七 分かれ道の果て
裁判を始める前から、十六夜咲夜の姿は、生前に近いかたちを現していた。
自分が死んだことを認めたくないが、亡霊にもなりそこなったような亡者は、よく人としての姿を保った幽霊になる。だが彼女の場合は、それとはまた違うもののようだった。
おそらくは、生前の行いへの、完全な肯定。
誰に何を言われようと、自分は揺らがぬという確信ゆえに。
実に、罪深い。
「では、次」
そして、その番が来る。
このような者の行く末が、果たしてどうなるものか────
ちらりと浮かんだその考えを、ゆっくり瞬きをして頭から追い出す。
閻魔の仕事は、公正に判決を下すこと。それだけだ。
その罪を映し出そうと、鏡を手にとった時。
法廷の端に、見覚えのある人影がふたつ。
「……なっ!?」
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。なぜ、彼女がここに。
その後ろには、紫のドレスに、扇子を携えた────お前の仕業かっ!
「うわっ!? なんだ、こいつらっ!?」
周囲から上がったどよめきの中を、ずぶ濡れの服から雫を飛ばしながら、吸血鬼の影が走った。
「咲夜っ!!」
その名の亡者に向かって、一直線に。
しかし。
「ぬぅん!!」
重く風を切る音が、左右からその影の上に振り下ろされる。
「ぐっ……!」
二人の警吏の金棒を、その細い腕一本ずつで受け止めて、レミリアの動きが止まった。
警吏はそのまま、力任せに押し潰そうとするが。
「ぬぬっ……こいつ」
ぎりぎりと、床をきしませながらも、吸血鬼は退がらない。そして。
「咲夜ぁっ!!」
歪んだ口が、なおその名を叫んだ。
「八雲紫! どういうつもりですか!」
力と力が激突している後ろで、ひらひらと警吏から逃げ回っているスキマ妖怪に、身を乗り出して問いただす。
確かに、何かが起きそうな予感はあった。それでも、おそらく巫女か、あるいは冥界の管理者あたりを介してだろうと思っていたのに。
まさか直接、本人を乗りこませてくるとは!
「いえいえ、お気になさらず。私たちはただ、裁判を傍聴しに来ただけ。どうぞ普段どおりに、お続けくださいな。裁きの邪魔は致しませんから」
「……っ……!」
────「普通に」というのは、これも含めて、のことか────!
彼女は、私の前では決して嘘を言わない。同時に、自分から全てを話すこともしない。
真と偽の境界を知りぬき、なおそれを飛び越えて、外から内から他者を動かす────厄介きわまる、相手だった。
私は悔悟棒を振りかぶり、平たく机に叩きつけた。
硬く乾いた音が、法廷に響き渡り、皆の動きが止まる。亡者も、警吏たちも、そして招かれざる者たちも。
「……なんと言おうと。特別の許可なき越境は、誰にも認められません。まして法廷に乱入など言語道断。よって……」
椅子に身を戻して、一度、息を吸い。
二人を取り囲んでいる、警吏の鬼たちに告げる。
「貴方たちは、その者らが裁判中おかしなことをしないよう、しっかり見張っていなさい」
「はい! 今すぐ引っとらえ……はっ?」
こっちを振り向いた顔が、ぽかんと口を開けた。
「幻想郷でもそれなりに力のある妖怪二匹。
今ここで大捕物を演じるとなれば、亡者や業務に影響が出かねません。
ひとまずは、この裁判の進行を優先します。
とにかく、そこから動かさないように」
「は、はぁ……」
気の抜けた返事を返しつつ、狼藉者の上からどけた金棒で、こちらとの間に柵を作る。
「何が、おかしなことだっ……お前たちこそ、咲夜に何かしてみろ、私がっ……!」
「おやめなさいな」
低く唸るような声に、後ろからやんわり声が被さる。
「紫っ……!」
「理性派、穏健派が多い司法庁とはいえ、ここは鬼の本拠地。
こちらが不利な状況下で、まともに戦うべきではない。
……わかっているでしょう? あなたなら」
唇を噛み、沈黙する吸血鬼。
その言葉に、間違いはない。たとえ幻想卿の巨頭であろうと、ここは是非曲直庁の領分。まともにやりあうなら、容易に鎮圧できる。
