると思えばこそ、私はその日まで……いや、その日が訪れない限り、苦しみ続ける。希望こそは最大の災厄である……か。よく言ったものだよね」
背もたれに頭を預け、宙を見上げるレミィの顔は、確かに笑っていた。そして同時に、確かに彼女は泣いていた。
「でもいいのさ。一つ、間違いなくわかったことがある。
私は私のために苦しむんじゃない。
咲夜のために苦しむんだ、って。
だから……どんな永い苦しみにだって、耐えられる」
────冷酷なる裁きの神にいわく。全てのものは、生きているだけで罪を犯す。罪を犯したものは、等しく罰に苦しむ。すなわち生きることは苦しみである、と。
しかしそれでもなお、全てのものは生きる。生きて、苦しんで、死んで、苦しんで、何度でも生き返り、望んで生と苦しみを繰り返す。ならばつまり、苦しみとは────
私は、月とランプに照らされたレミィの横顔を、じっと眺めていた。
それは気高く、悲しく、ひび割れていて、美しい。
その中心に焔を抱いた、一輪の薔薇。焔は常に花弁を焼き続け、薔薇は焼かれるはしから花弁を伸ばし続ける。永劫の責め苦。けれど薔薇は決して、その焔を手放そうとはしないだろう。それこそが求めて止まない、永遠の輝きだから。
「お茶、煎れるけど。飲む?」
ページの進まぬ本を閉じてテーブルに置き、椅子から立ち上がる。
「……煎れるって、あなたが?」
「ええ。最近、美鈴に習ってるの。中国茶だけどね」
数瞬の後。
ぼんやりした眼差しで私を見上げていたレミィの顔に、ふわりと笑みが浮かぶ。
「そうね、お願い。……ありがとう、パチェ」
その笑顔、その言葉が、私の胸に温かい火をともす。
それと一緒に、焼けるような痛みも。
今ならよくわかる。
あの閻魔が、私を裁こうとしなかった理由。
私のような、賢しい愚か者には、それが相応しい罰なのだと。そしてきっと、せめてもの慈悲でもあるのだと────
「どういたしまして」
私も軽く笑って、お茶の支度に取り掛かる。
何もできない私が、今ただ一つ、できること。
ここから始まる永く遠い道へ、痛み悼む日常を、共に往くのだ。
そう、私もまた、彼女たちと同じ焔を抱いて。