しかし……それは裏を返せば、まともでない方法ならば────戦う、とまでは行かずとも、こちらを困らせることは出来る、ということ。
そして恐らく、その用意があるということ。
それが嫌なら、「普通に」裁判を進めなさい……と、その混沌の瞳が言っている。
単純な力ではなく、そういう手練手管こそが、この妖怪の本領だった。
忌々しい話だけれど、穏やかに済むならそれに越したことはない。ここは彼女の意に沿っておくのが無難だろう。
ともあれ、傍聴人は静かになり、それと入れ替わるように、声なき声が聞こえた。
────閻魔様────
十六夜咲夜の魂。それが私に訴えている。
自分の声を、主人に届けてほしい、と。
けれど、その訴え──いや、どちらかと言えば要求といった感じではあるが。まったく、どこまでも図太い亡者だ。とにかく、私はそれを無視した。
地獄では亡者に発言権はない。閻魔が亡者に便宜をはかることも、その情状を酌むこともない────してはならない、ことなのだから。
「では、始めます」
私は、被告の罪を鏡に映し出す。
生まれてから、あの館に来るまでのこと、来た後のこと。そして────
「……殺生、妄語、邪見。本来あるべき道を捨て、妖怪の側に与した罪。人間を刻み、その血肉を妖怪に供した罪……」
読み上げるたびに、視界の端、金棒の向こうで、紅い悪魔の表情が動くのが見える。
顔を、口を歪め、震える手を握りしめ……なにか吐き出したい言葉を、こらえている様子で。
その一方で、十六夜咲夜は、揺らがない。
すべての罪を認め、すべての行いを肯定している。心から。
これでは、およそ救われようが無い。そう思えるほどに。
けれど。
「……そして、与した妖怪との交わりにより、彼らに自身の命を囚えさせ、生死の法を乱させた罪」
その最後の罪を、読み上げた時。
かすかな後悔に、その魂が揺らいだ。
そのこと自体が、罪深さではあるけれど。
それでも、揺らぐ隙間があるのなら────いつか、輪廻には戻れるだろう。
だから私は、普通の判決を下した。
「……よって、無間地獄に落とす。以上です」
「待てっ!!
……その裁き、私が代わりに受ける!
私を、咲夜の代わりに、地獄に落とせ!!」
傍聴人が、一歩踏み出し、大声で叫んだ。
おそらく言うだろうと思っていた、その言葉を。
「有り得ません。
貴女は地獄に落とされるべき存在ではない。
落ちるのは、衆生に属するもの、輪廻の中にあるものだけ。
すなわち、そこの亡者だけです」
「そんなバカなことあるかっ!
咲夜に仕事を命じたのは私!
その供物を受け取ったのも私!
それなのに、なんで!!」
片手で顔を覆う、その隙間から、つと光るものが漏れ落ちた。
「咲夜だけが、地獄で罰に苦しまなきゃならないんだっ……!!」
「……よく誤解されていますが」
ひとつ、深い呼吸をしてから、私は口を開いた。
「地獄は、罰を与えるための場所ではありません」
「な……」
うつむいていた顔が振り仰がれ、乱れた眼差しが、私を見つめる。
「……何を……言って……」
「地獄は、魂の汚れを落とす場所。それに伴う苦しみが、罰でもあるに過ぎません。
罰とは、天地自然の理に従い、罪から生まれいずるものです。犯した罪は、いつか必ず何ものかに裁かれ、罰に苦しむことになる。それはたとえ、地獄に落ちなくても変わらない。現に」
まっすぐに、悔悟棒を指す。その先にある、涙に歪んだ顔に向かって、私はゆっくり言葉を落とした。
「レミリア・スカーレット。貴女は今まさに、自らが犯した罪によって、深く苦しんでいるではないですか」
「……あ……」
半開きに固まった口から、かすれた声が漏れた。
「短い時を生きる魂は、短い地獄の苦しみを繰り返す。対して、貴女のような存在は、その永い時間の中で、より永く苦しみ続けることになるでしょう。罪が同じならば、罰の大きさも同じ。ただ、苦しみ方が違うだけです」
静かに言葉を注ぐ私を、見上げる濡れた紅玉の瞳。
それはやがて苦しげに、ひしゃげ、潰れて。
小さな手が、胸元をぎゅっと押さえる。
その中心に突き刺さった何かを、奥へ押しこもうとするように。
そして、かすかな嗚咽がその口から押し出され。
細い膝の落ちる音と共に、磨かれた法廷の床に響いた。
「……いずれにせよ、判決は先のとおりです。連れて行きなさい」
私はそう言って、護送の警吏を促した。
警吏は頷いて、罪人を曳いてゆく。
法廷の端、地獄の扉へと。
「待って! 咲夜っ!!」
制止する金棒の柵から身を乗り出し、罪人の主が叫ぶ。
「咲夜! ごめんなさい、咲夜! 私がっ……私の、せいでっ……!!」
「それで、いいの?」
灰色の影から、声がした。
八雲、紫。
たった今まで、レミリアの背後に黙って佇んでいた、その少女が。
幼い吸血鬼の耳もとに、そっと唇を寄せて。
「本当に、その言葉で。
あなたが伝えたい言葉は……本当にそれで、よかったのかしら?」
そう囁く。そしてちらりと、その目が私を見上げた。
『閻魔さまでは、立場上、促せないでしょう?』
……そんな風に言いたげな顔で。
だから私は、その視線に、気がつかなかったふりをした。
ああ、まったくもって、厄介な相手だ。
「さく……咲夜っ……私……私はっ……」
声を、喉を震わせて、幼い吸血鬼は、その胸から言葉を吐きだす。
伝えたかった、伝えられなかった想いを。
「咲夜……私の、ためにっ……
本当に、ずっとっ……
ありが、とう……っ!!」
その言葉に、十六夜咲夜だったものの気質が、ふわりと揺らめく。
いずれ消え行く、はかない想い。
その声なき声は、主人に伝わったのだろうか。
「さく、や……っ!!」
見開いた目から、また涙が落ちる。
きっと、伝わったのだろう。
言葉ではなく、その笑顔だけで。
「……連れて行きなさい」
私は改めて、警吏を促す。
警吏は改めて、亡者を曳いてゆく。
「……咲夜……」
その背中に、声がかけられる。
「咲夜っ……」
背中は、遠ざかってゆく。
「咲夜ぁぁぁぁああああ!!!!」
扉が、ゆっくりと閉じられて。
低く、重い音と共に、メイドの姿は消えた。
「さく、や……ぁ……うっ……あ……ぁぁっ……」
床にくずおれた、小さな小さな影が、なおも小さな声を上げていた。
そんな彼女を横目に見ながら、ふと、それを言うべきかどうか、迷う。
いや。閻魔の裁きは絶対であり、それは常に正しい。よって、そこに迷いなどはないし、あってはならない。
「余談ですが」
私は視線を扉に戻し、そう口を開いた。
「貴女たちは、いつかまた巡り逢うでしょう」
「え……?」
伏していた顔を上げ、こちらを見上げる気配がする。
その表情にはきっと、驚きと、困惑と、そして希望が。
「縁がありますからね。共に罪を犯し、同じ業を背負ったものは、おのずから引かれあう定めにある。それでも人間同士ならば、地獄で業を祓うことで、その因縁を薄れさせ、断ち切ることもできますが……人ではない貴女の罪は、そう容易には消え去らない」
そう。だからこそ、人にあらざる者の罪は重い。
他でもない、私自身がよく知っている。
「罪が消え失せないかぎり、彼女との縁も切れることはない。
故に……貴女たちは再び巡り逢う。
そしてその時、また同じ罪を繰り返すかどうかは、貴女たち次第です────
────さて」
私は椅子を回し、正面に向き直る。
「以上で、この件は終わりです。では次の亡者を」
「ちょっ……ちょっとお待ちください四季様! この侵入者どもの処遇は……!」
さっきから待ちぼうけを食わせていた警吏が慌てた声を上げる。が、
「侵入者? 侵入者とは?」
彼の指差す先には、もう誰の姿もない。
「えっ!? あれ!?」
「用は済んだから、さっさと退散したのでしょう。そもそも越境事案への対処は入管部の仕事です。我々は滞りなく、我々の仕事を。いいから次を呼びなさい」
まあ多分、こっちに渡し済みの亡者は、そんなに溜まっていないだろうけど。在庫が尽きたら、また怠け者をひっぱたきに行くまでだ。
「……それもまた、新たな罪……か」
ため息と共に、つぶやきを宙に捨てる。
本当に、腐れ縁というものは。そう簡単には切れそうにない。




